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アイドルテロリズム  作者: 橋田鐘鹿子
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中橋夕夏

幾度となく雨に曝されて錆び付き、今にも崩れそうな階段をゆっくりと上る。何十年も残っているのだからいきなり壊れるなんてことはないだろうが、何だか怖くて慎重に、同じアパートに住んでいる方に迷惑が掛からないようなるべく音を立てずに。結局のところ、一切崩れる気配はなく階段を上り切った。


(今日もお疲れ、自分)


自宅の鍵をバッグから取り出しながら、そんなことを考えるのはいつものことだ。何事もなく一日を過ごし、家に帰って来れたことにホッとしているのだ。目の前の鍵穴に差し込みガチャ、という音が聞こえたのを確認してドアノブに手をかけ足を踏み入れる。そしてゆっくりと深呼吸をした。何故、家というのはこんなにも落ち着くのだろうか。もしも此処が実家だったなら今頃「靴をそろえなさい」という母親の呆れた声が聞こえた筈だ。小さな頃から言っているのにどうしてこの子は理解できないのかと、怒るのも諦めているその感情に共感出来る日はいつ訪れてくれるのか。

一人暮らしを始めて早十か月。中橋夕夏なかはしゆうかは、数年前なら意味もなく腹が立っていたであろうそんな母親の声ですらも恋しくなっていた。北海道の田舎から大都会東京に憧れて出てきた為、家族とは会いたい時に会えない。上京すると宣言したのは紛れもなく夕夏なので自業自得ではあるが、電車一本で行ける距離ではないというのは変な寂しさと孤独感がある。だが住んでいるのは東京ではなく埼玉県。初めての一人暮らしで東京に住むにはお金が足りなかった。

取り敢えず乱雑に散らばった靴を揃えてベッドの上に寝転がった。ただ、一度寝転んでしまうと動く気が失せてきて、結局そのまま眠りにつき、次の日になって死ぬ程後悔するのは目に見えている。なので意識がはっきりとしているうちに起きてやった。これで過去の自分に勝ったぞ、ベッドの誘惑に勝ったぞ、と満足しつつ起き上がり床に置いたバッグから携帯電話を取り出した。

画面を見ると既に二十一時になろうとしており、その事実を知った瞬間恐ろしく強大な睡魔が背後から襲い掛かってきた気分になる。お風呂にも入っていないし化粧も落としていない。夜ご飯も食べてはいないがこの時間だと必然的に抜きだ。何もしたくない程に疲れているのにやらなくてはならないことが見つかると、いつもより五割増しで嫌になる。やりたくない、動きたくない、したくない。こんなことばかり言っていてよく十か月も一人暮らしなんかやってこれたものだ。


「よし……動くか」


携帯電話をベッドに置いて風呂場にある洗面台のもとへ行こうと立ち上がれば、ピロリンと通知音が鳴る。折角動くという一大決心をしたというのに邪魔をしたのは何処のどいつだ、と舌打ちをしつつ画面に目をやった。携帯電話だって休憩が出来ると喜んだはずなのに、何度も鳴らさなければならないなんて可哀想に。生まれ変わっても携帯電話にはなりたくないかも知れない。

今や大多数の若者が利用しているであろうトークアプリを開くと『夕夏ちゃんもうすぐ今日話してた番組やるよ‼』『夕夏ちゃんのことだからもしかしたら忘れてるかも』『って思ったから連絡してみたんだ‼』とメッセージが。顔文字と絵文字が至る所に使われていて、一度に長文で送らず区切るところが若い女の子感に溢れている。もしかしたら男性だってそうしているのかも知れないが、夕夏の友達にそんな人はいなかった。というかそもそも男友達がいない。

『番組ってなんだっけ』と打ち込んで送信ボタンを触るとすぐに既読がついて『もう‼』『やっぱり忘れてたー‼』と例のごとく二回に分けて送られてきた。「一回で送れよ」と夕夏は思わず暗い声で呟いていれば、今度は電話がかかってきて、何の感情も湧かないまま出る。


