第三話 使用人たちの元女主人
ルシーナが公爵邸を去った後の使用人たち目線です。
ソフィアとルシーナが楽しく雑談をした翌日。
ルシーナは真冬の日だというのに薄着で外に出ていた。
その手には昨日準備された鞄がある。
(寒い……。でも大丈夫。これは“けじめ”のようなものなんだもの。あったかい服は鞄に入ってあるし、そんな変わらないけれどお髪も結わないでいるから、少し、ほんの少し暖かい。大丈夫、大丈夫)
自分に言い聞かせているルシーナの手足は震えており、足の力を抜くと冷たい真っ白な雪へと膝から崩れ落ちてしまいそうだった。
ルシーナはもう屋敷も見えないところまで来ているが、そんなルシーナの行った方向をずっと、立って見ている使用人たちがいた。
「「ルシーナ様、お元気で……」」
使用人たちは声を合わせてそう言った。
ルシーナは、使用人皆の名前と顔を覚えていて、侍女が渋みのある紅茶を淹れてしまった時、執事が失敗を犯してしまった時でも笑って「大丈夫」と返してくれた。
使用人たちの間では、まさにルシーナは理想の主人だったのだ。
そんなルシーナは今リーフクの浮気のせいでこの公爵邸を出てしまった。理想の主人で、使用人たちが敬愛しているルシーナ。
無論、ルシーナは自分がどれほどこの公爵邸で人気だったか知らない。
使用人がルシーナを忘れないよう心に刻みながらルーペが居るであろう方向を見ていると、一人の料理人がポツリと呟いた。
「ルシーナ様が、この公爵邸に来たのがいつだったかも、覚えていないな」
「……………」
その呟きは全員に聞こえているが、皆は黙ってその言葉を噛み締めているだけ。
これからは、リーフクだけが主人となる。
女主人であるルシーナは、もう居ないのだ。
リーフクとルシーナは、政略結婚であっても仲睦まじく幸せな両想い。……だと、使用人たちは皆思い込んでいた。
ルシーナとリーフクはいつでも何処でも仲が良かった。ルシーナは頬を赤く染めて、リーフクを愛おしそうに見詰めていた。
リーフクは柔らかく微笑み、ルシーナの頭をよく撫でていた。
ルシーナの侍女たちは使用人の中でも特にルシーナと仲が良く、時にはリーフクとの恋愛絡みで軽く揶揄ってみたこともあった。
それがいつからだろう、二人の関係が変わったのは。
ルシーナは前みたいにリーフクを見付けたら話し掛けるのではなく、避けるようにその場から立ち去ることが多くなった。
侍女が理由を聞いてもルシーナは寂しく微笑み「大丈夫」と言うだけ。
使用人たちは、ルシーナの「大丈夫」という言葉が好きだった。その言葉で救われた使用人はどれだけ居るだろう。
だが、リーフク絡みの「大丈夫」は使用人は好きではなかった。むしろその逆。
使用人という主人に仕える人間は、主人に逆らうことは出来ない。
だからもし、リーフクがルシーナに何か言っていたとしても、決してリーフクを責めることは出来ない。
でも、話を聞くぐらいなら……という夢を持ってしまったのも事実。
だから侍女の一人は聞いてみたのだ。
『ルシーナ様、何かリーフク様のことでお悩みがあるのですか? もしあるのならば私以外でも良いのでお話しくださいませね? 皆、ルシーナ様が好きなのですから』
『ありがとう、気持ちだけ受け取っておくわ。これはわたくしたちの問題なの。いくら侍女というわたくしが最も信用している貴女でも話せない』
『……そうですか。ですが辛くなったら、その胸の奥に溜まっている言葉たちを吐き出しても宜しいのですよ? 私はいつでも愚痴を聞きますから』
『愚痴って……。でも、そうね。ありがとう』
リーフク絡みの悩みではないと否定しなかったルシーナ。
……そう。二人の関係の原因は全て、リーフクにある。
浮気。
その言葉は最初ルシーナに聞いた時、使用人は胸がドクンと大きく鳴った。
リーフクが浮気など考えられない。だって、二人は周りからどう見ても仲睦まじく幸せな両想いだったから。
でも、もしもそれが演技だったのなら?
リーフクの浮気について語っていたルシーナは、今にも泣きそうな表情をしているも、無理に笑顔を取り繕っていた。
だったら、使用人たちが考えられるのはただ一つ。
リーフクだけが、演技をしてルシーナ以外の妻を持っていた。
何故。二人は幸せそうに微笑んでいた。それが変わった日は? 覚えていない。
『目撃者はわたくしのお友達。一人だけならまだしも、何人も見てわたくしに報告しに来てくれている。わたくしは怖いから見れないけれど、証人は何人も居るの』
何ヶ月か前、ルシーナの友人が侯爵邸に来る人数が一時的に増えた。
そして毎回人払いがされるため、使用人たちは不思議に思っていた。
だがそれは、リーフクが浮気をしていると目撃した報告だったのか。
使用人たちはあまりの衝撃に言葉を失う。
もしそうだったら、自分たちはリーフクを許せないだろうと。
使用人たちはそう思うもルシーナのために何も出来ず、今に至る。
「……これから、どうしますかね」
執事長が呟く。
ルシーナはこの極寒の領地を抜けたら教会に向かい、離婚届を出すはずだ。そうなると被害者であるルシーナには何も罰は下されないが、リーフクには国外追放か謹慎処分が下されるだろう。だったら自分たちは何処へ行けば良い?
すると一人のメイドが決心したような声音で言った。
最初に、ルシーナに悩み事を尋ねた時の侍女だ。
「私は、実家に戻るわ。それで新しく職場を探す」
「そうね、私もそうします。本当はルシーナ様と共に行きたかったけれど、もう姿は見えないし、行ったところで足手纏いになるのは目に見えているもの」
他の使用人たちも同じ意見で、力強く頷く。
「——さて! では最後になる仕事を頑張りますか!」
「「はい!」」
庭師の言葉に皆は元気良く頷く。
そして、湿度だけが暖かい公爵邸に戻るのだった。
ありがとうございました!
この使用人たちは、とっても頼り甲斐がありそうですね。