求結鬼
ーー不味い。
本当に不味いし、マズい。
陽もすっかり落ちきり、寒い夜の虚しさが蠢く町で男は苦悩していた。
不味いのは、今しがた吸った血液。
マズいのは、現状を打破する手段が見つからないこと。そして、自分自身が真に求める未来が、どちらなのか分かっていないこと。
「ま......そのうち答えの方から擦り寄ってくるかな」
男はその苦悩を楽観的に投げ捨てる。
それは一つの答えとも言えるし、逃げとも言える。
だが、そんなことを幾ら気にしたところで現状は変わらない。
ひとまずは、生き延びることが最優先だ。
その先でいつか理想を追い求めれば良い。
「............!」
視界の隅。
酔い潰れ、足取りのおぼつかないサラリーマンを赤い双眼で捉えた男は、黒く染まった両翼を静かに羽ばたかせ、気づかれぬように彼に接近する。
「......ごめんね、いただきます」
謝罪と感謝。
それらを淡々と述べた男は、サラリーマンの首筋に齧り付く。鋭利な牙が肉に食い込み、傷跡から鮮やかな赤色が流れ出した。
赤色を無表情で啜りながら、男は来たる明日へ思いを馳せる。
男ーー山村 紫紅は、吸血鬼であった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「さっむ。夏から冬への転換早すぎね? なあ紫紅、そう思わん?」
「......秋ってそういうもんですからね」
「冷てえなあ、お前の心も季節チェンジしてんのか?」
「はあ。ホント、蒼真先輩は口数減らんすね。年中元気そうで羨ましいです」
サッカー部の掛け声が響くグラウンドを見下ろしながら交わされる会話は、酷く淡白なものである。
山村 紫紅は、長野県を住まいとする高校一年生だ。
部活には所属しておらず、本来ならば先輩後輩の関係など生まれない身分のはずなのだが、何故か彼には一人の先輩がいる。
それが、彼の隣で品のかけらもない笑い声をあげる男ーー谷口 蒼真だ。
高校生にしては長身でいてかつ痩せ型。
太い黒縁の眼鏡をかけ、頭上には癖っ毛が乱雑に絡み合っている。
笑い方といい、一言で言ってしまえば『品格が欠如した男』である。
そんな彼との馴れ初めは、入学式から一週間ほど経った頃だった。
なんとかクラスに馴染むことに成功し、本格的に高校生活が始まることに胸を躍らしていたある日のこと。
速やかに下校するため、颯爽と下駄箱に向かったところ、そこで三年生である蒼真が紫紅を待ち伏せしていたのだ。
無論以前からの関わりなどなく、正真正銘そこが彼との馴れ初めである。
明らかに異質な存在である蒼真に、初めは嫌悪感を示していた紫紅であったが、しつこく紫紅との関係を迫る蒼真の人柄の良さにいつしか気付き、今では下駄箱から校門まで歩みを共にする人物となった。
ーー要するに、一日に僅か五十メートルを共にするだけの人物である。
「あの、先輩」
「なんだ?」
「どうして先輩は......ずっと僕に執着するんですか?」
「そりゃお前......オモロそうだからだろ」
「またソレっすか」
蒼真が執着する理由。
それを何度も彼には問いているが、一度もまともな返答をされたことがない。
毎回適当にはぐらかされて、終わりだ。
「もういいです、それでは」
気付けば校門までたどり着いていたので、適当な挨拶で彼との別れを告げる。
「おう、またな。風邪引くなよ?」
「何目線なんすか......さようなら」
謎にキメ顔をかますノッポ眼鏡に悪態を吐く。
彼の物理的に大きな背中を見送り、そこで紫紅はホッと胸を撫で下ろした。
ーーこれで、今日の他人との接触は終了だ。
「マジで気疲れする......」
紫紅は、自らの本性が人間に察せられてはならない。紫紅は、人間に害を及ぼす生物であるから。
ーー吸血鬼の存在は、現在多くの人に認知されている。
夜にのみ行動し、人の血を糧に生活を送る種族。それが吸血鬼だ。
吸血鬼に噛まれた者は基本的に貧血により倒れ、見つかり次第病院に搬送される。
吸血鬼は、致死量の血液を吸うことはないのだが、被害者の発見が遅くなってしまうと死に至ることもある。つまり、人間にとってはかなり危険な存在なのだ。
