第十九話「呆気ない結末」
結果から言うと、アイリン=クロックホルムは別にトンガリ帽子の下に何かしらのマジックアイテムを隠し持っていたわけではなかった。
黒を貴重とした衣装に貫頭衣を羽織った姿。
肩まで届かないほどの、短く癖のある赤毛。
そして。
身長160cmの頂点には、違和感バリバリの代物が。
それは時折ピクピクと動き、どこかで石が転がるような音がすれば無意識にそちらへ向いてしまうところを見ると、どうやら装備品の類いではないらしい。
そう。
つまり、
アイリン=クロックホルムの頭には、
なんとも可愛らしい猫耳が生えていたのだ。
この状況を作り出したシルビアとレイティアドールでさえ、その衝撃のあまり口が開きっぱなしになっていた。
レイティアドールに至ってはおそらく自覚はないだろうが、さっきまでしっかりと腕に抱いていたトンガリ帽子をいつの間にか教会の床に転がしていた。
「見らんで! 見らんでって!! あぁ、どげんしよう、どげんしよう……、もう駄目っちゃ! おしまいたい!」
アイリンはレイティアドールの半分くらいまで縮こまって、広間の角でなにやらブツブツ言っている。
両手で猫耳を抑えながら、膝の中に顔を埋めていた。
(ほ、方言っ……?)
(耳が……、耳がめっちゃ動いてる……、アイツ《獣人族》だったのね……)
アイリンの絶叫とその後の騒ぎようで、今まで意識を失っていたグラハムが目を覚ました。
上半身を起こし、体の様子を確かめる。
辺りを見渡して、隅っこで帽子を引剥がされて丸くなっている赤毛のネコ娘を見つけた。
「あっ……、姉さんやっちまったなあ……」
「なんだ、アンタ生きてたのね」
細かい瓦礫を払いながら起き上がるグラハムに対し、レイティアドールは声を放つ。
「それ、こっちの台詞なんだが」
「あん? アンタはまだ殺る気なの?」
「いや、やめとくぜ。姉さんがあーなっちゃもうどうにもできねえ。テメェらがどうしてもやりてえってんなら話は別だがな」
「いえ、それはもうないんですが……、なんなんですか、あれ」
ついにはアレ呼ばわりされるアイリンを指差して、シルビアは怪訝な顔を向ける。
「姉さんは《アヴァーニャ族》なんだよ」
「あ、アヴァーニャ族って……、あの《キューロレイユ海域》に存在する島に生息すると言われている異種族の……?」
「そうだ。ずっと外に出たがらなかったから独自の進化を遂げた連中だが、最近じゃ魔法が流通したせいでこっそり外の世界に進出してきてるって話だぜ」
「どうりで訛りが激しいわけで……、《翻訳魔法》の故障かと思いましたよ」
「まあ、姉さんは自分が田舎モンだってのがバレたくないっつって極力隠してたから、
耳がバレたらあーやって挙動不審になるし、普通に喋るために頑張って勉強した標準語がすっかり元に戻っちまうんだよ」
グラハムはその黄色い頭をボリボリと掻きながら、教会の角の壁とお喋りするネコ娘の元へ行くと片腕をグイッと引っ張って無理やり立ち上がらせる。
強引に立たされたアイリンは背の低いグラハムと並ぶと、その高身長ぶりが更に際立つ。
あんなに背が高くて凛々しいように見えていた彼女だが、今ではすっかり木偶の坊である。
「ほら姉さん帰るぞ。さっさと計画練り直さねえといけねえんだから」
「まーだ懲りないんですかあの二人は……」
身長の差は歴然なのにまるで小さい大人が大きな子供をあやすような光景に、シルビアとレイティアドールはなんとも言えない表情になる。
「い、いやぁや!!」
アイリンは強引なグラハムの手を振り払うと、ガクガクと震える足でシルビアとレイティアドールの元へ歩き出した。
少し遠目の位置で立ち止まると両手で耳を抑えながら、俯いたままボソボソと言葉を紡ぎ始める。
「わ、私は、アンタを倒すったい!! あん子と、約束したけん!!」
「……………」
滑稽。
まさにそんな言葉が似合うこの光景を見てレイティアドールは主たるシルビアの様子を窺うが、
彼女は予想外にもかなり真剣に今の言葉を受け取ったらしく、その顔に緩んだものは一切なかった。
そして。
「まだそんなこと言ってるんですか!!」
「ひぃっ!!」
突然の怒声に、思わずその場に尻もちをついてしまうアイリン。目尻に涙まで浮かべながら、猫耳を外側へと向ける。
「妹さんのために復讐を願う貴女の強い執念、私はそれ自体は否定しません。
しかし今の貴女がまずすべきことは、妹さんを救うことでしょうが!!
