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十八話

 会場内は蒸れた空気で充ちていた。品のいい声が飛び舞い、前にあるステージ台にはヤイバ社長がワインの注がれたグラスを持って客たちを見下ろしていた。カミタニさんはステージの端側にオセロの角を収めるようにいた。カーテンが作り上げた影に半身が浸かっており、どこか不気味だった。

 僕は結局、死ぬ事はできなかった。幻となって現れた僕が消えた後も、その僕は余韻となって僕にまとわりついているようだった。ナイフを握り、刃を腹部に添えると、鋭利に尖った矢先は僕に恐怖感を煽いだ。冷や汗がグラスに張り付いた水滴のように垂れ流れ、僕は小刻みに震える手からナイフを離して躊躇した。死ぬ事もできないのだ。自分を匿っていたはずの逃げ道すらも、僕を見捨てたように思えた。いや、多分そうなのだろう、と僕は思った。

 ここまで自分に呆れると清々しさすらも感じた。僕は逸材でもなんでもないのだ。たまたまであり、偶然なだけだ。誰かが気まぐれで飛ばした紙飛行機がたまたま僕の足元に落ちたみたいなものなのだ。そう考えると僕は紅潮を覚えた。男に勝利したのも、この超能力に目覚めたのも、すべて偶然がお互いに糸を引っ張って繋がっただけなのだ。

 分厚く墨を含んだような雲が光を遮るように、僕の心は陰鬱となっていた。罪悪感が僕の足元から煽いでいた。足が地に埋もれた石のように、硬く重みを佩びていくのがわかった。一刻もはやく男を見つけ出さなくてはならない。僕は首を像の鼻のように忙しなく曲げ、室内を見渡した。しかし、それらしい男は微塵とわからなかった。僕はその男の体格や特徴などを教えてもらっていないのだ。何一つとして情報を知らない僕たちに、男を捜せという方が無理があると思えた。

 室内は暖房が効きすぎているのか、川の淀みのように乾いた空気が溜まっていた。僕は、自分の頬が熱を伝わるのがわかった。多分僕の顔は今、風邪で寝込んでいる子供のように頬を桃色に染めているだろう。僕はコートを脱いだ。コートのポケットからナイフだけ取り出し、それをコーデュロイパンツのポケットにつっ込んだ。コートを壁の端側に投げ、僕は辺りを捜索するために足を前へと出した。

 男の姿は見当たらなかった。正確にいえば、わからなかった。怪しい気配を放つ男はいないか、と意識に加えるとパーティー会場にいる客は皆が怪しく何か企んでいるようにも思えた。とりあえず僕はヤイバ社長の周辺を注意していた。男はこの大勢の人の中で、どうヤイバ社長を殺害するつもりなのだろうか。

 間違いなく怪しい男を見つけた、と僕の中で確信したのはそれからすぐだった。深緑色のコートをフードも深く被っており、森林の木のように大きい。熊のような体格のその男は――僕はその男がクロカワさんだと気づいた。ややこしいものだ。「おい」とクロカワさんは僕を見据えたまま言った。見据えているのかはわからなかった。一部だけいち早い夜を迎えてしまったような影が、目元を覆っていてわからないのだ。「侵入したという男は見つかったか?」

「わかりません」と僕は言った。「特徴も何も知らないものを探せなんて、逆立ちで生活するより難しいです」

「俺にはお前のそれがわからない」とクロカワさんは言った。全くだ。僕も自分で言っていて途中でわからなくなった。

 「とりあえずだ」とクロカワさんは僕との幅を詰めた。僕の目の前に壁が立ち塞がったように、僕は薄暗い影に覆われた。クロカワさんは声の音量を落し、小声に近い声で「俺には見当のつく奴が一人いる」と囁いた。僕は「本当ですか?」と同じように小声で訊ねた。人間というのはその流れに呑まれる生き物なのだ。

「あいつだ」とクロカワさんは僕が護衛していた門の近くの壁に寄りかかっている男を指差した。男は身長が高く、輪郭を挟むように長い黒髪が薄い壁を作っていた。その髪に僕は不潔な印象を覚えた。クロカワさんはあの男を見据えながら「奴に違いない」と自信を裸子植物のように露にした声で言っていた。

「ですけれど………」と僕は口を挟んだ。まだ何も証拠もないのに、決め付けるのはどうだろうか、と僕は思ったのだ。「まだ決定的な証拠もわかりませんし――」

「いや、奴だ」とクロカワさんは僕の反対意見を言う余地も与えずに言った。「俺の勘は矢のように鋭い」

「仮にそうだったとしても、奴はどんな超能力を持っているかわかりませんよ?」

「そんなもの気にしていたらきりがない」とクロカワさんは言った。僕のたしなみなど、受け付けないそうだ。

 僕はクロカワさんの見当を渋々暫定し、男に注目した。確かに怪しさが窺えた。しかし、それは僕が意識を鎧のようにまとったからかもしれない。いや、そちらの方が可能性は大きいのだ。僕は実にわかりやすく、阿呆な人間なのだ。けれども、クロカワさんの声質には明確とした自信がありありと篭められていた。

 僕はもう一度男に目をやった。男はまるで喫煙所で煙草の煙を宙に散らしているように、背を壁に掛けてゆったりとしていた。ワインが入ったグラスも持っておらず、栗色のコートに両手を挿入して退屈しているようだった。僕はいまいち信じれなかった。クロカワさんの勘は矢のように鋭いのかはわからないが、勘だけで決め付けているのは本当なのだ。「あの」僕はもう一度クロカワさんに口を開いた。「最初は確認から――」

