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話し終わると、久司が言った。
「最低野郎だなそいつは。ってことは、志乃さんが新入社員の時から手をつけてて、三年前にまた入ってきたその女にも手をつけて二股してたってんだろ?で、三ヶ月前に志乃さんと別れてすぐ結婚か。しかも相手の女は何も知らずに、今回の無料企画が新婚旅行だって?どこまでもクズじゃねぇか。」
正俊も、頷いている。
志乃は、なんだか久司が怒ってくれるのが嬉しくて、胸がすく思いだった。
「…それでも、何も言えなくて。職場の人達は何も知らなかったし。一緒に仕事をするのもつらくて、二ヶ月前に辞めてしまったんです。何か言ってやろうと思ってここまで来たのに、結局隠れて見送った自分が情けなくて泣いてたら、藍さんが声を掛けてくれて。」
藍は、憤慨した顔で言った。
「やっぱ一言言ってやらないとね!オレも協力するよ。」
だが、相良が言った。
「…確かに君の境遇は哀れだと私も思うが、まだあちらの話を聞いていないからな。」皆が、固まった。相良は構わず続けた。「一度あちらの話も聞かねば、私には判断できない。事実だとしたらかなり人としてまずい奴なので、私もそれなりに対応したいが、今はそれを確約できないな。」
正論だ。
確かに初めて会ったばかりで、片方だけの話を聞いて、それで判断するのはまずいだろう。
だとしても、本人を前にそれを言うのか。
「お前なー空気読めよ。この子は嘘付くようには見えねぇだろうが。」
相良は、眉を上げた。
「君は人を見た目で判断するのか?」
久司は、グ、と黙る。
藍が言った。
「ええっと、とにかく相良が言うことも一理はあるから、オレの友達ってことにしよう?で、偶然その男と一緒になったんだ。それでいいんじゃない?絶対接触しようとするはずだよ、だって今の奥さんに知られたくないだろうしね。」
志乃は、相良の視線が気になったが、頷く。
「ありがとう…あの、じゃあ藍くんって呼んだ方がいいかな。」
四歳も年下になるのだ。
藍は、何度も頷いた。
「うん、それで。一緒に来たことにしよう。そうだ、設定を詰めよう。そっちの正俊さんも、一緒に来たことにしない?せっかく事情を知ったんだし。」
正俊は、自分もかと思ったようだが空気を読んで頷く。
「そうしよう。じゃあSNS繋がりって事に。その方が自然だろ?」と、志乃を見た。「志乃さん、ええと、そうだな、SNS繋がりで今回初めて会ったけど、前から友達だったってことで。」
藍が、うんうんと頷く。
「そうしよう!オレもSNS繋がりで!そしたら歳の差あってもおかしくないよねー。」
どんどん話が詰まって行く。
志乃は、回りを巻き込んで悪いなあとは思ったが、確かに一人で二人の新婚旅行と分かっていて企画に参加するなんて、ドン引き案件だ。
なので、二人に設定は任せて、それを覚える事にしたのだった。
そんなこんなで、相良以外とずっと話ながら三時間、そろそろ小さな島が近付いて来た。
相良は、別に機嫌を悪くしているわけでもないようだったが、それでも会話にそれほど入って来る事もなく、皆が話すのをただ聞いているだけだった。
志乃が気にして話題を振る度に、久司がこいつはいつもこんな感じだから気にしたらきりがないと言って、志乃を止めた。
相良は、あまり話題を振られるのは嫌いなようで、黙って聞いているだけの方が良かったようだった。
ジョアンが、迫って来る島を見て、言った。
「到着です。桟橋に着いたら、荷物を持って船を降りてください。私はここまでのご案内になりますので、このまま給油して引き返します。」
志乃は、え、と振り返る。
「帰りはどうなるんですか?」
ジョアンは、答えた。
「また十日後にお迎えに上がりますのでご安心ください。」と、船が桟橋に着くと、運転していた人がグイグイと縄を引っ張ってボラードに括り付けていた。「はい、どうぞ。先行していた船はもう、乗客を降ろして戻ったようですので、皆様もここから坂を上がって行かれまして、大きな門が見えてきますので、そこから入って行ってください。」
真っ暗な中で、遠くに見えるその建物はライトアップされて光っていた。
造りは洋館で、ちょっとしたホテルのような大きさがある。
高台にあるので、そこまでの坂道が厳しそうだった。
「うわー高い所にあるなあ。」藍が、志乃の気持ちを代弁するように言う。「さ、下りよう。足元気を付けてね、志乃さん。」
相良は、さっさと先に降りて行っている。
志乃は、躓かないように気を付けながら、その後を追って小さな船を降りた。
なだらかな坂が、ゆっくりとカーブを描きながら上へと続いている。
そこを、志乃、藍、相良、久司、正俊の五人で上がって行くと、正面に大きな鉄製の扉が見えて来た。
五メートルはあるだろう、高い塀の向こう側へと、抜ける扉のようだった。
「へえ…凄いね。ちょっとしたホテルだよね。ほんとにタダでいいのかな?」
藍が言う。
確かに、ここはかなり手の込んだ造りの場所だった。
