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勇者などいない世界にて  作者: 一二三
第二章 宿命の動乱
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第二章17 曲がりなりにも聖騎士②


 戦闘は両サイド共に疲弊し、とっくのとうに佳境を通り過ぎたと言ってもいいくらいだろう。


 まず最初に、アッバースとボレアスがぶつかった。奇妙な術で対抗されるよりも早く風魔法でアッバースの足を掬い、転倒を狙ったバランス崩しが炸裂する。

 開幕早々の形勢の傾き具合に拍車をかけんと、月光を反す業物が喉元を狙うも、


「俺は……いや(やつがれ)は簡単に負けてやる為に貴殿と争っているのではないよ」


 王を護る為の護身術。その強い体幹を生かし転倒を側転に変えつつ、残していたメイアの『アイスガトン』を盾とする。

 攻撃こそからきしでも、どう身を護るかに於いては覚えがある。アッバースには戦いを乗り越えられる自信があった。


「すこぶる厄介で仕組みが不明瞭な業だ。魔法を一時的に消して、時間差で再発動させる力とも見れるし、魔法をコピーしつつ消し、コピーした分だけ好きに自分も使える業とも見れる」


「愉快! あまりタネは明かしたくないが、使わねば命に関わる。こちらもどう貴殿を対処すべきか決めあぐねてるところだ」


「罠のつもりか? されど、観察の機会が増えるとあらば好機と受け取り、カラクリを看破してみせよう」


 ボレアスの懸念の通り、これはアッバースの罠だ。

 知っての通り、亜人獣魔との乱戦を終わらせた方法は大嵐を『収納』、『攪拌』、『放出』というプロセスを通して利用したから。ここで忘れてはならないのは、魔法の詠唱として、口の上で紡がれるのは『収納(リュッカ)』『攪拌(カースティ)』『放出(エルヴィプ)』と、竜文字であることだ。


 竜文字とはアッバースが長を務めるカンペリア集落でのみ伝えられる太古の言葉。かつての賢者たちが、邪竜の存在を秘する為に伝承等の一切を秘境に隠した。その過去が為に、当然ボレアスを始めとした者達が言の葉の意味を理解することはあり得ない。


「意味を把握できたとして、意味の意味をも履き違えるように策は巡らすさ」


「独り言を呟いている暇が?」


 得意の風魔法で身体を浮かせたボレアスが、自由な空から双撃を振り回す。氷塊を出しては仕舞い、出しては仕舞うを繰り返すが、氷だって耐久値というものがある。


「だから、限界まで引きつけて……『収納(リュッカ)』と」


「おっ」


 羽織っている風を奪って自分のものにしてしまえば、アッバースも晴れて空の旅人に転職だ。もっとも、慣れない浮遊現象に勝手が効かなくなっているので本末転倒も甚だしいのだが。


 なんてやっている内に敵方も再度浮遊して、二枚の刃が殺意の音を鳴らす。こちらは空を泳ぐ技術に長けていて、両者の様子が完全に対比だ。


「やはり能力発動条件は触れることか。とりわけ風属性の場合、流れが拡散するせいで触れることの範囲が緩いらしい」


「納得。接近が鍵であることを証明するための浮遊だったか」


 空を泳ぎながら適当に嘯いておく。

 アッバースはただ、腹筋に力を込めてバランスをとる危うげな様のまま、虎視眈々と『収納』する "その時" を待っている()()


( 検討。こっからどう奪ってみせよう。確証バイアスは既に始まっている。時間稼ぎも程々に、案外早く、やれそうか。ボレアス・デジョン、貴殿の()()()()()()()()()()() )


 魔法以外も『収納』できる。そう、仕舞うことに魔法も物質も関係ない。ただ、相手が勝手に対象が魔法だけと思い込んでいる、それだけ。


「うお、と、おっととととととと!」


「な、なんなのだ……これも策略の演技、ですか?」


 危険を取り除く。その為にできることを考えておきながら、宙を飛ぶなんて不慣れなことをしたせいで全部無駄になりそうな、気の抜ける争いがまだまだ続く。


 一方、メイアとフェルナンドの方も肉体唸る激戦を敷いていた。


「がぐああああああああああああッ!」


 こちらはフェルナンドの消費激しい強化攻撃と、メイアの解放した秘策によって好調のスタートを切る。息を合わせるという息の合わせ方にシフトチェンジした結果、最初とは全く異なる大躍進を迎えていた。


 ただ、少々跳ねるように攻撃を避けるたび大地への干渉で爆撃をしてくるので、全くもって油断は厳禁。そもそも、あれだけの怪我を負わされて油断できる人間がいるはずもないが。


