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箱庭  作者: 藤臣 阿古夜
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第二章・帰宅

長いトンネルを抜けてしばらくすると、見慣れた街のネオンが視界に映り始めた。

ここまで来ると、自宅までの最寄り駅まではほんの少しである。

いくぶんほっとした裕子は、手荷物をまとめ始めた。缶の入ったコンビニ袋の口を結び、棚の上からボストンバッグを下ろすと、そのなかへ雑誌を入れた。

財布のなかの切符を確認し、到着までの時間を過ごした。

例によって駅到着の際にアナウンスが流れることはない。

電車の減速を感じた裕子は、そろそろ駅に到着することに気づき、荷物をもって乗降口へと向かった。

 

途端、空気は新鮮なものに変わり裕子は軽く深呼吸をした。

だが服や髪についた車内の臭いは消えることはなく、早くシャワーでも浴びようと裕子の気持ちを急かせた。

減速から停車へ。見慣れた駅のホームも人は疎らで、数えるほどの利用者が列ぶ程度だった。

駅に降り立った裕子は、エレベーターを利用し一階に下りると、改札口を抜けて駅前に出た。

閑散とした駅前にはタクシーは数台留まるのみである。

ふと空腹をおぼえたが、さっと冷凍庫のなかに保存してあるものを思い浮かべると、そのまま歩き出した。駅から自宅であるマンションまでは、徒歩十分弱の距離である。

寄るところがない限りは、歩いて帰ることにしていた。

近距離はドライバーによっては嫌がられる。場合によっては何時間も待機することがあると店の客に聞いていた裕子は、ボストンバッグを肩にかけ、片手にはハンドバッグを持ち、街路樹を歩き始めた。

缶の入ったコンビニ袋は、駅の空き缶入れに放り込んである。

だが身軽になったとはいえ、肩にかけたボストンバッグは数日分の着替えなども入っていて重い。

もう一度かけ直すと、歩を進めていった。

裕子の住むマンションは、丸居町というところにある。駅からも近いため、閑静な住宅地とは言えなかったが、それでもマンションの周りは数々の住宅やマンションで占められていた。

駅前から通じる大きな通りから一本入り、パン屋の角を曲がるとサンハイツというマンションがある。

三段ほどの階段からエントランスに入ると、郵便受けを確認し部屋へと向かった。

裕子の部屋は一階の左端、入ってすぐのところにある。部屋は全部で八部屋あり、二階建ての鉄筋作りである。

エレベーターはなく、二階へは裕子の住む部屋の横の階段を利用する仕組みとなっていた。

裕子はハンドバッグから鍵を取り出すと、開けようとして手を止めた。

コツコツと聞こえる足音の主は、隣に住む吉水だった。

Tシャツにジーンズ、髪は後ろに一くくりという簡素な格好だが、口元のほくろが妖しい雰囲気を醸し出している。

夜は近くの工場にて夜間のパートをしているとかで、日曜日に帰宅するとほぼ廊下で会うことが多い。

子供はまだ小さいようだが、マンション購入のために夜は旦那さんに子供を預け、実入りのいい夜間の仕事をしているとのことだった。

吉水とは出先のスーパーで会ったりするなど、よく挨拶を交わす仲である。

「こんばんは。今帰りですか?」

裕子はいつも通りの挨拶を吉水にかけた。

だが吉水は、

「ええ…」

とだけ言葉を返すと、そのままドアを開け部屋に入ってしまった。

普段ならば二言三言かわす会話はなく、裕子は戸惑った。

なにかあったのだろうか。そっけない吉水の態度に首をひねりながらも、裕子はドアを開けた。

隣からは起きていただろう子供の声が聞こえる。

隣との壁は比較的厚いものの、夜は響く。だが子供は躾されたのか騒ぐことはない。

ドアを開けた裕子は、壁のスイッチをまさぐった。

だが手応えはあったものの、玄関の電気がつくことはなかった。

「あれ?」

何度かスイッチを押したが、電気のつく気配はない。先日通帳を確認した限りでは、電気料金は引き落とされいたため、携帯を開くと液晶の明かりでブレーカーを確認した。

だがブレーカーは上がっていなかった。

電球が切れたのかもしれない。そう思った裕子は、ひとまず部屋に入ろうと歩を進めた。

そのとき、部屋履きがないことに気づいた。

「スリッパどこだっけ」

そのとき裕子は出かける前のことを思い出した。

本屋のバイトが終わったあと、老夫婦と長話をして慌てて帰宅して仕度をしてすぐ駅に向かったのである。廊下に履き捨てたのだろうと解釈した裕子は、携帯の液晶の明かりを頼りに廊下を進んだ。

