時よ止まれ――お前は美しい。 後編
僕が小学生の頃だ。僕は友人のシャープペンを損失してしまい、その友人と仲違いになった。それから僕はその友人とは「元友人」となった。それをなぜ今思い出したのかは僕はわからない。けれど思い出したのだ。僕はその原因について考えてみた。なぜそんな過去の記憶を思い出したのだろう? それは今通り過ぎていった男の姿がどこか僕に似ていたからだと思った。
どこが似ているかははっきりとは言えないが、似ていると僕は印象を抱いたのだ。僕は頭部を一度掻いた。その後に、雨が上がっていることに気づいた。頭上に屋根を作っていた傘を萎ませ、僕は空を見た。不吉な雲が覆っていた天は、見事に真っ二つに割れていた。
その雲の天井に入ったひびは、その隙間から久しく姿を現していなかった光を覗かせ、濡らしたアスファルトや、地面にできた凸や窪みに作った水溜りを鏡のように反射させていた。水面には、灰色の巨大な雲と僅かに覗く白い雲が映りこんだ。そして洗いたての青色を輝かせた、空の広原が映し出された。
僕は雨を搾り出し終えた空に、目をやった。それは久々の青空だった。人間の憎悪や愚痴をすべて凝縮したような灰色の雲は徐々に姿を淡くしていき、光に呑みこまれていった。その雲が殻を脱いだように現れた白い雲は、まるで一晩で積った大雪のように白く純白としていた。
そして美しく可憐な女性の瞳のように、奥の方にまで澄んだ潤いが続いている青い空は、僕には神秘そのものを目に映しているような感覚だった。僕は体の芯をぶるっと弾ませ、軽い興奮を覚えていた。実に不思議な景色だった。頭上にはもう一つ別の世界が存在するのだ、と言われても信じてしまいそうだった。
気がつけば水で極度に薄めた淡い絵の具で線を重ねたような虹が、まるでその別の世界に繋がる門のように聳え立っていた。その虹は僕を歓迎しているように思えた。僕は先程通り過ぎた男と女のことについて考えてみた。当然のように、何も浮ばなかった。何の関わりもまるでないし――僕は関わりがある人ならすぐに思い出せるはずなのだ――気がかりすらも脳裏には浮ばなかった。
しかし僕にはその男女がどうしても気になった。誰だろうか? そんなものわかるはずがないのだ。そして僕はこの身を包む謎の違和感のことにも、脳を働かせてみた。まるで空気を一度片付け、新しく新鮮そのものの空気を注入したような、肌が慣れない――まるで久々に着たタートルネックのように――違和感が身を覆っていた。
しかしこの謎についても、僕にはわからなかった。まるで見当もつかない。傘にへばりついていた手強い雨粒は、屋根が萎んだことによって樹木の葉が耐え切れず頭に乗せていた雪を薙ぎ払うようにさばさばと垂れ落ちていった。傘の中央棒を何度かとんとんと地面を叩くと、その水はさらに数を増やして降り落ちた。
僕は哲学者でもなければ、超能力者でもない。だが、どこかで僕は人を見下しているのかもしれないな、と僕は思った。なぜそんなことが浮んだのだろうか。僕は思索してみた。打ち出された答えは「何となく」だった。そこはかとなく、そんなものが浮んだのだ。
なぜだろうか? 僕はもう一度考えてみた。しかし明確とした答えは頭すら姿を現さなかった。だから僕は「空を見上げているから」ということにした。漠然としすぎていたが、そんな曖昧なものでいいんじゃないだろうか? と僕は思ったのだ。その仲違いした友人の口癖は、「曖昧です」と急に余所余所しい口調でいうのが好きだった。
僕はもう一度、頭部を掻いた。雨が上がった。僕はその小学生の時に仲違いした友人の元へ、向かおうと思った。その友人は今なにをしているのか、どこに住んでいるか、なんてことは僕はまるで知らなかった。けれどもなぜか会いたくなったのだ。
僕はその友人と会いたくなった理由を考えてみようとしたが、億劫になったので中断した。結局、考えても答えは見つからないのだ。僕には先程の眼鏡を掛けた不気味な男も、通り過ぎていった男女の正体も、毛頭と見当もつかないのだ。それでいいじゃないか、と僕は思った。そして空を見た。
気づいた時には、身を覆う違和感は爛れるように解けていた。空は変わらず神秘さを輝かせていた。気のせい――いや、多分そうなのだろうが――以前も僕は、このような空を眺めて感動したような気がした。
考えることは億劫だから僕はやめた。 終
はい!! 完結でございます!!! みなさん、ありがとうございました! 無事完結できてよかったです!!! 今考えている新作も、よろしければ…




