第十六話「vs アイリン=クロックホルム+α」
グラハムとアイリンは互いに交差するように舞い踊り、教会内には《風属性魔法》と《炎属性魔法》の複合魔法が吹き荒れた。
とりあえずは五つの竜巻。
霧熊より高い背丈の暴風の渦が、高火力の炎を纏いながら練り歩いている。
レイティアドールはそれらに自ら突っ込んで行き、『正面からの超常を無差別に相殺する』という《暗号符》の特性を利用して一つ、また一つと火炎の渦を打ち消していく。
しかし竜巻はグラハムの意思で動いている。
三つの竜巻がレイティアドールを取り囲むように整列し、三方向からその体を焼こうと唸りを上げた。
「オラオラァ!! その白い肌ァ、消し炭にしてやんよォォ!!」
まるで獣の咆哮のような唸りを上げると、炎を纏った竜巻は更にその大きさを増し、更にその火力を増した。
レイティアドールを逃さぬよう、確実にその業火に叩きつけるように。
「どこ狙ってんの、間抜け」
レイティアドールの声がしたのはグラハムの真後ろ。
しかしグラハムはむしろその状況を嬉々とするように、耳まで裂けるほどの笑みを浮かべる。
「間抜けは貴女です」
さらに、レイティアドールの後ろから声が聞こえた。
瞬間、ドッッッッ!!!!!! と、レイティアドールの真下から火柱が吹き上げ、レイティアドールを骨の髄から焼き尽くそうとする。
しかしレイティアドールはたった一度、床を踏み抜く勢いで蹴る。
危ういところで火柱はレイティアドールの白い肌に少しの焦げあとを残すだけですんだ。
しかし華奢な純白の体躯は、その回避の代償に教会の壁に叩きつけられた。
「くっ……」
「身体能力上昇の《暗号符》も仕込んでいるようですが、どうやらあまり融通の利くものではないらしいですね」
アイリンの声に答えたのは横合いからの銃声。
独特な射出音が鳴り響くと、人工魔力が凝縮された弾丸がグラハムに向かって一発発射される。
そしてそれはまるで野球漫画に出てくる魔球のように、三つ、五つ、七つと増えるが、本物の弾丸はたったの一つだけだ。
ガチィン!!
重い金属がぶつかるような音が響くとそれらの弾丸は全て、グラハムと霧熊との間に割って入ったトンガリ帽子の少女によって防がれる。
「不意打ちこそ効きましたが、防御さえできれば物理的な攻撃など防ぐのは簡単です」
「あーあ、惜しいなー」
次の瞬間二本の杖が振りかざされ、二つの呪文が紡がれた。
壁をも貫かんほどの突風が、アスファルトをも溶かすほどの高火力の爆炎を纏いながら霧熊に襲いかかる。
それはまるで、ドラゴンの吐き出す火炎そのものだった。
柘榴石の輝きがアイリンの『想い』に呼応して、トンガリ帽子の少女が放つ魔法の力は底知れない。
今の霧熊にそんな彼女の攻撃をまともに受け流す術はなかった。
非情なまでの熱を帯びた炎の息吹は身長155cmの霧熊の体を丸ごと包み込むと、その肌を溶かし、肉を裂き、骨に焦げ跡をつけることはなかった。
小さくも頼もしい、美しき盾。
レイティアドール=ロンバルドは霧熊の前で大きく両手を広げると、大口を開けたドラゴンから吐き出される炎の息吹を逆に飲み込んでしまうように、霧熊を炭に変えるはずだったその複合魔法を全身で打ち消す。
しかし、火力は収まらない。
レイティアドールに魔法を受け止められても、黄金の少年と赤毛の少女は魔法を絶やさない。
このまま押し切ってしまうように、次から次へと生み出される業火と突風は、物理的な熱でレイティアドールの体表面を焦がしていく。
「れ、れいちー!!」
「ぐっ……、がぁぁぁぁぁぁぁあぁぁあああああああああ!!!!」
レイティアドールの肌に刻まれた《暗号符》になんらかの破損が生じた。
『正面からの超常を無差別に相殺する』力が失われ、その業火が瞬く間に純白の少女を焼きつくした。
龍の息吹は止み、二人の魔法使いが少し離れたところからその様子を伺う。
床に膝をつき、透き通るほど美しかった純白の肌が黒く爛れたレイティアドールは、何かが抜け落ちた空っぽな人形のように教会の床へと倒れこんだ。
