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幸い(さきはひ)  作者: 白木 春織
第三章
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第三章 ③

 本の整理が半分を過ぎた頃、開けたままにしていた襖戸から、爽やかな風に運ばれて一枚の桜の葉が、桐秋の部屋に迷い込んだ。


 それはまるで出来過ぎたいたずらかのように千鶴の足元にひらりと落ちる。


 千鶴は大量に持った本で足元の視界が悪く、その存在に気づかず足を(すべ)らせ転んだ。


 千鶴の体重を受け、山積みになっていた本は雪崩(なだれ)を起こし、重なっていた書類は宙を舞う。


 できあがったのは書類と本の海に()かったなんとも珍妙(ちんみょう)な乙女の姿。


 その姿に桐秋はギョッとし、千鶴は一瞬の出来事に何が起こったかわからず、動きが止まっている。


 互いに事態を把握するためのわずかな沈黙。


 先にことを理解した桐秋の目は千鶴の足元に向く。

 

 そこにあったのは、踏まれて汁の出た桜の葉と、無残に破れた複数枚の書類。

 

 後者を見た瞬間、桐秋の中にわずかにあった千鶴を心配する気持ちが、たとえようのない怒りに押しつぶされる。


 千鶴を睨みつけ、青い炎のような高い熱を秘めた冷たい声で言い放つ。


「いい加減にしてくれ。もうほうっておいてくれ」


 千鶴は依然本にまみれ、茫然(ぼうぜん)としていたが、桐秋の言葉に慌ててその場に座り直し、膝の上で拳を作りながら、


「それはできません」


 と言う。


「桐秋様は病人です。きちんと療養・・・」


 桐秋は千鶴の言葉を途中で遮り、全身を突き刺すような眼光を千鶴に向ける。


「病人といって、私を縛り付けるのはやめろ。


 私は自分のことは自分でできる。


 君たち看護婦の手伝いは必要ない。


 食事だって、君たちの作る、味のない細かく刻まれたものではなく、普通の食事を食べることができる。


 なのに、なぜ奪う。

 

 桜病となってから、すべてを奪われ、ここに閉じ込められた。


 

 普通の生活も、大事な研究も。


 みな病気という名のもとに取り上げられた。


 あまつさえ、鯉の餌やりを体に(さわ)るといっていた看護婦もいた。


 君もそんな他の看護婦と変わらない。


 私を勝手に重度の病人と決めつけ接している。


 部屋から出ようものなら、行動を逐一(ちくいち)監視する。


 お独りでできますか、となにかにつけて言う。


 私を何もできない人間にしているのは君たちだ。


 そして今も、君は私の大切な研究を奪おうとしている。


 看護婦は看護だといえば病人からすべてを奪うことができるのか」


 桐秋は一気にそう言うと、久しぶりに声を張り上げたのか、少しせき込む。


 慌てて、千鶴は近くにあった水を差しだすが、桐秋は受け取らない。


 千鶴は水を手元に引き戻すと、桐秋の叫びに胸がいっぱいになる。


 口を引き結び、自分を含めた今までの看護婦達の行いを恥じた。


 今までここに来た看護婦達は、桜病が死に至る病というだけで、勝手に桐秋を重症患者と思い込み、自分たちの看護方法を彼に押し付けていたのではないか。


 その行為は桐秋の心を無視するものではなかったか。


 確かにこの一ヶ月、千鶴は桐秋とまともに会話することはなかった。


 けれども桐秋は自分でできることは、とりわけ丁寧にきっちりとこなしていた。


 千鶴が今まで接してきた患者と違い、衣服が乱れていることもなく、体が汚れているということもなかった。


 桐秋なりに自分のことは自分でできる、という無言の訴えだったのではないか。


 そしてそれは千鶴の目にもはっきり見えていたのだ。


 にもかかわらず千鶴は、それをくみ取ることができず、今までの患者と同じように介護や補助が必要だと勝手に決めつけ、何かにつけて手伝おうとした。


――反対の立場ならどうだ。


 いきなり不治の病と告げられ、動ける体を次の日からことごとく世話されるのだ。


 自分がみじめだとは感じないか。


 桐秋に手伝いを申し出た時、きっぱりと断ったのはきっとそのような思いもあったのだ。


――桐秋の訴えはもっともだ。


――看護婦養成所でも言われたではないか。


 一人一人に寄り添った看護があり、患者をよく観察して、見極めろと。


――自分は何を見ていた。


 千鶴は自身の不甲斐なさに泣きそうになる。


 けれども自身の情けなさで桐秋の前で泣くのはお門違いだ。


 抑えきれない涙をこぼれないよう、必死に瞳にためてこらえる。

 

 そんな千鶴の姿に、桐秋は頭にのぼっていた熱が、少しずつ冷めていく。


 それから間を置き、静かな声で出ていってくれ、と告げた


 千鶴はそれに素直に従い、部屋を静かに出た。


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