十九話
これらの事態を作り上げた原因は、全てが僕のせいだ。僕はできれば瞑想に浸りたかった。一度整理したくてたまらなかったのだ。しかし、自体は逼迫としすぎていた。扉に寄りかかりながら、疲労を溜め込んだような顔をしているアミサキさんがいた。そこで僕は気づいた。――アミサキさんが今、男の拳銃を割った。だから銃弾の狙いが狂い、カミタニさんの肩に当ったのだ。本来なら、もう死んでいたかもしれないのだ。
そして二発目の咆哮の行く先は、アミサキさんの脇腹だった。銃弾が脇腹を貫き、アミサキさんが前へと体勢が屈む。その背後から、もう一人の男が姿を現した――僕は男の超能力の可能性で、「自分の体も増やせる」という推測に至っていたのだ――「偽者」の男は銃口を僕たちの方へと向け、定めを調整していた。
このままじゃまずい、と僕は焦りの汗を額に滲ませていた。パーティー会場は、思った以上に広かった。カミタニさんたちの一番近い席にいる「本物」の男は割れた拳銃を捨てて、ポケットからどこからとなく新たな拳銃の姿を現していた。
まだだ。まだ超能力は発動するべきではない。僕はとにかく駆けた。パーティー会場にいた客たちは僕たちと反対方向に走り、悲鳴をまるで設定されていた機械のように上げていた。前だけを見据え、僕はその悲鳴を気に留めないでただただ必死に駆けた。クロカワさんも、同じように走っていた。
僕のせいだ。何度も僕は自分を責めた。そうすればそうするほど僕の足は速度を増している風に思えた。地面に爪先を叩きつけ、頬に風が切るのがわかった。まだだ。まだ時間を止めるべきではないのだ。僕はいま、必要なのだ。幻の僕は、そう言っていたのだ。
男は拳銃の銃口を再びカミタニさんに捉えていた。カミタニさんは肩を押えて疼いており、呻き声を洩らしていた。僕は勢いよく駆けている。クロカワさんも同じだ。そこはかとなく、室内に篭っている空気は強張っているふうに思えた。しかし、気づいたところでそんなもの、確認する余地など雫一滴ほどもないのだ。
ヤイバ社長は、カミタニさんを気にしながら恐怖に溺れていた。男の構えた銃口はそんなヤイバ社長のことなど一切の考慮もしておらず、ただカミタニさんを睨んでいた。男は狙いが定まったらしく、人差し指を曲げて引き金に設置していた。まずい、だが、まだだ。僕はクロカワさんの方へ幾度か視線を送り、「偽者」の男に警戒を配った。「まだ使うんじゃないぞ!」とクロカワさんが走りながら叫んだ。僕は何も返さずにただ地面を蹴った。
男との距離は、あと僅かだった。しかし、だからといって時を止めたとしても発砲を阻止することはできないという中途半端な距離だ。背後を見れば「偽者」の男が僕たちを狙い、前を見据えれば「本物」の男がカミタニさんを捉えていた。
駄目かもしれない、と僕は思った。意味がないのを承知の上で、僕は超能力を発動させようと試みた。「まだだ!」という大声と共に、クロカワさんは立ち止まって客がいたテーブルに置いてあるフォークを掴んで、男に投げつけた。それは野球選手のように見事な素振りだったが、そのフォークに何ができるのかと諦めが可能性の大半を占めていた。――違う。僕はタチバナさんに教えてもらった、クロカワさんの超能力を思い出した。あれはとても大雑把で曖昧な説明ではあったが、確か「投げたものは何かに当るまで飛び続ける」というものだったはずだ。僕は曖昧な記憶を引っ張り出し、それを何度も反芻した。
クロカワさんの投げたフォークは速度が落ちる気配すら滲ませず、一直線に男の肩へと赴いた。僕は立ち止まることなく、走りを続けていた。そのフォークの槍をみて、希望が差し込んだ気がした。
フォークは男の肩に突き刺さり、突然の違和感に男は拳銃を手から滑らせた。クロカワさんはそれを一瞥してにやりと笑い、「後は任せた」といわんばかりに「偽者」の男が発砲した銃弾に身を捧げた。耳を突き破るような銃声を僕は堪え、歯茎すらも向き出しで前へと駆けた。
