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十二話

「あの」その声に僕は覚えがなかった。女性という事はすぐに確信できた。しかし聞き覚えがないのだ。「トオル君、だよね?」と、その見知らぬ女性は僕に訊ねた。

「そうですが」と僕は言った。女性の顔を僕は見たが、何も浮ぶ事はなかった。本当に見覚えがないのだ。ところで名前も知らない人に名前を知られているというのは、とても気味の悪いものだ。

「やっぱり!」と彼女は言った。なにがやっぱりなのか僕にはわからない。「覚えて、ないよねえ」

 彼女は一人で騒がしく顔の筋肉を動かしていた。若手俳優の練習風景のようだった。または新人声優の発声練習のようだ。ところで誰だろうか。僕は正直に「覚えてないです」と言った。「すみません」

「いや、いいの」と彼女は言った。「あたしね、アミサキっていうの。よろしく」

「はあ」と僕は肯いた。

 アミサキという名前の彼女は、やけに僕に親しかった。コーヒーのようなすこし茶色を佩びた髪は肩まで伸びており、美容室をこまめに通っているのか髪の毛の一本一本が整っていた。身軽さを優先しているのか、髪は淡いカーテンのように梳かれていて、風が飄々と通り抜けでるようだった。輪郭はそれぞれのパーツがどれも決められた位置に留まっており、美人の類だった。特別、というわけではない。黒いカチューシャで髪を固定させている。晴れた空のような清楚な淡い水色のデニムジャケットを身に纏い、下もデニムのスカートだった。丈が短く、太股の肌が露になっていた。黒いニーソックスに身動きができやすそうな茶色いスニーカーを履いていた。僕が全身黒ならば、彼女は全身青かった。しかし、お互い靴は除く。

「アミサキさんも、業界の方で?」と僕は聞いた事のある名前だな、と思いつつ訊ねた。

「そうだよ。トオル君もやっぱり超能力者だったんだね」

 「やっぱり?」と僕は再び訊ねた。先程から彼女は僕を存じているような喋り方だった。学生の時に同じ学校だったのだろうか?しかし僕は友人というものはゼロに等しかった。小学校五年生の時から僕は他人と関わりを作る事を停止させたのだ。僕は逸材なのだ。他人と止め処なく下らない話題で盛り上がるような人間ではないのだ。そんな自分がましてや異性なんかと、会話をするはずがないのだ。もし何処かで会っているなら、僕はすぐに思い出せるはずだ。数少ない面識のある顔から同定させるのは、一桁の足し算をするのと同じくらい簡単な事だった。もう一度僕は記憶を探った。脳を弄くるようにいろいろな霞んだ記憶を引っ張り出す。駄目だ。まったくもって見当もつかない。

 アミサキさんは懐かしき友人との再会のように親しみを表情に滲ませていた。僕は知らぬ間に一部分の記憶を失っているのかもしれないという錯覚に陥った。記憶を整理している棚のどこかの段が、空虚になっているのかもしれないのだ。しかし、そんな覚えはない。事故に遭った事もなければ、頭を強く打ち付けた事もなかった。僕は本当にこの人の正体を確信する事ができなかったのだ。できれば「あーあの時の!」と座布団にカバーをするかのように言い返したいのだが、毛の先程も思い出す事ができないのだから言うに言えないのだ。諦め悪く脳を嬲っている自分に苦笑した。

「あの」と僕は恐縮しながら言った。「どこかで会った事ありましたっけ?」

「まあ、そうだよね」とアミサキさんは言った。とくに失望しているようながっかりさは窺えなかった。覚えてなくて当然、という顔をしているのだ。

「はい」と僕は言った。なんとか会話を続けようと僕は脳裏で話題を勘案した。なぜ会話を続けようなんて下らない使命感を感じたのかは自分でもわからない。けれども、なぜか僕は努めた。

「小学五年生の時」とアミサキさんは一呼吸を置いて言った。「失礼だけれどトオル君、いじめられていたじゃん?」

「ま、まあ」と僕は肯いた。

「あたしのせいなの。ごめんなさい。結局最後まで言えずに卒業しちゃったから、あたしも後悔してたの」

「どういう意味ですか?」と僕は訊ねた。いまいち理解できず、僕の脳内は火が出ないライターのようにぽかん、としていた。

「あたしが、消しゴムを割ったの」とアミサキさんは吐いた。僕は「は」としか返す事ができず、首を傾げた。一瞬「消しゴム」がなんなの事かすら忘れていたのだ。「ほら。トオル君がその、いじめられた原因って友達の消しゴムを割っちゃったからじゃん?実はね、あたしその時見てたの。その時にあたしの超能力が開花したんだと思う。そのトオル君が触っていた消しゴムを見つめたら、奇麗に割れたの。包丁で切ったみたいに」

「意味がわからないです」と僕は言った。整理しようと試みるがすぐに散らかった。

「それで一瞬あたしはわからなかったの。自分がやったって事に。でもそれからいろいろやってみたの。あたしの消しゴムを机に置いてずっと見つめたら、勝手に割れたの。黒髭危機一髪みたいに半分から上が飛んだの」

