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第5話 他策なきを信ぜよと命ず


「イギリスが何も言って来ない」


 スターリンが情報源を明かすことは珍しかったので、ワシレフスキー参謀総長は自分が平静な表情を崩さなかったことを祈った。スターリンの部下には、色々な理由で、色々なタイプの死が訪れるのだ。


「ということは、まだヒトラーは脱出に成功しておらん。どうしてなのかわしにもわからんが、イギリスのドイツに関する情報は正確だからな。そこでだ、ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ」


 ジューコフ元帥が自然に起立した。


「貴官が以前から望んでいた、ドイツ中央軍集団への全面攻撃を裁可する」


「はい、同志スターリン」


 ジューコフ最高司令官代理は熱情的に答えた。


 スターリンは冷笑しているような、していないような表情で、さりげなく付け加えた。


「貴官の任務は、もはやスモレンスクの解放ではない」


 ジューコフが前年の「火星」攻勢で無残な失敗をしたことを思い起こし、恥辱に表情をゆがめるのをゆっくり確かめた後で、スターリンは同じ口調で続けた。


「ベラルーシやミンスクの解放でもない。貴官の任務はいまや、ヨーロッパの解放である」


 ソビエト国防委員会の席上を、控えめなさざめきが駆け抜けた。


「イギリスが何の情報も売りつけてこないのは、いま我々にそれを知られたくないからだ。革命はいまや大陸を覆わんとしており、イギリスにそれをとどめる手段はない」


 スターリンは、少し口調を和らげた。


「フランスのシャンパンを、久しく口にしておらん。わしに一瓶送ってくれるか、ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ」


 ジューコフが唇を固く結んで、無言で敬礼した。


 およそスターリンに人を愛するということは似つかわしくないが、とワシレフスキーは思った。あれがスターリンにとっての愛の表現なのだろう。


----


 ソビエト軍の来襲そのものは、ほとんど予想されていた。戦車や歩兵の動きは、通常の情報収集活動で十分につかめていた。しかしドイツ中央軍集団の予想をくつがえしたのは、準備砲撃の濃密さと規模だった。重砲とロケット弾が炸薬の奔流をドイツ軍陣地に浴びせた。ジューコフは、クルスクでドイツ軍を撃退した後に予定していた攻勢をそのまま前倒しして、中央軍集団の壊滅を目論んだのだ。


 やがてソビエト軍の準備砲撃が止むと、それは絶対的な静寂と静止のようにドイツ軍将兵には感じられた。もちろんソビエト戦車のガチャガチャという耳障りなキャタピラ音がそれに続き、ドイツ兵の錯覚を解いた。


 ソビエトの弾幕は予想を超えていたとはいえ、ドイツ軍は戦線が安定していた間に効果的な壕を掘りきっており、そのことは徐々に地上へ顔をのぞかせてきたドイツ歩兵によって実証された。


 ソビエト歩兵は軽機関銃、大隊・連隊の歩兵砲といった、きめ細かな支援を与えるべき機材で、ドイツ軍にいまだに遅れを取っていた。師団砲兵も、ドイツ軍の105ミリ砲に対して76ミリ砲をいまだに主力としており、弱体のそしりを免れない。ソビエト軍勝利の鍵は、軍直轄砲兵の集中運用と、戦車部隊による突破しかない。最初の歩兵突撃がまだ成否を決めないうちに、はやるソビエト軍は戦車部隊を突入させた。この時期、極初期型のパンツァーファウストはまだテスト中である。だがドイツ軍には、経験豊かな歩兵というストックがまだ残っており、クルスク正面での消耗を免れた歩兵たちは、集束手榴弾や対戦車吸着地雷といった旧来の兵器で、その真価を実証した。


 ソビエト戦車兵たちには、前進を焦る理由があった。ソビエト軍はタイガー戦車やフェルディナント自走砲の存在を強く意識していて、将軍たちはドイツ新鋭車両を自軍戦車の射程内にとらえることが決定的に重要だと確信していた。


