幼馴染みとアリス
「はぁ、テストが……補習なんて」
アリスはいつもの通学路をトボトボと歩きながらため息をつきました。それは、今日返されたテストが原因でした。
***
「あ゛~ヤバい! 数学も補習確定だー!! アリスも来い!」
「あら、わたしは捺に教えてもらったからかなり自信あるのよ」
「くっそ―、あたしも教えてもらえば良かったな……」
そう言ってアリスの親友の美咲はアリスの机に突っ伏しました。投げ出された手には、二十三点と書かれたテストの解答用紙が握られています。アリスはそんな親友の姿に苦笑いを浮かべながら解答用紙を貰いに先生の許まで行きました。
「アリス、まあ、頑張れ」
「えっ……え゛」
今回のテストの為に休憩時間はとにかく勉強したアリス。そしてそれを見ていた先生は複雑そうな声音と共に解答用紙を渡します。アリスは一瞬キョトンとしましたが、テストの点を見た途端、先生の言葉の裏を理解したようでした。
そして、絶望したような顔をして席に戻ったアリスを美咲は笑顔で迎えました。
「なになに……三十二点! 仲間だ!」
「大きな声で言わないでよ、もう」
そして、アリスの首に手を回すと声高に言いました。アリスはそんな美咲を恨めしそうに見ながら、平均点が六十三点以下になることを祈りました。
結局、平均点は六十四点とアリスはギリギリ補習の範囲に入ってしまい、夏休み後半、再テストで合格点を取るまで補習することになってしまいました。
***
今日の昼過ぎのことを思い出しながら、アリスは今日何度目かのため息をつきました。
「あんなに教えてもらったのに、捺に何て言おうかしら……」
「お、その様子だと補習か」
後ろから声を掛けられ、アリスは「ひゃっ」と驚いてから振り返りました。
「うわっ……な、捺……」
「うわってなんだ、うわって」
そこには、同じ高校の制服を着たアリスの幼馴染、捺の姿がありました。アリスが言いにくそうな悲しそうな顔をすると、捺はどこか馬鹿にしたような顔をして言います。
「俺がせっかく教えてやったのにな。ま、今度は俺の手をあんま煩わせんなよ」
「うう……。ごめんなさい。次からは自力で頑張るわ……」
「どうせ、一人じゃ二十点そこらだろ」
「……」
黙り込み今にも泣きそうな顔をするアリスを見て、捺はしまったという顔をします。
「そ、そういやお前、前にハンカチ落としたって言ってたよな。俺の教室で拾ったぞ」
そう言って捺は慌ててポケットからウサギの刺繍のされたハンカチを取り出します。それは確かにアリスのお気に入りだったハンカチでした。
「あっ、ずっと探してたの。ありがとう」
それを捺から受け取ると、アリスは満面の笑みを浮かべました。その笑顔を見た捺はほっと胸を撫で下ろします。
「その……ごめんなさいね。せっかく教えてもらったのに補習になってしまって」
「いや、まあ、頑張ってたし、お前の頭ならこれでもいい方なんじゃねーの?」
「……」
アリスは言外にいつもはもっと低いと言われたと感じ、これまでの点数を思い浮かべさらに落ち込みました。捺は更にしまったという顔をし慌てて釈明しようとしましたが、
「アリスー、ちょっと手伝って頂戴ー!」
「はいママ! ……捺、またね」
「あ、おう……」
アリスはお母さんに呼ばれそそくさと立ち去ってしまい、捺は結局何も言えずに自分の家の方へ足を向けました。
***
「補習に合格するように勉強しましょう……」
夏休みに入ったある日、アリスは机に向かおうとするほど重たくなる体を引きずって椅子に座ります。そして自分のテストの中で唯一補習になってしまった数学の教科書を開き、睨めっこをします。ですがアリスの頭の中には何一つ入って来ません。
「はぁ……」
「おい、入るぞ」
そう言ってため息を吐くアリスの部屋に入ってきたのは捺でした。アリスは捺の姿を見ると、一人で勉強できない自分をからかいに来たのかと思い落ち込みます。そして捺に教えて貰っていた時の問題が解けて行く感覚を思い出し、さらに落ち込みました。
捺はそんなアリスを見ると、持って来た数学の参考書を後ろ手に隠し言いました。
