第7章 我が闘争
一行はとりあえずザボロジェの南方軍集団司令部に迎えられた。ヒトラー確保の報告は直ちにエニグマ暗号でラステンブルク大本営とベルリンに伝えられ、それを解読したロンドンの首相官邸では、道行く人に1杯ずつのジン(チャーチルの好物)が振舞われた。
「どうしたのです」
尋ねる人があると、ジンを配る職員は言った。
「非常にめでたいことがあったと聞いております。じつは私も知らされておらんのですよ」
ちょうどダウニング街11番地の有名なドアが開いて、チャーチルが出てきた。
「やあ、ぜひ一杯やってください、ジェントルメン」
チャーチルもショットグラスを受け取ると、それを高く差し上げた。
「イギリスの勝利と、悪魔の健康に乾杯」
----
「おかえりなさい」とも言えず困ったマンシュタインは、無言でヒトラーと握手した。ヒトラーは意地の悪いニヤニヤ笑いで応じた。
「すまんね」
マンシュタインはザルマンに言った。
「どうやら総統は親衛隊が助け出したということになりそうだ」
党の宣伝上、それはいたし方のないところだろう。ザルマンはまったく表情を変えずに、マンシュタインに言った。
「そうなると、私と部下たちは、ドイツ語の通じない遠方に隔離して口をつぐませておいたほうが良いでしょう。フランスで2ヶ月の休暇というのはいかがでしょうか」
「なるべく遠方の、地中海側になるよう手配しよう。そろそろ泳げるのではないかな」
マンシュタインは応じたが、その心の中は別のことでいっぱいだった。ソビエト第7親衛軍の始末をつけねばならない。
手柄をもらったドイツ第2親衛戦車軍団は、休暇はもらえずにソビエト軍を追い、元の戦線に近いところまで来ていた。しかしこのままでは、ソビエト軍をそのままクルスク突出部に脱出させてしまう。
「それでよい。ソビエト軍をそのまま、クルスク突出部へ追い込め」
マンシュタインは指示した。
ソビエト軍がクルスク突出部の基部、つまりドイツ軍の予想攻撃地点に埋めた地雷は、1マイル(1.6km)あたり対戦車地雷2400個、対人地雷2700個に達したといわれている。マンシュタインは両軍が戦線に埋めた地雷をそのまま、包囲の腕の代わりに使うつもりだった。
ソビエト軍前線では衝撃が走った。どうにかして友軍のために退却路を用意しようとする提案は、ことごとく却下された。それはクルスク突出部の喪失につながりかねなかった。夜になると、兵士たちの小集団が地雷の川を渡ろうとして、断続的に犠牲者を出した。それを撃つソビエト陣地も、撃たない陣地もあったが、それは兵士たちの死亡率に対してほとんど影響しなかった。
ソビエト第7親衛軍司令部が機能を失い、すべての砲や車両が放棄されると、マンシュタインは進撃よりも使える重装備の回収を急がせた。装甲兵総監・グデーリアン上級大将はホルニッセを敵前での牽引に使った(攻撃されると共倒れなので厳禁)ことで南方軍集団に厳重な抗議をしてきていたから、ソビエトの76ミリ砲をなるべく多く捕獲して和解の贈り物とする必要があった。それよりもマンシュタインは、もはや攻防の焦点が南方にはないことを感じとっていた。攻防の焦点を決めるのはソビエトであって、ドイツではない。中央軍集団が最近ソビエトに与えた恐るべき損害がソビエトの牙を抜き、しばらく戦線を安定させてくれることがマンシュタインの希望だった。それに、中央軍集団がオリョールから撤退するとの情報はすでに南方軍集団にも届いていたから、もうクルスクは突出部ではない。ただの地雷地帯だった。
ヒトラーはこれといって外傷を受けていなかったが、数日の安静が必要と診断され、ザボロジェに居座っていた。その病室へフライブルクは呼ばれた。ヒトラーは短く指示して、護衛を室外へ去らせた。
「君と一度、話がしたいと思っていた」
ベッドに半身を起こしたヒトラーはフライブルクに着席を勧めた。
「君はどこか、私を試そうとしているように見えた。歌を歌わせたりね」
「恐縮であります、我が総統」
フライブルクは無機的に応じた。
「ヒムラーが昔言っていた。国防軍には、私がこの世から消えてなくなることを望んでいる者たちがいると」
ヒトラーの言葉に、フライブルクの表情はまったく動かなかった。
「ヒムラーの言葉をあまり気にすることはない。彼は誰でも非難するのだからな。彼は、私が自分以外の誰かを信頼することが我慢できんのだ」
ヒトラーの言葉に、ヒムラーへの信頼感がまったく感じられないことに、フライブルクは驚いた。
「君は私の命を救ってくれたひとりだ。君の役割は非常に大きかった。そして君は気づいただろうが、私は私であることに疲れている。非常にな」