向かって左側がトイレとバス、洗面台があり、右側に台所、奥に二間続きの洋室がある。

荷物を肩から下ろし、なかば引きずる形で廊下を進んだ裕子がドアを開けた瞬間、その先にある光景を見て驚きのあまり声が出なかった。

そこには、あるべき物の姿がなにもなかった。

ホームセンターで気に入って購入した白いソファーを始め、テーブルやテレビ、棚や飾られた小物類まで見当たらない。

液晶の明かりでざっと見回し、そのまま奥の引き戸を開けたが、あるべきはずのベッドや衣装たんすまでもがきれいに消えていた。

「どういうことなの」

それだけを口にするのがやっとの裕子だったが、液晶の明かりだけでは心許ない。

ボストンバッグを床に置くと、壁のスイッチを押した。だが明かりがつくこともなく、自分の周りにぼんやり光があるだけだった。

居ても立ってもいられず、裕子は押し入れを開け、台所やバス、トイレを確認した。

だが、まるで貸し出す前の部屋のように、あるべき物はすべてそこにはなかった。

台所の流しには、出かける前に置いた食器類もなく、蛇口からも水が出る気配はない。

「なにこれ!泥棒!?」

悲鳴に近い声がなにもない部屋に響く。

こうしてはいられないと、裕子は警察に通報しようとダイヤルを押しかけたとき、開け放されたままの玄関から声が聞こえた。

台所から出ると、そこには隣人の吉水の姿があった。「よっ…吉水さん!」

慌てて駆け寄ると、吉水は一歩退き言葉を発した。

「なにがあったの?」

裕子はもどかしさに口がもつれながらも、この状況を伝えた。

一部始終を聞いた吉水は頷くと、「電話してくるから」と玄関から出て行った。裕子は吉水のそっけない態度に疑問を感じつつも、ありがたいと思った。

吉水に状況を伝えるのも一苦労である。この状態では警察に伝えようにも上手く伝えられる自信がなかった。

再び一人になった玄関で、裕子は呆然と立ち尽くしていた。

空き巣にしても、これはひどい。家のなかの物をねこそぎなんて犯行は聞いたこともない。

ましてや、流しに置いた食器類もねこそぎである。

衣装たんすにしても、持ち運ぶときに音がしなかったのだろうか?何人かでの犯行であり、吉水ならばなにか手がかりを聞いたのかもしれない。

そう思った裕子はミュールを履くと、廊下へ飛び出した。

その瞬間、なにかにぶつかる衝撃とともによろめきそうになった裕子は、腕を捕まれていた。

そこから視線を移すと、その先には二階に住む青年の姿が映った。タンクトップに短パン、そして短く刈り込んだ髪型に手には袋が掲げられている。

「田崎さん!」

田崎と呼ばれた青年は、そっと手を離すと、玄関から部屋のなかを覗き込んだ。「これは…」

そこまで言いかけた田崎の顔は、見る見る間に青ざめていった。

瞬間、田崎は裕子の腕を掴むと走り出そうとした。

「来るんだ!」

状況に思考がついていかない裕子は、とっさに腕を振りほどこうともがいた。

「ちょっ…いったいなんなの?」

だが田崎は、そう言う裕子の言葉に耳を傾けることはない。

「ここにいてはいけない!早く!」

なおも走り出そうとする田崎の力に逆らおうとした裕子は、ミュールが脱げるのを目にした。

「なにするのよ!」

だが、田崎はそれに構うことなく、廊下をひた走り二階へと続く階段を上がっていった。


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