男は肩からフォークを引き抜き、それを乱暴に投げて落した拳銃をすぐに構えた。カミタニさんの方へと腕を振り、銃口がカミタニさんを睨みつけた。今だ! と僕は声に出して言った。右手を前に突き出しながら、スイッチを強く押した。
僕は男に追いつき、すぐに右足を振った。男の首筋を強く蹴りつけ、男は首を不自然に屈していた。さらに僕は足を踏ん張り、男の拳銃を奪い取ろうと試みた。既に「二秒」時間は経過していた。三秒も持たないのか、と僕は自分の弱さを恨んだ。男の肩からすりこむように手を伸ばし、銃弾の頭部だけがすこし姿を現している銃口に右手の平で壁を作った。そして強く目を瞑り、歯を食い縛った。
電灯に明りが点くように、時間は再び動き出した。
突然首が捻り、男は目を泳がせながら身がよろめいた。しかし、銃口から放った銃弾は空間を射て、僕の右手の平を突き破った。力任せに鉄の細長い棒を貫通させたれたような痛みが一瞬で右手を覆った。僕は噛み締めた悲鳴を唾をほとばしながら呻き、地面に身を預けて転がった。けれども、発砲を僕は阻止できたのだ。
男は気絶してくれている事を僕は祈った。僕は右手を左手で押さえながら、歯を食い縛ってのたうちまわっていた。右手からは出血が止め処なく放出しており、口内は堪らなく苦かった。鼻の穴をこれでもかと拡張させ、身を蹂躙する痛みを必死に堪えた。鼻息が荒くなり、唾液が口の中を浸食していった。
あの時、男が言っていた「蹴りが伸びきっていないし、力も出し切れていない」という言葉は、今になって僕を苦しめた。僕の蹴りは、男を気絶させるには足りなかったのだ。朦朧とした顔つきで男は立ち上がり、拳銃を拾った。気持ちよく陶酔している中年男性のように身をふらつかせ、不安定な足を踏み締めていた――もう駄目だ、と僕は諦めを覚えた。体に浸食する巨大な痛みに溺れ、僕は目を見開くことしかできなかった。天井を豪華に――まるでウエディングケーキのデコレーションのように盛り付いて――彩っている電飾がもの凄く眩しく思えた。強い輝きは瞼をすり抜け、視界を橙色に染めた。煙が身を包むような眠気が、脳に浸透してきた。血液が枯渇し、渇きを訴えているようだった。
男は拳銃を構えた。銃口をカミタニさんに突き出し、引き金に指を回した。僕は目を閉じた。視界を遮り、闇の海に飛び込んだのだ。光を一切許可しない真底まで潜り、鼓膜を叩き割るような咆哮にびくびくと怯えながら待った。
――しかし、銃声はいつまで経過しても発しないようだった。硝煙がまだ銃口をくすぐっている拳銃は、もう一生銃弾を放つ事はないと思えたのだ。何故かはわからない。けれども何故かそう思えた。辺りはきりきりとした緊張を漂わせながら、沈黙がまるでビニールラップを何枚も引くかのようにしんと静まっていた。音という概念は、とっくに忘却の彼方に飛ばされたようだった。その場には行く先に迷った緊張だけが虚空に彷徨っていた。
僕は身を閉じ込めていた闇を剥し、目をうっすらと開いた。靄を蓄え、ぼんやりとしている視界には、まるで閉館した映画館の室内のような空しさが強く漂っていた。何がおきたのだ? その場には、よろめいていた男の姿がなかったのだ。
再び幻影を見ているのではないか、と僕は疑った。男の存在はまるでどこかに「飛ばされた」ように消えていたのだ。瞼を何度か擦り、静寂に僕は浸かっていった。それはなぜ消えたのか、僕にはまるで見当がつかなかった。その前に僕は、相当な疲労を釈放していたのだ。なぜ男が消えたのか、考える気力も湧かなかった。そして僕は再び闇に沈んだ。
何とももどかしい終り方だった。右手の痛みは眠気に包まり、和らいでいった。意識が砂のように麻痺していき、疲れが穴という穴から無防備に解放していくような感覚だった。実に眠い。そう思ったときには、すでに僕は眠りについていた。
次回、本編最終回です!いやー長かった。本編が終わったら後はエピローグを書いて、レゾンデートル完結でございます!
呼んでくださった方、まことにありがとうございました!




