幕が開ける
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――あの舟の軋み具合から無事にたどり着けたのは奇跡である。
途中何度か冷や冷やした場面があったのだが。
主にイノリが彼女に抱きついてきたり何だりでハナが暴れ、舟が壊れそうになったのは
葬りたい記憶である。
(死者を一度に2人以上案内することもあるかもしれない…)
やはり大王に舟の予算を取ってもらおう。
ハナは固く決意した。
こんなに地面が恋しいと思ったことはない…。
**
3人は大きな扉の前にいた。
ハナにとっては見慣れた扉。家の玄関のようなものだ。
黒塗りの扉には左右で太陽と月のシンボルが描かれている。
重厚感溢れるその扉を、ハナはこともなげに押す。
キィィ…と扉はその重々しさに似つかわしくない軽い音を立てながら薄く開かれた。
ハナの身長をゆうに超えたその扉が、
彼女の非力な片腕で容易に開かれる様は不思議だ。
「ハナさんその扉重くないの?」
「ああ。これは閻魔庁の官吏なら誰もが開けられるようになっているんだ。
逆にそれ以外の者はどんな力をもってしても開けることはできないし、
内側からも、死者だけで外へ出られないようになっているんだ」
ハナは薄く開かれた扉から顔だけを出し、きょろきょろと人影がないことを確認した。
「一応ここの門兵もいるのだが。
この扉の特性をいいことにまたどこかでサボっているな…」
(結構ゆるいのね…、閻魔庁)
ゆうこは「たりぃ」と言って学校の授業をサボるクラスメイトを思い出した。
同レベルである。
そう言ってハナに促され扉の中に入る。
ひやりとした空気が全身を包んだ。
「先触れを出しておくから、ちょっと待っていてくれるか?」
ゆうことイノリは頷き、彼女の後ろ姿が闇へ消えていくのを黙って見守った。
***
――イノリと2人きりで残されたゆうこだが、
暗闇のせいで横にいる彼が今どんな顔をしているのかはわからない。
「ありがとう、とお礼をいうべきでしょうか?」
「そ。どういたしまして? ――思い出したんだね」
イノリは「はは」と軽く笑う。
「どうしてあなたには分かったのでしょうか?
…ハナさんにも私の死因が分からないようでしたが」
彼は近くの壁によりかかる。
「彼女は霊力があまりないから。視るのは苦手なんだろうね」
「視る?」
「魂さ」とイノリは続けた。
「言っておくけど。僕にも君の死因なんてものは分からないよ。
ただ君の魂の澱みを視て、罪深いなって感じただけ」
確かにイノリは「業が深い」と言っていただけ。
――「人を殺したのだ」とも。
イノリがこちらを見て目を細めた。
「君の魂はひどく澱んでいる。
たくさんの怨嗟とそれに連なる嘆きや苦渋を、悲しみを――。
――現世に傷痕として残して逝ったんだろう?」
「……」
「職業柄、人の魂はよく見るんだよねぇ。
産まれたばかりの魂ったら驚きの白さだよ?それに比べて君のは汚いったら」
…魂を洗剤みたいに言うのはやめてほしい。
「これも職業病かなぁ。早く可愛い奥さん迎えて癒されなきゃなぁ」
と独りごちるイノリに心の中で突っ込みを入れつつ、
そういえばこの人は天帝に仕える貴族なんだとハナから聞いたのを思い出す。
天帝とその妃が、現世に人の魂を産み落としている。
それが本当なら――…自分は――…
「ハナちゃん」
温かなオレンジの光にぼぅと照らされて、ゆうこは思考を中断した。
ハナが暗闇の向こうから歩いてくる。
手には燭台を持っていた。
「待たせたな。先触れを出したからもうすぐ――…」
カラカラカラカラ・・・・
カラン カラン
シャラン シャラン
ハナが言い終えないうちに壁伝いに設置されていた鈴と木札が鳴った。
「もう始まるようだな。準備はいいか?」
「うん」
ゆうこはごくりと喉を鳴らす。
緊張している自分が意外だった。
「ハナちゃん」
奥の間へ進もうとするハナにイノリは声をかけた。
「なんだ?」
イノリはそっと彼女の頬に手をあてる。
「あんまり思い詰めないでね?」
「は?」
ハナに「思い詰めないで」と言いながら、イノリの方が辛そうな顔をしている。
頭に「?」が飛び交っているだろう様子の彼女を正面からぎゅっと抱きしめた。
燭台に灯る火がゆらっと頼りなく揺れた瞬間――すぐに彼女の体を離した。
これ以上の抱擁は危険だ。
いろんな意味で。
ポカンと口を開けて呆けたハナを見て、イノリは笑った。
「ハナちゃん。抱きしめてなんだけど、抱き心地良すぎ。
絶対他の男に抱きしめられちゃダメだよ?ただでさえ隙が多いんだから」
「―――ッ!」
からかわれたのだという思考と怒りが脳へ到達した時には、爽やかな笑顔で
「じゃあ僕はここで」と退出の意を表された。
毒気を抜かれてしまう。これが狙いか。
「…帰るのか?」
「うん。何となく結果も分かっているしね」
「?結果??」
「それにちょっと用事ができちゃった。この扉開けてくれる?」
裁きの場は基本的に傍聴もできるのだが…、
そういえば仕事が残っているとか言っていたか。
ハナは扉を開けてイノリを送り出す。
「いいよね、こういうの。仕事へ出るときのお見送りっぽくて。
いってらっしゃいのキスしない?」
「するか!いいから早よ帰れ!!」
しっしっと虫を払うかのような動作にイノリは笑い、
「またね」と言ってその場に背を向けた。
ハナはイノリの後ろ姿を見送り、扉を閉めた。
(――何だかどっと疲れたぞ…)
振り返るとゆうこは微笑みながら待っていた。
二人は燭台の灯りを頼りに暗闇の奥へ進む。
カラカラ
シャンシャンシャン・・・
カラカラ
シャンシャンシャン・・・
鈴と木札は己の存在を誇示するように鳴きしきる。
ハナとゆうこは音の雨の中を奥へ奥へ進む。
(イノリさんは『思い詰めないでね』とハナさんに言っていた…)
きっとこれから―――優しい彼女の心を曇らせるような出来事が起こるのだろう。
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