聖母様は料理が上手
翌日、爽太が目を覚ましたのは、けたたましく鳴り響く聞き覚えのある着信音だった。
腕を伸ばしてスマホを掴むと、そっと拒否ボタンを押す。
再び夢の世界へ入ろうと毛布をかぶるとすぐに同じ着信音が鳴り響き、仕方なく爽太は体を起こした。
「うるせぇなぁ」
苛立ちつつも画面に目を向けると、見覚えのある画像。
今度は着信ボタンに指を伸ばす。
「おはようバカ」
「朝の一言目がバカってイカれてんのか?お前」
聞き覚えのある声。今聞くと妙に殺したくなる声。
相手は小樽恋治だった。
「バカ、一言目は『おはよう』だったろ。ったくお家デートで、大事なもん色々落っことしてきたんじゃねえのか?」
「かもなぁ。いやホント最高だったわ。特に……」
「あ~、うるさい。うるさい。惚気は今度、本題だけ話せ」
「つれないなぁ」
「土日は平日分もしっかり寝るって決めてんだ」
「はいはい。んで、本題は……っとなんだっけ」
半ばふざけ気味に訊いてくる。
本当に殺してやろうかと思ったが、ギリギリ理性が踏みとどまってくれた。
「知ってるわけねえだろ」
「あぁ。そうそう。繭を迎えに行くから昼には起きてろよって話だった」
「ソレだけのために電話したのか?」
「コレくらいしなきゃお前、起きないじゃん」
反論しようと思ったが確かに一理あったので口が閉じてしまう。
「んじゃ、また昼」
と、いつぞやのお家デート当日の電凸と同じ事をされて最悪のスタートで一日が始まった。
着替え終えて欠伸をしつつリビングへ足を運ぶと、繭が昨日の食器を洗って待っていた。
「あ、」と情けない声を出しながら、繭に近づく。
そう言えば、自分の食器をまだ洗っていなかった。
まさか、と思い彼女の手元を見ると案の定、自分の使った茶碗や鍋、調理器具がキレイに洗われていた。
「流石にコレくらいはさせてください」
「あ~うん、ありがとう」
「昨日は散々迷惑かけちゃいましたし、これくらいは当然です」
もう過ぎたことなのに申し訳無さそうな表情を浮かべている。
「てか、風邪は治ったのか?」
「治りましたよ。いつもよりは遅いくらいですけど」
そう言い繭はニッと笑い力こぶを見せてくる。
だが、肝心のコブは無く、白くモッチリとして、艶のある肌が見えた。
「これで遅いのか……」
と疑心を含んだ声が漏れ出る。
彼女を疑う訳じゃないが、一日未満で直る風邪なんて、相当体調管理をしっかりするか、そもそも風邪じゃないかの二択しかありえない。
だが、彼女は嘘をつくような性格ではないし……きっと前者なのだろう。
「そんなことより、朝ご飯はどうするんですか?見たところ昨日の残り物はないようなのですが……冷蔵庫か冷凍庫にあったりしますか」
朝食が無いのを心配して繭が訊いてくる。
「冷蔵庫も冷凍庫も使えないから1日分しか作らないんだ」
「使えない?」
繭は少し訝しげな表情を浮かべている。
「前に、使ったことがあったんだけど、悉く腐らせちゃって……」
腐臭を冷蔵庫中に染み込ませてしまって冷蔵庫内を除菌しまくったのはいいトラウマだ。
以来もうやらないと心に決めている。
「なら、どうするんですか?」
「作るか、コンビニかインスタントかな。元々朝食は食べないし……」
「食べ……ない……?」
「いっつも起きる時間が遅いから自然と食べるヒマがなくなって気付いたら食べない方向で体が慣れてしまったってことだな」
はぁ、とため息交じりの声が繭から漏れる。
「別に私には関係ないのですが、食べたほうがいいですよ」
「それは重々承知してる」
「で、今日はどうするんですか?」
やや怒り気味な口調で訊いてくる。
食べない方向でいこうと思っていたが、この流れで断る勇気は爽太には無かったので食べる方向にシフトチェンジした。
「なら、インスタン……嘘です」
インスタントを手にとって彼女に視線を送ると顔が鬼のような形相に変貌していた。
(簡単かつ、美味しくて最高なんだけどなあ。)
「体に悪いんですよ?インスタント食品って」
「まぁ、はい」
一旦、元の棚にインスタントラーメンを戻す。
痛いところを突かれた。
確かにインスタント食品は簡単かつ美味しい食品を口にできるのだが、その反面、健康には本当に良くない。
実際、世の中にはこの食品を食べすぎて重篤な状態になった人もいるらしい。
ソレを知っているから一応、節度をもって食べてはいるのだが、知らない繭は許してくれそうに無かった。
「なら、作るかな……」
渋々そう答えるといつもの聖母の顔に戻り、嬉しそうに尋ねてくる。
「私が作ってもいいですか?」
「え?」
「お返しにと思って……食べたくないのなら別にいいのですが」
爽太が困惑したのは繭が作る朝食を食べたくないわけではない。
むしろその逆で、彼女の料理を食べれるなんて露も思っていなかったことからだった。