「もしもし」

「夕夏ちゃん番組始まっちゃったよ……テレビ付けた?」

「あー付けてない。番組って何だったか疲れすぎて全く思い出せなくて」

「そんなことだろうと思った……。急いで夕夏ちゃん‼」


やけにテンションが高い電話の相手は松雪奈子まつゆきなこ。慌てた様子でテレビ局の名前を言うのでリモコンを探して電源を入れる。チャンネルを選択すると、毎週やっている筈のバラエティではなく、特番が映し出された。司会者の方が何やら話していて、画面の右上には『アイドルNo.1決定戦』と表示されている。


「あ、これかぁ‼」

「やっと思い出した……」


確かに夕夏は今日の昼間、奈子達と話をしていた。というかもうこの話題しか話さなかったレベルでずっと盛り上がっていた。それなのに忘れてしまうなんて、疲れとは恐ろしいものである。

夕夏や奈子は、アイドル活動を行っていた。夕夏が東京に出てきたのはアイドルになりたくてというのが一番の理由なのだが、両親にはまだ伝えたことはなく「東京の大学に行きたい」と言って誤魔化して出てきた。本当に東京の大学にも通っているが、アイドルのことは当分言いたくない。所属しているグループは二年前に出来た割と新しいもので、夕夏は二期生。因みに奈子は一期生だが夕夏の一つ年下である。『foget‐me‐not』という四人組グループで、勿忘草わすれなぐさという青くて小さな花を英語に訳したものが活動に大事な名前。勿忘草の花言葉が『私を忘れないで』や『真実の愛』らしく、皆に愛され忘れないで欲しい、覚えて欲しいという意味が込められてるとか。実際初めてこの名前を見た時は、なんて重たい言葉なのだろうと若干引いた。

当初、どんな形でもいいからアイドルになってみたくて、募集中のグループを兎に角急いで探した。何もない田舎から出たかったというのもあったが、単純に好きだったアイドルという職種になりたくて仕方がなかったのだ。すると見つかったのがこれで、問い合わせてすぐに所属が決まった。既に奈子ともう一人がいたのだが、一年しか経っておらず知名度も低かった。けれどファンは少ないながらも存在していたからこれから売れてやろうというやる気は確実に漲っていた。


「夕夏ちゃんはエントリーするんだよね?」

「うん。してみようかなって思ってるよ」

「私もしてみようかなぁ……」


今日本に存在するアイドルは、軽く一万を超えていると聞いたことがある。その中でも有名になれるのはごくわずかで、皆この芸能界を生き抜くのに必死になっている。それに目を付けてくれたらしいこの番組は、ネット投票でアイドルNo.1を決める企画を考えたようで、事務所の人達はその称号を手に入れようとここ最近慌てていた。アイドル達の中で噂が広がり、遂にそれが番組表に載って現在放送している。

でも結果が発表されるのは半年後。その間にアピールをする時間を設けて視聴者がじっくりと選考する。テレビ制作者側からしたら、視聴率をとる為に沢山引っ張るのかも知れないが、夕夏達アイドルにとっては名前を知ってもらえる良い機会だ。それくらいの期間があれば、有名なアイドルに勝てる可能性が0.5%程上がるような気がする。


「No.1グループを選ぶのならみんなで協力して頑張れたのにね」

「そうだね。個人戦は残酷だなぁ」

「私、夕夏ちゃんには負けちゃうかも」


奈子の甘ったるい声が耳に入ってきて顔が引き攣った。まるで「お前になら勝てる」と言っているかのようなわざとらしいその言い方に眉を顰めながら再びベッドに腰かければテレビはコマーシャルに切り替わっていた。

決してアイドル“グループ”No.1を決める訳ではない。アイドルNo.1を決めるのだ。つまり今まで同じグループとして戦ってきたのに、一瞬にして皆が敵になる。だから明日からのレッスンやライブは、これまでのようにはいかない可能性がある。けれど、寧ろ「やってやろう」なんて気持ちが芽生え始めているのも事実だった。


「私も、奈子ちゃんには勝てる気がしないけど……」

「……けど?」

「全力で、倒しに行くよ」


宣戦布告ともとれる言葉に奈子の息を呑む様子が電話越しに伝わってきた。


「うん。お互い全力で頑張ろうか」


大人気女優がにこやかな笑顔で商品をアピールしていたコマーシャルが終わり、楽しそうな司会者の顔が映し出されたところで夕夏は「おやすみ」と電話を切った。

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