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九話

 男は吊り上げられたマグロのように無防備な姿を晒しながら後部座席に伸びていた。二人とも睡眠薬を飲まされたかのように気絶している。その二人組からは牛の交尾のような生々しい気持悪さを漂わせていた。腰掛けて眠る男の膝に、男の頭部を預けているのだ。暑苦しくて極まりない。表現ではなく、真剣に嗚咽を僕は感じた。

 車内は、水底に潜ったように静けさを佩びていた。窓の外側から風を切る音だけが飄々と耳に残るのみだった。カミタニさんは正面を見据え、一定の速度を保ってハンドルを握っている。僕は窓の方へ目を向けたまま、悠々と通り過ぎていく景色を眺めていた。後ろで男二人は魂が透き抜けたように指一本動きを見せない。まるで脱皮した後に虚しく残された殻のようだった。

 僕はそこはかとなく、電話の時刻を確認した。廃虚ビルに到着した時はまだ午前十一時前だったが、気が付けば午後十三時を回っていた。どおりで腹が減っているわけだ。僕の胃袋は、住人のいない部屋のように空虚となっていた。喉も絞られ、数日経過した雑巾のように乾き、水分も管に流しておきたいところだった。

 「初の仕事はどうだったかな」と突然、カミタニさんが僕の心臓に針を刺すかのように鋭く訊ねた。僕は俯き、遺憾な声で「一人で出来ました」と言った。

 僕の精神は今、雑草が生え茂る道を永遠と彷徨っていた。行き先も分からず、見当もつかない。けれども、歩き続けていた。足場を奪われ、不安定となりながらも、だ。

 「そうか」とカミタニさんが言い、一呼吸置いたあとに「そういえばトオル君。君は昔この業界ですこし有名になった奴を知ってるかい?」と訊ねてきた。

「有名?」突然の質問に僕は戸惑い、首を傾げた。「知りません」

 「そうか」とカミタニさんは肯き、「一時的に一部では業界最強とも称されていたよ。今はわからないけれどね」と言った。それは亡くなった友人の過去を語るような、思い出に浸った口調だった。僕には毛頭とわからない。見当もつかなかった。

 けれども、その話題は僕の興味をそそらせるには十分過ぎるものだった。詐欺師には都合の良い人間のように、僕は食いついた。「どんな人なんですか」と僕は訊ねた。

「名前は覚えていないけれど、超能力は現実離れしていたよ」

「それは僕らもそうじゃないですか」と僕は訂正した。まるで自分が普通の人間のような言い方だったからだ。

「現実離れしている超能力、と同じように超能力離れした超能力なんだよ」とカミタニさんが言った。よく噛まずに言えたな、と僕は意味不明な関心を覚えた。僕は超能力という響きが難しいのだ。言っている途中で舌が絡まりそうな忙しい動きをするので、口が回らないのだ。

「「目に映したものを異世界に飛ばす」という能力だったよ」

「わかりません」と僕は即答した。

 僕は思わず呆れの溜息を吐きそうにもなった。それは「時間を停止させる」だとか、「心を読む」などのものではない。「異世界に飛ばす」なのだ。突然そんな聞き慣れない単語を耳にしても、僕は気が狂うだけだ。参ってしまう。なにせ「異世界」なのだ。もうこの世界だけじゃ収まりきれなくなっているのだ。僕は苦笑した。

 「じゃあ仮に」僕は百歩譲って仮定をし、カミタニさんに疑問を述べた。「それで消された人間はどうなるっていうんですか。異世界ってなんですか」

「いい質問だねトオル君」カミタニさんは教師のように言った。「その飛ばされるものは決まって、異世界での同じものの近くにループされるのさ」

「わかりません」僕は再び即答した。

 「ドッペルゲンガーは知ってるかい?」とカミタニさんは訊ねた。僕は「まあ」と曖昧に肯く。「その人が言う「異世界」ってこの世界と似たようなものらしいね。すこし何かが違う、というだけらしい。

 それでその能力を受けた人間は異世界にワープするだろ?で、飛ばされた人間が気付くとそこは異世界での自分。いわゆるドッペルゲンガーの近くに登場するのさ」あくまで話だけどね、とカミタニさんが最後に付け足した。「詳しい事は俺も分からない」僕にもわからない。見当もつかない。しかし、あり得ないとしか感想は浮ばなかった。

