十六
「倒産は免れたが、俺に残ったのはここだけだ」
〝大山興信所 信用調査全般 企業調査 その他、ご相談下さい〟 堅い字体でそう書かれた看板の上がる小さなオフィスで接客用のソファに腰を下ろし、大山は両肘を膝に乗せて言った。
諦めざるを得なくなった六棟のログハウス建設は、そのまま香取建設が請け負うこととなり莫大な違約金は払わずに済んだ。しかし設備投資にかけた借金はそのまま残る。処分しようとしたどれだけも使っていない重機はいいように買い叩かれ、大山の手元に残った金は僅かだった。
白井以下、多くの社員は現地徴用的に香取建設に拾われることとなり、業績どころか技術まで根こそぎ奪い取られてしまうことになった大山の落胆は大きい。
「自己破産という手もあったんだが、あいつに頼まれたここまで失う訳には行かなかったんだ」
不慮の事故で亡くなったという友人が経営していた興信所だった。負債を精算して経営権を買い取り、そのままのスタッフで運営させていた。根抵当に入っていた家屋敷も差し押さえられ、これが大山に残された唯一の財産になっていた。
俺達の本社は現場だと社屋さえ持とうとしなかったことからも明らかなように、男気のある大山らしいと言えばらしいのだが、やれ設備費だ何だと金の無心にのみ熱心なスタッフの要求するまま金を与え、会計報告すらさせてないこの興信所の経理の杜撰さを白井がこぼしていたことがあった。
本拠をここに移した途端、会社を食い物にしていたようなスタッフは一人去り二人去りと、空のデスクが目立つ閑散としたオフィスで鍛冶がテーブルを挟んで向き合う。
「大きなことを言って期待させた揚句のこのザマだ。すまん。俺に義理立てなどせず、あのまま香取に拾ってもらっても良かったんだぞ」
安定を望まなかった訳ではない。ただ不義理をしてまでそれを手に入れたいと鍛冶には思えなかった。幸い美穂子を迎えにゆくにはまだまだ時間もある。
「大山社長には突然雇ってくれといった私の我儘を聞いていただきました。美穂子の件でも随分とお世話になっています。まだまだ御恩は返せておりません。興信所の業務がどういったものなのかはわかりませんが、私にも人探しの経験はあります。お役に立たせて下さい。建築が覚えられた上、今度は探偵まで出来る。誰にでも出来る経験ではありません。金では買えない私の財産となってゆくはずです」
「お前は前向きだな。相変わらず何を考えているか、さっぱり分からん無表情だが」
呆れたような声でいう大山だったが、同時に鍛冶の逆境への耐性を強く感じもした。
「彼は調査員向きかも知れませんよ」
たった一人残った大谷という初老の調査員が、デスクに座ったまま声を発した。
「一から教えて下さい」
席を立って大谷に歩み寄り二つに体を折る鍛冶だった。大谷は着座を促しながら、平坦な声で告げた。
「調査員の仕事は地味で、とてつもない忍耐を必要とします。探偵の肩書だけに憧れてここに居た連中は、現実とのギャップを埋めることが出来ずに去って行きました。私は亡くなった片山所長に恩があります。誰一人としてまともな調査員を育てあげられなかった後悔が私をここに留めていたのだと思います。教えましょう、ただし我々の仕事は専ら人の粗探しです。時には依頼主ですら自分に都合の悪い真実に口を閉じます。人間の本性が目を覆いたくなるばかりの醜いものだと嘆きたくなる日もあるでしょう。覚悟を持っておいてください。若い貴方に耐えられるといいが」
「私には派手な仕事より似合っているように思います」
「貴方はいい目をしておられる。最後の御奉公のつもりで、今まで培ってきた調査術の全てをお教えしましょう。亡くなった所長への恩返にもなる」
「宜しくお願いします」
再び体を二つに折る鍛冶だった。大谷は目を細めて見つめていた。
完