第十四話「誰が為に闘うのか」
夜の九時といえば日も完全に落ちて、閑静な住宅街は家の明かりと少しの《森の妖精》の光で照らされるものだ。
普段なら一日中賑わうことのない静かな空間に、今は赤い光が複数ひしめき合っている。
パトカー、救急車、消防車、様々な赤い光がいつもの静寂を完全に異質な物へと染め上げていた。
それらが取り囲むのは、美術館・《メルベイユ・ジャルダン》。色彩魔法を使用して作られた近代アートの美術館だ。
「何があったんだ?」
「いやそれが物凄い音がしたと思って見に来てみれば、美術館の窓ガラスが崩壊していたんだって」
「外から見てもあんま分からないけど、中はどうなってんだろ……」
「高ランクの魔法使い同士の喧嘩かなにか?」
「どうせまた《柴木原窃盗団》じゃないか?」
「え、でもこの美術館、そんな値打ちものがあるようには思えないがなあ……、奴らならもっとデッカイとこを狙うんじゃないか?」
集まった複数人の野次馬がそんな会話をしていた。
その中にいた女子高生が物珍しさにスマートフォンで写真を撮る光景は今も昔も変わらない。
そんな女子高生は、自らの撮影した写真を見ながら首をかしげていた。
「あれ? こんな子達いたっけ……」
スマホの画面端には、微かに映る二人の少女の姿があった。
一人はサルエルパンツを履いたラフな格好の少女。
もうひとりは、その少女に背負われた白い髪の白い幼女。
こんな異質な二人が歩いていたら、気付かないはずがないのだが……。
気味の悪くなった女子高生はおもわずその画像を削除し、足早にその場を立ち去った。
※
「ほられいちー、しっかりしておくれよー」
肩甲骨まで届く茶髪を揺らしながら、霧熊霞美は走りつつ背中でぐったりする純白の幼女に声をかける。
「……、シル、ビィ……、助けに……」
「今森に向かってるよー」
「森、へ……? でも、光石の、回収……」
「ほら、ちゃんと持ってきたからしっかりして!」
「あ、ああ……、いつの間に」
「れいちー、また思考停止に陥ってたよ」
霧熊は極力人の少ない路地を選びながら、天都の外れにある森へと向かっていく。
曲がり角を曲がって、そこに人影があればそれに対して《幻覚魔法》を発動。
対象の視覚を操作して自分たちの姿を認識できないような細工を施す。
それを繰り返しながら、最短かつ最速で霧熊は走る。
「思考停止か……、久しくなってなかったんだけど……。
そういえば、あの《風属性使い》は?」
「どうだろうねー……、逃げることに必死だったから。警察に捕まってくれてれば嬉しいんだけど」
「倒したの……?」
「まー、ちょっと寝てもらっただけだよ」
「そう……、悪いわね。もう歩けるから下ろして」
レイティアドールは霧熊に静止を促すが、彼女は止まるどころか少しスピードを上げる。
「ね、ねえ! もう大丈夫だって!」
「えへへー。じっとしてて。特急列車キリチャン号は途中下車できないんだよー」
「な、なによアンタ! 気持ちわるいわよ!」
レイティアドールはその白い顔を少し赤らめながら寝癖のある霧熊の頭をポカポカとするが、彼女は緩んだ笑みを崩さない。
「なんでもなーい!」
傍から見れば姉妹のように見える二人。
自分が姉で、レイティアドールが妹。
そんな関係に見える今の状況がちょっとだけ嬉しい霧熊なのであった。
※
癖のある赤毛の少女は黒い服からマッチ箱を取り出すと、そこから一本の赤いマッチを手に取って静かに擦る。
曇ったステンドグラスから差し込む月明かりだけに支配されていた青白い教会内に、新たな灯りが生まれた。
オレンジ色の小さな灯火をアイリンは虚空へと放る。
するとそれは大きく燃え上がり、幻想的な風景を映し出した。
まるで童話に出てくるようなその光景はしかし少女の夢や希望を映すものではなく、
この森に張り巡らされた護符を通して映像が送られてくるという魔術だった。
オレンジ色の蜃気楼に映し出されたのは結界の外側。
森の妖精たちが輝かしい星のようにたゆたい、それぞれの日常を送っている。
そんな彼らに誘われるように、本日何人目かの人影がこの森に踏み込んでくるのが分かった。
身に纏うは闇を具現化したように黒く薄手の衣装。
しかしその肌は月明かりよりも白く透き通っていて、その瞳は宝石のように赤く深い輝きを放っていた。
(レイティア=ロンバルド……。これが、世界で初めて本当の蘇生に成功した死体。
しかし、彼女は本当に死体だったのでしょうか……?