 「わかりません」僕はもう一度、そう言った。



 事務所に帰って来た僕は戻るなり、パイプ椅子に腰を下ろして瞼を瞑った。すべてを無にしたかった。散らばったあらゆるものを、棚に整理したかった。落ち着きを僕は求めていた。以前の優越感を取り戻したいのだ。しかし、その消えた感情を追い駆けている自分に不甲斐なさを感じた。以前の僕が現在の僕を客観的に見ると、一番先に「醜い」と言うだろう。僕は、この業界に入った事にも若干の後悔を覚えているのかもしれない。

 初の仕事は僕の恥晒しという結果で終了し、カミタニさんからの信頼も今じゃ皆無といっていいだろう。今の僕は、醜いものだ。それは以前の自分が求めていた僕の姿ではなかった。

 僕の抱いていた優越感などは、雪崩に呑み込まれて奪い去られたようだ。実際、呑み込まれたのだ。僕は。

 失踪した以前の感情を取り戻すため、僕は時間を停止させた。そして、高笑いをしようと試みたのだ。声を強制的に引っ張り出すように張り上げ、笑みを作った。顔面の筋肉を強張らせ、口を盛大に開いた。しかし、静止した世界は虚ろな空間だけが漂っていた。

 気が付けば、時間は再び動きを取り戻していた。僕は窓に目をやり、空を見上げた。昼飯もまだ口に運んでいないのに、辺りは墨汁のような深い闇を包まれていた。それが僕には、落胆を連想させる黒に思えた。多分、僕は病んでいるのだ。事務所の二階から眺める街中は色鮮やかで、昼間の騒がしさを忘れさせない光が辺りに散らばっていた。

 「こんな所のいましたか。電気も付けずに」と女性の声がした。その声と同時に頭上に明りが灯り、すこし体の芯がぴくっと反応した。「タチバナさん」

「はいタチバナです。あ、ご飯食べませんか?トオルさんからしたら昼飯になるのでしょうか」とタチバナさんは僕を察するような声で言い、語尾には「曖昧です」と付け足した。ふっと僕は思わず笑みを洩らした。

「いただきます」と僕は言った。曖昧ではなく、本当に腹を空かせているのだ。内臓が先程から、きゅるきゅると補給を訴える叫びを上げていた。

 「といっても」タチバナさんが若干口元を手で隠しながら言った。視線を斜め下に落した。「カップ麺しか作れませんが」

「構いませんよ」と僕は返した。意外な一面というのは、僕は嫌いじゃない。



「いただきます」と僕は言った。

「いただきます」タチバナさんは手の平を丁寧に合わせ、さらに軽く会釈のように顎を引いた。

 タチバナさんは、カップ麺を啜るだけの仕草も凛々しく美しい印象を抱かせた。大人の女性、がテーマで雑誌のコーナーが出来るのならば、すぐさま応募したいとも思った。端の持ち方から、汁を飛ばさないように繊細かつ器用に口へ運ぶその姿は、身長の低さな毛頭と気にさせないほどの官能さを備えていた。絶妙な凛々しさを纏っている。麺はタチバナさんの口元にへと赴き、その麺の動きすらも僕には刺激的だった。

 僕は視界が固定されたかのようにタチバナさんに見惚れたまま、カップ麺の存在すらも忘れたいた。「どうかなさいました?」というタチバナさんの声で夢心地から覚めた。先程僕を浸食していた落胆なんてものはタチバナさんの魅力に塗り替えられ、それはそれで不甲斐ないものだった。

「いや、いちいち奇麗だな、と思って」と僕は隠さずにそう言った。

「そうですか?ありがとうございます。身長は低いですが」とタチバナさんは自嘲気味に言った。

 そのまま僕はタチバナさんに魅せられたまま、妙な緊張感を佩び始めてしまい、カップ麺を啜る事に苦戦した。麺は僕の鼻筋のように、伸びていた。

 

 


 


若干スランプ気味だったんで遅くなりました! 消しては書き、消しては書きの連続でやっと九話完成

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