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十三

「新港開発か、訊いた事がある。地元のヤクザと組んで、あちこちの地上げをしているそうだ。こんな辺鄙な土地でも別荘地としてならバカみたいな値段で買うのが居る。まあ、そのお陰で我々の仕事も繁盛しているんだがな。そうか、あいつも一緒だったのか」

 腕を組んだ大山が、深く椅子に背を預けて言った。

「ええ」

「で、どうするつもりだ? いくらお前が元東洋太平洋チャンピオンでも拳銃やポン刀を持った連中を相手にしてちゃあ、命は幾らあっても足りんぞ」

「そんなつもりはありません。しかし、あのままではいつか怪我人が出ます。連中はわざわざダンプを乗りつけては駐車場で方向転換したり、夜のうちに門の外に土砂を積み上げていったりと嫌がらせを繰り返しているんです。土砂の山には私も気付いてホームの人達に聞いてみたのですが、私を巻き込みたくないと思ったのでしょう。施設の改修のためだという返事でした。先ほどようやく本当のことを語ってくれました。子供達は怯えきっています。それで大山社長のお知恵を拝借出来ないかと思って相談した次第です」

「警察には行ってないのか?」

「警察も役場も、その程度では取り締まれないと言ったそうです。奴等も心得たもので、犯罪すれすれの所で手を引かせているようです。ですが法を逸脱せずとも許し難い行為は存在します。弱者は泣き寝入りしろと言うことなんでしょうか」

 ふうむと、唸って腕を組んだ大山が険しい表情で語る。

「毒は毒を以て制すという言葉がある。聞いたところじゃ、あの地回りは金州会っていって、坂口組の末端組織だそうだ。上部組織に知り合いでも居れば話は早いんだが、生憎、俺はあちらの世界とは縁を切ってい。、奴等が勇み足で建物でも壊してってくれれば訴えようもあるんだがな」

 坂口組か、困ったことがあったら言ってこいといった岸田の顔が鍛冶の脳裏に浮かんだ。

「新港開発はデベロッパーとは名ばかりの不動産ブローカーらしい。ヤクザを使って安く買い叩いた土地を別のデベロッパーに売り、その利鞘で食っているそうだ。利鞘と言えどモノがモノだからな。バカにはならん金額だ。だからこそ金州会も尻尾を振っているんだろうがな」

 大山の読みは鍛冶が想像したところと大きくかけ離れてはいなかった。怪我人が出るまで手をこまねいて見ている訳にも行かないが、岸田に頼み事をするのも気が引けた。大山の言う通り連中の勇み足を待つしかないのだろうか。思案に暮れる鍛冶に現場主任の桜井が美穂子からの電話を告げにきた。

「カズ君、お願いっ! すぐにホームに来て。恵理ちゃんがダンプから撒かれた砂利の下敷きになったの。ホームの車はその砂利で外へ出られないし、救急車は事故で出払ってて四十分はかかるって言われたわ。砂利を飲み込んでいる様子で、すぐにでも病院へ――」

「すぐ行く」

 美穂子の意図を理解すると、鍛冶は受話器を置いて車のキーを掴んだ。

「案じていたことが起きてしまいました。子供が怪我をしたそうです、出掛けます」

「おい、救急病院がどこにあるのか知っているのか」

 大山の声に我に返った鍛冶はドアノブを握ったまま首を振った。

「俺も行こう。桜井、ここを頼むぞ」


 幸い恵理の飲み込んだ砂利は少量で、全ては吐き出せなかったものの命に別条はないと言う。看護士にあやされて笑う恵理の横顔を見て、胸を撫で下ろすと同時に激しい怒りが鍛冶の内にこみ上げきた。

「奴等の事務所はどこにあるんだ?」

「知らないわ、いつもあっちが勝手に来るだけだし……あ、この間の名刺に新港開発の住所は書いてあったかも知れない」

「待て、鍛冶。お前、俺の話を聞いてなかったのか。相手はヤクザだぞ。平気で刃物を振り回す連中だ。お前一人が行ってどうなるもんではない。いつもの冷静さを取り戻せ」

 大山の言葉から鍛冶の意図を感じ取った美穂子も、慌てて鍛冶の袖を掴む。

「だめよ、行っちゃあ。事情聴取に来た警察にも話はしたわ。今度こ、何とか手を打ってくれるはずよ」

 そう言う美穂子だったが表情は冴えない。

「警察は何と?」

「ホームの管理はどうだったのかって聞かれた。あの通りの子でしょ? その恵理ちゃんから目を離した私達にも責任はあるって。新港開発には確認してみるが、ダンプのナンバーでも覚えていないとなると、知らないと言われたら――」