そして、吸血鬼に噛まれた者は、稀に被害者自身が吸血鬼になることがある。
そうして僅かな確率を掴み取り吸血鬼になったのが、山村 紫紅である。
中学三年生の頃、夜道を歩いていたところ、突然吸血鬼に襲われた。ただそれだけのことだった。
それからすぐに自身の体の異変に気付いた紫紅は、加害者である吸血鬼と接触し、諸々の情報を得た。
第一に、吸血鬼は二週間に一度、人間から一定の血液を搾取することが必要である。
そして、人間に見つかってはならない。特に、ヴァンパイアハンターと呼ばれる吸血鬼の撲滅を目的として作られた組織の人間にだけは、絶対に姿を見られてはならないのだ。
人間から吸血鬼になった者は、陽が落ちるまでは人間の姿での生活が可能で、夜になってからは瞳が赤く染まり、翼が生える。
もちろん両親に打ち明けることも出来ないので、紫紅は建前上は健全に高校生活を送る只人を演じているのが現状だ。
「ただ......めっちゃ疲れるんだよなあ、やっぱり」
正体がバレた瞬間に命の危機が訪れる日常というのは、やはり常に緊迫感が付き纏う。
こんな日が続くのならば、いっそのこと、吸血鬼として生きた方がマシなのではないか。
そう何度も思い悩むが、依然として結論は導き出せない。
それは、紫紅の弱さであった。
「さてと......今日は搾取の日だったな」
そう呟き、深く吐いたため息は、秋の寒さに白く染まっていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「......ごめんね、いただきます」
その文言と共に、今日も路地裏で人間の首筋へと齧り付く。
血液の搾取は、全く楽しい行いではない。
常に罪悪感に駆られるため、二週間に一度のこの日は毎回憂鬱である。
当然だ。紫紅は元人間なのだから。
だが、それでもなんとか心が壊れずに済んでいるのには理由がある。
それはーー。
「やほー! 今日もやってるねー! 紫紅にいちゃん!」
「......ホントうるさいよなあ、シュリは」
吸血鬼の仲間の存在であった。
吸血鬼も基本的な身体の行動は人間と同じなので、問題なくコミュニケーションを取ることが出来る。
そして、吸血鬼は人間にとって害であることに違いはないが、その性格は人間とさして変わらず、温厚な性格な者も多数存在する。
ーー彼女も、その一人だ。
「そろそろ搾取にも慣れてきたかなー?」
「いんや、全然慣れない。こればっかりは一生慣れないかなあ」
「そっかー。あたしはこの時間、わりかし好きなんだけどなあ」
残念そうに肩をすくめる目の前の少女は、吸血鬼のシュリだ。
背丈はまさに少女と呼ぶのにふさわしく、小柄。
金髪を肩まで伸ばし、その色に似合う天真爛漫な笑みを常に浮かべている印象の人物である。
彼女は紫紅を吸血鬼にした張本人なのだが、現在では友達のような距離感で接している。
シュリに対して、特段恨みはない。
不便ではあるが、これはこれで良い経験だと割り切れているからだ。
「ーーで、シュリがいるんなら、いるんだろ? アカネ」
「......さすがだね。紫紅は」
ーーそして、シュリには妹がいる。
それが、路地裏の物陰から密かに顔を覗かせた、アカネだ。
シュリとは対照的に紫の髪色が艶めいており、常に大人しい雰囲気を身に纏っている。
「もー! アカネはテンション低いなー! もっとアゲアゲでポヨポヨしよーよ!」
「......姉ちゃんが明るすぎるだけだから」
「それは僕も同感」
この他にも何人か吸血鬼の仲間はいるが、基本的にはこの二人と共に行動することが多い。
ちなみに共同する理由としては、単純に吸血鬼の搾取は危険が伴うため、仲間と協力した方が安全だからだ。
「そんな大声出してヴァンパイアハンターに捕まりました、なんて洒落にならないよマジで」
「ごめんごめん! あたしも、気をつけてるつもりではあるんだ」
「つもりってお前......」
「ーー紫紅にいちゃんとの時間、大事にしたいし」
「ーーーー」
視線を下に向けたシュリの呟きに、紫紅はつい口を噤んでしまう。
ーー本当に、自分はどの未来を望んでいるのだろう。