 隣にいたはずのクロカワさんの姿は、その漠然とした空気だけを残して消えていた。まさか、と僕は首を男の方へ戻した。「やれやれ」と僕は息を洩らした。そして下に俯いて、首を左右に何度か振った。「遅かったか」その勘が正解していたかはわからないけれども、クロカワさんは男と対峙していた。僕もその場へ近づこうと足を前に出す――やれやれ――僕はもう一度呟いた。

 しかし、それが正解だったという事に僕は理解できた。クロカワさんの勘は確かに矢のように鋭かった。リュウグウノツカイのように細身で身長の高い男は、隠す事もせずに拳銃を手に持っていたのだ。姿を空気に晒していた。

 「やれやれ」僕はもう一度、息を吐いた。それは自分の犯したミスは大きく広がらずに済んだ、という安堵感からだった。



 クロカワさんは拳銃にさえ、一切の動じも見せずに冷静沈着とした眼差しを男に向けていた。そこには虎の威嚇のような迫力があった。男の身長が高いとはいえ、クロカワさんと比べるとさほどでもないように思えた。いや、クロカワさんが異様なほどに大きいのだ。すぐにないない、と僕は首を振った。男は拳銃をクロカワさんに突き出し、引き金に指を回していた。クロカワさんはまるでそれをバナナか何かかと勘違いしているように、いけしゃあしゃあとしている。その余裕な表情に僕は先程の自分と反応を比べたくなった。

 ペーティー会場の騒がしさは、遠く余韻のように聴こえた。その遠い方から聴こえてくる幻のような雑音が、さらに二人の間の沈黙を逼迫とさせていた。クロカワさんと男との間は、まるでその空間を切り取って別の空間と交換させたように静まっていた。その鎮静は僕の喉を絞め上げ、息苦しさを配っていた。僕はそれを余計に貰い過ぎているのだ。

 クロカワさんはまるで一瞬だった。隙を狙ったかのように男の持っていた拳銃の横腹を左手の甲で叩いて拳銃を飛ばし、そのまま身を詰め寄って足を男の左足に絡めて右手の拳で腹を強く重みをぶつけた。男が唾を吐きながらうろたえ、足を絡め取られて地面に荒く叩きつけられた。そのままクロカワさんが男に馬乗りになり、指を真っ直ぐのばした腕を横にスウィングし、男の首を叩いて崩した。

 男は一瞬の技術で、気絶まで運ばれた。僕は呆然としていた。口は間抜けに開いていたと思う。その手際に、唖然としたまま唾だけが口元に溜まっていった。それは湖に波紋が描かれ、それが再び落ち着きを戻して扁平な水面に戻るまでの時間よりも早いのだ。

 クロカワさんは拳銃を辺りに気づかれないように拾い、そっとコートの中に隠した。上品なカーペットの敷かれた上に伸びている男を壁の隅に運ぼうとした時、タチバナさんからの連絡がきた。耳に付いていたイヤホンマイクから、ごそごそと耳掻き棒を入れられているような雑音が流れ始めたのだ。

『男二人組の超能力の詳細がわかりました』とタチバナさんは言った。

 僕とクロカワさんは作業を止め、タチバナさんの声に耳を澄ませた。

「もう終わった事ですがね」と僕は苦笑しながら言った。クロカワさんは溝を打ったかのような顔のままだった。

『一人は「瞬間移動」のようなものです』とタチバナさんは文章を読みながら声に出しているような丁寧な口調で大雑把な表現で説明しだした。今気絶させた男の超能力が早く知りたかった。

「おい、ちょっと待て。今気絶させた男がいないぞ!」そこでクロカワさんはふと気づいたような声を張り上げた。「え?」僕も思わず首を曲げた。

『もう一人が「あらゆるものを増やす」というものらしいです』

 そのタチバナさんの言葉で、僕はあらゆる事を脳にめぐらせた。「超能力のあらゆる可能性を推測しろ」と、男の言っていた事を思い出す。僕は雨降りの一粒一粒を確認するかのように細かく、繊細にあらゆる可能性を脳裏で推測させた。まさか、と僕はふと思い当たった事に、恐怖を抱いた。

『――それと』とタチバナさんが言った。それはどこか焦りを覚えていた。

 上品な喧騒も、胸を詰まらせる静寂をも弾き飛ばすような巨大な咆哮が会場内に響いた。僕は咄嗟にカミタニさんの方にへと視線をやる。グラスからワインが零れ、宙を舞っていた。僕は目を見張った。クロカワさんも素早く行動に移った。僕も後を追うように、会場を走る。

 違った。

 あれはワインではない。血だ。それはヤイバ社長が撃たれたのではなかった。それはすぐにわかった。僕は地面を強く蹴った。撃たれたのはカミタニさんだった。

『男二人の目的は、カミタニさんです!』

 ほんの僅か、遅い情報だった。僕は脳内にスイッチを浮かべた。「まだだ!」と男の大声がした。クロカワさんだ。クロカワさんと僕はステージ台の方にへと全力で駆けていた。「まだ能力を使うな!」

 そしてもう一度――あの巨大な咆哮は僕の耳元を襲った。姿が見えた。アミサキさんだった。

 

  

最近自分の文章で「~た」とか「~なのだ」とかで終わるのが多いなと思いました。個人的にそれでもいいと、思っております。 ダメでしょうがね………

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