十七話
品の良い穏やかなパーティーの裏で、辺りは騒然としていた。それぞれの出入り口を護衛していたクロカワやアミサキ達はカミタニさんからの報告を受け、すぐに行動に移った。それは気配を感じてほとばしるように飛び散らかる敏感な鳥の群れのようだった。
アミサキは拳銃を手に持ち、自分が見張っていた門からホールに潜入しようとした。空気に肌を合わせるように身の気配を薄め、壁をすり抜けるようなイメージで扉をゆっくりと押した。無駄な行動はしない、とアミサキは肝に銘じていた。アミサキは仕事でミスを犯す可能性が低いことが取り柄だった。アミサキは油断という事が嫌いなのだ。常に身を緊張に包ませ、些細な事にも注意をめぐらせていた。それは自分の特別に気づいた時からだった。
それはアミサキが小学五年生の時にまで遡る。その日はミステリードラマの冒頭で人が殺害されるシーンにでてくるような豪雨だった。アミサキは友人達と机を囲むようにして止め処ない会話をしていた。それは昨日入ったテレビの内容であったり、男性アイドルグループのメンバーだったり、行為を抱く異性だったり、様々な事だ。毎回のように同じ事しか話題にならないことにアミサキは、悠々と空に浮ぶ雲のように退屈していた。
アミサキは皆が笑い声を上げるところだけ便乗して笑みを浮べ、新たな話題に移り変わったらまた相槌だけを打っていた。雑談の内容などアミサキには何を話しているかもわからない。アミサキは意味のない文章をただ読むように、友人の声を耳に溜めていた。適当に肯きをし、たまにいささかの笑みを浮かべる繰り返しだった。
話の話題が一度滞った時だった。そこまで容姿の優れていない女子が、まるで教師にでもなったように恋愛について語っているときだった。アミサキはその話に共感など微塵と感じられなかったが、適当に肯きだけしていた。他の友人達もトランプのキングのようなつまらない顔をしながら、話を聞いていた。正確にいえば聞く仕草をしていた。
彼女の話が退屈で仕方なくなり、億劫になったのでアミサキは後ろに首を曲げた。視界の先には一人で消しゴムを触っているトオルという少年がいた。トオルはまるで窓から雨の景色を眺めている暇そうな顔で、ひたすら消しゴムを弄んでいた。アミサキにはその行為の何が楽しいのだろうか? と脳裏で首を傾けた。よくわからない。すぐに視界を元に戻した。
特に優れた部分があるわけでもない彼女が懇々と恋愛を語っているのを眺めていると、退屈どころか苛立ちまで湧いてくるようだったので、アミサキはもう一度トオルの方にへと首を向けた。彼女の雄弁に語っている声は、遠い向こうから響いてくる余韻のように思えた。脳の奥で雑音のように、ひたすらなり続けているのだ。
特に好意を抱いているわけでも何でもないのだが、アミサキにはその姿のほうが余程面白みがあると思えた。トオルの指にからかわれている消しゴムは、されるがままにされて喜んでいる風にも見えた。それは私の特殊なフェチシズムかなにかが反応したのかもしれない、とアミサキは自分に呆れた。小五にして自分の性癖についてなど論じたくないものだ。
アミサキは昆虫の交尾を観察でもするかのように、その消しゴムに視線を向けていた。トオルは片手でその消しゴムを弓矢のように曲げたりと、いろいろな事を試みていた。すこし力の加減を誤れば勢いよく割れてしまうのではないかと思えるほどだった。
アミサキはあの消しゴムが割れる事を望んだ。それはトオルの反応というものが見たかったわけではなく、消しゴムが割れる瞬間を目で留めておきたかったのだ。アミサキは自分のその望みの理由がわからなかった。なぜ目に留めたいのだろう。不思議に思えたが、興味は覚えなかった。それはまるでお湯から上がる湯気のように、淡いものだ。脳裏の中で「割れろ」とアミサキは呟いた。
その瞬間、アミサキは自分の眼を疑った。そして、自分の意識を訝った。
長方形の形が、奇麗に四角になった。大きさを失い、人間で例えれば上半身から上が一瞬で消えたのだ。アミサキは自分の目が真実を映しているのかわからなくなり、目を擦りたくなった。しかしその前にアミサキは反射的に友人の輪のほうにへと体勢を戻していた。気がつくと先程まで恋愛を論じていた女子は消えていた。話題は部屋を移動したかのようにきっぱりと変更しており、それは先程まで恋を語っていた女子の愚痴になっていた。