実を言うと、ヴァンパイアハンターは吸血鬼を人間に戻す薬を手にしている。
これは、勿論人間から吸血鬼に変異してしまった者にだけ適用される薬で、根っからの吸血鬼に投与しても変化はない。
つまり、紫紅が望めばいつも通りの生活を取り戻すことは可能なのだ。
だが、その決断に至れない原因として、彼女らの存在が大きい。
彼女らは、何も悪くないのだ。
人間が生きるために動物を殺すように、吸血鬼だって生きるために人間から血を搾取している。
そんな彼女らと関わって。
時々見える彼女らの優しさに触れて。
それでいて彼女らを見捨てて自分だけ人間に戻るというのは、紫紅にはどうも気が引ける行為なのだ。
人間から吸血鬼になるという珍しい生き物である紫紅にしか分からないことがある。
どちらの生物も、何も悪くない。
ーーだからこそ、両者による争いが避けられないことを、誰よりも深く悲しんでいる。
「......紫紅。悩んでるなら、さっさと決断した方が良いよ」
思いに耽っていると、ふいにアカネの声が耳に届く。
「......人間に戻れるのって、変異から一年以内なんでしょ。もうすぐ、タイムリミット、だよ」
「分かってるさ。でも、分からないんだ」
「........................」
「僕は、『どっち』なんだろうな」
視界の行き場に困り、夜空へ顔を向けた。
散らばる星屑はいやに幻想的で、いつまでも眺めていたいと思わせる魅力があった。
「いつまでもーー」
ーーそれは、紫紅の弱さだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「寒いわ! 寒すぎ! サムシングエルス!」
「あーもうほんとやかましい......」
寝不足の耳に耳障りな音が響く。
本日も変わらず、変人かつ狂人の蒼真との会話が執り行われている。
ちなみに寝不足の理由は昨夜も夜遅くまで血液の搾取を行なっていたからだ。
ーーあれから二ヶ月ほど経ったが、未だに紫紅は自身の生き方を選択出来てはいない。
季節は既に冬真っ只中。気付けば十二月になっていた。吸血鬼になったのは去年の十二月の半ばだったため、薬の有効期限は残り半月にまで迫っている。
そんな焦りを抱きつつも、焦っているはずの人間は紫紅だけではないはず。
そう、今は受験シーズンなのである。
「蒼真先輩、受験大丈夫なんすかそんなんで」
「お前俺を舐めんなよ? 俺ユークリッドの互除法使えっかんなマジで」
「それ僕でも使えるような簡単なやつじゃないですか」
受験シーズンにも関わらず、蒼真からは受験生らしい発言が一切出てこない。いつになっても、平常の狂人だ。
特に推薦入学の予定もないらしく、未来に悩む紫紅とはつくづく対照的な人間である。
「......そういや、お前聞いたかよ」
「なんすか」
「昨日この辺りで吸血鬼が目撃されたって」
「ーーーーそうなんすか」
内心、紫紅は非常に焦っている。
だが、ここで露骨な態度を取ってはそれは自白に他ならない。
「なんかな、金髪だったらしいぜ。吸血鬼って髪染めるのな」
この辺りで活動している金髪の吸血鬼は、たった一人しか存在しない。
シュリが、ヘマをしたのだ。
「はは、どうなんすかね。正直、僕は吸血鬼なんて信じてませんけど」
「そうなん? 俺の爺ちゃん、吸血鬼に噛まれて死んでるんだけど」
ーー彼の眼が、黒く澱んだような気がした。
「ーーーー直接目にしたことがない、ので。癇に障ったなら、すいません」
「ん? ああいや、そういうつもりじゃなかったんだ、すまんな」
「......はい」
蒼真の祖父が吸血鬼によって死亡したと聞き、紫紅は胸が締め付けられるような感覚に陥っていた。
もしかすると、蒼真は吸血鬼に敵意を持っているのかもしれない。
そうだとしたら、そうだとしたらーーーー。
「ーーおーい? 大丈夫かよ、急にぼーっとして。もう校門だぞ、具合悪いならさっさと寝てろよ。寝不足っぽいし」
「そう、ですね。すみません。それでは」
大きな背中を見送って、紫紅は自身の頬を強く叩いた。
全ては、自分の決断力の無さによって招かれている心傷だ。自業自得でしかない。
でも、やはり決断は出来ない。
