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月下屍跳  作者: 平井みね
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「おせぇよ」


 少年の声が響き渡る。随分と自信に満ちた、不遜な声音だった。

 王貴(おうき)はゆっくりと目を開けた。直後、鈍い打音が響くと共に、僵尸(きょうし)の巨体がぐらりと傾ぐ。前につんのめったその先で、待ち構えていたのは桃瑞である。よろめく僵尸の顔に、少女はお札を貼り付けた。


「眠っていてください」


 桃瑞(とうずい)がそう言うと、僵尸は膝からくずおれた。すると、露わになる小柄な少年の姿。彼はさも得意げに、にんまりと笑みを浮かべていた。彼――花清はいつの間にか僵尸の背後に回り込んでいたらしい。あの、ほんのわずかな間に。なんという身体能力、そして戦いっぷりだろうか。僵尸だとしても、それにしたって強い。

 ふいに、王貴の頭の片隅で、『花清』という名前が引っかかった。何かに思い当たった感じがしたが、はっきりとは思い出せない。当の少年を見やれば、彼は鼻をひくつかせている。


「これで終わりっぽいな。どうだ、桃瑞」


 花清が、少し離れたところで、辺りをしきりに探っている桃瑞に呼びかけた。桃瑞はすぐには答えずに、しばし周囲の茂みをきょろきょろと見渡していた。彼女は、占いで使う式盤のような物を手にしていた。占いで使われる物より小さいが、おそらくあれもお札と同じように僵尸退治に使う道具なのだろう。


「うん。もういないみたい」


 やがて、そう言いながら振り返った桃瑞は、安心したかのように頬を緩ませていた。もう、僵尸はいないらしい。王貴も辺りに頭をめぐらせてみた。確かに、音は何もしないし臭くもない。ささやくような夜鳥の低いさえずりが響き渡る、平和な夜の山道である。

 しかし、次々と現れた僵尸のことを思うと、王貴の胸中に心配がよぎる。


「本当に?」


 王貴が問いかけた途端、花清の表情が渋くなった。


「お前、桃瑞のこと疑ってんのかよ」

「そ、そういうわけじゃないよ」

「花清」


 桃瑞がたしなめるような少し強い口調で言うと、花清は大人しく黙りこんだ。しかし、目を(すが)めて王貴を見つめるその表情からは、これでもかと不満がにじみ出ている。王貴は花清から視線を逸らした。


「しっかりと気配を探りましたので、大丈夫です。もう僵尸はおりません」


 桃瑞が笑いながら言った。桃瑞のさっぱりとした笑顔を見て、王貴はやっと安堵した。本当に、もう心配はいらないようだ。


「そう。よかった……」


 深く息を吐きながら、王貴はつぶやいた。全身から力が抜けてゆく。やっと、緊張や恐怖から解き放たれた。そう脱力した途端、とげとげしい少年の声が飛んできた。


「つうかさぁ、なんでお前はこんな夜に、こんなところにいたんだよ?」


 ぱっと顔を向ければ、琥珀色の瞳とぶつかった。夜闇の中でもくっきりした、強い光をたたえる瞳。安堵した心がはたまた強張り、王貴はさっと顔を背けた。加えて、後ろめたさも感じていた。花清の疑問は最もだ。こんな夜に山道をふらふらしているなんて、普通ではないだろう。それに、それはあまり褒められたことではない。けれども、王貴としてはやむにやまれぬ事情があった。ぐっと拳を握りしめながら、王貴は答えた。


「……薬を、もらいに行ってきた帰りだったんだ。夕方、弟の具合が悪くなって。でも、うちの村には病気にくわしい奴がいないから……。峠を越えた先の隣村の庄屋さんのところまで、薬をもらいに行ったんだよ」


 日が傾いてから、体の弱い弟の調子が悪くなってしまったのだった。明日の朝一番で隣村まで走った方が安全ではあったが、苦しそうに咳き込む幼い弟を見ていたら、王貴はいても立ってもいられなくなってしまったのだ。危険とは思いつつも近道だからと獣道を通ってしまったのも、はやる気持ちを抑えられなかったためである。

「そうだったんですね。……花清」

「おう」


 桃瑞と花清のそんなやり取りが聞こえた、その直後。人の気配を感じて王貴は振り向いた。すぐそばまで花清が来ていた。一体何事かと思った瞬間、彼は突然王貴をひょいと肩に抱え上げた。


「な、何するんだよ!」

「大人しくしてろ。急いでんだろ」


 いきなりの出来事に混乱し、王貴は大声を上げた。だが、花清は問答無用で腕に力を込めて王貴を押さえつける。


「お家の方角はどちらですか?」


 桃瑞が問いかけてくる。この状況で家の方角を聞くだなんて意味が分からない。しかし。


「ほら、さっさと答えろ」


 強い口調で花清が言う。訳が分からなかったが、答えた方がよさそうだと判断し、王貴は思案した。

 抜け道を通って、そこからさらに道をそれた。暗いせいもあってここがどの辺りかははっきりしないが、辿った道程を必死に思い返し現在地を予測する。


「たぶん、北の方だと思う」


 ようやっと王貴が答えると、桃瑞は「北ですね」と一つ頷き花清を見やる。


「花清、この方を北にあるお家まで送ってください。落としちゃだめだよ」

「了解」


 花清ははっきりと応じると、王貴を抱えたまま跳んだ。と思いきや違った。花清はそのままぐんぐん上昇してゆく。跳んだのではなく、飛んだのだった。翼も何もないというのに。

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