38話 大量殺戮兵器
ナナシがフェギル草原の戦場に着いた頃には、すでに騎士団の陣地前の死霊人は一掃され、シャデアが敵の中に突っ込んでいくところだった。
その行為に対して強い憤りを感じるナナシ。
範囲内にいる魔獣の認識を変えて『シャデアの存在を消す』事もできるが、ナナシは敢えて使わずに無視する。
幸いにも、敵が『旧式の銃』を使ってシャデアに一斉射撃を与えても、シャデアは怯まず。むしろ遠目からでも傷が治癒されているのがわかる。
ナナシが腰に下げた麻袋に入っている生首だけの魔獣『切り裂きジャック」と同じ再生能力。
シャデアにも同じように力が備わっており、それさえあれば少しは時間稼ぎにもなる。
1人突っ走ったシャデアには少し痛い目に遭ってもらいながらナナシは、1人近くにいた死霊人の個別部隊に近付く。
認識を変える能力。
魔獣…まさか死体にも通用するとは思わなかったが、実際にナナシに反応しない『ドイツ軍装備』の死体達がその証拠だ。
死霊人。
死霊術師に操られた死体でありながら微動だにせず立ち、腐敗臭もそこまでしない。
ナナシはじっくりと観察しながらそれぞれを見ていく。
(旧式…古い銃はあんまり詳しくないが、装備はガキの頃に見た本と同じだな。ヘルメットに薄茶色の軍服、そして卍…ドイツ関係の人間か?)
ジロジロと考察を加えていたナナシだったが、突然兵士たちが足並みを揃えて前進し始めた。
いきなり動いた事で死体に体当たりを食らってしまうナナシ。
(急に動いた?さっきまで待機状態だったのに…)
ナナシがいる部隊は右後方の部隊であり、前衛の突撃部隊の援護をするはず。
だが先ほどシャデアと戦っていた前衛部隊はシャデアを追いかけて部隊後方に移動していた。
前衛を下がらせて無闇に動かすこと事態、指揮経験の低さを露呈しているので死霊術師がてんで素人なのがナナシにも分かった。
そのため前衛が戻るまでは戦線を弄ることなく維持しなければならない。
だが急に前進した。
なぜ?
(まさかとは思うが……)
ふとシャデアが走った死霊術師のいる本隊の方に目を向ける。
そこでは濃い煙が発生しており、敵の部隊がいくつも視界不良で見えなくなっていた。
ナナシは最初煙幕だと思った。
けれど、風が吹いてこちらに流れてきた刺激臭を少し鼻にしただけで分かった。
あれは第一次世界大戦で初めて戦闘に使用された武器であり、多くの人間を苦しめた兵器。
その名は。
------------------------------------------------------------
「マスタードガス、文明の発展で開発され、戦場で多くの人間を死に至らしめた武器ですよ剣士さん」
うつ伏せで草原に倒れるシャデアに、戦車から降りたルイディは悠々と語る。
だがその姿はかつてのラズヴァ・ルイディ本人のものではない。
髑髏の頭部。
何もない黒い目にはそれぞれを赤と青の光が灯り、身長も2メートル以上はある。
服装は黒いローブを纏い、骨だけの指にはいくつもの光る糸が伸びていた。
魔獣『死霊術師』。
ラズヴァ・ルイディが神から授かった力の根源でもある真の姿。
彼は抑揚のない声でシャデアを見下す。
「いくら魔獣でも『生体』と『死体』ではできる範囲に差がある。だが死体はなんでも出来る、死こそは尊い、死は全てだ。このガスで死んだ多くの者には追悼を送る、作った生もまた罪深い。あぁ、私の目指す死の世界はそんな隔たりもないものになれたらいいものだ」
急に話が飛んだ。
シャデアに対して言うのかと思ったら、急にこのガスと自身の夢のようなことを語る目の前の魔獣に「なんだこいつ」と引きながら思う。
シャデアは毒ガスを吸って倒れながらも死なず、思考は動いていた。
戦車と対峙した際。
剣で戦車の主砲を斬り落とそうとした。