人間として生きるか、吸血鬼として生きるか、それとも現状のままどちらも両立するか。
どうすればいい。どうすればーー。
「......そうだ」
小さくつぶやいた紫紅は、いつの間にか急ぎ足で歩き出していた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「......本気で言ってるの、それ」
「自信はないけどね」
「あたしはめっちゃ良い案だと思うよー!」
同日。搾取日ではないが、シュリとアカネが拠点としている路地裏の小さな廃墟に紫紅は向かった。
そこで二人に提案したのは、人間と吸血鬼の仲介だ。
吸血鬼が人間のために働く代わりに、人間は吸血鬼に輸血する義務を受ける。
それによる平和解決を目指そうと考えたのだ。
「吸血鬼は夜型だから、普段人間がやりにくい仕事を受け持つことが出来るでしょ?」
「......まあ、そうだけど......」
「あたしは、平和が好きだから大賛成! 逆にアカネは何をそんなに心配してるの?」
「......まずヴァンパイアハンターの職が失われるし、政府も動くの面倒くさがるでしょ。だったら今までの関係続けてた方が楽って思う人も多いと思う。そもそも、吸血鬼って全国に百人くらいしかいないから被害数も相当少ない部類だし」
「うーん、まあ、確かになあ」
二週間に一度の搾取が約百人によって行われる。
そして被害者も近年は基本的に死に至ることはない。というのも、紫紅を始めとした吸血鬼に、搾取後に被害者を病院に送り届けるという習慣が根付いてきたからだ。
だとすればわざわざ面倒な改正をするより、現状を続けていた方が吸血鬼問題は丸く収まりやすいように思えてしまう。
「......あと、吸血鬼に憎しみをもった人間もいるよ。特に死者の家族」
「ーーーー」
「......そんな人たちが吸血鬼に輸血だなんて、無理だよ。感情論的に」
脳裏には、先程の真剣な顔の先輩が浮かぶ。
普段はおちゃらけた雰囲気の彼が、真面目な表情を見せるのは珍しい。
やはり、彼は吸血鬼を憎んでいるのかもしれない。
そして、そこまで思考が及んだ時、アカネの表情が一変した。
普段崩れない強面の表情が、驚きに満ちていたのだ。
「............! 伏せて!!」
聞き慣れないアカネの叫び声。
そして、その直後。
「ーーーーッ!!」
眩い光が廃墟の壁を焼き払いながら紫紅らの頭上を掠めた。
先まで夜の暗がりに身を潜めていた彼らだったが、突然の光明に眼が眩む。
「なに!? 今の!?」
「......ヴァンパイアハンター、だよ」
「ーーーー!」
アカネから、聞いたことがあった。
吸血鬼は光に弱いから、ヴァンパイアハンターは光線を扱うと。
ただ実際は単純に光の熱で焼き払われるため、吸血鬼が光が苦手という情報は全く関係ないということも。
つまり、ヴァンパイアハンターによる狙撃。
それが、光の正体である。
「ごめん! やっぱ昨日見られてたのがマズかったのかな」
蒼真の発言を思い出す。
たしかに彼は、昨日この辺りに金髪の吸血鬼の目撃情報があったと話していた。
つまるところ目撃情報から一日で居場所が割れたということだ。
正直な話、ヴァンパイアハンターをみくびっていた。
「......見つかったんなら仕方がない。私たちも、応戦するよ」
「まっかせて! こういう時の為に、実践練習してきたんだから!」
「初耳なんだけどそれ」
「素早く動いてさっさと噛みつく!」
「いやそれ実践練習というかいつもの採取というか」
軽口を叩きつつも、紫紅の心臓の鼓動は警鐘を鳴らしている。
吸血鬼になってから一年間。常に緊張感との戦いではあったが、今回に関しては実際に命の危機が目の前まで迫っている状況だ。とても落ち着いてなどいられない。
「......とりあえず、敵の数を確認しよう。外出るよ、姉ちゃん、紫紅」
「はいよ」
だが、冷静なアカネの指示を聞くと不思議と心が落ち着く感覚がした。
そうだ。大丈夫なはず。
何せ、自分には頼もしい仲間がいるのだから。
そう言い聞かせ、足早に廃墟から抜け出す。