もしかすると、蘇生術に死体の状態を治癒する作用があったとか……)
噂には聞いていたが、どうやら《死屍起し》が蘇生したのは《アリヒ》の教会地下に保管されていた《美しすぎる死体》で間違いないらしい。
あの教会の地下墳墓には今にも動き出しそうなほど保存状態の良い死体が保管されているというちょっとした都市伝説のようなものが流行っていたのは耳にしたことがあるが、実際に見てみると想像以上に美しい。
月明かりと森の妖精の発する光に照らされ、
そのウェーブのかかった短い白髪をなびかせながら森を歩く姿はまるで森の妖精とはまた別の、絵本や童話に出てくる妖精を思わせる。
華麗な立ち姿は良い意味で、人形のようだった。
(……、なんの警戒もせずに正面から突っ込んできますか。恐れを知らないというか、そもそもそんな感情持ち合わせているのかも疑問ですが)
そんなことを考えたアイリンだったが、突如目の前の光景を疑った。
映像の向こうにいる純白の屍体がその禍々しいほど紅い眼光を、こちらへ向けてきたのだ。
おそらく、森の木々に貼り付けた護符を発見したのだろう。
レイティアドールはそれに手を伸ばし、思い切り引きちぎった。それと同時に教会の宙に映し出されていた炎の幻影は、まるで煙を払ったように虚空へと霧散する。
(……、考えなしに突破しようという訳でもなさそうですね)
「レイ……、来てくれたんですね」
その声でアイリンは祭壇に横たわっていたシルビアが目を覚ましていることに気がついた。
「私の《聖母の揺篭》も紐解きましたか」
「単なる《炎属性魔術》だと思いましたが、《精神魔法》との複合魔法だったんですね。高めの体温と同じ熱を全身に浴びせることで母の腕に抱かれたような感覚を覚えさせ、そこに生じた精神の隙を突いて一気に睡眠欲と快楽を引き出す……、手強い術でした」
「結構な力作だったんですよ」
「なるほど……、どうりで未だに体の自由が効かないわけです」
「貴女に完全に覚醒されると色々と不都合が生じてしまいます。今一度、夢の中にでも行っててください」
アイリンはつば広のトンガリ帽子を片手で位置調整すると、もう片方の手に持った伸縮自在なスチール製の《魔法の杖》をシルビアへと向けた。
淡く白い光が放たれ、シルビアの全身をゆっくりと包む。
「……、貴女のような、方が……、どう、して…………」
「私は別に狂信的な《黒き月》の一員ではありません。むしろ、こうしなければならない理由がちゃんとあるんです」
「……、理、由……?」
段々と思考が単調になり、乾いた砂に水が滴るように、アイリンの魔法がシルビアの意識を蝕む。
「心を持つ者の行動原理なんて、あまり相違ないものですよ」
「あ、なた……、にも、守るべき、人が…………?」
「それに答える義務はありません」
「…………、――――」
再び、シルビアは深い眠りに誘われる。
しかしこの時、シルビアは感じた。
祭壇の前に立つトンガリ帽子を被った全身黒ずくめのこの少女は、こちら側の世界に身を置くにはあまりにも人が良すぎる、と。
現に自分とレイティアドールを抹消するだけなら、術者であるシルビアを殺してしまえば、おそらくそれでレイティアも共に活動を停止するだろう。
綿密すぎるほどの計画を組み上げる彼女なら、その可能性に気づいていないはずがないのだ。
しかしこうして今もただ眠らせるだけに留まっている
おそらく自分を餌にしてレイティアドールをおびき出し、自分とレイティアドールを二人共生け捕りにするつもりなのだろう。
あくまで命を奪わず、任務を遂行する。
《聖なる誉》と呼ばれた、世界で7人しかいない【S判定】のタレントを持つ魔法使いと、
世界で初めて蘇生に成功した死体という戦力があまりにも未知数な相手に対してなんたる無謀な策かと思われるが、彼女はその半分を既に成し遂げている。
自らの命を危険に晒してまで、おそらくは自分自身ではなく別の何者かの為に任務を遂行する彼女は裏稼業の人間からすれば、かなり甘い。
隠密や暗殺を生業とする者たちからすれば、甘さとは最も持つべきではないものだ。
時には自らの生死に関わるため、この業界に入ってくるような人間は最初に捨てるべき感情だ。
しかし彼女にはまだそれがある。
おそらくは無意識に敵に情を抱き、簡単にその命を奪うことができないのだろう。
だが《黒き月》は敢えてそんな彼女に今回の大役を命じたのは、一体なぜなのか。
それも含めて、シルビアは意識を奪われつつも精神を保って考える。
《聖なる誉》の第三位が一番信頼している、家族の迎えをただ待ちながら。