ヒトラーは顎をしゃくった。ベッドのそばに、引き出しの並んだキャビネットがある。
「一番上の棚に、君が必要としているかもしれないものがある。使ってもかまわんよ」
フライブルクは、しばらく沈黙して、そして答えた。
「私は考えておりました。もし総統がドイツからいなくなるとしたら、誰がドイツを統率するのであろうかと」
ヒトラーの目が興味深げに光った。
「私に頼みごとをした人たちは、そのことについて語ろうとしませんでした」
今度はヒトラーが沈黙し、そして答えた。
「私に何を望む」
「平和」
フライブルクの答えは短く、早かった。
ヒトラーは笑った。フライブルクはそんなヒトラーを初めて見た。
「私はある問題について、どうしても人をひとり信用しなければいけない事情があったのだ。合格だ。一番上の引き出しから、書類と老眼鏡を取ってくれないか」
フライブルクが引き出しを開けると、老眼鏡と書類が3枚入っていた。渡されたヒトラーは老眼鏡をかけると、書類の内容をもう一度だけ確認し、1枚をフライブルクに渡した。
それは家系図だった。見たこともないドイツ人の名前が3代にわたって記されている。その最後に「ロスカスターナ・ヒードラー」という名前があって、カシターナという括弧書きがついていた。
「宣伝省に作らせたものだから、内務省が通すかどうかはわからん。そこで、これだ」
ヒトラーはもう1枚の書類を渡した。それには、こう書かれていた。
「ロスカスターナ・ヒードラーの両親は私の遠い親戚として交流があり、パッサウ市から新たな事業のためウクライナに移住した。残念ながらそれを証明するものは私の個人的な記憶だけである。アドルフ・ヒトラー(署名)」
ヨーロッパではよくあることだが、同じ語源の苗字がいろいろに綴られる。ヒトラーの一族はヒュットラー、ヒードラーなどと綴られることがあるので、親戚であってもおかしくない。ヒトラーの父親は税関職員だったので転勤が多く、パッサウに住んでいたこともあった。
「宣伝省新聞局が明日、カシターナに関する小さな記事をいろいろな新聞に出す。これでカシターナはフォルクスドイッチュ(他国に住むドイツ系住民)としてドイツにいられるわけだが、受け入れる家庭をどうしたものかと思ってな」
ヒトラーは続けた。
「ゲッベルス博士(宣伝大臣、6人の子持ち)の家に7人目の娘がいてもゲッベルスは気づきはしないと思うが、普通の家に迎えるのが良いと思うのだ」
「そうですねえ」
フライブルクは生返事をした。トレスコウはヒトラー暗殺計画の参加者をほとんどフライブルクに知らせていなかったので、カシターナは元参謀総長の娘や市長の娘になりそこなった。
「引き受けましょう、我が総統」
「よろしい。さて最後の書類だ」
ヒトラーは紙切れを差し出した。
RSDに転属を願い出る内容の書類で、署名欄が空欄になっていて、フライブルクの名前がタイプされている。
「君が格闘が不得手なのは聞いた。この戦争にどう始末をつけるか、相談に乗ってくれるかね」
フライブルクは言った。
「微力を尽くします」
「私は、生き延びられるかな」
ヒトラーは窓の外を見ながら、天気でも尋ねるように言った。
「必ず生き抜くということ。死んでも目標を達するということ。どちらも東部戦線では、許されない贅沢になっております。我が総統」
フライブルクは言った。
「ゲーリケ中尉は任務を果たして死にました。ですが、意味もなく命を落とすもののほうが、ここではずっと多いのです」
ふたりが黙ったので、野外ですでに始まっているパーティの声がかすかに聞こえてきた。フライブルクは、気分を変えるように言った。
「先ほどの件ですが、我が総統。この事態を招いた張本人に責任を取らせるというのは、いかがでしょう。あまり普通の家とはいえませんが」
----
「そういうわけで、私は君の父親になる」
マンシュタインの言葉を、通訳を通じてカシターナは聞いた。
「偉い人を父親に持つ資格が私にあるのかわからない、とカシターナは言っています」
軍の通訳が四角張った返答をした。
マンシュタインは少し考えて、言った。
「私の息子のひとり、ゲーロは東部戦線で戦死した。君は親を失った。私たちの子として、ゲーロの代わりに生きてくれ。私の望むことは、それだけだ」
通訳を受けたカシターナは、無言でうなずいた。
「さあ、パーティはもう始まっているようだ」
マンシュタインはカシターナを促した。
----
玉ねぎがあった。ジャガイモがあった。卵など士官食堂用の食材があった。いろいろな種類の酒があった。生還した兵士と士官たちを慰労するパーティが、ザボロジェで開かれていた。