その日、アミサキは自分の部屋で昼間の事を考えていた。まるで自分の命令を承知したように、消しゴムは腹部の中心から勢い良く折れたのだ。アミサキは便宜的に考慮した。俯瞰になったつもりで考えてみると、自分は悪くないはずなのだ。しかし、あの現象は私の意志で起きたことではないか? とアミサキはこめかみを掻きながら自分の筆箱を取り出し、消しゴムを取り出した。世界中の青を集め、その中から一番王道な青をチョイスしたような、辺りを見渡せば必ずどこかにはある青の色をしたプラスティックのケースを被った、消しゴムだった。アミサキは青色がなぜか気に入っていた。色分けで選べるものがあればそれは必ず青色だし、関係があるかはわからないが空というものを見続けているのも好きだった。趣味といってもいいほどだ。アミサキはこれまでに様々な空模様を見てきた。アミサキは空にそこはかとなく浪漫というものを感じているのだ。
アミサキは消しゴムのケースを外し、自分の勉強机に消しゴムをまるでサラダにミニトマトを添えるように、何も置いておらず扁平が広がっている虚無な板に立てて置いた。
アミサキは自分の消しゴムをまじまじと見つめた。消しゴムに変哲は訪れないまま、二分ほどが経った。時計の針が一定の間隔で律動を奏でている音だけが部屋内に響いた。アミサキは中央に置いた消しゴムの輪郭、色合い――といっても白一色なのだが――そして消しゴムの面の中心辺り、とそこを長く見据えた。
「割れろ」と脳裏で呟いた声と共に、その消しゴムは見据えていた中心点から線を引くように真っ二つとなった。まるで豆腐を包丁で切ったように軽やかなものだった。中心線から上の面が、宙をいささか舞って倒れた。アミサキは必死に弁解を脳裏に作った。偶然、ということはありえない。じゃあどうすればいい? アミサキは弁解を一度諦め、その夜は暫定的な結論で終えた。一度眠った方がいい、とアミサキは自分の部屋に篭るように視界を闇で閉ざした。
次の日、トオルは消しゴムを割ったことでいじめの的になっていた。アミサキはその日から、陰で罪悪感が身に浸透していった。友人達の会話でもトオルは話題となった。アミサキは久々に、その友人達の会話を真剣に耳を傾けていた。意見は当然のように様々だった。「消しゴム割っただけでやりすぎ」という味方的意見を言うものもいれば、「なぜ消しゴム割るようなことをして謝りもしない」と反対の事を吐く女子もいた。アミサキはそのどちらの意見とも不快に思ったが、同時にどちらともに同感できた。
アミサキは「どっちも悪いところはあるよね」と都合の良いことだけを一丁前に言い、まるで他人事のように笑みを浮かべた。人間というものは、自分に害があると思うとすぐに便宜的に考慮してしまうものなのだ。
何をされようが謝らないことが原因で、トオルのいじめは酷くなっていった。アミサキはそのいじめが酷くなりにつれ、罪悪感も重く深いものにへと成長していった。しかしトオルは謝罪のひとつも言わないものだから、アミサキは「なんで?」としか思えなかった。アミサキはトオルの考えている事が、毛頭と理解できなかった。
それからもアミサキは自分の机に消しゴムを置き、何度か現象を確かめてみた。あれはポルターガイスト的な何らかの現象だと、無理のある口実をしていたが、アミサキは自分の起こせる現象を認めざる終えないと思い始めていた。まるで禁煙者が暇さえあれば煙草を咥えるように、アミサキの消しゴムは消化が早くなっていった。
結局、トオルには謝罪できずに小学校生活を終えた。消化不良に似た、とてもやるせないものだった。
それからのアミサキは、すべてのことに緊張を忘れないようにしていた。睡眠中以外の迂闊さと油断は忘却の彼方に消し飛ばし、すべての事に意識を払った。アミサキはジャケットのポケットに忍ばせている拳銃の持ち手を掴み、高級な革製のバッグのように神経を強張らせた。しんと静まった路地裏のように、敏感な意識に切り替えた。
アミサキはゆっくりと扉を開けた。僅かな隙間から忍ぶように身をホール内に淹れようと右足を踏み入れた瞬間、自分の登場を待っていたかのような身長の高い男の姿がうっすらと見えた。その気配の方へ視線を向けようとした瞬間、男のグローブをはめているように広い手の平が視界の前に襲った。何事だ、とアミサキは瞬時に対応できずそう脳に浮んだだけだった。何がこの数秒で起きたのか、アミサキには見当もつかなかった。
今回は番外編的なやつでした。 いや、話ですが番外編的なものもありました。気づいてないと思いますが(その前に読んでるかどうかわかりませんが)伏線はいろいろ貼ってあるつもりです。あ、見つけなくてもよろしくてよ。ところで………何もなかった。また次回(その前に読んでるかわかりま以下略




