第72話 ユウジの夢
ユウジは近くの雲に、腰をかけた。白いモコモコな雲はクッションのように柔らかく、からだが深く沈み込む。心地よくくつろげそうだった。
真上にあるのは太陽と青空。ただし太陽は直接見ても目は痛くならず、都合よく世界ができあがっていた。
「……なんも起きないな」
ユウジは、夢の中で自由に行動できる、いわゆる明晰夢の体験に憧れがあった。
しかし、こうも夢が単調な空の上の風景だと、やることもない。せいぜい空を飛ぶことしかできなそうだった。
この程度の夢しか見れないなんて、想像力が足りないのかもしれない。
ユウジは、足を伸ばして寝転がった。
変わり映えのしない光景だった。漂うだけの雲。真っ青な空。それしかない世界。
「…………なんか、なんかおこれ〜」
つまらなすぎて、ユウジは言葉に出した。それでも風景は変わらない。嫌気が差した。
「夢の中で眠ることってできるのかな……」
ユウジは、試しに目を閉じてみた。瞼の裏によって、視界が暗くなる。
「………………」
あ、いけそう。ユウジは思った。
意識が揺らぎはじめたのだ。このままぼーっとしてれば、夢の中で眠るという偉業を成し遂げられる。
時間を無駄にしている気がしないでもないが、それはなんだか心地よくて……。
『あの、起きてください』
シャットダウンの寸前で、声をかけられた。ユウジはゆっくり目を開けると、そこには神々しい姿の女神が立っていた。
「あれ、あなたは……女神様じゃないですか。お久しぶりです」
『ええ、無駄にお元気そうでなによりです』
女神は皮肉を込めて言った。ユウジはその物言いに首を傾げる。
「なにか怒ってます?」
『それはもう。……あなたの目的はなんです?』
「え?えーと魔王を倒します」
『その通りです。ではそのためにすることは?』
「魔王の元に行くこと」
『その魔王の居場所は?』
「まだ聞いてないですね」
女神は額に手を当てて、ため息をついた。
『魔王四天王と撃破しながら、旅を進めるあなたの働きは評価します。しかし、目を離せばあなたはすぐに冒険をやめてしまいそうです』
「そんなこと……ないですよ?」
ユウジはそう言いつつ、たしかにいまの自分にはモチベーションがなくなっていることに気がついた。
夢の国ロスチュで、最後の魔王四天王オウズに会うところまできた。そして、そのまま特に何事もなければ、魔王の元に行けば冒険は終わりである。
旅の終わりは近い。
魔王に会えば、最後の戦いがはじまる。
もうゴールの手前だというのに。
「……なんか気乗りしないんですよね」
ユウジは正直に告白した。
これまで、ユウジは魔王の姿を時おり空想していた。
魔王四天王クラーケンは、冷酷な敵だった。人々監視し、秩序を乱すものは始末する。
そんな彼を部下に持つならば、当然王も冷酷であろう。
魔王四天王ヒイロは、独善的だった。身内を救う理想のために、暴走することもある。
そんな彼を部下に持つ王は、人間にとって脅威となるような、偉大な野望を抱えているのかもしれない。
魔王四天王オウズは、欲望に忠実なようだった。サキュバスにとって必要な精力と、いざとなれば頼りになる金を、人間と取引することで効率的に集める。
そんな彼女を部下に持つ王は、力を得ることに貪欲なのかもしれない。
そして、魔王四天王鈴音は……。
ユウジは呟くように言い訳した。
「鈴音さんみたいないい子に慕われてる魔王が……悪い人とは思えないんです」
『…………』
女神は何も言わずに、話を聞いてくれた。
これまでの旅で、鈴音は幾度もユウジたちの力になってくれた。魔王幹部であり、本来人間と敵対する立場であるというのに、裏切ってくれさえもした。
そんな彼女が忠誠を誓う魔王を、ユウジは討伐する気になれなかった。
「ヒイロさんも転生者として、魔王を倒すために旅をしてたんですよね?でも魔王側についた。ほんとに、ほんとに魔王って倒さなきゃいけない相手なんですか?」
すがるように、女神を見るユウジ。おそらく女神は、ヒイロのように転生者が魔王に寝返らないよう、釘を刺しにきたのだ。
こんなことを言って、女神が嫌ならいいです、と好きにさせてくれるはずはない。それでもユウジは、女神の目を見て、言葉を待った。
女神は、目を閉じて、また深くため息をついた。
『やはり人間をコントロールするのは難しいものですね。しかし支配は望むところではありません。あなたが魔王を倒すかどうかは自由ではあります。ですが……』
女神は躊躇いがちに、言い淀んだ。
「ですが……?」
『いえ、そうですね。これだからうまくいかなかったのかもしれません。最初から魔王を倒さなければいけない理由を、もっと明確に転生者に伝えていればよかったのでしょう』
女神は目を開けた。なにかを決心したようだった。
『お話ししましょう。魔王をなぜ倒さなければならないか。それを聞いて決めるのはあなたですが……。できれば私の味方になってくれれば嬉しいです』
ユウジに向かって、女神は微笑んだ。その神聖な笑みに、ユウジは心が奪われる。
いったい、なにを話してくれるのか。ユウジは固唾を飲んで、女神の言葉を待った。
しかし女神は、あっと声を上げて、真剣な声色を元に戻した。
『あの、話の前に余談なのですが』
「はい?」
『夢の国ロスチュで昼寝なんかしちゃうと、起きるのがかなり難しくて、一生現実世界の肉体が眠り続けることになってしまうかもしれないので、気をつけてくださいね』
「…………」
ユウジは、先程意識が途切れる寸前だったのを思い出す。あのまま女神に声をかけられず、眠っていたら……。ゾッとする。
「あっぶな…!」
胸を撫で下ろすユウジに、女神はにっこりと笑う。
大事な話の前に、信頼を形成しておく手練手管は、覚えておいて損がないものである。