しかし、その前に周りにいた死霊人が煙を焚いて戦車の周りを囲んだのだ。
最初は目くらましのものだとばかり思っていた。
迷わず周りの死霊人を倒した後に戦車に斬りかかる。
その手前で煙を吸ったこと、触れたことにより全身に先ほど以上の痛みが走り、体の感覚が痺れて動かなくなる事態に陥った。
油断した。
まさにそれしか言うことがない。
未だに煙がもくもくと立ち込める戦車の周りで、4名ほどの死霊人は銃をシャデアに向け、余裕を持ってシャデアに語るルイディ。
「あぁ、それにしてもただ体が痺れるだけとは、魔獣の力はとても恐ろしいものだ。生の中でも最も強力でカースト上位なのが魔獣であると思い知らされる。人間は弱いのに『死』を恐れる、それとは違って魔獣は『死』を恐れず、ここまで傷を負いながら来れた…」
さて、と一間置いてからルイディは屈みこんで銃撃でボサボサになったシャデアの髪を鷲掴み、持ち上げて顔を近づける。
「ふざけた仮面ですね、それに女性とは…。神から力を授かったのですか?私たちと同じ選ばれし殺人鬼ですか? 」
「ち……ちが…う」
「違う?なら貴女はなんですか、魔獣の体を得ているその身は何ですか?神の奇跡なしにどうやって得たのですか?」
「……ッ」
ルイディはその髑髏の顔を近づけて問いただす。
しかしシャデアは目を背けて、抵抗の意思を見せる。
その姿勢にルイディは顎をさすりながら彼女の態度を少しの間感心しながら見ていた。
「なるほど、マスタードガスで灼け爛れ真っ赤に染まったその目で尚も抵抗する。あなたの精神は他の魔獣とは違うようだ。まぁ、今はこの世界に与する魔獣ということにして片付けておきますか…」
言ってルイディはシャデアにを持ち上げたまま歩く。
相手左手を前方に出し、横に振るうだけでさっきまで視界不良を起こしていた黄色いガスは横に移動し視界が晴れる。
シャデアの微かに見える視界の先には、死霊人が総勢を持って騎士団の陣地を攻め入ろうとしていたところだった。
先ほどと同じように、駆けていく死体達。
「貴女が何者かは知りませんが、あの者達を守ろうとしたのは分かっています。強大な魔力で私の糸を切り死体を何体か解放したのは褒めてあげます。ですが、何も出来ない人間を助けても結局は死ぬのです。さぁ、ここから彼らが全滅し、私の傀儡になるのを観覧しましょう」
「や……やめ……」
「やめて?あぁ、その言葉は生者の行動を制限する楔だ。それを聞くと私は余計に生を憎んでしまい、無かったことにしたくなる。無かったことにするために彼らには早々に死んでもらうのが良いかと思います」
悠々とシャデアの顔の近くで語るルイディは、彼女の掠れた声で発する懇願を否定し、死霊人を動かす。
あと少し、あと少しで死霊人は騎士団の陣地に再び突入する。
騎士団も何を思ったのか陣地から出て死霊人と戦う覚悟だ。
無駄なこと。
ルイディは横で悔しそうに歯を噛みしめるシャデアのことなど考えもせず、再び自身の思想に耽る。
(虚しい…生き物はいつ如何なる時にも感情的に動いて意味の無い活動をする。負けるはずの戦いに挑もうとする行為はもはや無謀、ただの道化だ。それならば死してその体を意味のある行動に使われるべきだな…)
ルイディは感情もない髑髏の顔でつまらなそうに、陣地を出て戦おうとする騎士を哀れに思いながらも、その騎士を全員死をもって救おうと考える。
「1番隊、2番隊は発砲準備、両側の援護部隊も発砲用意。援護部隊は1番隊も巻き込んで発砲しても良しとします」
淡々と発言しそれに従うように目の前で広がる部隊は全員銃を構える。
今度は突撃などという遊びではない。
チート武器を使っての蹂躙。
もうシャデアの助けも無い。
騎士団の死は決まったも同然だった。
「全軍、走りながら発射」