 そして、ドイツ戦車兵もまた、そのことを意識していたのである。


 鈴なりの歩兵を乗せたソビエト戦車が、ブルムベア自走砲の150ミリ砲弾を至近に浴びて、その緑色の車体は真紅の血で上塗りされた。地形を洗礼(事前の地形偵察。ローカルな目印に次々と命名してゆくことからこの異名がある)する時間が十分にあったドイツ第505重戦車大隊と第216突撃戦車大隊は、身を隠せる地形を巧みに渡り歩いて、ソビエト軍を分断した。フェルディナント自走砲は良い道路を選んでそろそろと前進するほかないので、活躍の場は主要な街道の近くに限られていたが、そこでの圧倒的な威力は尾ひれがついてドイツ歩兵に広まり、元気付けた。ドイツ軍の機関銃座はあちらこちらに生き残っており、それがソビエト歩兵と戦車兵の連携を妨げた。


 ドイツ軍にとっての難敵は、意外なところにあった。ソビエト軍との戦線に敷設した自軍の地雷が、記録の不備でどこに埋めたかわからなくなっており、優勢を利して追撃をかけた戦車部隊が自軍の地雷に引っかかる事態が頻発したのである。そのことは包囲の輪をつつましいものにしたが、前年秋の「火星」作戦同様、ソビエト軍の突破はあっさり頓挫するかと思われた。


 しかし今年のソビエト軍は違った。攻勢不調とわかると、前にも増した密度で、再び前線に徹底的な制圧砲撃を仕掛けてきたのである。


 両軍の砲撃で多くがなぎ払われたとはいえ、まだまだこの周辺には豊かな樹木があり、視界を妨げている。それを揺すって低空を飛ぶものがあった。ドイツ第6航空艦隊のフォッケウルフ地上攻撃機である。払暁を期して再開されたソビエト軍の砲撃を止めるべく、基地を飛び立ってきたのである。攻撃目標は、飛び交う火線の発生源。


 ついにソビエトの重砲陣地が位置を暴露した。パイロットたちはそれぞれ狙いを定め、砲の上を飛び違いざま、250キロ爆弾を置き去る。1秒のディレイを与えられた遅発信管は、地上攻撃機が飛び去る余裕をかろうじて与えるものだった。1940年にイギリスを攻撃したドイツの爆装戦闘機は爆撃照準器がないことに苦しんだものだが、最近のドイツ地上攻撃機は遅発信管を使って目標のすぐ上を飛び過ぎ、確実に目標を撃破できるようになっている。これに呼応して、ソビエト軍の対空砲も、小口径で速射できるもの主体に変わりつつあった。


 各機は機首を返すと、木箱、トラック、ロケット弾の軌条と、爆発しそうなものを片端から銃撃した。吹き飛ばされた軌条が真上を向き、点火したロケット弾が真上に飛んだかと思うと、そのまま落下して爆発した。飛んでも飛んでも目標の尽きることはなかった。やがて機銃弾を撃ちつくしたフォッケウルフは、飛び去っていった。状況報告を受けたメッサーシュミット戦闘機部隊が、詰めるだけの機銃弾を抱えて後を追っていた。


 空は両軍の戦闘機でいっぱいになったが、断固として前進せよとの命令を受けていたソビエト第11親衛軍は、準備砲撃の不足をよそに歩兵11個師団、戦車4個旅団、独立戦車2個連隊のすべてを挙げて突撃を再興した。オリョール北方で突出せんとした第11親衛軍を待ち構えていたのは、第2戦車軍の危機を受けて第9軍のモーデル元帥が手放した第53ロケット砲大隊と第2重ロケット砲連隊であった。そのうち最大の30センチロケットは中の炸薬だけでも44kgを超え、着弾すると周囲の兵士が酸欠で死亡するほど激しく燃焼する。壊乱したソビエト軍に付け入った第177突撃砲大隊は、そのころ配備が始まったばかりの105ミリ榴弾砲搭載型3号突撃砲の仰角をいっぱいに取り、ソビエト砲兵陣地へのカウンターバッテリーを開始した。