それはこんな間接的なものではなく、貴女が直接動くべきなんです。
貴女が今私を倒したところでベッドの上の妹さんは喜びますか? 違うでしょう!! 努力で天才を打ち破りたいと願う、貴女の気持ちはしかと受け取りました。
いつでも相手になってやりますからかかってきなさい。
でもそれは妹さんの前で、です。
まず、貴女は妹さんの呪いを解いて、それから共に私を倒しに来なさい!!」
「で、でも……」
アイリンは震える声を必死に絞りだす。
帽子を取られ、正体が明るみになったことで気持ちにかなりの緩みが生まれた。
感情が、ありったけ吹き出す。
「でもぉぉ……、もう、今の私に、あの子を助ける術は、ないっちゃああぁぁぁーーー!!」
それは、まるで子供のように。
ビー玉のような涙をボロボロと流しながら、小さい顔に似つかわしくない大きな口を開けながら、少女は啼いた。
ボロボロになった教会に一人の少女の泣き叫ぶ声が、寂しく響き渡る。
「だぁかぁらぁぁぁ……」
レイティアドールは主の厚意に気付こうとしない目の前の子供に、呆れた声を出す。
泣き叫ぶアイリンの顔を覗きこむように、両手を腰に当てながら仁王立ちでアイリンを睨みつけた。
「シルビィはもうとっくに、アンタを救う気でいるのよ」
「うっ……、いっ……、えぇ……?」
アイリンは零れ出る大粒の雫を両手で拭いながら、嗚咽混じりで応える。
「私は物心ついた時から一日中部屋で本を読み漁っていました。それも絵本や漫画などではなく、世界各地に散らばる魔道書の類を」
シルビアはそのサラサラな黒い髪が生えた頭をトントンと指でつつくと、アイリンに対して微笑みかける。
決して敵に対する表情ではないことは、誰の目にも明らかだった。
「この知識を使えば妹さんの心にかけられた呪いを解くなんて朝飯前ですよ」
「で、でもっ……、でも……」
「なんですか? 私を信頼出来ませんか? それとも、毛嫌いしていた『天才』のこの私の手を借りることに抵抗があるんですか?
分かりました。じゃあこうしましょう。私は今から、貴女へ嫌がらせをします。
この圧倒的な才能とその力によって、貴女なんかには到底成し得ることが出来なかった事を鼻をほじりながら成し遂げてみせちゃいます」
「うっ……、うぅッ……」
シルビアの高説を聞いたアイリンが、再び目に大きな水たまりを作り始める。
もはや以前のような凛々しい魔法使いの面影はどこにもなかった。
そこにはただ純粋な願いがあった。
そして猫耳の生えた大きな子供は、目の前に現れた希望をやっとの思いで掴むことが出来たのだ。
6
「ほら姉さん、どのみち一回帰るぞ。ってか、こんなことしてるとこ上にバレたらやべえからな。消息を絶つにしても準備が必要だ、ほら立て」
「うわぁぁぁああぁああん!! グラハムぅぅ!! あいつ、良い奴だったゃああぁあぁあ」
「はいはい分かった分かった。分かったから俺の頭で鼻水拭くのやめろぶっ飛ばすぞ」
グラハムはまともに歩こうとしないアイリンの手を肩に回し、引きずるように歩いていたが、ふと後ろを振り返った。
「……、俺からも礼を言うぜ。姉さんこんなんだから、今後どんなことに手ェ出し始めるか心配だったんだ。
だから今回の任務も実は姉さん一人に任されてたんだが、無理言ってついてきちまった」
「あー、はいはい。色恋話なら他所でやってちょうだい」
「ばっ!! そんなんじゃねえよッ!!」
「というかアンタも、常日頃からその子の側にいるんだったらただ付き纏うだけの金魚のフンになってんじゃないわよ。
周りが変わるのをただ待つんじゃなくて、今度はその子が道を踏み外しそうになったらアンタが止めてやりなさい」
「……、わーってるよ」
「それに、礼についてはまた日を改めてちゃーんとしてもらうつもりだ・か・ら♪」