「……アリス、プール行くぞプール。夏休み入る前、行きたいって言ってただろ」
「え? でもわたし、水着を持っていないわ」
「あー、なら買いに行くか」
捺は遠慮するアリスを連れ、一度自宅に戻り、ショッピングモールへ行きました。
***
アリスが人の多い水着コーナーで自分の着る水着を探していると、捺はある一つの水着を手にやってきました。
「これはどうだ?」
そして、言われるまま試着をし、気に入ったアリスは購入しました。アリスはお店を出る時捺に、試着した時から気になっていたことを聞きます。
「よくサイズが分かったわね」
「あー、まあ、付き合いが長いと分かるようになるって」
アリスは先に進む捺を見てましたが、「でも水着よ?」と呟くと置いて行かれないように追いかけました。
店を出てからというもの、ずっと雑貨店の方に目線をやっていたアリスを見て、捺はため息をつきながら、プールはまたの機会にしてアリスの店巡りに付き合うことにしました。アリスは、そんな捺に申し訳なく思いながらも、近くのお店へ吸い込まれるように入って行きました。
『不思議の国のアリス』のキャラクターの置物に夢中になっていたアリスは、ふと周りを見て捺が居ない事に気が付きます。
「はぐれたかしら……っ!」
ゾクリ、と嫌な視線を感じたアリスは思わず周りを見回します。けれど、特に不審な人物を見ることはできませんでした。前にもこんなことがあったアリスは、早く捺の所に行こうとしてふと考えました。
(捺に心配を掛けるのも良くないわ。前は複雑な路地の所で撒けたのだから今回も何とかなるはず)
この近くにその路地があったこともそう考えるきっかけになりましたが、テストの事や今回の買い物の事など、ただでさえ迷惑を掛けている捺にこれ以上迷惑を掛けられないという思いがそう考えさせました。
アリスは不自然にならないように歩いてショッピングモールを出ると複雑な作り過ぎてよく迷うと有名な路地へ向かって走りだしました。
「はぁっ、はぁっ、はっ……」
アリスは入り組んだ道を迷うことなく進みます。前回撒けた所まで来ても、そこを過ぎても、後ろから聞こえる足音は一向に止みません。息が上がってきて、走る速度が落ちてくると、どこからともなくアリスを呼ぶ声がしました。
「アリスー!」
「捺!?」
そして、近くの曲がり角から捺が姿を見せました。後ろを見てももう足音は聞こえてきません。アリスは安堵すると疑うような眼差しの捺の質問を誤魔化します。
「急にいなくなるから驚いた……何かあったのか?」
「ええと、ちょっと用事を思い出したの」
捺は「……ふーん」と訝しげな目を向けていましたが、アリスの言葉に家に帰ることにしました。
***
「ええと……捺はどこかしら」
次の日、家に来た捺に誘われ市内プールに来たアリスは、水着を着て更衣室を出ると姿の見えない捺を探します。ふらふらと彷徨いながら探していると後ろから声を掛けられました。
「お前な、更衣室出たら待ってろって言っただろ。待ってても出てこねえから誘拐されたのかと思ったわ!」
そこにはアリスの好きなソフトクリームを手に持ち、肩で息をする捺の姿がありました。
「捺! その、ごめんなさい……ところで、そのソフトクリームはどうしたの?」
「もっと反省しろよ……。まいいや、帰りにごねられても困るから先に買っといた」
そう言ってソフトクリームを手渡してくる捺。アリスは嬉しそうに受け取ると、早速ペロリと舐めました。
「おいしい!」
そう言って幸せそうにはにかむと二人で競争したりして楽しみました。
***
そして二人は海に行ったり、映画を見に行ったり、公園でシロツメクサの冠を作ったり、時には美咲を交えて遊びました。
そして今日、アリスと捺は捺のおススメの景色が見えるところに行くことにしました。そこは山を少し登った所にあり、二人はそこでお昼を食べる予定です。
予定なのですが……、
「捺ー! 捺ー!! ああ、見失ってしまったわ」
アリスは見事迷子になってしまいました。山道は思っていたよりも険しく、徐々にアリスと捺との差が開いてゆき、ついには見失ってしまったのです。少し休もうとして下を向いたことが災いしてしまったようでした。