 もはやティーガー戦車やフェルディナント自走砲が走行できる、状態の良い道路はどこにも存在しなかった。歩兵師団長たちは華奢なドイツ産の馬を後方に下げ、ロシアで徴発した駄馬と人力だけを使って、迫撃砲を前進させた。彼我の巨弾が戦闘地域に着弾し、乾いたサイコロの音を立てて歩兵たちの運命を定めた。いずれの側も航空優勢を確立できず、相手の観測機を戦闘地域から追い払うことができなかった。


 しかしソビエト軍が序盤に失った戦車と歩兵はあまりにも多く、通信能力に優れたドイツ軍が統制された砲撃をソビエト砲兵陣地に加えることを押しとどめられなくなると、ソビエトは貴重な軍直轄砲兵を後方に下げるしかなくなった。工兵が黙々と道路をならし、ドイツ重戦車が好位置を確保すると、戦線は安定した。ドイツ軍の補給路ではパルチザンが食い下がり、第2戦車軍のクレスナー大将に追撃を許さなかったのである。


 間髪を入れず、次の攻撃が始まった。今度はクルスク方向、オリョールから見れば南側である。ドイツ軍が期待されていたほど崩壊の兆候を見せていないことがわかっても、いまさらジューコフにも退路はない。大損害を受けた西部方面軍の第8突破砲兵軍団に代えて、ジューコフは無造作に中央方面軍の第4突破砲兵軍団と第13軍に攻撃を命じた。今度は、モーデル上級大将の第9軍がそれを受け止める番だった。


 ソビエト空軍はありったけの戦闘機を繰り出し、砲兵への空からの攻撃を阻んだ。次々にドイツ戦闘機や地上攻撃機が投入されたが、いずれも砲兵陣地に行き着くまでにすべての機銃弾を撃ち果たし、撤退を余儀なくされた。ドイツ軍は砲撃を阻止することをあきらめ、その後に続く歩兵と戦車の突撃を支える他に道はなくなった。


 だがソビエト軍にとって不運なことに、オリョール南方の進撃ルートは、ドイツ第78突撃師団の戦区だった。


 この師団はもともと第78歩兵師団だったが、1941年以来の連戦で1942年夏には牽引車不足で榴弾砲の移動もままならない消耗状態となっていた。そして不運なことに、1942年秋にソビエト軍がドイツ軍大包囲をもくろんだ「火星」作戦で、この師団は有力なソビエト部隊の進撃路に当たっていた。ソビエト軍は第78歩兵師団を踏み潰して前進した後ドイツ軍の逆包囲にかかり、その救出をもくろむソビエト軍部隊を、ぼろぼろになった第78歩兵師団が再び支える羽目になった。こうして「火星」作戦が頓挫した1942年末には、師団はもはや残余と呼ぶべき状態になっていた。


 ドイツ中央軍集団は、この師団に突撃砲、対戦車自走砲、重迫撃砲などを特別にあてがい、歩兵は少ないが高火力の、対戦車反撃専用師団として再編した。そしてその真価を問われるときが、やってきたのである。


 進撃するソビエト歩兵をまず見舞ったのは、120ミリ重迫撃砲の弾雨だった。ドイツ軍の一般部隊は、このタイプの武器を持っていない。簡便な砲なので射程は短いが、なにしろ炸薬量が大きい。突撃中の歩兵が戦線に大きな穴を開けるほど吹き飛ばされる。壊乱する歩兵と切り離された戦車が突撃すると、今度は30両の突撃砲と、25両のマルダー対戦車自走砲が待ち受けている。前進の止まったソビエト第13軍の後方へ、ドイツ第2装甲師団が回り込む。


 第2装甲師団にはまだフンメル150ミリ自走榴弾砲が届いていないが、ヴェスペ105ミリ自走榴弾砲は届いていた。小規模で緊密な戦闘団が2両のヴェスペを囲むように前進し、ソビエト軍の後方に砲弾を浴びせる。応射するソビエト砲兵の位置を見極めて、小刻みに移動と弾薬補充を繰り返しながら、戦闘団は小規模なカウンターバッテリーを続けた。それは突破砲兵軍団を沈黙させるには程遠かったが、歩兵・戦車との連携を失わせるには十分だった。その間に第2装甲師団の主力は、第78突撃師団と連絡をつけ、突出したソビエト軍を側面から圧迫した。ソビエト軍は前進することをやめ、円形の陣地で持久に入った。