ヒトラーが入ってくると、大きな歓声が起こった。
「ハイル・ヒトラー・オストカンファー(東部戦線従軍者)!」
すっかり出来上がっているベルグが、ジョッキを高く差し上げて叫んだ。不ぞろいな笑い声と拍手が続いた。
ヒトラーが壇上に立った。座が静まった。
「兵士諸君!」
ヒトラーは発声した。
「済まない。これほどとは、思わなかった」
小さな笑い声が起こって、すぐに消えた。ヒトラーは、周囲の兵士たちの顔を記憶するように、見回した。
「このようなことは終わらせねばならん。私は私の戦争をする。私はその戦争で犬死にをするかもしれんが、最後まで君たち戦友のために戦う。だから、生き抜いてくれ。戦争が終わって、運が良ければ、また会おう」
静かな拍手が、会場を満たした。
----
カウフマンは警笛を口から放した。交通係に再雇用されてもう2年近い。マイネッケ警部はあからさまに引退を勧めるが、体が動くうちに、何もしないのは気に入らなかった。信号機の故障が直って、交通整理の仕事もおしまいになった。署に帰って一息だ。
ふと、横断歩道を渡りきっていない老人の姿が目に止まった。駆け寄ったカウフマンは、思わず言った。
「元帥閣下!」
「ヘル・フォン・マンシュタインだ」
老人は穏やかに訂正した。
「もう私は退役した」
フォンを抜かさないのが元帥らしいな、とカウフマンは思った。
「急ぎませんと、信号が変わっております、ヘル」
カウフマンはマンシュタインに自分のひじを持たせると、道路の端まで先導して行った。派手なクラクションが、かつて聞いた轟音を、つかの間思い出させた。
「カシターナは元気ですか」
「元気以上さ。私の孫の半分は彼女が」
マンシュタインが言いかけたとき、背中から声がした。
「ハンス・ヨハノヴィッチ!」
カシターナだった。ドイツのおかみさんの平均的体型を基準にすれば、かなりほっそりしている。20年前に一度会った相手の父称をどうして覚えていられるのだろう。それがロシア人、といってしまえばそれまでだが。
横にいるのはコラーだった。どことなく笑顔が弱弱しい。成り行きとはいえ、一等兵が元帥の婿になれば、いろいろと気苦労もあるのだろう。周囲に3人の子が群れている。いや、4人だ。4人目の男の子は歩道のガードの上を、巧みにバランスを取りながらやじろべえのように歩いている。怒られたい盛りの年頃だ。カウフマンが何か言おうとしたとき、カシターナの怒声が、その子の名を呼んだ。
「ゲーロ!」
完
いくつかの理由で、この作品は不運でした。PDFによる公開を試したのですが、ちょうどそれと交錯するようにケータイがWeb世界の主流になり始めていたのです。まったく反響がないのに驚いたマイソフは、以後10年くらい2次創作しか書かなくなったのです。いま読むとあちこちに考証ミスがあります。
当時はまだテッベルの『クルスクの戦い』原著は刊行されておらず、Glantz&Houseの『The Battle of Kursk』とNewton(編)の『Kursk: The German View』が主な資料でした。テッベルは「クルスク作戦のアイデアはもともとマンシュタインらが主導したもので、ヒトラーはむしろ懐疑的だった」ことを将軍たちの意見交換から浮き彫りにしましたが、「クルスク戦後、オリョールを北から攻めるクトゥーゾフ作戦の準備は大規模すぎて普通に感づかれていた」ことなどはNewtonらがすでに述べていました。
クルスクの「正面を叩く」というアイデアはカレルの『焦土作戦』がマンシュタインのクルスク戦直前の提案として述べているものですが、カレルはクルスク戦に関する軍主流派のヒトラーへの責任転嫁、さらに広く言えばいわゆる国防軍潔白伝説について黙契に加わったとみられていて、そう考えるとこの「正面攻撃で意表を突く」提案は実在したかどうか怪しいものです。第1話を公開したところでわざわざシステムの許す最低点の2点評価を入れた方がおられたのですが、バウル・カレルの名に脊髄反射する方であったのかもしれません。まあ架空戦記も小説である以上、少女の運命や何かが史実の正確さより大きな比重で評価されたりするのが現実で、私はどっちかというとそちらの世界で生きております。
ナースホルンの初期の編制表は作品内に書いた通りで、クルスク戦で長砲身88ミリ砲のフェルディナントは活躍しているのに、ナースホルンの戦闘参加は8月以降にしか見当たりません。妙に「予備」が多いのは故障のせいかと疑っていたのですが、結局それを根拠づける話はどこからも出てきませんでした。