第十三話「傀儡の苦悩」
今の状況に、一番戸惑っていたのはむしろ彼女の方だ。
アイリン=クロックホルム。
《黒き月》、第一執行部隊に所属する《炎属性使い》である彼女は二ヶ月前、
組織から『死屍起しの回収および抹消』を命じられた時、戸惑いと恐怖はもちろん感じたが、なにより千載一遇のチャンスだと思ったのだ。
しかしそれは、別に功績を挙げて地位や名誉を得ようとした訳ではない。
復讐と、革命。
自分から大切なものを奪った『才能を持つ者』を討ち取り、
凡人の努力は天才を越えるものだということを証明するための、チャンス。
(私が……、勝った……? あの《聖なる誉》に?
世界の知識を有し、人類で初めての偉業を成し遂げた魔法使いに、勝ったんですか……?)
実感が沸かない。
トンガリ帽子の少女はステンドグラスから差し込む静かな月明かりにその癖のある短い赤毛を照らしながら、祭壇の上に横たわる黒髪の少女を眺める。
《ステラの森》に在るこの名も無き教会は、おそらく《センターラ侵攻大戦》を経て人の手から離れた物だ。
信者を失った教会はただ廃れるのを静かに待つだけで、内装もかなり荒れていた。
本来は美しいステンドグラスはすす汚れ、木製の会衆席には灰色の山が形成されている。
かび臭く、まるでここだけ時間が止まってしまったような空間にはもはや悪しき者すら寄り付かない。
更に現在は森の妖精たちによって森が管理されていることもあり、実際に数十年も人間の出入りはなかっただろう。
(《聖母の揺篭》で意識は奪いましたが、しかしこれはまだ任務の第一段階が終わったに過ぎません)
キ、キキリ、キリキリリ…………。
アイリンの頭から、特殊な念波が発せられる。
それは遠方にいる何者かの元へと届き、アイリンの思考とその者の思考を繋げる。
(こちらアイリン=クロックホルムです。計画は予定通り進行し、現在第一段階が完了しました。『自然の摂理』を乱す《死屍起し》は回収済みです)
『イテテテ……、アナタのこれはイマイチ慣れませんね。頭に直接声が響く感じがしてジンジンします』
(いい加減慣れてください。この方が、他からの干渉が避けられて盗聴される恐れもありません)
『徹底してますね。流石です』
(グラハムの方からは連絡がありましたか?)
『ええ、先ほど連絡が入りました。ちょうど今こちらから連絡しようとしていたところです。
あちらも屍体の回収に成功したようで。このまま問題なく撤収を完了したらまた連絡が入る予定ですが、もし十分経っても連絡がなかった場合、速やかに《死屍起し》を処分し、オルブライトくんの応戦に向かってください……、
と言いたいところですが、確か貴女の見解ではオルブライトくんから連絡は来ないとのことですよね』
(それはあくまで最悪かつ、起こりうる数少ないアクシデントの一つです。しかしおそらくそうなった場合、あの死体が術者である《死屍起し》を回収しに来ることは、まず間違いないはずです)
『なるほど。それで敢えて《聖なる誉》を生け捕りするという無謀とも思える作戦に打って出たわけですね』
(そのことについてですが、どうやらシルビア=ローゼンクロイツは今現在、何らかの理由でタレントが以前より衰えているようです。恐らくは、【C判定】以下かと)
『……、ほほう。それは非常に興味深いですね』
アイリンはステンドグラスの月明かりに照らされる、褐色肌をした少女を一瞥する。
そして左手にある、先ほど回収したシルビアの《魔法の杖》に視線を移した。
(《死屍起し》は《杖》こそ持っていましたが、なにも魔法を使いませんでした。一度は《神の文字》を使った私の魔術を乗っ取られましたが、
その際にもナイフを使うなど、まるで《聖なる誉》の名に似つかわしくない武装をしていたのでおそらく間違いないかと)
『確かに話を聞く限り、彼女の力は衰えているようですね。
しかし恐らくそれは、《タレント》ではなく《魔力》の方に変化があったと考えたほうが自然ですね』
(《魔力》に……、変化? しかしタレントならまだしも、生命力そのものである魔力が変動するなんて聞いたことありません)
『三年前の冬』
唐突に紡がれた言葉。
最初アイリンは相手の思考にノイズが混じったのかと疑ったが、しかしその言葉には異様な意味が込められているような気がした。
(……、へ?)
『その日、なにが起こったかご存知ですか?』
(そ、それは……、《死屍起し》たるシルビア=ローゼンクロイツが、世界で初めて完全な死者の蘇生を実現させた年、ということですよね)
『そう。そして彼女は、その死体を連れて教会の地下から姿を消したんです』
(《転移魔法》……、ということですか?)
『問題なのは彼女がどうやってその姿を消したかではなく、どうやって組織の手を逃れ、この島国にやってきたか、です』
(…………)
『当時彼女を管理していた組織は、彼女の魔力の波紋データを把握していました。つまり世界のどこにいてもその居場所を突き止めることができるはずでした。
しかし地下墳墓で蘇生術を施した瞬間、彼女の魔力が唐突に消えたんです』
(魔力が……、消えた……?)
『正確には、彼女の魔力の波紋が変質した。
よって行方が完全に分からなくなってしまったため、今の今までシルビア=ローゼンクロイツが生きているのか死んでいるのかさえ誰にも分からなかった』
(でも、それじゃあ……)
『魔力が消えるということは、それすなわち生命が消えるということ。
しかし彼女は今アナタの前にそうして生きている。
しかも先ほどアナタの言った通り、彼女の魔法を使う力は衰えていることから、おそらくはタレントではなく魔力が衰えたことになります。
しかしながらやはり魔力が変質するというのは前例がありません。真実は彼女の口から直接聞けるといいのですが』
愉悦な笑みさえ感じられる通信相手に、アイリンはなにか心に引っ掛かるものを覚えた。
(……、ひとつだけ、聞いてもいいですか?)
『聞くだけなら、いくらでも』
(……、アナタたちは、一体なにが目的で今回の任務を私に命じたのですか?
《死屍起し》を管理していた組織でさえ三年も彼女の行方を掴むことができなかったのにも関わらず、
アナタたちはそれを掴み、彼女のことに関してかなり調べ上げているみたいですね)
『口は災いのもと、という諺がその《大和》という国にはあるそうです。アナタの場合は耳ですが。
あるいは知らぬが仏、とも。
あまり関係のないところにまで首を突っ込んだら、今度はアナタを消さなければならなくなります』
(……、脅し、ですか?)
『アナタはもともと、そうやって動いているはずですが』
(……、分かりました。任務を続けます)
『よろしくお願いします』
アイリンと遠方の何者かを繋いでいた特殊な念波が途切れる。
不満は募るほどあるが、アイリンには黙って命令に従う以外の選択肢はない。
もし自分が《黒き月》に逆らえば、どんな目に合わされるかは重々承知している。
自身が危険にさらされる分には構わない。
しかし、奴らには自分の大切な人の運命が握られている。
組織と交わした約束を果たすため、アイリン=クロックホルムはただ冷酷にその任を遂行する。