近くて遠い二人
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国連軌道宇宙軍所有の軍病院。
1月の半ばとなった今でも、南極大陸攻略戦の負傷者が、未だ大量に入院している。
軍服、白衣、私服…色とりどりの人々が行き交う中、待合室の通路に設置された、公共の通信器を利用し、
メリル中佐が誰かと会話している姿が。
メリル中佐「…警察を呼ばなかったのは、賢明な判断です」
そのメリル中佐の視線の先にある、「処置室」。
メリルは通話しながらもソワソワ、やけに処置室に視線を飛ばす。
どうやら、そこが気になってしょうがない様でもある。
メリル中佐「被害者生徒側には、相応の賠償金を支払います。…そうです、示談です」
ギイ…
メリルの視線の先、処置室から、カオルが出て来た。
メリル(…カオル!)
カオルは、処置室に向かって頭を軽く下げ、トボトボとメリルのいる方向に向かって、歩いて来る。
カオルの右手は、包帯でグルグル巻にされ、ギプスで固定されている。
メリルは通話を継続しながら、左手を軽く振り、「私はここにいるよ」と、アピールするが、
カオルはそれを一瞬見ながらも、完全に視線を反らして歩き続ける。
メリル中佐「…学内での寛大な措置を願います。あまり、当方が不利な流れになる様なら、
情報保全部発令で、優先事項の宣言をしなければなりません」
メリルの額に、焦りの汗が流れて来る。
カオルが完全に無視し、出口に向かって歩き去ってしまったのだ。
メリル中佐「校長!…わかってますね。学校側の善処…期待してますよ!」
慌てて会話を終わらせ、メリルはガチャリと通話器を置き、早足で出口に向かう。
メリル中佐「カオル君、…カオル!」
病院の外、肩を落としたカオルの背中に声をかける。
メリルを無視出来なくなったのか、カオルはゆっくりと振り向き、
メリルと「全く」視線を合わそうともせず、うなだれたまま頭を下げる。
カオル「…ご迷惑をおかけして…、…すまませんでした…」
あの日以来、カオルの元気は、完全に失われていた。
まるで歩く死者…ゾンビの様に、動きは緩慢で常に目はうつろ。
抜け殻の様に、生気を放っていなかったのだ。
16歳のカオル。カオルの母レイコより2歳年上で、34歳のメリル。
二人が並んで歩くと、生物学上は親子であるのかも知れないが、
まるで歳の離れた姉弟の様にも見える。
もちろん、カオル自身は生物学的な血縁関係を知る由もない。
会話の無い二人
「生前のレイコから託されている」と、第二親権者を主張したメリルは、
軍部内の協議の進行を強引に押し通し、
自身の目の怪我の治療後に、カオルを強制的に引き取った。
元々、「オペレーション・ペイルライダー」では、
対象の環境を激変させて、心理的負担を強いる事を避け、
極力、従来環境を継続させる事も、必然であると位置付けてある。
訓練名目で駆り出された、南極大陸攻略戦でも、カオルの所属する部隊を独立させ、
高校の仲間達で周囲で固めたのも、そういう事情が裏ではあったのだ。
つまり、ムナカタ・カオルの母レイコ亡き後、
レイコの友人…と言うよりも、レイコの本名である【フェイシャ】と、一番縁のある人物、
そしてカオル本人とも面識のあるメリル・ウィルドットが、カオルを引き取り、共同生活を始めると言う事は、
オペレーション・ペイルライダー進行において、現時点で最善だと軍部が判断し、
結果的に認めたのである。
軍舎に向かい、歩く二人。
メリルに対して、話し掛けようともしないカオル、相変わらず目は死んだまま。
カオルに対して、話し掛けたいのだが、どう切り出すべきか迷い、何も話し掛けられないメリル。
時間が解決する…そんな言葉さえ信じられなくなる様な、そんな痛々しい空気に包まれた二人であった。
来週、国連軌道宇宙軍と国連月宇宙軍は、全世界に向けて統合を発表する。
全ては、35年後に地球軌道に現れる巨大隕石【ギャランホルン】の驚異から、人類を守る為。
その為に、【物体E】に占領された、地球を取り戻す為に。
初戦の南極大陸攻略戦で、人類は敗北した。立ち直れない程に叩きのめされた。
傷ついた者、打ちひしがれた者、もう二度と文句さえ言えずに旅立った者。
傷口は広く、そして深い。
だが、それがまだ単なる序章…地獄への入り口であり、
逃げ出す事すら出来ない、血で血を洗う日々が待っている事、
人類は未だ知らないでいた。