 そこで言い淀んだ美穂子は悔しそうに噛みしめた唇を緩めると、こう続けた。

「手の打ちようがないって言ってた。直接、ダンプと接触した訳でもないし、怪我も大したことはないのだろうって」

 専門用語で言うところの軽度精神遅滞児である恵理がナンバーなど覚えているはずがないではないか。何とかしなければ――鍛冶の中で切迫した想いだけが膨らんでゆく。

「いつだって連中の腰は重いもんだ。ひょっとすると原に鼻薬でも嗅がされているのかも知れんな。その子も眠ったようだ。宿舎に戻って善後策を考えよう」

 大山自身、会社を軌道に乗せるため様々な軋轢に苦労をしたという。作業中によく聞かされた権力の構造が鍛冶の脳裏に蘇る。ヒエラルキーの上方に位置する連中に富みと幸せがもたらされる限り不平等はなくなりはしない。いつだって損をするのは弱い者ばかりなのだ。

「君はどうするんだ?」

「容態の急変でもない限り、明日には帰っていいって言われてるの。朝までついてるわ。お願い、軽はずみな真似だけはしないでね」

「しないよ。また電話をしてくれ、迎えに来る」

 大山に促され病室を後にする鍛冶の顔には、ある決意があった。


――条件があるそうだ。お前は手を引いてそこから去れ。組織の大小の違いはあれ、俺達はメンツで生きているようなもんだ。たった一人の堅気の衆にシノギを潰され、はい、そうですかと、すごすご引き下がる訳には行かんのだよ。俺が責任を持ってホームには手出しさせないようにする。あの女性が居るんだな。

「おわかりになりますか」

――そうでもなきゃ、俺に頼みごとをしてくるお前ではないだろう。何も永遠に逢うなって訳じゃない。そのうちに金州会の連中も忘れるさ。暫くの間、姿を見せないようにしろ。それが守れなきゃ俺にも奴等を抑えておく約束は出来ん。

「わかりました。こんな私のために面倒をお掛けします。いつかお役に立てる機会があれば声をお掛け下さい。私に出来ることなどたかが知れているでしょうが」

――気にするな。お前はこちらの世界に住める人間ではない。損得なしで付き合える友人のために力を貸すだけだ。忘れずに居てくれて嬉しかったぞ、元気でな。

「ありがとうございます」

 姿は見えずとも、電話の向こうの岸田に深く頭を下げる鍛冶だった。


 工事も完成し宿舎の撤去が行われる中、鍛冶は若鮎ホームの院長室に居た。

「ホームの無事を約束してもらいました。ニ度と連中が現れることはないでしょう」

「何とお礼を申し上げばよいのやら。しかし、一体どんな方法で――」

 当然の質問だったが、ただ黙って首を振るばかりの鍛冶の様子から、口に出来ない事情を院長は察した。

「とにかく、これで子供達も安心して過ごせます。ありがとうございました」

「院長先生に美穂子を拾っていただかなければ、こうして逢うことが出来たかどうかすらわからないのです。私に出来る精一杯のお礼です。どうかお気になさらず」

「安藤先生や子供達にも教えてあげよう、一時間ほど外します。高木先生、宜しく頼みますよ」

 院長は席を立って行った。気を利かせてくれたのであろう。


「――その条件を受け入れる約束だ。しばらくは逢えない」

「カズ君……」

 ここを離れることはできないと言った美穂子だったが、鍛冶が訪ねてくれるホームの暮らしに幸せを見出し、これが永遠に続いて欲しいと願う気持は彼と同じだった。胸が潰されそうな想いに言葉が詰まる。

「頼みがあるんだ。君がうんといってくれないと私はここを去れない。脅迫といってもいい」

 口にした言葉とは裏腹に穏やかな表情でそう告げると、茶色の枠線が入ったA3サイズの用紙を茶封筒から取り出す。〝夫になる人〟欄と、〝証人〟欄は、すでに書き込まれている。婚姻届だった。

「恩のある人にこう言われたことがある。人が何かを手にするためには何かを捨てねばならないとね。だが、君は私の全てなんだ。君を失う訳には行かない、結婚してくれないか」

 世の中には様々な形の恋愛があり、結婚生活がある。ひとつ屋根の下で暮らしていてもいがみ合う夫婦も居れば、こうして二年間離れていても私達は信じ合えていた。単身赴任をしていると思えばいい。鍛冶はそう考えていた。思ってもみなかった提案に、美穂子は驚いて顔を上げる。そこにはにこやかに笑いかける鍛冶の顔があった。

「情けない話だが、最後に務めた会社を辞めて以来、私は住民登録をしていない。君の住所地であるここでなら受け付けてくれるそうだ。離れていても一緒に居ると感じられる。それに今はまだ見習いの身分でね、給料も安い。子供達がここを巣立って君を迎えに来れるようになるまでには一人前になっておくよ。どうだろう、こんな甲斐性のない私では、君の夫として失格かな」

 美穂子は鍛冶の胸に顔を預ると涙にむせびながら何度も首を振った。


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