仁王立ちのレイティアドールはいや~な笑みを貼り付け、ニッシッシッシッシと笑う。
彼女を天使に例える者もいるが、今の彼女はどこからどう見ても悪魔でしかなかった。
「ったく勘弁してくれよ……」
もはやグラハムは酔っぱらいの介護をするように、ズルズルとアイリンを引きずりながら教会を後にした。
静寂。
さっきあった事を全て否定するような静寂が、教会の中を包んだ。
シルビアとレイティアドールは暫くの間、グラハムたちが去って行った扉を眺めていた。
そこで、シルビアの脇腹へレイティアドールはグッタリと寄りかかった。
シルビアは慌ててそちらへ視線を向けると、レイティアドールまるで高熱が出たかのように息は荒く肌も小刻みに震えていた。
「シルビィ……………」
「れ、レイ!? どうしたんですか!?」
はっ、はっ……、と短く息を吐くレイティアドールはシルビアの服を片手で掴み、薄目を開けて上目遣いになりながら小さな声で訴える。
「そろそろ……、はぁ、マズイかもしれない。ねぇシルビィ、シて……?」
いつもの彼女と全く異なる驚くほどの嬌声は、同じ女であるシルビアでさえ思わずドキッとしてしまう。
しかしよく考えて見ればレイティアドールから《契の返上》を受けて大分時間が経つ。
早くシルビアの魔力を返して人格の維持を施さなければ、レイティアドールの人格が完全に失われてしまうおそれがある。
「あぁ、ごめんなさい。少しはしゃぎ過ぎましたね」
シルビアは膝をついてそっとレイティアドールと目線を合わせると、目を閉じるレイティアドールの薄い唇と口づけを交わす。
シルビアの生命に湛えられた莫大な魔力がレイティアドールの生命に再び注がれる。
少しだけ深く口づけをすると、思いの外レイティアドールがかなり危ない声を漏らし始めたのでシルビアはブレーキをかけた。
魔力の注入、生命と人格の維持が終わると、シルビアはゆっくりとレイティアドールから唇を離す。
一本の煌めく糸が二人の唇に橋を架けるが、それはやがて霧散した。
再び、服従の契約が交わされる。
事が済んだ途端、レイティアドールは膝から崩れ落ちてしまう。慌ててそれを抑えたシルビアだったが、それがまた偶然にも自分の膝の上にレイティアドールが座り込む形になったので、まるで恋人同士が一つの椅子で向き合う形で抱き合いながらイチャイチャするような体勢になってしまう。
「れ、レイ……?」
「んー?」
まるで全身に流れ始めた血液の温もりを心から感じとるように、目を閉じながら深呼吸していたレイティアドールがうっすらと目を開ける。
するとそこには、褐色の頬を赤らめているシルビアがいた。
「ははっ……、これじゃあ、まるで私が襲っているみたいね」
「おっ、おぉぉおおお襲ってるなんて、何言ってるんですか!!」
「ん~……? なによその反応……、本当に襲っちゃおうかなぁ?」
つー、とレイティアドールの細い指先がシルビアの背中の中心をなぞった。
それにシルビアは変な声を上げそうになるが、必死に抑え込む。
抗議の視線をレイティアドールに向けるが、彼女の顔には不適な笑みがあった。
相手の反応を楽しむようなこの笑みは、いつも通りのレイティアドールだ。
これを素直に喜んでいいのか分からず、あからさまに目を泳がせて動揺するシルビア。
そして。
「れいちーーーーーっっっ!! 海老チャーハンもういっぱーーーーいッ!!!!」
無駄に際立っていた静寂が、突如として意味不明な台詞で破られた。
二人はビクッ!! と身を震わせてそちらへ目を向けると、床で転がっている霧熊が無邪気な寝顔でよだれを垂らしているのが目に入った。
「…………、帰りましょう」
「そ、そうですね……」
一度寝てしまえば何もかもどうでもよくなってしまうタイプの霧熊に雰囲気を乱されながらも、少し安堵するシルビアだった。