昔々あるところに、おばあさんとニンジンが住んでいました。
昔々あるところに、おばあさんとニンジンが住んでいました。ある日のこと、遠い街からわざわざ遊びにやってきた孫たちのために、おばあさんはカレーを作ってやることにしました。台所で肉を切り、玉ねぎをきざみ、ジャガイモの皮をむいたところでおばあさんはあることに気がつきました。
「はて、ニンジンはどこに行ったかな?」
台所を見渡しても、ニンジンはどこにも見当たりません。おばあさんは困ってしまいました。壁の向こうでは、孫たちがお腹を空かせておばあさんの作るカレーを今か今かと待ちわびています。仕方なく、切った肉や玉ねぎたちを鍋の中に入れ、おばあさんは畑にニンジンを探しに行きました。
「おおい、ニンジンやあい」
おばあさんが真っ暗になった夜の畑に声をかけても、ニンジンは返事をしませんでした。やがて畑の向こう側、深い森の近くまでおばあさんはニンジンを探して回りました。するとどうでしょう。森の入り口で、オレンジ色の野菜が切り株に腰かけているではありませんか。おばあさんは急いでニンジンの元へとかけよりました。
「どうしたんだい、ニンジンや。こんなところで、寒かったろうに」
「おばあさん…」
おばあさんが優しく声をかけても、ニンジンはうなだれたままでした。
「僕…僕、カレーになんてなりたくありません」
「おや、まあ」
とつぜんのニンジンの言葉に、おばあさんは驚きました。
「どうしてカレーになりたくないんだい?」
「だって…カレーなんてこどもの食べ物じゃないか。畑のみんなにバカにされちゃうよ」
「そんなこと気にしてるのかい」
おばあさんは呆れてしまいましたが、真っ赤になったニンジンの話を最後まで聞いてやることにしました。
「本当は僕はもっと大人が食べるような…ご高尚な料理になりたかったんだ」
「ご高尚な料理って、例えばどんな?」
「そりゃあ、ボルシチとか…ビーフストロガノフとか…」
「ビーフストロガノフ!」
おばあさんは思わず吹き出しました。
「笑っちゃうよ。あんたたち野菜は、カレーよりボルシチの方がご高尚だとか、そんなこと気にしてるのかい」
「でもそんなの、おばあさんだってそうじゃないか。あっちの時計の方がかっこいいとか、こっちの服の方が美しいとか…さ」
「あのね、高ければ高いほど、そのうちだーれも手が届かなくなっちゃうものよ」
おばあさんは切り株に座ったニンジンをひょいとつまみ上げると、自分の肩に乗せてあげました。
「ほら、行くよ。寒かったろう、あったかい鍋で一休みしなさい」
「でも…そしたら僕、カレーになっちゃうんだろう?」
「そうだよ。孫たちみんなが手に取ってくれる、美味しいカレーだよ」
「…バカにされたりしないかな?」
「だーれも気にしちゃいないよ。野菜じゃないんだから」
「人間はそうさ…でも、僕は野菜だ」
「やれやれ、困ったねえ。じゃあ今夜のカレーは、ニンジンなしだ」
やがて二人が家に近づくと、とても美味しそうな料理の匂いがただよってきました。家の中では、孫たちがおばあさんの帰りを待ちわびていました。
「おばあちゃん、カレーまだ?」
「早く食べたい!」
「はいはい、もうすぐですよ」
おばあさんは台所へ向かうと、ニンジンをまな板の上にそっと乗せてあげました。そして、しかたなくニンジンの入っていないカレーを孫たちにふるまいました。孫たちはお腹ぺこぺこだったのか、みんないっせいにカレーをかきこみ始めました。
「どうだい?美味しいかい?」
「うん!とっても美味しいよ!…でも」
「おや。どうしたの?」
「このカレーなんだかいつもより、辛いみたい」
「うん。辛いよ」
「おかしいねえ。いつもと同じように作ったはずなのに」
一人、また一人とカレーを食べる手が止まり、みんなスプーンを置き始めました。
「…おかわりはいいや」
「…うん、僕も」
「僕も」
そう言って孫たちはベッドへと走って行きました。いつもなら二杯も三杯もおかわりしてくれる孫たちが、今夜は全然だったので、カレーはたくさん余ってしまいました。なみなみ残った鍋を持って、おばあさんが台所に戻ると、まな板の上でニンジンが不安そうにこちらを見上げていました。
「おばあさん…そのカレー…」
「困ったもんだよ。ほら、なめてごらん」
おばあさんはルーをひとすくいすると、ニンジンになめさせてあげました。たちまちニンジンは顔を真っ赤にしてむせ返りました。
「うわっ!本当だ。いつも泳いでるのより、辛いや…」
「ニンジン1本なくなっただけで、こうも味が変わっちゃうんですもの。こどもの食べ物だからって、バカにできたもんじゃないだろう?」
「うん…」
ニンジンはうなだれました。
「おばあさん、ごめんよ。僕、やっぱりカレーになるよ。一晩たったら…まだあの子たち、食べてくれるかな?」
涙を浮かべるニンジンに、おばあさんは優しくほほえみました。
「一晩寝かせた方が、カレーは旨くなるもんさ。あの子たちも、そっちの方が好きなんだよ。ほら、あんたももう遅いから、おやすみ…」
「うん。ありがとう、おばあさん」
その晩、あったかい鍋の中で、きざまれたニンジンはコトコト眠りにつきましたとさ。
おしまい。