 陽気なポポフ上級大将(ブリャンスク方面軍司令官)も、ジューコフ元帥が直々に司令部に陣取って作戦を指導し、しかも連敗で機嫌が最悪とあっては、そこにいない振りでもするしかない。ジューコフは中央方面軍司令部で、第13軍の突進を指導していたが、さっきブリャンスク方面軍に戻ってきたばかりだった。


「第3親衛戦車軍を投入して、前進中の第13軍と連絡をつける。第7突破砲兵軍団に加え、新たに第2突破砲兵軍団をブリャンスク方面軍に配属する。明朝の夜明けと共に突撃を開始する。攻撃計画を準備せよ」


 ジューコフは叫ぶように言った。何人かの方面軍参謀があたふたと部屋を出て行った。航空参謀が何かを言いかけて、黙った。航空隊は連日の反復出撃で疲労の極に達していたが、そのことをジューコフに言っても、代わりの航空参謀を投入するだけだろう。


 ソビエト軍にこうした無理な要求はつき物だった。しかし最近では、その無理な要求を達成できる条件が整ってきた。アメリカからの物資援助である。


 日ソ中立条約の範囲で、アメリカからウラジオストックに大量の物資が送り込まれていた。これらは食料、繊維製品などが中心で、純然たる軍需物資を送るには別のルートが必要だった。その中で最大のものが、ようやく軌道に乗ってきたペルシャ経由ルートである。これを通じて、アメリカ軍のトラックが大量に供与され、砲兵の集中を支える弾薬輸送が円滑に行なえるようになってきた。例えば1個突破砲兵軍団を編成するには、3000台以上のトラックが必要になるが、ソビエトはすでにアメリカから9万台のトラックを受け取っていた。


 悲惨な前線の状況にもかかわらず、司令部には闘志がまだ充満している。それは決して、空元気とはいえなかった。


「いいか、お前たちに必要な命令は、次の4つだ」


 ジューコフはぎょろりと目をむいて叫んだ。


「1、2、3、ウラー!」


----


 モーデル上級大将は預金通帳を精査する老婆のように、報告書に目を落としていた。決して増えることがなく、減るばかりの残高を、見飽きるほど見てきた老婆のような。


 春以来安定していた損害が、ここ数日で破滅的な規模に達していた。整備や修理に回っているものは多いが、車両の全損は意外なほど少ない。あれほどの攻勢を食い止めたにもかかわらず、ツィタデル作戦のために集められた装甲予備がふんだんだったので、対応力も失われていない。問題は歩兵の死傷者だった。


 北部軍集団はすでに、ほとんど戦車なしで戦っている。中央と南方がいま集められている戦車集団の力で安泰だといっても、それは幻影に過ぎない。東部戦線は歩兵が支えているのだ。それがすり減ったとしたら、戦線の突出部をならすための後退を実施するしかない。


 考えをめぐらすモーデルに、副官がクルーゲ元帥の来訪を告げた。もう鉄道も自動車も安全ではない。小型連絡機での来訪であった。


 中央軍集団司令官・クルーゲ元帥と、第9軍司令官・モーデル上級大将の反りは良くない。軍人一家に生まれ、上意下達の世界で謹厳に生きてきたクルーゲと、音楽教師の家に生まれ、民間企業感覚でずばずば直言するモーデル。だが現下の状況判断に限って言えば、両者に開きはほとんどなかった。