五人が近付くと、何も言わないのにその鉄の扉がギギギと音を立てて向こう側へと開いて行った。
どうやら、自動式の扉のようだった。
「わあ…!」
志乃は、思わず声を上げた。
中には、イングリッシュガーデン風にアレンジされた庭があって、石畳が巨大な洋館へと続いているのが見える。
洋館は、近くで見るとまるでホテルのように、それは美しい建物だった。
「…何階建てだろ。」藍は、建物を見上げて言った。「近過ぎて木が邪魔だから見えないなあ。」
相良は、そんな中を何の感慨も無く入り口へと進んで行く。
久司がそれを追って歩いていて、志乃も遅れてはと急いでそれを追って入り口へと到着した。
すると、外国人の男が出て来て、言った。
「二便の方々ですね?お待ちしておりました。私は案内係のアーロンです。一便の方はもう、お部屋にご案内して居間の方へと入って頂いておりますので、皆様も先にお部屋へご案内致します。どうぞ、こちらへ。」
志乃は、緊張気味に頷いた。
藍が、言った。
「ここ、凄いですねえ。ホテルですか?」
アーロンは、微笑んだ。
「こちらは運営のご親族のかたの持ち物でございます。」と、階段を上がり出した。「こちらへ。正面のこの階段が、上階との唯一の行き来できる場所です。二階、三階がこの度皆様に振り分けられているお部屋になりまして、最初にお配りしている番号と同じ番号のお部屋に入って頂きます。ええっと、藍様、ですね。藍様は6、志乃様が7、相良様が1、久司様が10ですので、こちらの四人様は二階のお部屋になります。」と、正俊を見た。「正俊様は20でいらっしゃるので、三階ですね。少々お待ちを、先に二階の方々のご案内を致します。」
正俊は、自分だけ上か、という残念そうな顔をしたが、番号が決まっているのだから仕方がない。
その、アーロンについて行くと、階段を上がって踊り場を左にぐるりと回り、更に上がった正面は壁で、両脇に部屋の扉が見えた。
その扉の脇には、金色のプレートが付いているのが見える。
アーロンは、説明した。
「上がって右側奥から、1、2、3、4と来て一番端が6になります。そして、1号室の向かいに7号室、2号室の向かいに8号室、そして階段を挟みまして5号室の向かいに9号室で6号室の向かいに10号室まで、この階にはございます。全く同じ造りで、三階も20号室までございます。四階から上には閉鎖して行けないようになっております。」
久司が、頷いた。
「ってことは、オレの真上が正俊だな。夜中に暴れるなよ?」
正俊は、顔をしかめた。
「そんな歳じゃないから。」
アーロンは、笑った。
「問題ありませんよ。こちらは完全防音となっておりますので、いくら暴れても外に音が漏れることはありません。ちなみに、ノックの音も全く聴こえないので、もし誰かのお部屋を訪ねたいなら番号プレートの下にある、ベルを鳴らしてください。それだけが中に聴こえます。」
凄い、ノックも聴こえないんだ。
志乃は、感心して聞いていた。
アーロンは、言った。
「では、お荷物をお部屋に置いて、一階の階段下へとお集りください。居間の方へとご案内致します。」と、正俊を見た。「正俊様は、三階へご案内しましょう。」
正俊は頷いて、皆に軽く会釈をすると、アーロンと共に上がって行った。
相良が、さっさと言われた通りに右側へと歩いて行く中、藍が志乃に言った。
「志乃さんとは番号は連続してるけど部屋は離れてるね。相良の向かい側だよ。大きな荷物はないみたいだけど、鞄を置いたら出て来て。」
志乃は、気にかけてくれる藍を有難く思いながら、頷いた。
「うん、ありがとう。」
久司が、言った。
「じゃあオレ達はこっちだ。お前とはお向かいさんだな。」
藍は、顔をしかめる。
「だね。ピンポンダッシュしないでよね?」
久司は、ハッハと笑った。
「するか!オレを幾つだと思ってるんだよ。」
35ですよね。
志乃は思いながら、さっさと行ってしまった相良の音を追って、自分も振り分けられた部屋へと向かった。
部屋へと入ると、既に電気が点いていて、中はとても広くてそれは美しい場所だった。
入ってすぐは右側にバス、トイレ、洗面台が一緒になったユニットがあり、左側はクローゼットになっている。
中へと足を踏み入れると、床にはふかふかの絨毯が敷き詰めてあって、正面には三つの窓が並んでいて、洋館らしい重厚な感じのカーテンが掛かっていた。
そして、左側の壁に沿うように机と椅子、そして鏡が設置されてあって、反対側には、広い空間と大きな天蓋付きのベッドが鎮座していた。
「うわあ…!すごく広い!」
これが無料?
志乃は、怖気づいてしまった。
多分、普通に止まったら一泊かなりのお値段になる部屋のはずだ。
そこに十泊もして、後で料金請求とかならないんだろうか。
だが、もう来てしまったのだ。
とにかく、藍や久司や正俊が仲良くしてくれるのだから、自分はあの男に復讐することを考えよう。
志乃は、クローゼットに鞄を掛けると、中からスマートフォンだけ出してポケットに忍ばせ、急いで部屋を出て廊下へと出て階段へ向かった。