館花さとみ
大した面白味もなくつまらないコマーシャルが明けると、芸能界の第一線で活躍している司会者の方がマイク片手に笑顔で声を出す。膝の上で落ち着いている白い毛並みの猫の身体を優しく撫でながらリモコンでテレビの音量を上げた。目の前にある高級感溢れるテーブルにあったティーカップを持ち上げて口につければ、甘い紅茶の味が広がる。ただ、鼻から抜ける香りがいつもと違った為「ママ、これどこの?」と視線を隣に向ければ、とぼけた顔で「うーん、どこのだったかしら」と笑った。
「善太郎さんが貰ってきたような気がするわね」
「パパが?」
「えぇ。美味しいでしょ?」
「うん、とても美味しい。いつもと違うなら出す時に言ってくれれば良かったのに」
「忘れてたのよ。美味しいならそれでいいじゃない」
「まぁね」
そう言って再び香りを確認する彼女は館花さとみ。日本を代表する役者の父と母を持ち、裕福な暮らしをしているれっきとしたお嬢様。さとみもまた、子役として二歳の頃から芸能界で活動ししており、周りからチヤホヤされて育ったせいか生意気で自分勝手な性格になってしまったのだが、両親から受け継いだ整った顔と能力は圧倒的で誰も何も言えなかった。最近ではアイドルという入れ代わり立ち代わりの激しい世界にも手を出し、ファンを着実に増やし続けている。ほんのお遊び的な感覚で足を踏み入れた世界だったが、中々簡単に頂点近くまで上り詰めたさとみ。熱々で心地好い足湯を求めていたけれど意外とぬるま湯だったことに驚いて、今は早くタオルで足を拭きたいなんて思っている。ドクターフィッシュでも居ればまた違ってくるのに。
そんな時にさとみが知ったのは『アイドルNo.1決定戦』だった。折角だしNo.1に輝いて自分の名を残し新しい足湯を探そう。過去にはこんな大物がこの足湯に入ったんだよ、と言えれば気持ちが良いし、話題になるから。
「パパって何時に帰って来る?」
「夜中だと思うわよ。撮影大変らしいから」
「そうなんだ……じゃあママから伝えておいて欲しいんだけど」
性格の悪さが滲み出ているような笑みを浮かべて「パパってこの司会者と前共演してたでしょ」と大きなテレビ画面を指差す。司会者経由でプロデューサーに掛け合ってこのくだらない企画の優勝者を自分にして欲しい、そういう意図で頼めば「わかったわ。伝えてみるわね」と優しく微笑んだ。
(好きだよ、ママのそういうとこ)
司会者の話す言葉に笑ったり真剣な顔になったり頑張っている画面の中の女性は、伝説のアイドルとして紹介されている。その人に関する情報はほとんど頭に無いが顔は見たことがある。人気があったのは確かなのだろうが女優としてちょこちょこドラマに出ていたりバラエティに出ていたり、何がしたいのかわからないズルズル系だ。芸能界に残りたいのか、二十代後半という年齢になってから足を洗って一般人に戻るのが嫌なのか。はっきりとした肩書のないタレントという中途半端な立ち位置で必死に過去の栄光にしがみつく。
さとみは自分だってアイドルの頂点をとって歴史に名を刻もうとしていることに関しては、このタレントと同じだということに気付いていない。大人気子役、大人気役者の子供という肩書にしがみついているなんて、寧ろこのタレントよりも必死感が強いのに。二十一歳になったばかりの彼女にはまだ理解ができないのだろうか。いや、理解していながら認めたくないのかも知れない。
「そういやママって昔アイドルだったんでしょ?」
「まぁ、誇れるようなものではないけれど」
「何言ってんの……。琴吹かなえってネットで調べたら沢山の情報が出てきて驚いたよ」
「そんな恥ずかしいこと調べないでいいのに」
