最終話
結局、あの事件は「成功」という結果で幕を閉じた。二人いたはずの――クロカワさんが気絶させたのを含めると三人だが――男は、どれだけ探索しても見つかることはなかった。僕もいろいろ考えをめぐらせてはみたのだが、まるでわからなかった。見当つくことといえば、あの会場にはまだ僕が把握していない超能力者がいたかもしれない――という事だ。しかし、わからない。
カミタニさんは肩を負傷したものの、僕の右手と比べれば軽症の方だったらしい。僕は安堵した。銃弾が貫通した僕の右手は、未だに麻痺に近かい状態だった。いや、いつかは治るとは言われたが、まるで骨と肉以外の中身はすべて捥ぎ取られたような感覚だった。包帯がぐるぐると巻かれており、指を曲げようと試みるとずきずきと痛んだ。
それからの僕は、謝罪の日々だった。それは自分自身の存在意味すべてを関しての謝罪だった。僕は自分の「存在意義」に対して、考えをめぐらせてみた。考えたところで、どうせ他愛もない事なのだ。その度に自分に憎悪を覚えるので、僕はそれに対して考えるのをやめた。そのまま僕は、過去の自分の失態を振り返ることも憚った。巨大な羞恥心が襲うのだ。そしてこれからは、自分に自信の持てる「存在意義」に変えていこうと、決意めいたものを僕はした。それも、他愛のないことなのだろうと思う。
仕事をしようにも右手が痛くてできない――その前に仕事依頼が来ないけれども――僕は毎晩のように、男の消えた現象について考えていた。結局「わからない」で完結してしまうのだが、僕には諦めがたい何かがあった。その現象の答えを見つけたとしても、僕には意味がないことだ。けれども、自分でもわからない何かが騒いでいたのだ。
クロカワさんとアミサキさんも、とても仕事ができるという体ではなかった。アミサキさんは脇腹を撃たれ、クロカワさんは太股だった。しかし、意味もなく事務所に毎日来ているのだ――そのことを知っている僕も来ている――理由も訊ねてはみたが、特に意味はないらしい。それは僕もだった。事務所の中は、小学生が道徳の授業で決まって言う「平和」そのものだった。実に平凡な空気が止め処なく流れていた。カミタニさんは眼鏡を拭っており、タチバナさんは文庫本を読んでいた。アミサキさんは携帯を見つめ、クロカワさんは多分、寝ているのだろう――事務所に入ってもクロカワさんはコートを脱がないのだ。フードすらも取らない――そんな僕も、ただただ座椅子に腰を沈ませて天井を眺めたり、辺りを見渡したりしているだけだった。おもにタチバナさんの魅力に惹かれているだけだ。
僕の気のせいなのかもしれないが、最近はよくアミサキさんと目が合う。それから僕はアミサキさんのことを考えてみた。あまり実感というものが湧かないが、一応同級生という関係があるのだ。しかし、僕にはそう思えなかった。先輩に思えてくるのだ。次に僕はなぜアミサキさんが先輩に見えるのかについて、思索してみた。
僕はアミサキさんに目をやった。やはり先輩のようなイメージが湧いた。アミサキさんは携帯越しに僕の視線に気づいたらしく、顔を覗かせた。見たこともない文字を見たような、きょとんとした表情をしていた。僕は一度顎を引き、逃げるように窓を見た。
空は洗いたてのシャツのように、清潔で清澄な水色をしていた。そこに複雑な形を作った雲が一部空を覆っていた。その雲はまるで龍のような、非現実なものを連想させた。丸くして掬ったおびただしい数のアイスクリームを淡々と積んでいったように盛り上がった雲は、虚空な広原な空に突如として現れた神殿のようにも思えた。
その雲に見捨てられた切れ端の雲は、千切れた綿菓子のように淡く空間に呑まれていきそうな儚さを感じさせた。その雲はまるでクラゲに見えた。空を軽々しく泳いでおり、身を委ねるように細かく分散していって消えた。
僕は腰を持ち上げ、窓の方へと向かった。空をもっと見ていたくなったのだ。窓越しから、空の景色が視界に広がった。雲は様々な形を作り、その空はまるで海のようだった。腹部に林檎のような丸みを佩びたものや、大雑把で適当に描いたハイヒールのような形のものもあった。そんなものが広々とこの広原に浮んでいるのに、どれも形が異なると思うと、とても不思議な気分になった。