彼女の料理は有名で、調理実習の際に繭の料理を同じ班の連中が食べたところ「一生食べれない味」だと称賛し、あわよくばタッパに詰めて持ち帰ろうとしていた。と耳にしていたので、驚愕の方で硬直していたのだ。
「いいのか?」
「もちろん!お返しができないままなんて嫌ですから」
コレでは恋治からもらおうとしていた分まで返済されてしまいそうだが、断る理由もないのでお言葉に甘えておくことにした。
*
彼女をキッチンに置いて数十分。
ソファに腰掛けてスマホを見ていると不意にふわりと、美味しそうな香りが鼻腔に侵入してきた。
ふと顔をあげると一仕事終わった繭が満足げな顔で額の汗を拭っている。
そして、コチラの視線に気がつくとコッチコッチと言わんばかりに手招きしてきた。
「コッチが、夜用でコッチが明日の朝用です」
繭が二種類のタッパに指をさしてそう言ってくる。
「は?」
爽太は一瞬虚をつかれて硬直した。
「要するに、作り置きです」
「頼んでないんだが……それに、冷蔵庫だって腐らすだけだし……」
冷蔵庫での失敗談はさっき話したはずなのだが、聞いていなかったのだろうか。
「いえ、別に冷蔵庫で冷やす必要はありませんよ。常温放置で結構です」
「腐らないのか?」
「そんな短時間で腐る料理なんか作りません」
「なんで……」
「冷蔵庫で放置したら腐らすんですよね? そんな話聞いたら作れませんでした」
繭は少しがっかりそうな表情をしている。
「まぁ、何はともあれ朝食ができたわけですし食べてください」
そう言って、盛り付けられて出てきたのは、味噌汁に主菜、焼き鮭とその他もろもろで一汁三菜をしっかりと網羅している健康的な朝食だった。
昼夜問わず、基本的に男一人のガサツ飯だったからか見栄えの良さも噛み合って胃がキリキリと締め付けられているような感覚に陥ってしまう。
心なしかキラキラのエフェクトも掛かっているような気がするがコッチは本当に気のせいだろう。
「いただきます」
まず初めに、一際輝いている鮭に箸を入れてみることにした。
スッと身に箸が通り、そのまま口に運ぶとホロッとほどける。
塩加減も丁度良く同じ鮭とは思えないほど最高の出来栄えだった。
しかも、いくらほぐしても骨が出てこない。
(骨が出てこない? だと……)
「刺身用のを買ってたのか……」
骨が出てこないのは昨日の買い出しで間違えて少し値の張る刺身用の鮭を買ってしまったのかと少し落胆していると隣の繭が首を振って否定してきた。
「それ、普通の鮭ですよ」
「ゴホッ!!」
冗談じみたことを言われて咄嗟に喉が詰まってしまい、味噌汁を急いですする。
コッチも美味しかった。
個人的に最強だと思っている豆腐とネギの味噌汁で落ち着く味がする。
喉の詰まりを解消しほっと一息ついて、流石に嘘だとを思い繭の方を向くと、机に頬杖をたてながらピンセットをヒラヒラと見せつけて微笑んでいる。
(え。マジ?)
てっきり間違えて値の張る刺身用を買っていたのだとばかり思っていたのだが違うらしい。
「冗談じゃないですよ?」
「あの短時間でなせる所業じゃないだろ」
と言うより、よくよく考えればしっかり者の彼女が刺身用の鮭をわざわざ焼くわけがない。
「凄いなお前……」
「まぁ、それほどでもないですよ」
謙虚な繭だったが、誇らしげに笑みを浮かべて鼻を鳴らしている。
気づくと繭が用意した朝食は完食しており、最高の朝食だった。
あれが、きっと「一生食べられない味」なのだろう。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様です」
食器を下げて今度こそ自分で洗う。
繭も「洗います」と言ってはくれたがそこまで働かせるとリターンのほうが大きくなってしまうので、大人しくリビングで待たせることにした。
皿が洗い終わり、ソファに寝転がり一息つくと、食後の睡魔がやってきて爽太は繭を置いて再びうたた寝をかましてしまった。
*
「おいバカ起きとけって言ったろ」
うたた寝からの覚醒は恋治のアラームだった。
横目で掛け時計を確認すると時計の針は12時を過ぎている。
どうやら寝過ぎてしまった所為で恋治との約束の時間をすっぽかしてしまったらしい。
ゆっくり恋治の方を向くと恋治の顔には呆れの感情が浮かんでいる。
「うわ、ごめん」
「まぁ、いつものことだし良いけどよ。んじゃコイツ回収してくな」
ぼやけた視界の中、恋治が繭を連れて帰るところだけが確認できた。
回収って物みたいに……とは思ったがその言葉は声には出ずに脳内を駆け巡っただけだった。
その後、本日三度目の入眠に入り一日を無駄にして時間が過ぎた。
訂正。繭の料理を三食も食べることができたので損得の釣り合った一日だった。