「オリョール突出部からの段階的撤退につき、作戦立案の許可を頂きたく存じます」モーデルが早口に言った。


「裁可する。ただ速やかに、このリストにある部隊を後退させてもらいたい。明日付けで、中央軍集団直轄に戻す」


 リストを渡すクルーゲも仕事が速い。モーデルとの会話を短くしたいだけかもしれないが。


 モーデルはリストに目を走らせた。クルーゲに感じとれるほど表情の変化はなかった。第656重駆逐戦車大隊(フェルディナント)、第216突撃戦車大隊(ブルムベア)など貴重兵器はすでに第2戦車軍に渡していたが、それに加えていくつかの装甲師団、そして突撃砲大隊が含まれていた。もうツィタデル作戦の再興はない、ということをリストは示していた。残りの部隊で慎重な撤退戦を行い、壊乱に陥らずに戦線を平らにならさなければならない。他方面の攻勢にも対処できるよう、予備を差し出せというクルーゲの指示は、モーデルも予想していた。モーデルが期待していたほど条件は良くなかったが、覚悟していたほど悪くもない。


「総統は、まだ行方不明のままですか、元帥」


 モーデルは用心深く尋ねた。


「貴官は貴官の任務に専念しろ、上級大将」


 クルーゲの返答を、モーデルは肯定と受け取った。


----


「彼女は、ドイツ軍に協力して、ソビエトにいられなくなったのです」


 カウフマンはヒトラーたちに、カシターナの立場を説明した。


「総統の居場所を知らせるために、パルチザンに連絡されたりしたら、どうする」


 ベルンシュタイン大尉は咆えるように言った。


「彼女は、そんなことはしません!」


 コラー一等兵が、突然士官と下士官の会話に口を挟んだので、みなが驚いた。コラーも自分のしたことに驚いた様子で、こわばった表情できょろきょろと視線を動かすと、意味もなく敬礼して後ずさった。


「ベルンシュタイン大尉殿は、カシターナをここに置き去りにしろというお考えですか」


 カウフマンが尋ねると、今度はベルンシュタインが口ごもった。RSDは警察系の組織である。向かってくるテロリストには容赦のなさを示せても、機密保持のために女性を殺すような活動とは、本来無縁なのである。ベルンシュタインは救いを求めるように、ヒトラーを見た。


「フライブルク少佐、君がこの場の最高位者だ。シュトラッサーも君を評価していた。君が決めたまえ」


 ヒトラーは迷いを隠すように、ゆっくりと言った。


 ヒトラーは女性と子供に弱い。そんな噂をフライブルクは思い出した。女権論者だということではない。少なくとも目の前にいるときは、女性と子供を邪険に扱うことができないのだ。


 カシターナにはおおよその成り行きがわかるらしい。おびえる目が、挑む目に変わろうとしていた。


 フライブルクは、さっき出会ったばかりの兵士たちをさりげなく観察した。みんな表情を自制しているが、何かを祈っている風に見えた。


「ロシア語のできるものは」


「はい、少佐殿」


 ブレネケが答えた。


「我々が友軍と出会うまで、我々と運命を共にすると誓えるか、尋ねてくれ」


「ヤヴォール(了解)、少佐殿」


 ブレネケが勢いよく答え、目に見えて座の空気が緩んだ。


 ロシア語で何事か聞かされたカシターナは、唇を結んで、ゆっくり首を縦に振った。


「決まった。我々は一緒に行く。ところでだ。総統に差し上げる食料と水はないかね」


 ごそごそと兵士たちは雑のうをかきわけ、いくらかのグルパと水筒を差し出した。兵士たちみんながほぼ同量のグルパを差し出したこと、カシターナが何も差し出さなかったことを、フライブルクは心に留めた。


 ほとんど味のないグルパを、ヒトラーも3人の士官たちも夢中で噛み砕いた。少し砂埃交じりのグルパをじゃりじゃりと噛み砕いているうち、蕎麦の香りが鼻腔をさかのぼってきた。


「捕獲品かい」


 ゲーリケ中尉が何気なく尋ねた。兵士たちは一様に困った顔をしたが、カウフマンが言った。


「それは兵士たちだけが分かち持つ秘密であります、中尉殿」


 フライブルクがからからと笑ったので、士官たちも、ヒトラーまでも釣られて笑った。笑いながらフライブルクは、カウフマンと目を合わせた。カウフマンも微笑しながら、感謝するように会釈していた。