闇雲に外に出ても狙撃されてお陀仏なので、翼をはためかせながら、光が飛んできた方向とは逆方向の窓から脱出。廃墟の物陰から敵を探る。
「......どうやら、一人、かな」
「そうっぽいね! ま、計算通りだね、紫紅にいちゃん」
ヴァンパイアハンターという職業は非常に珍しい。というのも、そもそも吸血鬼が百人程度しか存在しない為、ヴァンパイアハンター自体も多くいる必要性がないからだ。
だから、一人というのは計算内。
「ーーーーぁ?」
「紫紅にいちゃん?」
ーーでもそれは、紫紅にとって計算外でしかない。
「おいおい、いつもはなんだかんだ悪態吐きつつも俺に構ってくれるのによお。今日は本気で隠れちまってんのか?」
ーー前方から届いた声は、誰よりも聞き馴染みのある声だった。
「冷てえなあ、お前の心も季節チェンジか? 冬も深まってきた時期だし、いよいよ本格的ってか」
ほぼ毎日欠かさず聞き続けた声。
苛立ちと安心感が同時に押し寄せてくるような、特徴的な喋り口調。
「そういや、お前は何度も俺に聞いてきたよな。どうして僕に執着するのか、と」
ーー分からない。分からない分からない。
「答えは簡単だ」
ーー否。ヒントは散りばめられていたはずだった。
だが、それに気付けるほど紫紅は冷静ではなかった。
そして、冷静でないのは今も変わらず。
その理由こそ、答えは簡単だ。
「俺がお前を殺す人間であるから、だ」
ーー最も身近にいた存在が、今、自身の命を刈り取ろうとしているのだから。
「蒼真、先輩............」
「蒼真......ってあの!? よく紫紅にいちゃんが話してた変な先輩!?」
「......なるほど。ーー面倒なことになっちゃったね」
紫紅は絶望感に苛まれ、シュリは驚きに目を丸くし、アカネは顎に手を添えて冷静に状況を顧みる。
「............」
吸血鬼の三者三様の反応を不愉快そうな視線で見つめる蒼真。
ヴァンパイアハンターは、吸血鬼への憎しみを持つ人間が多くいると聞く。
ーー俺の爺ちゃん、吸血鬼に噛まれて死んでるんだけど。
「......先輩は、僕らのこと、嫌いですか」
「吸血鬼という種族は嫌いだな」
「そう、ですよね」
「山村 紫紅。お前にヴァンパイアハンターとして勧告する。今すぐ人間に戻るならばお前の生命は脅かさない。そうでなければ、俺は俺の仕事を全うするまでだ」
即ち、生か死か。
そして、いずれにせよ、吸血鬼としての山村紫紅は殺される。蒼真がヴァンパイアハンターである以上。
「......僕が人間に戻ったとして、この二人......シュリとアカネはどうするつもりですか」
「始末する」
「........................」
当然である。
吸血鬼の撲滅がヴァンパイアハンターの仕事なのだから、人間に戻ることのない彼女らを見逃す必要がない。
「最初から、そのつもりで僕と接触してたんですか」
「ああ、勿論だ。吸血鬼特有の匂いってあるんだよ。ヴァンパイアハンターにしか見破れねえとは思うがな」
「どうして、このタイミングで攻撃に踏み込んだんですか」
「期限が迫っているからだ。お前が人間に戻れなくなったならば、殺すしか選択肢が無くなる。その前に、交渉をしておこうと思ってな」
「......僕との関係は、全て偽りですか」
「ーーノーコメントだ」
蒼真はそう言い切ると、彼の手に持つ光線銃をこちらに向ける。
「最後にもう一度聞く。山村 紫紅。人間に、戻る気はあるか?」
それは、紫紅がこの一年間、何度も先送りにした質問。吸血鬼になってからというもの、その問いが脳裏に浮かばなかった日は無い。
何度も何度も見て見ぬふりをして、結局『タイムリミット』まで逃げ続けたのが現実。
もっと早く選択しておけば、シュリとアカネに迷惑をかけることもなかったかもしれない。
もっと早く選択しておけば、心残りなくこれからの人生を歩めたかもしれない。
もっと早く選択しておけば、蒼真と笑い合える未来があったかもしれない。
そう、全てが、自分自身の優柔不断さが招いた真実である。
ちらりと横を見やると、不安げに紫紅を見つめるシュリがいた。
シュリは紫紅がどんな選択をするにしろ、死が迫り来る状況に置かれている。
