導かれた花の少女
風の国、クローバー。
そこは祈りと穏やかさに満ちた、美しい国だった。
けれど、その「穏やかさ」は、
いつも風が吹いていることが前提の“平和”だった。
ハートの国を離れ、初めて外の世界に足を踏み入れたレオン。
自由の風に胸を躍らせながらも、
彼はまだ知らない――この国の風が、どれほど重い意味を持つかを。
風の音が止むとき、世界は静かに変わり始める。
風が、街を染めていた。
門を抜けた瞬間、レオンの頬を柔らかな風が撫でた。
ハートの国では感じたことのない、湿り気のない風。
空には白い雲が流れ、街全体がゆるやかに呼吸しているようだった。
家々の屋根には白い布が張られ、通りには風車と風鈴。
布が揺れるたび、光が反射して地面を淡く照らす。
まるで風そのものが、街を守っているかのようだった。
人々は穏やかに笑いながらすれ違い、
互いに小さな声で「今日の風は優しいね」と言葉を交わす。
それは挨拶であり、信仰でもあるように思えた。
――ここが、クローバーの国。
レオンは胸の鼓動を感じながら、
ハートとは違う空気に戸惑いつつも、心のどこかで安堵していた。
塔も兵士の監視もなく、人々が自由に笑っている。
けれど、その“自由”がどこか均一で、同じ形をしているように見えた。
通りの真ん中で鐘が鳴る。
その瞬間、人々が一斉に立ち止まり、風の吹く方角へと膝をついた。
風が吹き抜け、鈴の音が重なり、街全体が祈りに包まれる。
そんな光景をみたレオンはゆっくりと歩き出した。
宿を探すが、どこにも料金表も看板もない。
尋ねた老人には笑われた。
「泊まる場所くらい、風に聞けばいいのさ」
「……風に聞けって、どうやって?」
苦笑いしながら通りを曲がると、
風がひときわ強く吹き、髪を乱した。
目の前には、白い花を飾る小さな店。
風に揺れる花を整えている少女が、ふとこちらを見た。
淡い緑の瞳。
髪に結ばれた羽飾りが風に揺れ、陽を受けて淡く光る。
「……迷ったの?」
静かな声。
けれど、その声には不思議な安心感があった。
「えっと、宿を探してて……」
「そう思った。風があなたを追いかけてたから」
そう言って少女は微笑み、花のかごを手に取った。
「ついてきて。風の道を知ってるの」
レオンは言葉も出ないまま、その背中を追った。
*
街の中は風の音であふれていた。
帆のような屋根が擦れ、風鈴が響く。
人々の声は小さく、でもその代わりに風が語りかけてくるようだった。
「この国ではね、風が“機嫌”を持ってるの」
「機嫌?」
「うん。笑う風の日は平和。怒る風の日は、みんな家にこもるの」
「じゃあ、今は……」
「優しい風の日」
少女はそう言って、風に指先をかざした。
その仕草があまりに自然で、レオンは見とれてしまった。
やがて二人は、石造りの宿にたどり着く。
入口の上では白布がゆらめき、「風の宿ルフェリア」と刻まれていた。
中に入ると、木の香りがして、どこからか風が吹き抜けてくる。
窓辺の風車が静かに回り、壁に光の模様を映していた。
受付の女性が柔らかな笑みで迎え入れた。
少女が一歩前に出て言う。
「この子、風が運んできたの。今日はここに泊まるべきだって」
女性は少しだけ驚いた表情を浮かべたが、
「風がそう言うなら、そうしましょう」と鍵を差し出した。
部屋に入ると、レオンは息を吐いた。
「ありがとう。助かったよ」
少女は微笑みながら首をかしげる。
「お礼なんていらないよ。風があなたをここに連れてきただけ」
「……君は?」
「リスティア。花屋で働いてるの。明日は風の祭り。時間があったら、広場に来て」
リスティアはそれだけ言うと、
風の流れに乗るように静かに去っていった。
*
夜。
風が、止んだ。
クローバーの国で風が止むことはめったにないという。
宿の中では誰もが息を潜め、
外では小さな祈りの歌が響き始めた。
レオンは胸元のダイスを握る。
ほんの一瞬、白い光がこぼれる。
――また、光った。
その光は、風のない部屋でひときわ鮮やかに揺らめいた。
リスティアの声が頭の奥で微かに聞こえた気がした。
“風がざわつくときは、誰かが真実を隠してる”
レオンは窓の外を見つめた。
祈りの歌の向こう、風のない夜の闇の中で、
確かに誰かがつぶやいた。
――「異国の光が、風を乱している……」
*
翌朝、街はざわついていた。
広場の噴水前には人が集まり、
「祭りは中止かもしれない」「風がまだ戻らない」と声が飛び交っていた。
空気は重く、昨日までの明るさがどこかへ消えていた。
レオンは宿の外に出て、風のない空を見上げた。
「……本当に、風が止んでる」
風鈴も、風車も、ぴたりと動かない。
その静けさが、街全体を息苦しくさせていた。
そこへ、リスティアが駆けてきた。
顔には焦りが浮かんでいる。
「レオン、見た? 風が戻らないの」
「戻らないって……風が止まるとどうなるんだ?」
「この国の風は、命と同じなの。風が止まると、花も枯れる。……人の心も」
彼女の声が震えた。
「そんなこと、今まで一度もなかったのに」
その時、遠くで鐘が鳴った。
重く、鈍い音。
いつもの清らかな響きではなく、
まるで――警告のようだった。
群衆がざわめき、風の塔の方を振り返る。
空には黒い影が走り、
塔の頂に、ひと筋の煙が立ち上った。
「……あれは……?」
リスティアが息を呑む。
レオンの胸の奥で、ダイスが再び淡く光った。
――風が止まる時、何かが動き出す。
*
「異国の風が……入り込んだのだ」
塔の上で、誰かがそう呟いた。
そして、風の国の静寂が崩れ始めた。
*
その頃。
街の外れにある風の庭園。
人々の祈りが届かない静かな場所で、
一人の上級民が倒れていた。
服は乱れ、頬には掠れた血の跡。
そのすぐそばには、
長いコートをまとった人物が立っていた。
風がないはずの夜なのに、
その裾だけがゆっくりと揺れている。
ふと、月の光が差し込んだ。
仄暗い影の中、
その人物の耳で、四角いピアスが微かに光った。
――誰も、その光の意味を知らない。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第7話では、クローバーの国という“新しい秩序”と、
風に導かれて出会った少女リスティアを中心に描きました。
穏やかに見える国ほど、どこかにひずみがある――
それを感じ取るような一話になったと思います。
風が止まるという異変、
そしてレオンの胸の光が再び輝いた意味。
次回の第8話「風の祭り」では、それらの謎が少しずつ繋がり始めます。
物語が動き出すこのタイミングで、
ブックマークや感想で応援してもらえるととても励みになります。
――TQ.




