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数字がすべてを決める国で、僕は“4”として生きている  作者: TQ.
ハートの国

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5/9

静かな別れ、遠い風

別れは静かに訪れた。

失うものが多すぎて、胸の奥がまだ痛い。


けれど、その痛みの中でしか掴めない“決意”がある。


父との最後の会話。

ガイルの友情。

リリアの祈り。


それぞれの想いを胸に、レオンは“数字の国”を後にする。

そして風の向こう、クローバーの国へ――。


第5話「静かな別れ、遠い風」。

新たな世界への一歩を描きます。

 朝の空気が、昨日までと違っていた。

 同じ街路、同じ石畳、同じ鐘の音――それなのに、胸の奥が冷たい水の底みたいに沈んでいる。


 仮面の男はいない。

 リリアも、もうここにはいない。


 いつもと違う朝が始まる、外へ。


 そう決めて、荷をまとめはじめた。

 替えのシャツを一枚、乾いたパンを二切れ。

 黒い石のネックレスを胸にかけると、四角い石の底面が、布越しに微かに温かく光った。


 背で、紙のこすれる音がした。

 「……レオン」


 父の声だった。いつもは朝でもほとんど口を開かない人が、珍しく僕の名を呼んだ。

 椅子が軋む音。机の上には、提出されていない報告書の束。

 ペンの先に乾いたインクが残っている。


 「父さん……僕、旅に出る」


 驚いたように、父の手が止まった。

 僕は一息ついて、これまでのことを全部話した。

 森の塔で出会った仮面の男のこと。

 あの男と過ごした時間で感じたこと。

 リリアの涙、ガイルの葛藤、そしてこの国の“数字”という鎖のこと――。

 言葉があふれるように、僕の口から出ていった。


 父は何も言わなかった。

 ただ、ペンを握ったまま、じっと僕を見ていた。

 その沈黙が、どんな言葉よりも重かった。


 やがて父は立ち上がり、奥の部屋へと消える。

 ほどなくして、古びた布包みを手に戻ってきた。


 「これを持っていけ」


 包みを開くと、使い古された一本のペンが入っていた。

 木軸には小さな傷がいくつも刻まれている。

 握ると、体温を帯びて、胸の奥まで静けさが広がっていく。


 「……これは?」

 「母さんのだ」


 その言葉に、胸が熱くなった。

 もうこの世にいない“母”のことを、僕は深く知らない。

 けれどこのペンを握った瞬間、どこか懐かしい温もりを感じた。


 「止めないんだね」

 「もう決めたことなんだろ。決めたなら、揺らぐな」


 その言葉が、まっすぐに僕の心に刺さった。

 「……ありがとう」


 玄関の扉を開けると、風が頬をなでた。

 父の姿は見なかった。ただ、背中に何か温かいものを感じた。


 *


 家の中に静寂が戻る。

 窓の外には、白い光が射し込んでいた。

 父はゆっくり椅子に腰を下ろし、机に手をついたまま、ふと目を閉じ、息を吐くように呟いた。


 「……ミア」

 そして、もうひとりの名を――「セリス」


 その声は風に溶け、報告書の上に落ちた。

 頬に、涙の跡が光った。


 *


 東門へ向かう路地の角で、ガイルが待っていた。

 「……本当に、行くんだな」

 「行くよ」


 僕がうなずくと、ガイルは苦笑いを浮かべて言った。

 「どうやってここ抜けるんだ?」

 「……考えてなかった」

 「だろうな」


 肩をすくめながらも、ガイルの目は優しかった。

 「門の検査が厳しい。だけど行商の荷はもう終わってる。……あとは、門番の注意をどう引くかだ」


 僕は何も言えず、ただ見つめた。

 そんな僕を見て、ガイルが小さく笑った。

 「お前の目を見てたら、応援したくなったんだ。悪いことだってわかってる。でも、それでも……応援したくなった」


 「ガイル……ありがとう」


 「礼なんていらない。うまくやれ」

 そう言って、ガイルは拳で僕の肩を軽く叩いた。


 *


 門前は、市の喧騒でにぎわっていた。

 荷車の列、兵士の鋭い視線、パンを運ぶ子どもたち。

 朝日が金色の刺繍に反射してまぶしい。


 ガイルは何気ない様子で門番に話しかけた。

 訓練の話、昨日の巡回の話――いつものように。

 そして、次の瞬間、足をもつれさせて、荷箱にぶつかった。


 「うわっ!」


 木箱が倒れ、干し草が舞う。

 周囲の視線が一斉に集まり、門番が駆け寄る。

 その隙に、僕は荷の背後へ滑り込み、麻袋の影に身を沈めた。


 心臓の音が大きく響く。

 (行ってきます)

 誰にも聞こえない声で、僕は呟いた。


 門が開く。車輪が石を噛む音。

 隙間から見えたのは、ガイルの顔。

 (いってらっしゃい)

 唇がそう動いた気がした。


 *


 紅の塔の階段を、リリアが静かに登っていた。

 白い布を抱え、胸には小さな“2”の刺繍。

 踊り場の窓から、遠くの門が見える。

 誰かが転び、荷車が動き出した。

 やがて門の外へ消えていく列。


 リリアは立ち止まり、胸の前で指を組んだ。

 声にならない祈りが溶けていく。


 *


 積み荷の列が、東の道を進む。

 森を抜けると、風の匂いが変わった気がした。

 道の先には、柔らかな光に包まれた大地が広がっている。


 そこは――クローバーの国。


 四方に広がる草原、澄んだ空気、歌うように揺れる風。

 人々は穏やかな笑顔で言葉を交わし、街の広場では子どもたちの歌声が響いている。

 けれどその穏やかさの奥に、どこかひんやりとした静けさが漂っている。


 荷車の上で、行商人が笛を吹くように口をすぼめた。

 風が彼のマントを揺らす。

 そして、誰も気づかないように――口の端がゆっくりと上がった。


 その笑みが意味するものを、まだ誰も知らない。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


ハートの国編、ひとまず完結です。

この章では、レオンが初めて「誰にも頼らずに自分の意志で動く瞬間」を描きました。

その一歩の裏にあるのは、父の静かな愛、ガイルの覚悟、そしてリリアの祈り。


それぞれが“正しさ”と“優しさ”のあいだで揺れている――

そんな人間らしい想いを感じてもらえたら嬉しいです。


次回からは、レオンがたどり着くクローバーの国の物語。

そこでは、ハートとはまるで違う“秩序とやさしさ”の形が描かれます。


もし気に入ってもらえたら、ブックマークや感想をいただけると励みになります。


――TQ.

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