にも関わらず、不安げに揺れる彼女の瞳はどう考えても紫紅の心配をしていた。
「シュリ、ありがとな」
「にい......ちゃん......?」
シュリは、憂う気持ちを崩さない。
「アカネも、色々話聞いてくれて、ありがとう」
「............」
アカネは、その硬い表情を崩さない。
「お前らにとって僕がどんな存在だったかは分からないけど......とても、楽しかった」
「紫紅にいちゃん......」
「ーー後は、頼んだ」
だから、紫紅も、その意思を崩さない。
「蒼真先輩。僕は、吸血鬼にはなりません」
「.............?」
「そして、人間に戻るつもりもありません」
「ーーーー」
「ーー僕は、両種族を繋ぐ架け橋となります」
「......そうか、残念だよ」
心底残念そうに呟いた蒼真。彼は掌で自身の顔を覆っているため、その表情は見えない。
だがそれもほんの数秒。僅かに見えた表情には、決意が募っていた。
「さよならだ」
刹那、眩い光が視界を包む。
紫紅はその光を、真正面から受ける。
両手を横に大きく広げ、まさにその光を受け止めるかのように。
体感したことのない高熱が体にほとばしり、意識が飛ぶ。
虚ろな意識の中。最後に聞こえた女性の声は、何かを嘆いていたようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「にいちゃん......紫紅、にい、ちゃ......」
田舎の夜の路地裏に、膝を冷たい地面につけた幼い姉の泣き声が響き渡る。
感情を表に出す姉とは裏腹に、アカネは静かに紫紅の最期を見届けていた。
本当に、一瞬の出来事であった。
目の前のヴァンパイアハンターが光線銃を構えたその二秒後には、紫紅の姿は跡形もなく吹き飛んでいた。
そして、それを成した男は、数秒前まで紫紅が立っていた地を呆然と見つめながら何かを呟いている。
「紫紅......どうしてなんだ......? どうしてお前が、こんな......?」
「......蒼真。貴方は、どっちなの?」
そんな男に対し、アカネは歩み寄りつつ疑問を投げかける。
「......どういう意味だ」
「......貴方が本当に望む未来は、『どっち』か。そう聞いてる」
アカネのその問いに、蒼真は一瞬、答えに迷う。
彼の瞳に湛えられていた怒りは、いつの間にかその色を濁らせていた。
「ーー吸血鬼のいない世界だ......そう、そうに決まっていた。だがな、なんでだろうな。アイツを殺して、俺の中の平和が何か分からなくなっちまった」
蒼真と紫紅は約半年間の付き合いだと聞く。
吸血鬼の寿命は五百年であるため、彼女らにとっては半年間などちっぽけな時間だ。
だが、紫紅がアカネ達と出会って考え方を改めたように、アカネもまた紫紅から学んだことがある。
生きている時間というのは、儚く、尊い。
「......貴方が吸血鬼を忌み嫌うのは、家族を殺されたから?」
「ああ、そうだ」
「その無念を晴らす為に、吸血鬼を殺している?」
「そうだ......!」
「なら、紫紅を殺した貴方はーー」
「分かってんだよ、そんなこと!!」
「ーーーーッ」
これまで冷静な面立ちを崩さなかった蒼真の表情が瓦解する。唾を飛ばしながら、アカネに向かって彼は吠えた。
「分かってる! 分かってた! 吸血鬼を殺したところで爺ちゃんは報われねえし、俺も救われねえ! 憎しみは連鎖して、誰も、幸せにならねえッ......!」
「ーーーー」
「でもよ、しょうがねえじゃねえか......感情に身を任せる幼い頃の俺が選んだ道だ。それに、爺ちゃんを殺した吸血鬼が憎いのも事実。だったら、その感情に嘘を吐くのも何か違うだろ......」
「......蒼真」
「ーー俺は、間違ってねえだろ......?」
アカネは、誰かを憎んだことがない。
同胞は何人かヴァンパイアハンターに殺されてはいるものの、それは仕方がないことだと割り切っているからだ。
彼らは自らの安全を守る為に危険を駆除しているだけで、そこに生物の在り方としての疑問は無い。
しかし、シュリはある程度ヴァンパイアハンターに対して憎しみの感情を抱いているそうだ。