雲という存在だけを切り取り、意識を注いで見ると、実に不思議だった。なぜこんなものが浮いているのだろう? という答えは知りたくない浪漫のようなものを感じた。まるで神秘そのものを目に映しているような、僕はあの空と一体化になっていくような感覚だった。心が弾むような、僕はすこし興奮していた。日常で見られる景色なのに、もう二度と見られないものに思えたのだ。
僕は嫌々ながら、自分の過去の行為を甦らしてみた。僕は自分に期待しすぎたのだと思う。「時間を追加できる」という概念を開花させ、おまけのように優越感が伴侶した。その優越感はまるで麻薬のようなものだった。僕はさらなる優越感を求めてしまったのだ。
この業界に入り、僕は様々な人間と出会った。その人たちも僕と同じ「特別」を抱いており、そして僕よりも強かったものばかりだった。その特別は「瞬間移動」や「物を増やす」などといろいろなものだったが、電卓で打ち込んだ計算のように正確なものとして、どれも僕の力よりも優れていたのだ。
僕は先程の切り離された切れ端の雲のような人間だ。アミサキさんが先輩に思えてくるのは、自分の言動が幼いからなのだろう。空はどこまでも広く続いていた。雲を作り、光を浴びさせている。僕はもう一度自分の「存在意義」について考えをめぐらせてみた。この空を見ていると、全ての事に気づけそうな気がしたからだ。
「冬の訪れを感じるね」とカミタニさんはまるで役者のように気取ったことを言った。「今に雪が降るだろうね」
「そうですね」と僕は言い、肯いた。
確かに事務所の外はまるで死体が息を吹いているように、冷えを佩びていた。僕はコートの中に手を挿入し、肌を冷気から守った。カミタニさんは白い吐息を宙に晒し、煙草を一本口に咥えた。マッチの箱をどこからか取り出し、火を灯して煙草に触れさせた。まるで荒い作業で作った合成のような煙が、カミタニさんの白い息と重なった。
空は黒々とした黄昏が包み、冬の予兆のように冷え込んでいた。僕はカミタニさんを事務所の外に呼び出していた。そういえば以前もこんな風にカミタニさんを呼び出した事があった。あまり甦らしたくない記憶なので、僕は考えないことにした。
「それで、何の用だい?」とカミタニさんは煙草の煙を吐きながら訊ねた。「寒いし、早く済ましたいのだけれど」
「大丈夫です」と僕は言った。白い霧が口元から現れた。「早く終わるはずです。質問に答えてくれるなら」
「質問?」とカミタニさんは首を傾げた。
「事件の件は、申し訳ございませんでした」と僕は腰を曲げて言った。
「もう謝罪は何度も聞いたさ。さらに言えば、僕たちも悪いところはある」とカミタニさんは言った。「百パーセント、というものはこの世にないんだよ」
僕は肯いた。
「ところで、質問はなんだったかな?」
「はい」僕は一度呼吸を整えた。べつに乱れているわけではないが、一度整理した。――大丈夫だ。僕の思索は間違っていない。「その事件のこと――なんですけれど」
カミタニさんは質問のすべてを見透かしたように余裕な笑みを浮べ、「ああ」と肯いた。あれから僕は、いろいろと思索をしたのだ。雲を見つめながらあの謎を考えていると、カミタニさんの言っていた言葉がすこしずつ辻褄が合っていく事に気づいた。
僕はカミタニさんの顔を見据えた。カミタニさんは笑みを浮かべていた。
「この前、「業界最強」と呼ばれていた超能力をカミタニさん、教えてくれましたよね?」
カミタニさんは何も言わず、沈黙を顔に覆っていた。「それで僕、気づいたんです」僕はあの事件の状況を、脳裏に再生させていた。アミサキさんを撃ち、クロカワさんも食い止めたのに、なぜ僕だけは撃たれなかったのか? 飛ばされたからだ。朦朧になりながらも銃口を定めていた男は、なぜ発砲しなかったのか? 飛ばされたのだ。僕は疑問に思っていたことがあった。カミタニさんの超能力――のことだ。
「あの時――男が消えたのは、カミタニさんがやったからですよね」
僕は訊ねた。カミタニさんは鎮静を被ったまま、一度苦笑した。 END
はい、最終回でした! いやー長かった気がします。二十何話なんて書いた事もありませんでした。長編を書き終えた気分です。
現在、新作を考えております。その前に「魔法少女2」もあるし、渋滞アパートも連載中です。そちらの方も、よろしくおねがいします