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 第7親衛軍の孤立は解消していなかった。支援部隊も含め7万6千人の大集団が敵中を補給もなく前進している。それをヴォロネジ方面軍司令部で聞いたワシレフスキー参謀総長は、いつになく冷淡に言い放った。


「全滅してもかまわん。前進を続けさせろ」


 バトゥーティン大将(方面軍司令官)の細い目がわずかに光った。


「ヒトラーの墜落した地域を、確実に蹂躙させるのだ。祖国は彼らを永遠に記憶にとどめるだろう」


 ワシレフスキーは、ふだんそんな台詞を吐く人物ではなかった。それはワシレフスキーなりの贖罪意識が表れた言葉なのだろうと、バトゥーティンは思った。


「第5親衛戦車軍は、払暁を期して西方への突破作戦を行ないます、同志将軍」


 バトゥーティンは、ワシレフスキーの気持ちをなだめるように言った。


 第5親衛戦車軍は兵員4万人弱、それ自身の直轄砲兵はそれほど大規模ではない。ヴォロネジ方面軍とステップ方面軍からかき集められた12個独立対戦車連隊が、240門の76ミリ対戦車砲を使って準備射撃の弾幕を張った。もともとこういう用途に使う野砲を対戦車砲に直したものだから、先祖がえりである。


 この地域のドイツ軍が有力なのは、すでにわかっていた。スターリンが直々にジューコフの前進を望んだ以上、南方に大規模な増援もできかねる。この攻撃は救出というより、第7親衛軍の包囲を遅らせる牽制である。


 攻撃開始で人がせわしなく行き来する夜明けの司令部で、第7親衛軍は自らの運命を気づいたろうか、とバトゥーティンは思った。


----


「グラスラントよりコルネール、ソビエト装甲車4台発見、これより交戦に入る、ファーティヒ(以上)」


 抑揚のない声が電波に乗って、ダスライヒ師団の本隊に送られた。言葉少なに展開が指示され、8輪重装甲車が距離をとって砲塔を回す。軽装甲兵員輸送車から兵士がぱらぱらと飛び降り、稜線の確保にかかる。ソビエト装甲車はドイツ装甲車に気づくと、一目散に逃げ始める。これは普通の反応だ。ドイツは「交戦して出方を見る」ことを偵察で重視するが、ソビエトのドクトリンでは偵察は偵察で、見つかったら逃げて復命しなければならない。


「グラスラントより各車、フォイアッフライ(発砲してよし)、ファーティヒ」


 通信を受けて、20ミリ砲の発射音があちこちで響く。包囲できるほどの兵力差はなく、ソビエトは被弾しつつ全車逃げ延びる。前哨戦としての遭遇などこんなものだ。追いかけるようなタイミングで、戦車連隊から分派されている1個中隊が姿を現す。装甲車中隊長は再集合をかけると、確保した稜線から次の稜線まで慎重に数台の装甲車を走らせる算段にかかった。もう敵戦車がいつ現れてもおかしくない。


 ドイツ第2親衛戦車軍団は3つの装甲擲弾兵師団から成る。名称は国防軍と戦闘親衛隊の微妙な関係を反映して、まだ装甲師団ではないが、実質はそれを上回る装備を与えられていた。相次いで、LAH師団、ダスライヒ師団、トーテンコープ師団の前哨が会敵した。兵力8万に達しないソビエト第7親衛軍に、他の2個軍団も合わせれば22万のドイツ第4戦車軍がぶつかるのである。単なる兵力のぶつかり合いであれば勝敗は見えていた。しかしドイツ軍は、総統救出という難題をこなすために、砲兵を存分に使うことができない。ヒムラーの思惑で、ヒトラー救出を担う進撃の先頭は第2親衛戦車軍団とすることにマンシュタインも同意したので、用兵の柔軟性はそこでも制約された。


 ローカルな両軍の動きを一番よくつかんでいるのは、もちろん地元のパルチザンである。両軍とも、遭遇戦はあっても、部隊周辺地域を制圧しきれていない。両軍の中間地帯に、パルチザンのヒトラー捜索網は狭められていた。


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