第九話 お兄様
「——なので、お母様ったら私からその狩人の本を取り上げまして」
「それはそれは。良い思い出ですね」
「はい、とても」
クスクスと笑い合いながら大聖堂に向かう道中。今話していた話題は、ルシーナが『狩する人になりたい!』と宣言し、母親にそう思った原因の本を取り上げられた話だ。
ルシーナとしても、男性としても、それは面白い話題となった。
「あ、着きましたね。こちらがベーレズド大聖堂です。キラキラしてて、美しいですよね」
ステンドグラスが窓なため、透明な窓がないのだ。平民や庶民が近寄りがたいというのは、貴族として分からないというのが心苦しいが、仕方がないと済ましている。
「ふむ………活かせそうだな」
「え?」
「あぁいや、なんでもありません。この大聖堂は神秘的な雰囲気を漂わせ、思わず足を踏み入れそうですね」
とても男性が褒め称えるので、ここの相談役兼神官の妹として、少し照れくさい。私の兄も、こんな風に色々と褒められるようになったら……と思ったのは内緒だ。
「そうだ! 入りますか?」
名前は知らないので、「入りますか」としか言えないのがもどかしい。
だが男性は微笑みを浮かべて、こくんと頷いた。
「こんにちは。お兄様は居ますか?」
「ルシーナ様。はい、兄君はあちらの部屋に」
「いつも通り、定位置ですね」
神官に兄の位置を聞けば、彼は苦笑しながら右手にある部屋を指差した。あの兄のことだろうから、また隅っこで引きこもっているのだろう。
兄は結婚などの手続きを済ましてくれる役目の者だ。なので、離婚届は兄へ出せば良い。
(でも、あのお兄様が神官をやるなんて)
信じられない気持ちになりながら、ルシーナ右手の部屋に向かった。
だが、向かおうと一歩進んだ際、男性の方を向く。
男性は先程の神官と何やら話していた。内容から察するに、シエル王太子のことだろう。だが、シエル王太子を見せて良いのだろうか。
「えぇっと。どのような、御用件でしょう」
「あぁ。隣国の者なんだが、漆黒の髪に紫に近い黒色の瞳の男を探しているんだ」
サクッと用件を伝えた男性に、神官は微笑みながら言う。
「では、こちらで少々、調べておきます。それで、もう隣国にお戻りされているという可能性は………?」
「いやぁ………、ないと思うんだ。一応、隣国も調べてもらえると助かる」
「分かりました。調べておきます」
こういう相談も、うちの大聖堂は受け付けているから便利だ。男性の方は大丈夫そうね、と思いルシーナはそのまま兄のいる部屋に離婚届の入ったファイルを持って向かう。
「入っても、宜しいでしょうか」
ノックと共に入室の許可を促すと、兄の許可する声が聞こえてきた。
許可を得て、ルシーナは「お兄様、居ますか?」と言いながら入ったが、そこに兄の姿は見当たらなかった。
だが、ルシーナは驚かない。そのまま隅っこに視線を移す。
「こんにちは、お兄様。窓口的な人なんですから、ちゃんとしてくださいね」
「ルシーナ。それよりも、今日はなんのようで来たの………?」
クリス・リリィ・エースロール。ルシーナの兄だ。
ルシーナと同じ薄墨色の髪と、群青色の瞳。容姿端麗だが昔からこの人見知りのせいで人を受け付けない感が出過ぎていて、皆『勿体無いですね』と哀れな視線を向けられていた張本人である。
「えぇ。問題です。この中に入っているものは、な〜んだ」
「いきなり何が始ま———っ⁉︎」
呆れたように視線を上げ、ルシーナが掲げているファイルの中を覗き込めば、クリスはカッと目を見開き「おい嘘だろ」と呟いている。
「答えはなんですか。クリスお兄様」
「これ………、離婚届じゃないか!」
立ち上がりルシーナの肩をガシッと掴まれた。ちょっと痛い……。
だが、微笑みながらもルシーナは口を開く。
「ぴんぽ〜ん。正解です、お兄様」
見事クイズに正解した兄に、ルシーナはその届を出す。
だが、クリスは全然嬉しそうにしていなかった。当然だ。実の妹が一度は結ばれた男と離婚しようとしているのだから。
「おい。これ、他人の離婚届じゃないのか………!」
「なんで人の離婚届を持って来なくちゃいけないのですか。違いますよ」
真面目にボケる兄に妹が適切な突っ込みを入れる。
それを聞いたクリスは、ドヨンとした雰囲気を漂わせた。少し申し訳ない。
付け足して、離婚届にはルシーナのサインとリーフクのサインがされてある。これではもう、他人の離婚届とは言えないだろう。
「慰謝料、まだ貰ってないんですよ」
「は? お前が何かしでかしたんじゃないのか」
「違いますよ、失礼な。うんうん、普通に最低ですね」
「っゔ………」
頷いて冗談も含めそう言ってみると、兄は項垂れた。この人が真剣に相談を受けているところを見てみたい。見学して良いだろうか。
「あの方が、他の女性を妻にしてたんです」
「は、はぁああああああぁ⁉︎」
「うるさいですよ、クリスお兄様。大聖堂ではお静かに」
いつまでこの兄を注意しなければいけないのか。ルシーナは内心クリスのように項垂れつつ、「早く話を進めましょう。あの方とは一秒でも早く離婚したいの」と言った。そのことに、兄は目を見開いて呆気に取られていた。
「お前、リーフク様を愛していたのでは?」
「いやいや、浮気されてまで好きになるほど私は優しくないので。それにですね、あの方は他の女性を妻にしてなお私に言う勇気がなかったんですから、私が問い詰めて白状させたまでですので。国の一夫一妻の法律も守んないのですもん、それ相応の罰を下してくださいね」
この国の法律は、一夫一妻。それは誰もが分かっていることだ。
それなのに、それを破り二人の妻を持っていた彼は、幽閉かそれ以上だろう。
「お前が一人で来たには、何か理由が?」
「え? いけませんでしたか?」
ルシーナが首を傾げていると、クリスははぁと重い溜息を吐いた。
「まず、離婚手続きは関係者と話し合わなければならない。この国ではそうだ」
「え? そ、そうなんですか。でも私一人で来ちゃった」
離婚届の入ったファイルを悲しげに見ながら、ルシーナは現状を理解する。離婚届はあるが、それでも最終的には関係者全員と話し合わなければならない。だがルシーナ一人で大聖堂へ来てしまった。
(もう、会いたくないのに)
そう思った後、リーフクに問い詰めて分かったあのことを思い出した。
リーフクは、相手の女性が何も知らないと言っていた。
その女性はどうなるのだろう。
「あの、お兄さ———」
「だから、関係者全員を大聖堂に呼ぶ。覚悟しておいて」
「………………ぇ」
間の抜けた声を上げながらも、考え納得する。
最終確認とも言われるものは全員で行う。だがルシーナは一人で来てしまった。だったら、その全員をベーレズト大聖堂に呼べば良い。
(でも、だからって………心の準備が!)
もう二度と会わないと思っていたリーフクと会うし、彼の浮気相手とも会うのだ。心の準備が必要ではないか。
「二階の談話室で待っていて」
「は、はい!」