八十年代後半から九十年代前半のアイドルの中でも一際目立っていたのはさとみの母である琴吹かなえらしい。抜群の歌唱力と容姿端麗なビジュアル。数々の音楽番組やバラエティ番組に引っ張りだこの毎日。だが、二十二歳の時に人気絶頂の真っ最中にアイドルを引退。理由は、女優として本格的に活動したいというものだった。でもかなえの場合それも大成功して、映画やドラマ、コマーシャルに出演し顔を見ない日はない程の人気ぶり。二十五歳になると若手俳優の館花善太郎と結婚、さとみを出産。子育てをしながらもテレビには出続けて、今でも芸能界で活躍をしている。一方、善太郎は役者としての実力は確かだったが知名度は低く、あまり芽が出なかった。かなえと結婚して一気に名前が知られるようになり、現在は日本を語る上で外せない俳優なんて紹介をされるようにもなった。
アイドルでも役者でも成功した母親を使おうと思ったのは、我ながら素晴らしい案だったとさとみは満足気に数年前を振り返る。番組で、二世と呼ばれる人達が親と比べられたりするのが嫌だったと話していたりするが、さとみの場合そんなことは一切なかった。所詮誰かと誰かを比べる人間なんて余程の暇人か、妬む事しか出来ない馬鹿だと上から見ていたからだ。兎に角さとみには絶対的自信に満ち溢れ、自分以外の頂点は有り得ないと確信していた。
「ママとパパの子供になれて本当に良かった」
「あら、嬉しい事言ってくれるじゃない。どうしたの?」
「どうしたのって、思ったことを言っただけだよ」
「パパに報告しなきゃね」
きっとさとみの言った言葉の意味とかなえが解釈した意味は似ているようで酷くかけ離れているだろう。自分の腹を痛めて生んでくれた母親のことですらも下に見ているこの性格を、改善するのは容易なことではない。人生で一度も挫折を経験したことがないのはここまで人をダメにする。自分の性格が悪いことを自覚しているのもまた同性に嫌われる原因の一つのような気もするが、信頼している人に出る本音は共演者やスタッフには聞こえていない為、バレていないことだけが唯一の救いだ。余談だがさとみのマネージャーになった人は一年足らずで辞めてしまうので、裏では『館花の呪い』と言われていたりする。事務所としては稼ぎ頭のさとみを手放したくはないので、あくまで陰口なのだが。
今頃その陰口を叩く社員のいる事務所には取材が殺到し、寝る暇がないくらいの仕事量になる筈だと緩む頬を隠した。性格が悪くても仕事を投げ出したりはしないので助かっている。これで仕事を選び始めたら本格的にクビの可能性が浮上する。まぁ、親が親なのですぐに次の事務所は見つかるだろうし、そもそも何も言えないだろうが。
「そういえば今日ね、お菓子を貰ったのよ。どこかの何とかっていう何かなんだけど」
「今のところお菓子っていう情報しか入ってきてないよ」
「映画の撮影中に貴子さんが差し入れしてくれたの」
「ふぅん」
「かなえちゃんにも是非って別に頂いたのよ。食べる?」
「有難いけど時間も時間だし明日にしようかな」
二十一時を過ぎている今、得体の知れないお菓子を食べてしまうのはまずい。ダイエットなんかしなくても痩せているのは自負しているけれど、罪悪感は否めない。紅茶に合いそうだとか甘くて美味しいだとか隣で話しているから興味は沸いたが、取り敢えずそれは明日頂こう。それよりも貴子さんと言われても全く顔が思いつかないことの方が問題だ。さとみは「貴子さんって何貴子さん?」と知っている限りの貴子の顔を思い出して問う。すると「花田貴子さんよ。この前さとみも共演してたじゃない」と猫を撫でる。
「あぁ、花田さん。花田貴子さんね」
「全くもう、本当にさとみは小さい頃から名前を覚えるのが苦手ね」
確かに以前学校が舞台の恋愛ドラマに出た時に母親役として共演した。そんなに身近な役柄だった人の名前も覚えることが出来ないのは、沢山の人と出会い過ぎてだと思っている。今度何処かで遭遇なんかした時には「お菓子ありがとうございました」と一言笑って言うだけで貴子からの好感度は鰻上りだ。
お礼を言うことは忘れない、自分にとって徳になることだから。相変わらずのさとみは、今のうちに十分な睡眠をとっておこうと猫をかなえに預けて部屋へと歩いた。




