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 こんな所にもアウトドアブームが押し寄せているのだな。日本一の広さを持つといわれる湖の畔に、流行りのログハウスが所狭しと建てられていた。材料らしき丸太がクレーンで次々と吊り上げられては積み重ねられてゆく。鍛冶は古いライトバンを停め、それを眺めていた。

 道中の山間や清流の畔はもちろん、巷の好景気に踊らされてか市街地にまで見かけるようになっていたログハウスだった。自家用車を手にして以来、美穂子の実家に似た山間を地図で調べては足を運ぶようになっていた。大きな湖のあることは知っていたが、古都府との県境が山々に囲まれた場所だったことは、ここへ来て初めて知った鍛冶だった。

「美穂子じゃない? って声を掛けたら、逃げるように走っていったの。髪は短くしていたけど彼女に間違いないわ。遊びに来ていた様子でもなかったみたいよ。もしかしたら、あの辺りでのどこかで働いてるのかも知れない」

 美穂子の元同僚からの情報であった。ジェットスキーに乗せてやると男友達に誘われて来たこの湖で、買い物に寄ったスーパーで見かけたという。

 美穂子に似た女性を見た。そういった情報を頼りにあちこちへと足を運んだが、彼女の痕跡すら見つけられない日々が続いていた。また、無駄足になるのかも知れない。しかし、見かけたのが駅や観光地ではなく、旅装ではなかったという言葉に一縷の望みを賭けた。美穂子が部屋を出てから既にニ年の歳月が流れようとしていた。散りかけた桜並木が春の終わりを告げようとしている。


 例のスーパーはあそこか、広げた手書きの地図を畳んでポケットに入れ、車に向かって歩きだそうとした鍛冶の背中に声がかかる。

「鍛冶? 鍛冶じゃないのか?」

 この辺りに知り合いは居ないはずだが。当惑を顔に浮かべ鍛冶はゆっくり振り返った。白いヘルメットを被った作業着姿の男が歩み寄ってくるところだった。

「やはり鍛冶か。俺だよ、大山だ」

 ヘルメットをとった男は、高校ボクシング部OBの大山康之だった。よく日に焼けた笑顔は懐かしいさを湛える。高校時代、ウェルター級の国体チャンピオンだった彼の体格は、今やクルーザー級のウエイトはありそうだった。プロボクサー時代の鍛冶の後援会長を務めてくれていた大山は、試合の毎に私設応援団を組織しては、立派な横断幕と共に応援に駆け付けてくれていた。

「大山さんでしたか、こんな所で何をなさってるんですか?」

 警戒を解いた鍛冶が口元を緩める。

「それは、俺の台詞だよ。ぷいとリングを去ったかと思ったら、足立さんのところも辞めて消息不明だったというじゃないか。お前こそ、ここで何をしているんだ」

 言われてみればその通りだな。足立から話を聞いているとすれば、その場しのぎの嘘も通用しまい。鍛冶は正直なところを述べる。

「人探しです」

「ああ、そんな話も聞いた気がするな。しかし……いや、言うまい。人生はボクシングだけではないからな」

 大山が、ボクシングの話を持ちだそうとしたのは明らかだった。先を続けなかったのは、足立からある程度の事情を聞いていたのだろう。

「ええ。で、大山さんは何を?」

「アレだよ」

 大山が手を伸ばした先は、先ほどのログハウス建設現場であった。

「俺が住宅照明の会社をやっていたのは知っていただろう? ひょんな縁で、こっちをやらないかと話を持ち掛けてきたのがいてな。いやあ、忙しくてたまらん。ここの現場が終わったら休みなしでまた鵜飼県のキャンプ場に行かねばならんのだ。人出は幾らあっても足りんよ」

「そうでしたか、盛況で何よりです」

「いつまでここに居るんだ? 仕事が終わったら一杯――おっと、お前は飲まなかったな。じゃあ飯でも一緒にどうだ。暫く居るのなら、うちの宿舎を貸してやってもいいぞ」

 大山がニ階建てのプレハブが立ち並ぶ一角を顎で示す。

「はあ」

 意志の見えにくい相槌で即答を留保しながら鍛冶は考える。手掛かりが見つからなければ、再び群馬の実家を訪ねてみようと思っていたが、蓄えも寂しくなってきている。数日居座ってみようか。美穂子がこの辺りで職を見つけているのなら、その価値はある。宿代を浮かせられるなら大山の好意に甘えよう。いずれにせよ、食事ぐらいは付き合って不義理を詫びるべきだろう。

「材料が全部届いてない今日は、早仕舞いの予定だ。現場に居る、戻ったら声を掛けてくれ」

「わかりました」

 鍛冶は会釈してグレイのライトバンに乗り込んだ。


「すみません、この女性をご存知ないでしょうか。この店で見かけという人がいるのですが」

 客足が途切れたのを見計らってレジの小柄な中年女性に訪ねた。僅かばかりの品物を入れた買い物籠を下げ、何度もレジに近づいてはまた離れるといった鍛冶に気づいていた彼女は、露骨に不審そうな表情を浮かべる。

「警察の人? じゃないわよね」

 変な嘘をついたり隠しだてをすることが善意の口まで閉ざしてしまうものだ。話を聞けないでも困る。鍛冶は正直に素状を明かした。

「私の婚約者です。御不審にお思いでしょうが、怪しい者ではありません」

「ふうん――あっ、ねえ山中さん。この人、よく見る人よね」

 写真を手に取った彼女が目を見開き隣のレジを担当するやはり中年の女性に手を伸ばして写真を見せた。鍛冶の心拍数が跳ね上がった。美穂子を探しに来たのには違いなかったが、二年間探し続けた彼女の消息が何の関わりもなく思えたこの土地で見つかるといった期待は大きくなかった。過剰な期待はそれ以上の落胆を生む。このニ年間で、それを嫌というほど味わってきていた。

「本当ですか? 今日は来ましたか? どこに住んでいるのでしょう?」

「二日か三日に一度ぐらい来てると思うわね。感じのいい人よ。でも子供連れだったりするわよね――あんた本当に婚約者なの?」

 女性は性急に質問を浴びせる鍛冶に質問で返してきた。子供連れ? どういうことだろう。美穂子の子供であるはずはないのだが。

「違うわよ小川さん、あれは私設の子よ」

 山中と呼ばれた隣のレジの女性が鍛冶に詰め寄った女性の思い違いを糺す。

「じゃあ若鮎ホームの?」

「その若鮎ホームは、どこにあるのでしょう。教えて下さい、お願いします」

「裏手の山の中腹よ、中至って信号のところに看板が出てるわ」

「ありがとうございました」

 レジ袋に詰め込まれた商品をカウンターに残したまま鍛冶は店を駆け出した。やっと見つけたぞ。施設――ホーム――児童養護施設か、子供好きだった美穂子だ。子供と接する仕事を選ぶだろうことに何故気付かなかったのだろう。感情の昂ぶりや、思い込みが冷静な判断力を鈍らせることを覚えておかねばな。いや、美穂子が見つかればこんな探偵ごっことはおさらば出来る。どこかでまた自動車の整備士として雇ってもらおう。この景気のよい世の中だ、整備士に拘ることもない。

 様々な思いが頭の中を駆け巡る。朽ちかけた看板に書かれた文字を見つけた鍛冶は大きく左にハンドルを切っていた。


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