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十四

 月に一度、いや、せめてふた月に一度でもいい。ホームを訪ねることが出来ればいいのだが――

 美穂子と離れることは勿論、ようやく馴れてきた子供達との別れも辛く感じられた。きれいに片づけられた現場を防波堤に立って感慨深げに眺める鍛冶だった。近づいてくる人影がある。誰かまだ残っていたのだろうか。目を凝らし社員のシルエットと照らし合わせようとするが、誰とも重なることはない。人影は金州会の工藤だった。 身軽な動作で防波堤に上がる。

「とんでもねえ手を使ってくれたもんだな、親父は手を引けとよ。だが俺達は上の言うことが聞けねえからこの世界に住んでいるんだ。おめえの腕の一本でも持って帰らねえとメンツが立たねえんだよ。破門は覚悟の上だ」

 そう簡単には行かなかったか――名神自動車時代、会社に姿を見せるなと新藤に言われても、どこ吹く風といった様子で車を洗いに来ていた構成員が居たことを鍛冶は思い出していた。

「聞くところによると、おめえはボクサー崩れだそうじゃねえか。おもしれえ、手合わせ願おうか」

 背中に隠し持った短刀を抜き出すと鞘を投げ捨てる。水辺の死闘で佐々木小次郎がどうなったかを知っていれば、できない行為だったろう。尤も、対する鍛冶は一振りの刀も手にしていなかったが。

 月明かりに照らし出される刃渡り二十センチほどのその短刀は、そのまま工藤のリーチを伸ばすことになる。バンタム級だった鍛冶にとっては五~六階級ほど上の相手と対峙するようなものだ。背を向けて逃げ出すか――その場合、岸田との約束は守られるのだろうか。鍛冶の迷いを断ち切るかのように、鼻先でナイフが円弧を描いた。反射的にスウェイでかわし、効き腕のストレートを繰り出そうとする。その瞬間、本能が危険を訴え体を開く。眉間の数ミリ先を、一撃目より大きな円弧でナイフがかすめて行った。

 危なかった……スイッチのタイミングが遅れれば、バックハンドの一撃、正に返す刀というヤツだ。その餌食になっていたことだろう。目の端で捉えたナイフの軌道を紙一重で避けると、狙いすました左フックを顎先に叩きつける。大きく首を捩じらせて工藤が膝から崩れ落ちた。意識は一瞬で刈り取られたようだ。


「すまん、顎を砕いたかも知れない。一瞬のことで手加減が出来なかった。病院へ連れて行こう」

 陸に上げられたテトラポットに腰を下ろした鍛冶の声がコンクリート製の防波堤に響く。意識を取り戻した工藤は、頭の下に敷かれた薄いクッションに気づいた。

「手加減か……参ったな、この上そんな情けをかけられちゃあ、ヤクザはやってられねえんだよ。放っておいてくれ」

 上半身を起こしペッと吐き出した唾は、夜目にもどす黒く濁っていた。

「おお、痛え。しかし強えな、お前。俺のニの矢を躱したのはお前が初めてだ」

「このことを岸田さんに話すつもりはない。頼む、ホームはそっとしておいてやってくれないか」

「そうか……俺はどっちでもいい。破門覚悟で来たんだからな」

 口を開く毎に、顎の痛みに顔をしかめる工藤だった。

「恨むなよっていっても無理な話だろうが、俺達はヤクザだ。悪いことをしますって看板を上げ、それを使おうとする連中が居る。それだけのことだ。お前らがあの丸太小屋を建てているのと変わらん。尤も、これは俺の意地だったがな」

 再び唾を吐き出すと工藤は笑みすら浮かべた。

「だがな、世の中には善人面で悪事を働く奴等がたくさん居る。新港開発の原もそうだ。うちが手を引くと言った途端、他の組を雇おうとしたくらいだからな」

 その言葉に顔をこわばらせた鍛冶に、工藤は心配するな、といった風に手を振った。

「安心しろ、お前の後ろ盾になった岸田さんは今や本家の若衆頭だ。あの人が手を出すなって言った物件だ。今更、原に手を貸そうとするようなバカは、ここいらにゃ居やしねえよ」

 工藤は幾度も血の混ざった唾を吐き、その毎に顔をしかめながら続ける。

「権力者なんてのは、その最たるものだろうな。気をつけろ、お前の居る建設会社は目立っている。出る釘は打たれるってヤツだ」

「何を教えてくれようとしてるのだ」

「これ以上は話せん、と言いたいところだが、俺みたいな下っ端じゃあ、大したことは知らされてないってのが本当のところだ。お喋りが過ぎたようだな、俺の気が変わらんうちに早く行け」

 そう言うと工藤は鍛冶に背を向け、防波堤を北に向かって歩き出した。


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