 突然そんな事を言われても僕は困るだけだ。けれども、曖昧ながら掴めるものはあった。簡単に言ってしまえば、

「いじめの原因、という事ですか」と僕は言った。オブラートに包む事もなく素直に声に出した。

「ごめんなさい!あたしが悪いんです!」とアミサキさんは深く頭を下げてきた。「あれからトオル君、いろんな人に嫌な事されたり、とても苦しそうだった」

 最後の方は完全にアミサキさんの想像にすぎなかった。勝手に謝罪され、苦しそうだとかの同情の声を軽々しく言われた。僕は不愉快だった。僕はそういう同情の声が嫌いなのだ。「なにを謝っているのかはわかりませんが、僕はこの話を聞いたところで、アミサキさんを恨んだりはしませんよ」と僕は言った。

「え?」とアミサキさんは下げていた頭を上げ、そう声を洩らした。

「むしろ感謝させていただきたいものです。あなたのお陰で僕は自分が特別だという事に気付いたんですから」

 なぜ今思い出したのかはしらないが、僕はカミタニさんがアミサキさんの名を言っていた事を思い出した。確かもう一人いたはずだ。クロカワ、という名前の人だ。そうだった、と僕は脳を擽るものを取り出す事ができ、安堵に似た感覚を覚えた。ところで僕のいじめの原因というのは改めて耳にすると教師の顔真似をする生徒のように下らなく思え、鼻で笑った。

「特別?」とアミサキさんは訊ねた。

「はい」と僕は言った。笑みを隠す事をせずにアミサキさんに目をやった。「僕は自分が逸材だという事に気付いたんです。ありがとうございました」

「それは自分で言う台詞じゃないと思うんだけれど…」とアミサキさんは言った。僕は無視した。



 まるで僕を挑発してくるかのように、〈蝶硝〉の社長「ヤイバ」の誕生日パーティーに、脅迫状が届いた。それも超能力者だという話だ。超能力者の男二人組、という事らしい。僕はまた二人組かよ、とこの業界にはコンビというものが多い事を知った。

 しかしそのコンビは本当に「二人組」かどうかは曖昧のままらしかった。何故だかはわからない。確かに「二人組」という形になっているが、辻褄の合わない点が幾つも現れるのらしい。話を聞いているだけでは、大袈裟に作られた都市伝説を聞かされているような感覚にしかならない。嘘か本当だとか、その前にわからないのだ。

 カミタニさんの連絡で、僕達は事務所に集合した。僕「達」というのはアミサキさんとクロカワ、という人の事だ。僕は椅子に腰を渡し、背もたれに堂々と身を沈めた。アミサキさんも以前会った時と同じ服装で事務所に訪れ、椅子に腰掛けた。どうやらあれが仕事服「的」なのらしい。太股が肌寒そうに思えた。すこし考えるだけで幻の冷えた空気が足にまとわり、ウインドブレイカー越しに手で摩った。アミサキさんが僕に視線を送ってきたので軽く会釈した。目で「どうも」と挨拶を済ませる。

 窓を見ると雨から殆どの重みを奪ったような雪が、紙切れのようにゆっくりと舞っていた。深々と呼吸音すらも出さず悠々と街を見下ろしながら、儚い命を楽しんでいるようだった。空は淡い水蒸気のようなものが漂っており、それすべてが雪だと思うと世界を侵略しようと襲来してきた星人だとも思えた。

 クロカワさんが事務所に現れたのはそれから三十分程経過した頃だった。獣のような輝きのない金色のファーが支配したフードを深く被り、目元が濃い隈のような影に覆われていた。ポケットが無駄に付着した紺色のカーゴパンツを履き、身を包む深緑のコートはチャックもボタンも全部閉めていた。顎が隠れ、目元も隠れ、輪郭自体も狐の尻尾のような太いファーに囲まれているので、白かったら雪男と勘違いしてしまいそうだった。茶色い革生地の厚いブーツを持ち上げるように歩き、靴底が地面と当る度にシャーベットを踏みつける音がした。溶けた雪だ。

 クロカワさんは喉に何重にも肉を巻いたような太く低い声で「遅れました」と言った。その僅かに覗ける口元も腹話術だったかのように著しい動きを見せていなかった。そのまま金属すらも簡単に潰してしまいそうな厚く太い手で椅子を引き、パイプ椅子に尻を乗せた。油が乾いた扉がゆっくり動くような、鈍い軋み音を椅子が上げた。悲鳴にも似ていた。僕はクロカワさんに一捻りで首をへし折られる光景を脳裏に浮かべた。肌に潜り、高速で駆け抜けるような身震いが弾むように走った。

「全員揃ったね」とカミタニさんが前に立って言った。「これから仕事に向かうわけだけれども」

 「武器確認」とカミタニさんの呼び声で、アミサキさんとクロカワさんはポケットに手を挿入し、手探りをしはじめた。僕は予め机に置いてある小型ナイフに目をやった。アミサキさんは小型ナイフと拳銃を並べ、前に差し出した。クロカワさんも同じ武器だ。僕は拳銃を必要とはしなかった。そんなもの持っていても使わないと思ったからだ。さらに言えばナイフも使わないのだろう。

 カミタニさんは並べられた武器を見終え、「それじゃ、仕事服に着替えて」と言った。といっても二人は席を立たない。立ったのは僕だけだった。なにか気恥ずかしさを覚えた。

 僕はウインドブレイカーを脱ぎ、黒いタートルネックを着て、最初から履いていた黒のコーデュロイを露にさせた。ウインドブレイカーを畳んでパイプ椅子の背もたれに掛け、ポケットの少ない黒のコートを上から羽織った。盛り上がりが大人しい栗色のファーが肌を撫で、指でそれを払った。

「それじゃあ行こう」とカミタニさんの呼び声と共に、タチバナさんを含め僕達は足を向けた。


ラストに近づいております!

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