「れいちー……、れいちー!! ねえ、嘘でしょ……? 返事、してよ……」
自ら膝をつき、うつ伏せに倒れこんだレイティアドールをどうすることも出来ずに霧熊はただ声をかける。
しかし絶望に塗り潰されたその瞳から涙が流れることはない。
泣くことさえも忘れてしまった霧熊は、ただ目の前の現実に抵抗しようと、何度も、何度も、何度も彼女の名前を呼んだ。
レイティアドールは霧熊を守ろうと、自らの身を投げ出して炎の中に飛び込んだ。
燃え盛る炎は酸素を奪い、肺を焼き、そして彼女を包み込んだ。
目の前の彼女は、あの背中の温もりを与えてくれた白い彼女は、霧熊の呼びかけに答えてくれることはなかった。
消える。
命の息吹が、またひとつ。
消える。
大切な何かが、どうでもいい誰かの手によって。
消える――――。
消える…………。
消える。
「…………、あ」
霧熊の口から声にもならない声が漏れる。
グラハムとアイリンはそれをただ眺めるしかなかった。
非情に、そして冷静に。
「あ……、あ……、あぁ…………ッ」
ギ、ギギ、ギィィィィッ!!!! と、揺れる瞳孔の向く方向をレイティアドールから二人の魔法使いへと切り替える。
何かが呼び起こされる。
何かが目覚め始める。
かつての何かが。
失われかけていた、何かが。
「あ、ああ、ああぁぁああぁあぁああぁああああああああああぁああぁあああぁああぁああぁぁああああぁあぁああああああぁあぁああぁぁぁああああぁああぁぁああああああああああああぁぁあああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
咆哮。
怒号。
殺意。
霧熊霞美の中に眠る、ドス黒い感情が目を覚ます。
まるで地底深くに眠る恐ろしい怪物の雄叫びの如く、その声は二人の魔法使いの鼓膜を引き裂かんばかりに叩きのめす。
「チッ!! ぶっ壊れやがったか!?」
「なんですか……、視界が……」
歪む。
教会の中の風景が、確かに歪んだ。
まるで飴のように、溶けたガラスのように、誰かの心のように。
視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚、その全てに干渉することができる霧熊の《幻覚魔法》が、暴走する。
目で見る光景は全てが間違いで、
耳で聞く音は全てが嘘で、
舌で味わうものは全て気持ち悪く、
肌で触れるものは全てが鋭く、
鼻で嗅ぐものは全てが臭かった。
「――痛覚を欺く。熱傷の激痛」
霧熊の口から、呪文が紡がれる。
あくまで無慈悲に。
あくまで冷酷に。
ただ、目の前の人間を、苦しめるためだけに。
「が、アァアアァアァァァァアアッ!! い、たアアァアァァァァァ!!」
グラハムが突然叫びだす。
床に倒れ、まるで体にまとわり付く何かを必死で払うようにのたうち回りながら。
「グラハムっ!? どうしたんですか!?」
トンガリ帽子の少女が駆け寄って声をかけるが、グラハムはそれに応える余裕もない。
「どう? 炎に焼かれる気分って。わたしは体験したことないからうらやましーよ」
気がつけばもう手の届く距離にまで霧熊が迫っていた。
その瞳に光はなく、ただ殺戮だけを追求する死に生きる者の目をしていた。
「同じ目に合わせてあげる」
声が響く。
まるで二人を取り囲むように、次から次へと声だけが響いていく。
霧熊はねじれた《魔法の杖》の先端を二人の魔法使いへと向ける。
「ころす……、コロス……、殺すッ!!」
何かが、収束する。
おそらくはトンガリ帽子の少女には考えもつかないような悍ましい方法で、二人を葬り去るめの何かが。
シャキンッ。
その時、金属と金属が擦れる音が響いた。
あまりの身の危険を感じたトンガリ帽子の少女が、その腰に提げていたレイピアを引き抜いたのだ。
「ま、眩しいッ!!」
思わず声を上げる霧熊。
しかし無理はない。
突如として、彼女の視界が白一色に塗り潰されたのだ。
四方八方、どこを向いても白。白。白。
見ることを完全に拒絶するその絶大な光は、霧熊の魔法の照準を完全に狂わせる。