風が止んだ日、線が動く
風の国・クローバー。
そこでは「風」が人の命と同じくらい大切にされていた。
風が吹く限り、国は秩序を保ち、風が止めば――すべてが乱れる。
そんな朝、風が止んだ。
祭りの日に起きた異変とともに、レオンの“数字”が露わになる。
追われ、逃げ、出会う――
それは、この世界の“線”が再び動き出す瞬間でもあった。
その朝、クローバーの国に風が吹かなかった。
旗は垂れ、風車は止まり、鳥は声を失った。
人々は口を閉ざし、空を仰ぐことさえためらった。
――風の国で風が止む。それは“神が沈黙した”印だと、誰もが知っている。
広場は花と布で飾られていたが、どれも宙で固まったように動かない。
レオンの隣で、リスティアが花籠を抱え直す。指先がかすかに震えていた。
「こんな日は、百年に一度もないって言われてるの」
「……そんなに?」
「うん。だから、みんな祈る。風が戻るように」
巫女の詩歌が始まる。けれど、その旋律は祝いというより寂しく感じた。
レオンは胸の奥のざわめきを誤魔化すように、ふいに口を開いた。
「ねえ、この国にも“数字”ってあるの?」
「あるよ。生まれた時の風で決まるの。
数字は“その人の流れ”――役目、性質、立つ場所を示す」
「へえ……」レオンは素直に頷き、無邪気に言ってしまった。
「僕は“4”なんだ、“4”はどんな役目があるの?」
空気が凍る。花を配っていた老女の手が止まり、近くの子どもが母の袖を握る。
視線が一斉に集まった。
「……“4”? 本当に?」
「そんな数字、ここには――」
「消えた風だぞ」
リスティアの顔から血の気が引いた。彼女はレオンの手を掴む。
「レオン、ここじゃだめ。来て」
二人は裏路地へ走る。石畳が湿っていて、足音だけがやけに響いた。
「“4”はね、異なる流れをひとつにしようとする“交わる風”って言われてる。
でも、それはこの国では禁じられてるの」
「混ざることが、そんなに悪い?」
「“秩序が壊れる”って、上の人たちは言う。……私は、そうは思わないけど」
言葉の隙間を、遠雷のような轟音が裂いた。
風の塔の上から黒煙が上がる。怒号、悲鳴、祈り。人波が奔流のようにあふれ出す。
レオンとリスティアは急いで広場にもどった。
広場では混乱が渦巻いていた。
「風が怒った!」
「神が沈黙を破った!」
そしてレオンに誰かが指を突きつけた。
> 「あの子だ! さっき自分は“4”って言ってた!」
憎しみと恐怖の視線がレオンに刺さる。
「違う、僕じゃない!」叫びは、群衆のざわめきに飲み込まれた。
「そこの女、すぐにそいつから離れろ!」
兵士が押し寄せ、リスティアの腕を掴む。
「逃げて、レオン!」
「でも君が――」
「いいから!」
レオンは振り返らず、風のない森へ駆けた。胸元のダイスが、痛いほど熱を帯びる。
*
勢いのまま走ったレオンは森にいた。
森は静かだった。静かすぎた。
息を整えた瞬間、背後から気配が跳ねる。
「……止まれ」
黒いコート、黒く塗られた仮面。月明かりを吸い込むようなその男が、ひと息で懐に入る。
冷たい指がレオンの胸元を掴んだ。
「それを――どこで手に入れた」
ダイスのネックレス。男の手が触れた瞬間、白い面が眩しく光る。
男は一瞬、手を離した。
カン、と乾いた金属音。
闇から閃いた小さな刃が、黒い仮面の頬をかすめた。
「そこまでにしておけ。……“風の国”に血は似合わない、まぁお前らには関係ないかもしれないが」
木陰から現れたのは、白銀の仮面をつけた男。
その仮面は、ハートで処刑された男のものと同じ型――ただし壊れていない。
黒と白、二つの仮面が向き合う。
黒は舌打ちし、森の闇へ溶けた。
静寂。白銀の男は振り返りゆっくりと仮面を外す。
いつも笑っているように細められた目。柔らかな声。
「……怪我は?」
「え……あなた、ゼル?」
「やぁ。荷台に勝手に乗ってた坊主に、また会うとは」
行商人――ゼル。レオンは思わず肩の力を抜いた。
ゼルは落ちた小さな刃を拾い、親指で撫でる。
「“断線”……動きが早い」
「断線……?」
「立ち話はやめよう。人目のない所へ」
*
連れて行かれたのは、森の奥に眠る小さな倉庫だった。
薬草、布、金属片、古びた地図。どれも行商人の持ち物に見える。
だが奥の壁に、交差する二本の線の紋章が刻まれていた。
「ここは?」
「**繋線**の隠れ家だよ。表向きは商い、裏では“線”を整える」
「線を……整える?」
「分かたれた線を、もう一度結ぶ。
国も、数字も、名前すら越えて。……昔、そうしようとした人がいた」
ゼルはランタンを少し近づけ、レオンの胸元を見た。
「そのダイス。どこで手に入れた?」
「ハートの塔の中で。……仮面の男が持ってた」
ゼルの瞳が、月影のように揺れた。
「やはり。あの人のものだ」
「あの人って……」
「――ジョーカーだ」
レオンは息を呑む。喉の奥が熱くなる。
「でも、あの人は……処刑された」
「ジョーカーには、“欺く力”がある。
見せたい姿を見せ、望む真実を人々に“見せてしまう”。
だから――あの処刑は、本物じゃない」
「……本物じゃない?」
「人前で捕まるような人じゃない。
“死”を演じて、線の外へ消えた。あの人らしいやり方だ」
レオンの手の中で、ダイスがかすかに光る。
四角い石の四面に刻まれた紋が、灯火を受けて淡く浮かぶ。
「繋線と、さっきの黒いのは?」
「断線。線を断ち切って新しい線を引き直すと信じる連中。
目的は似ていても、やり方が違う。……だから、今は敵だ」
ゼルは白銀の仮面を手に取り、静かに続けた。
「“線は分かたれ、また交わる”。俺たちの古い言葉だ。
君が“4”だと知った時、街が震えたろう。
“4”は交わる風。ここでは恐れられる。
でもな、交わらなければ、新しい流れは生まれない」
レオンは黙って頷いた。胸の鼓動が少し落ち着く。
ゼルは肩の力を抜いて笑い、いつもの調子に戻る。
「さて。腹、減ってないか? 乾いたパンくらいはある」
「……うん。少しだけ」
「食べながらでいい。君に話したいことは山ほどある。
そして君が見なきゃいけない線も、な」
ゼルが棚から包みを取り出す。
その瞬間、外の風鈴が小さく鳴った――風はないはずなのに。
レオンは窓の外を見た。
止んでいたはずの空気が、ほんの少しだけ動いた気がした。
ダイスが、白く息をした。
読んでいただき、ありがとうございます。
風が止まった瞬間、クローバーの「数字の真実」と、
レオンの“4”が持つ特別な意味が少しずつ浮かび上がりました。
そして今回、ついにリエンとラプチャーという
この世界を裏から動かす二つの“線”が登場しました。
どちらが正しいのか――その答えを決めるのは、まだ先のこと。
次回、第9話ではリエンの拠点で明かされる「ジョーカーの真実」と、
レオンの新たな決意が描かれます。
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――TQ.




