十五
未だ衰えを見せない好景気の中、大山建設の業績は右肩上がりの成長を遂げていた。新たな現場となった中ノ原市のキャンプ場に建てられる六棟のログハウスも、競合する大手建築会社を退け受注に成功したものだった。
「鉄は熱いうちに打てだ。俺はこの程度で満足はせんぞ。お前らにも、もっといい暮らしをさせてやりたいからな」
クレーン技師や重機を自前で賄うようになれば工事の効率は更に上がりコストダウンも計れる。引いては粗利もアップするというものだ。業界において中堅の地位を手にしかけていた大山の、他社に対する見栄も含まれていたのだろう。白井の反対を押し切った設備投資は、新参の鍛冶にも性急さを感じさせるものがあった。また、それを勧めに来た商社マンの卑屈な態度と狡猾そうな顔にも、不安を覚えていた。
「香取建設は、ここを受注出来るつもりだったらしいからな、相当数の材料がフィンランドから到着すると聞いている。どこかで格安なログハウス村でも造るつもりかな」
大山は高らかに笑った。会社の発展は生活の安定に繋がり、美穂子との将来を確かなものにしてくれる。建設予定地を見おろす丘陵で、澄んだ空気を胸一杯に吸い込む。抱いた不安が取り越し苦労であって欲しいと鍛冶は願った。
「まあ、余所のことはどうでもいい。これだけの設備投資をしたのだからな。今後もせっせと働いてまずは借金の返済だ。ところでまだ材料は届かないのか? 午前中に搬入される予定だったろう」
「連絡してみます」
この時代、まだ珍しい携帯電話を肩から下げた白井が、小さな画面を覗きこむと圏外が表示されていた。
「麓までひとっ走り行ってきます」
現場主任の桜井が車体側面に大きく㈱大山建設と書かれたバンに乗り、白いヘルメットを被ったまま車に乗り込んで方向転換させる。まだ営業が始まってないキャンプ場の管理棟に電話はない。ここから2kmほどの所にある小さな商店まで車を走らせねばならなかった。
「店のおばちゃんと長話してくるんじゃないぞ」
白井がからかうような声を掛けた。気のいい桜井は、日頃、話し好きな地元のお年寄り達の格好の餌食となっていた。「わかってますって」軽い調子で手を振ると車を発進させた。
急ブレーキでバンを止めた桜井が、車から転げ落ちるようにして飛びだしてくる。
「社長、大変です。昨日、荷降ろしをした材料が検疫に引っ掛かって、倉庫から出せなくなっているようです」
報告を聞く大山の眉が大きく動いた。
「輸入木材は検疫の対象外だろうが、なんで、そんなことが起きるんだ」
「何でも動物の死骸が木材の中から見つかって、国内で使用を認められていない農薬の成分が検出されたんだそうです。役人の言葉は、こ難しいばかりで要を得ませんが、大筋でそんなことを聞かされました」
彼等のやり取りを聞く鍛冶の脳裏に、気をつけろと言った工藤の言葉が蘇った。あれと何か関係があるのだろうか。ただ注意を促すにも情報の絶対量は足りず、得意の絶頂に居た大山がそれを素直に聞き入れるとも思えなかったため、口にせずにおいたことが後悔される。
「港へ行ってくる。何かの間違いであってくれればいいのだが――白井、お前も来い」
砂利を蹴立てて、二人を乗せたバンが走り去って行った。
「鍛冶さん、どうしよう。材料が来ないとなると――」
「社長がおっしゃったように何かの間違いかも知れません。ここで我々がおろおろしても何も始まらない。二人の帰りを待ちましょう」
鍛冶は桜井の背を押して、管理棟への坂を下った。
「やられた――今から発注しなおしても材料が届くのは半年後だ。到底、工期に間に合わすことは出来ん」
「どうなさるおつもりですか」
白井の声にも力がない。
「どうもこうもない、香取建設に泣きついて材料を譲ってもらうしかないだろう。さもなきゃ違約金を払って破産だ」
おそらく新港開発の原辺りがうっかり口にしたのを工藤が耳にしたのではないか。「気をつけろ」競合するどこかに仕組まれたような気がしてならなかった。鍛冶はその考えを大山に告げる。
「それが香取建設だったとしたら材料も譲ってはくれんだろうな。仕事も取れなかった奴等が、あれほどたくさんの材料を仕入れたことの裏に気づくべきだったんだ。俺としたことが迂闊だったよ」
大山がふうーっと大きく息を吐く。好事魔多し。順調過ぎた事業が、ひたひたと歩み寄る悪意や謀略に気づかすのを遅らせたのだった。
「香取建設か、それとも他の大手か――いずれにせよ、完全に仕組まれた。今から思えば設備投資の話を持ってきたのもタイミングが良過ぎる。油断していた」
大山の後悔は続く。
「香取の親会社は大手ゼネコンの大都だ。奴等なら厚生省ぐらい動かすことが出来る。もしかしたら海上で木材に農薬をまき散らしたのかも知れん。いずれにせよ、俺の管理が甘かった。すまん」
肩を落とす大山が背中が小さく感じられた。まだ電気の来ていない管理棟だったが仮設の電源は引いてあり発電機もある。しかし誰ひとりとして電灯に手を伸ばす者は居なかった。
山々に囲まれたキャンプ場の陽が沈むのは早い。夕暮れ時の物悲しさだけでない重みが、彼等の肩にのしかかっていた。