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志乃(しの)は、思い詰めていた。

遠くくらい海の上に浮かぶ、黒い影は遠ざかって行く。

着ていたワンピースは風に煽られてはためいていた。

「う…。」

志乃は、嗚咽を漏らした。

あの船に乗っている、かつて五年間も愛した男は自分と別れて僅か一月で、結婚して旅立って行った。

新婦は、何も知らない愛らしい女。

三年前に新入社員として入った彼女を見初めたのが最初であるらしかった。

どうやら、彼は志乃と彼女を天秤に掛けて、あちらを選んだらしい。

もう三年も前からそうだったのは、何も知らない共通の友から聞いた。

若い二人にはまだ、そう資金もなく、海外旅行は敷居が高いと、日本の小さな孤立した島のリゾートへと向かうらしい。

その船は、そこへ向かうチャーター船で、乗っている皆の顔は明るかった。

彼と志乃との関係を知らない同僚は、事情も知らずに志乃に彼の事を事細かに話してくれた。

社内恋愛が公になるとどちらかが転勤になる事が多い職場だったので、ずっと隠していた末の事だった。

今思えば、彼にしたら都合が良かったのだろう。

始めから、志乃のことなど本気ではなかったのかも知れない。

あんなにあっさりと、若い彼女を選んでいたとは、知らずに来たのだから。

志乃が泣いていると、後ろから声がした。

「あれ?」若い、男性の声だ。「乗り遅れたの?リゾートでゲームする企画の参加者じゃない?」

志乃は、え、と振り返る。

そこに居たのは、学生だろうなと思う若い男性だった。

「え…あの、いえ。行きたかったなって、思って。」

彼は、笑った。

「なんだ、定員いっぱいだったから?」と、何かの紙を差し出した。「あげる。オレはバイトで遅れるって連絡入れてあったから、この後の便で島に渡るんだけど一緒に行く?オレの友達、一人で参加するのは不安だから一緒に来てって言っときながら、ドタキャンしたの。ちょうど良かったよ。」

志乃は、それを自動的に受け取りながら、呆然とその男を見つめた。

「え、新婚さんばっかりじゃないの?」

その男は、笑った。

「え、なんで?カードゲームの発売記念企画だから無料なんだよ?新婚旅行に無料企画っておかしくない?これ、抽選に当たった人しか来られないって聞いてるけど。」

無料なの?!

志乃は、驚いて目を見開いた。

同僚は、元彼から新婚旅行は海外じゃないけど凝った企画で奮発したと言っていた、と聞いていた。

だから、彼女も大喜びで了承したのだと。

「え…でも、凄くお金が掛かるって。」

相手は、笑った。

「誰がそんなこと言ってたの?だから行けないって泣いてた?」と、側に浮く、他の船を示した。「あれ。ほら、オレと同じようにこの便で行く人達も居るよ。行こうよ、それとも明日は仕事?」