つまり、憎しみの感情というのはそれぞれ抱き方が異なる。憎しみをぶつけられる者からすれば理不尽な言い分であっても、憎しみは憎しみに違いないのだ。
そして、アカネはそう結論付けられる確かな理由をもう一つ持っていた。
「......ええ、貴方は間違っていない」
「ーーぁ?」
「間違っていない。貴方の抱いた憎しみも正しいし、貴方が今抱いている悲しみも、正しい」
「ーーなん、だ、これ」
ーー蒼真の頬に、涙が伝っていた。
彼は、紫紅を殺したことに、涙している。
紫紅から聞いた蒼真の印象はとても良いものではなかったが、紫紅も、それを聞いてるアカネも、蒼真を心の底からの悪だとはこれっぽっちも思わなかった。
紫紅に接近した理由が理由であるため、蒼真の心の内は闇に葬られたが、今の彼の態度を見る限り、やはり彼は本当は心優しい人物なのだと思う。
だからこそ、彼の抱いた憎しみは間違っていないのだ。
「俺、は、揺らいじまったのか......?」
「......揺らぐことは、いけないこと?」
「爺ちゃんに、誓ったんだ......吸血鬼をこの世から、撲滅するって」
「......でも、その涙は貴方の正直な気持ちでしょ?」
「........................」
「じゃあさ。しょうがないじゃん。分別の付いた貴方が選んだ道、でしょ?」
自分の感情に嘘を吐きながら生きていくことは、本当に苦しい。
蒼真は『人間』を演じる紫紅と、『人間』を演じることで関係を保ち続けた。
だが、その関係の中、蒼真の胸中には自我の矛盾が生じていたのだろう。人間として暮らす自分と、ヴァンパイアハンターとして暮らす自分。どちらが本物で、どちらが偽りなのか。
そして、自我に振り回されながら紫紅を殺した結果、自分を蝕んでいたストレスと迷いが爆発し、彼の自我は破壊した。
ーーその時点で、蒼真が『どっち』であるかは明白だ。
『人間』である紫紅を見てきた蒼真が、『吸血鬼』である紫紅を殺した。でもそこに残ったのは、両方を掴み取ろうとした『山村 紫紅』に対する無念。
紫紅を見てきたからこそ、蒼真の中で吸血鬼の印象が変わった。
紫紅を見てきたからこそ、アカネの中で人間の印象が変わった。
ーー間違いなく、紫紅は両種族を繋ぐ架け橋となったのだ。
「アカネ。私は、紫紅にいちゃんを殺したこの人を許せない」
背後で泣いていたはずの姉は、いつの間にかアカネの真横に立っていた。涙の痕が、頬にこびりついている。それは、紫紅に対する感情の表現である。
当然だ。彼女は、誰よりも紫紅のことを大事に想っていた。
吸血鬼になり、右も左も分からないような紫紅に吸血鬼のノウハウを叩き込んだのは他でもない彼女である。紫紅を甘やかすことに反対していたアカネを押しのけてまで、シュリは紫紅に尽くしていた。
その関係は、男女のソレとは違ったはず。
恐らく、シュリは紫紅を吸血鬼に変えてしまったことに罪悪感を覚えていたのだと思う。シュリは他種族に憎しみを覚える人間の気持ちが理解出来るから。
だからこそ、紫紅には傷付いて欲しくなかったのだろう。
「姉ちゃん......」
「ーーでも」
そう続けてシュリは紫紅が最期に立っていた地を力強く踏みしめる。
「紫紅にいちゃんの意志を踏み躙る自分は、もっと許せない」
ーー後は、頼んだ。
シュリとアカネに対して紫紅が最後に発した言葉だ。
シュリもアカネも、この言葉を絶対に忘れない。
否、忘れられない。
それが自分たちが信じた、終結を求める者の願いだから。
「ーーーー」
夜空へふと顔を向けると、流れ星が見えた。
「星も動く。いつまでも、なんて無い」
永遠を願うことは怠惰だ。
何故なら、自分たちが生ける未来を放棄しているから。
だが、改革を狙うのは傲慢だ。
何故なら、他人の人生をも狂わす可能性があるから。
ーーでも、そんな傲慢さが、この世界には必要だ。
「......蒼真。貴方の生き方はまとまった?」
「おうよ」
「......そう。良かった」
ーー人生で初めて、谷口 蒼真は『任務』を失敗した。
夜空に君臨する白く輝く三日月は、そんな彼を嗤って、笑ったような気がした。