アリスはまた大きな声で捺の名前を呼びますが、聞こえていないようで叫んだあとは痛いくらい静まり返ってしまいます。それが嫌でアリスは何度も呼びました。
「アリス!」
そうしているうちに、後ろから捺の声がしました。アリスはその声に縋るように大きな声で呼びかけながら声のした方に走ります。そして、捺の姿が見えると飛びかかる勢いで抱きつきました。
「お前……はあ。まあ、見つかってよかったよ」
捺は、町の近くとはいえ山の中に一人っきりで置いてけぼりになったアリスが震えているのを見て、喉まで出かけた「どれだけ迷えば気が済むんだ」という嫌味を飲み込み、頭を軽く撫でてやりました。
「帰るか」
捺はアリスの震えが治まる頃合いを見計らってそう言いましたが、アリスはどうしても捺おススメの景色を見たいらしく、さっきまでの震えはどこへやらと呆れる捺を引っ張って行きました。
そしてその絶景を見ながらお昼を食べていると、捺が何やら鞄から引っ張り出しアリスに手渡しました。
「ん、前にすっごい見てたやつ」
そう言って渡して来たものは、いつかのショッピングモールでアリスが夢中になって見ていたものでした。アリスが満面の笑みを浮かべると、捺は嬉しそうに微笑み言いました。
「そんじゃ、もうすぐ始まる補習の為にも勉強頑張れよ」
「今それ言わなくてもいいじゃない!」
アリスは冷や水を掛けられたような気持ちになりましたが、捺に教えて貰おうと考えていました。
そして二人は景色を満喫した後、夕日を受けて昼とは違った景色を見ながら家に帰りました。
***
次の日、アリスは捺の家に行きました。手には数学の教科書やノートの入った鞄が握られています。そして家に上がると捺の部屋に行きました。
「捺ー勉強教えて!」
「っ!? ……分かった。お茶入れてくるから奥の部屋は見るなよ」
来ると思っていなかった捺は急な訪問に驚きますが、すぐ復活し廊下へのドアを開けながら言いました。アリスは絶対だと続ける捺に「分かったわ、男の子だものね」と返すと教科書を広げました。
……けれど、念押しされると見てみたくなるもの。
アリスは一瞬だけ見てみることにし、ドアをそっと開けました。
「……っ!? え?」
そして中を見て固まりました。そこにはアリスが前に落としたまま見つからなかったペンや、いつ撮られたのか分からない写真、なぜか使った後のティッシュ、スプーンなどがありました。
アリスが固まったままでいると、目の前のドアが閉められました。アリスがギギギと音がしそうなほどぎこちなく首を回し後ろを見ると、そこには有無を言わせぬ笑顔を浮かべた捺の姿がありました。
「な、捺……」
「……」
アリスは、ドアに手を突いて、ドアが開けられないように、そしてアリスが逃げないようにしている捺の方を向き、問い詰めます。
「なぜ、前に落としたペンがあるの?」
「……前に俺がクラスメートと上手く話せないって悩んでいた時に、お守りと言って消しゴムをくれたことがあっただろ? それを持っていると変に緊張しなかったんだよ。……それから集め出すと、好きなやつの持ち物は何でも欲しくなったんだ」
アリスが突然の告白に驚いていると、捺はさらに続けました。
「あのティッシュとスプーンとかについても聞きたいか?」
アリスが首を振ると、はっとして聞きました。
「あの写真……もしかして迷路路地まで追いかけてきたのは……!」
「怖がる表情、可愛かったぞ」
そして唇を片方吊り上げにやりと笑う捺からアリスは逃げようとします。けれど、その前に捺に右手首を取られ、上に持ち上げられてしまいました。捺はこわばるアリスの顔に鼻が触れそうなほど自分の顔を近づけ、アリスの恐怖の色を浮かべる瞳を見ながら言います。
「俺の物になれよ」
コクコクと頷くアリスを満足げに見ると、教科書が広げられた机の傍に行くといつものように言いました。
「ほら、勉強教えてやるからこっち来い」
「……はい」
アリスはくっきりと痕の付いた手首をさすりながら、捺の許へ行きました。
お粗末様でした