志乃は、首を振った。

仕事は、二人が婚約したと聞いた時に辞めて来た。

同じ会社で働き続ける事が、つらくて仕方がなかったからだ。

「…ううん。」志乃は、首を振った。「行く。10日ぐらい?」

相手はは、頷いた。

「そうこなくっちゃ。うん、10日の予定って書いてたな。さ、じゃあ乗り込もう。荷物は?」

志乃は、そうだ、と首を振った。

「あ、私、行くとは思ってなかったから、何も…。」

相手は、苦笑した。

「だよね。でも大丈夫だよ、服は貸してもらえそうだし。お財布はあるでしょ?買えばいいよ。」

少し迷ったが、幸せそうに船に乗り込んで行った二人の姿が目に浮かんだ。

彼女は、何も知らない。

せめて真実を知らせて、あの男の嘘を暴いてやりたい。

何も言えずに身を引いた、自分を哀れんでばかりでは前に進めないからだ。

「…そうね。分かった、行こう。」

志乃は、その若い男と共に船に乗り込んだ。


船には、男が言った通り男女ではなく、男性ばかりが座って入ってきた二人を見た。

志乃が怯むと、男は言った。

「お待たせ!ええっと、オレは藍。こっちはオレの来れない友達の代打のお姉さんです。」

受け付けしているらしい、外国人の男が言った。

「藍さん。では名札をどうぞ。それから、これを左腕に装着してください。」と、志乃を見た。「私は案内係のジョアンです。お名前は?」

志乃は、慌てて答えた。

「あの、吉田志乃です。」

ジョアンは、苦笑した。

「いえ、ハンドルネームでいいですよ。皆様本名ではない方々も居ますから。」

藍が頷いた。

「ネット申し込みだからね。知らないの?」

志乃は、首を振った。

「いえ、ハンドルネームでいいのを知らなくて。じゃあ、志乃でいいです。」

ジョアンは頷いて、紙の札の番号を差し出した。

「こちらに書いて頂けますか。名札になります。」

志乃は、頷いて2という番号の下に志乃と書いた。

それを見て、頷いた。

「では、この腕時計を左腕に装着してください。小さな島ですが行方不明になってはいけないので、これで居場所を見ることができます。ゲームにも使いますので。」

言われて、志乃は急いでそれを左腕に巻いた。

すると、それは思ったよりハイテクなのか、ググっと締まってぴったりと肌にくっつくように固定した。

「じゃあ皆様お揃いなので少し早いですが出発します。こちらから三時間ほどの船旅になります。お手洗いは最後尾のあちらに一つです。本日はご参加頂きまして、ありがとうございます。」

そうして、船はゆっくりと離岸した。

どんどんと遠ざかる岸を見つめながら、志乃の頭の中には、復讐という思いしかなかった。


だんまりな船の中で皆で向かい合って座りながら、藍がその空気を破るように言った。

「ええっと、ここに居るみんなで自己紹介しない?オレは藍、大学の四回生。でも医学部なんでまだ二年も勉強なんだあ。皆さんは?」

目の前に座る、めちゃくちゃ美形なのにニコリともしない男性が口を開いた。

「…私は、相良(あいら)。歳は33、退屈なので頭を使うゲームと聞いて参加した。」

あっさりしている。

隣りの、目は鋭いが親しみやすい表情を浮かべる男が言った。

「オレは久司(ひさし)。34だ。相良とは職場で一緒だよ。こいつが参加するから来たんだ。お目付け役かな。いや、世話係かもしれねぇ。」

相良が、軽く久司を睨む。

だが、何も言わなかった。

隣りの男性が口を開いた。

「ええっと、オレは正俊(まさとし)。歳は28。普通の会社員…営業してるよ。今回有休めいいっぱい使って参加した。よろしく。」

もう、ここには志乃以外に居ない。

志乃は、仕方なく口を開いた。

「あの…私はさっき観光船だと思ってたのを見送っていたら、藍さんに声をかけられて。突然参加しました。志乃といいます。歳は27で、会社を辞めたばかりなので無職です。」

藍は、首を傾げた。

「じゃあ、もしかしてオレは君が参加したいから泣いてたんだと思ってたけど、違ったの?まさか世を儚んでたとか…。」

皆が、一気に固い表情になる。

志乃は、慌てて答えた。

「いえ!そんな、死のうとか考えてないです!」だが、皆が怪訝な顔をする。志乃は、もう破れかぶれになって、言った。「わ、私を騙した男が!あの船に乗ってたから、悔しくて見てたんです!あんな男のために死のうなんて思いませんから!」

久司が、急に同情したような顔になった。

「マジか。お嬢ちゃんみたいなかわいい子を騙すなんて最低だな。だが、藍とやら、そんな男と一緒に10日も過ごさなきゃならねぇのに無理やり誘ったんじゃないだろうな。」

藍は、慌てて首を振った。

「知らなかったんだよ!そんな事情があったなんて。」

志乃は、首を振った。

「いえ、私が行こうと思って。」そして、むっつりと聞いている、相良をチラと見やった。「あの…退屈ですよね、こんな話。」

久司は、首を振った。

「こいつのことは気にすんな。いっつもこんな感じなんでぇ。それより、事情を聞かせておいてくれねぇか。滞在中庇えるからな。知らねぇとどうしたらいいか分からねぇし。」

志乃は、迷ったが、どうせこの旅行の間だけなのだからと、五年前の事から訥々と話し始めたのだった。

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