第二章 ④
――そこには、大きな桜の木が一本だけ立っていた。
千鶴の身長十人分、優に五十尺は超えているだろうか。
苔のみっしりついた太い胴体から伸びる歪な枝に、余すところなくついたほのかに透けるような薄紅の可憐な花。
不格好な巨木と端麗な小花。
一見すれば相反する二つのもの。
しかし、ここまで大きな木でなければ、愛らしい花はたくさんの花を咲かせられず、一方で朴訥な巨木も見目麗しい花がなければただの変木。
どちらがかけてもこの美は成り立たない。
それらが融合することで、えもいわれぬひとつの大きな花を形作っている。
千鶴はその壮大な美しさを捉えた瞬間、世界からそこだけを切り取られたように、桜と自分の存在しか認識しなくなった。
その気高く壮麗な花は、まるで自分がこの世のすべてだと言わんばかりに主張する。
多くの花が最も美しく咲く春にあって、人々の視線を天高く一心に集め、地上の花々に心を移すことさえ許さない。
この世界にある他の何かを見ようとしても見えないし、感じようとしても感じ取れない。
それほどまでにこの花は、千鶴に自分の存在を押し付け、千鶴も不思議とそれを受け入れている。
そんな麗しき女皇は、何の気まぐれか、腕を取れと言わんばかりに、千鶴の方に一本、枝をひときわ長く伸ばしていた。
その先端にも可憐な女王の子どもたちが咲いている。
千鶴がそろりと手を伸ばした瞬間、突風が吹き抜ける。
気位の高い花の女王ではあるが、風が少しでも吹こうものなら、微塵の躊躇いもなく、ますます美しく花を散らす。
しかし、今日の桜吹雪が生み出したのは、巣をつつこうとして蜂の群れが襲ってくるような花弁の大群。
まさに強襲という表現が正しい、凄まじい量の花びらが千鶴に向けられ、千鶴はそれらから守るように己の顔を手で覆った。
わがままな女王は、他人が子に触れることを良しとしなかったのだろうか。