第四章 ⑩
長く続いた梅雨もすっかりとあけ、体に染みる暑さが本格的な夏の到来を予感させる。
自身の部屋で研究に精を出していた桐秋であったが、そろそろ休憩をいれなければと机から離れた。
いつも言われている千鶴からの奥ゆかしいお小言が、どうやら自分の体にも染みついてきたようだ。
そのことを思うと無意識に口角が上がる。
縁側に出ようと、暑さ対策のため掛けられていた御簾を上げて外に出る。
薄暗かった室内から、急に晴れた縁側に出て、桐秋はまぶしさに目がくらむ。
手のひらで日の光を遮りながら目を細め、光に慣れるようそっと瞼を開ける。
そこに映りこんだのは、庭に水をまく千鶴の姿。
打ち水だろう。
少しはしゃぎ、笑顔で遠くまで水が飛ぶよう柄杓を扱っている。
その様子に桐秋は自然と頬を緩ませる。
そんな彼女は珍しく、明るい色の着物を着ている。
自身の研究のきっかけを話して以降、千鶴との会話も増え、同席する食事の席で彼女自身の話も少し、話してくれるようになった。
その会話の中で桐秋は千鶴が着物が好きだということを知った。
なんでも、骨董市などで売られている古着の中から、自分好みの着物を探し、手を加えて着るのが好きなのだという。
桐秋にはそのことが意外だった。
ここにきて数ヶ月、千鶴がそういった着物を着ているところを見たことが無かったからだ。
いつも着ているのは、木綿の地味な色の無地で、柄が入っていても単一な縞が描かれたもの。
さすがにそれが若い娘の好むものでないことは桐秋にも分かる。
仕事中ならばそれは正しいことではあるが、千鶴は休みもとらない。
前の看護婦などは、時々女中と交代で休みをとり、派手な着物や洋服でどこかに出かけたりしていた。
桐秋からも休むよう何度かすすめたが、やんわりと、しかしきっぱりと断られた。
それどころか千鶴は離れを長く開けることもしない。
ならばここでの時を少しでも快適に感じて貰おうと、千鶴が好きだという着物を贈ろう、と桐秋は考えた。
彼女がいつも自身にしてくれるように、桐秋も千鶴が少しでも喜ぶことをしたくなったのだ。




