紅の国の朝
数字が、人の価値を決める。
それが当たり前だと思っていた。
生まれた瞬間に刻まれる“数字”は、その人の一生を支配する。
住む場所も、食べるものも、結婚相手さえも。
この国では、それが“秩序”と呼ばれている。
けれど──もし、数字よりも大切なものがあるとしたら?
これは、そんな世界の片隅で“4”として生きた少年の物語。
彼の名はレオン。
紅の塔が支配するハートの国で、
ひとつの“違和感”からすべてが始まる。
この世界に生まれる者は、皆「数字」を持って生まれる。
それは胸の奥に刻まれた光であり、人の価値を決めるものだ。
けれど、数字の意味は国によって違う。
クローバーの民はそれを“風の調べ”と呼び、
ダイヤの民は“能力の値”として扱う。
スペードの民は“魂の記憶”として黙って受け入れる。
──だが、ハートの国は違った。
この国では、数字こそが“神の選別”だった。
高い数字は祝福、低い数字は罰。
*
鐘が四度鳴る。
赤い街並みが、ゆっくりと息を吹き返す。
“4”以下の者が働きに出る時刻。
レオンは扉を開け、湿った朝の空気を吸い込んだ。
土と煙の混じった匂い。
路地の奥では、パン屋の煙突から白い煙が上がっている。
家の中では紙の音がした。
父が机に向かい、無言でペンを走らせている。
数字を検査し、記録し、報告する──検査官という職。
「行ってきます」
レオンが声をかけても、父は顔を上げなかった。
けれど、ペンの音が一瞬だけ止まり、また動き出す。
それが、この家での「いってらっしゃい」だった。
*
通りはもう人であふれていた。
パン屋の軒先では「七級麦!」「五級卵!」という声。
数字が値段でもあり、品質でもあり、誇りでもある。
人々は数字を口にするたびに、自分の立場を思い出す。
“4”のレオンは、胸を張りすぎると生意気、
下を向きすぎると卑屈──その中間で歩くのが礼儀だった。
北の空には、紅の塔がそびえている。
塔の上には老王アルガスが住み、
「秩序こそが平和」と、毎朝の布告で繰り返す。
塔の影が街を横切るたび、人々は自然と背筋を伸ばした。
陽の当たる道は上級民のもの、影は下級民のもの。
「おい、“4”が真ん中歩くな」
背後から兵士の声。
レオンは立ち止まり、軽く頭を下げた。
兵士の胸の刻印は“8”。
そのプレートが陽に反射して眩しい。
「……すみません」
兵士はもう興味を失ったように通り過ぎていく。
その背中を見送りながら、レオンは静かに息を吐いた。
これが、この国で生きるということだった。
*
学校は、丘のふもとにある。
その頂にそびえる“紅の塔”を、
生徒たちは遠くから見上げながら通うのが日課だった。学校の灰色の石壁には数字が刻まれ、
教室の入り口には「秩序十二」と金文字が掲げられていた。
教師は数字の刺繍が入ったローブを纏い、
授業のはじめに生徒たちは声をそろえて唱える。
「数字は神の光。数字は心の形。
我らは数字に従い、数字に導かれる。」
レオンも口を動かす。だが声は喉の奥で止まった。
机の下で、ぎゅっと拳を握る。
「レオン、“4”なら“4”らしくしろ」
教師の声。
クラス中の視線が集まる。
その中で“6”のガイルが、口の端を上げた。
レオンは静かに視線を下げた。
──“らしく”って、なんだろう。
数字で性格まで決められるなら、
自分は誰のものなんだ。
*
授業が終わると、外は夕焼けだった。
紅の塔が光を受けて燃えるように輝く。
影は長く伸び、人々の顔をゆっくりと染めていく。
「おーい、レオン!」
坂の上から手を振る声。ガイルだった。
短く刈った髪、鋭い目。
その後ろで小柄な少女──リリアが笑っている。
「また怒られてたじゃん。数字の形、違ったんだろ」
「少し間違えただけだよ」
「数字を間違えるのは罪だぞ?」
ガイルは笑ったが、その目は真面目だった。
兵士を目指す彼にとって、数字は秩序そのものだ。
「もう、やめてよ……」
リリアが小さく声を出した。
“2”の刻印を持つ彼女は、何をするにも怯えている。
「平気だよ、リリア」
「でも、先生言ってたよ。“数字を乱す子は秩序を乱す”って」
レオンは空を見上げた。
塔の旗が赤く染まり、風に動かない。
美しいのに、どこか息苦しい。
「数字を間違えたくらいで秩序が乱れるなら、
この国の秩序って、案外弱いのかもね」
ガイルが鼻で笑う。
「お前、そういうとこが危ないんだよ。“4”のくせに」
リリアは困ったように微笑んだ。
「レオンの言葉、なんか好きだよ」
その一言が胸の奥で静かに響いた。
数字では測れない何かが、
確かに心のどこかにあった。
塔の影が、三人の足元をゆっくりと包んでいく。
夕風が止み、鐘が鳴る。
夜が来る音だった。
レオンは目を閉じた。
この国の音は、いつも数字で鳴っている。
そして、彼の心の奥で
まだ名もない違和感が小さく灯った。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第1話では、ハートの国の「数字に縛られた日常」を描きました。
数字が人を測る世界で、レオンが感じたわずかな違和感。
それは、物語全体の始まりでもあり、
やがて彼を“紅の塔”の外へ導くきっかけになります。
次回は、レオンが「ある男」と出会います。
壊れた仮面をつけ、静かに暮らすその男との邂逅が、
レオンの運命を大きく変えていくことになります。
もし少しでも気になる部分があったら、
ブックマークや感想を残してもらえると励みになります。
――TQ.