「流石に手強い。先程までとは完全なあべこべ……しかし、虎とは常に猛くあり、果敢に獲物を狩る者でなくてはならないッ!」


 媒質干渉を上手く利用し、互いの連携を一手崩す。そうして生まれたたった一、二秒の猶予で片方ずつ攻防を続けていく。


「なら、これも防ぐことはできるのかぁ!?」


「苦しいが、そうくるのが必然か」


 フェルナンドの腕が赤く発光する。エネルギー消耗が大きい分、拳から放たれるインパクトは反撃を捨て腕を十字に構えるアイネックの胴まで辿り、破裂音を鳴らしながら十メートル後退させた。

 それから間もなく「次」がアイネックを襲う。


「大きな虎の妨害に遭い到着が遅れました! 遅延証明書は必要でしょーかぁ!」


 氷上の少女が、滑走しながら横から大鎚を振り下げる!

 衝撃に身体の自由もままならない状態だが、アイネックもたまらず鞘から剣を引っこ抜き、


「なん…………斬り飛ばせない、だと?」


 アイネックの剣は聖属性を有しており、切れ味と威力は苛烈なものとなっている。事実、一度はメイアの薙刀を豆腐でも切るかの如く断っていた。

 しかし今、(かしら)の丁度中枢で剣身は止まり、完全に氷を両断するに能わなかったのだ。


「聖属性とは____初めて聞く属性ですが、確かに恐ろしい強さを持っていました。けど、それが魔法と同じ理屈である以上は、対策としては変わらない……!」


 メイアの頭の中で、ある日のナハトの言葉が浮かぶ。


『創造魔法の武器はあくまでも気体系が主。攻撃魔法とぶつかれば押し負けるのは武器の方だ。ところが一つ、メイア、お前になら今から言うこともできるはずだ』


 それは『コルティツァ・装』が完成して後、液体系魔力の扱いが少なからず上達したからこそ教授してもらった魔法対策。創造には軸となる液体系が必要だという理論が強く絡んでいた。


( 大鎚みたいな、一定以上のでっかいものを作るなら、軸を大きく、そして強いものにする! 単純だけど気体系適性者には難しい一工夫だ!)


 聖属性の促進力を受け止める分厚い基盤が、一時的とは言え剣をがっちり捕まえた。重厚な鎚の一撃は、捕らえた刃を伝ってアイネックの腕を痺れさせ、一帯を震わせる。

 互いに勢いがぶつかり合ったが為、数秒後には氷鎚も切断される。それでも簡単に突破されない事実が重要だった。


「素晴らしいメイア! この俺の蹴りを以ってして、遅れての攻撃は不問とされる、ぜ!」


「仕方ない、甘んじて受ける。そして耐えるッ!」


 言葉通り、爆発的なエネルギーがフェルナンドの脚からノーガードの胴部へと注がれ、瞬く間に風を切った。


「ごれは______ 」


 腹筋に力を込め歯を食いしばろうと、ノーガードだから意味は為さない。虎としての屈強な身体と、吹き飛ばされた後の受け身だけが被害を抑える最大限の方法。


「ごふ、が、ぶぁ、だあ、ぢゃ______ 」


 勢いそのままに大地を転がり、血反吐を垂らして必死に堪える。内臓がごちゃ混ぜにでもなった気分だった。三半規管も悲鳴を上げ、腕の痺れが尾を引いたか指を動かす感覚も忘れた。


「お、と。み、じゅ、の、おど」


 幸いだったのは、アイネックの転がった近くに泉があったことだろう。

 ここも『嵐よ舞え(テンペスト)』の影響を受け泉の水ごと消し飛ばされたようだが、水源は無くなっていなかった。飛ばされず残った水と、戦闘中新たに湧いた水が再び泉を満たそうとしているらしい。


「この一発が、生死を分ける……ふぅ、ところだった」


 ほふく全身して水を掬い、口内の血を流す。水で洗うほど血の味と匂いが鮮明に感じ取れるようで気持ち悪い。


「おい、もう負けを認めたらどうだ?」


 水を口に含んでいる内にようやく身体の感覚が取り戻せそうになった、そんな所でうつぶせ状態の背にフェルナンドの足が乗った。ここで力を込めて踏んでこようものなら、今度こそ背骨ごと潰されると理解する。


「まだ……あと少しばかり、私の散る場は、先にあるのだ」


「それは、俺たちに出会わなければ達成できたろうな」


「だが、貴様らがオーロイド朝へ来るのは運命だったのだろう。避けられない敗北など……あってたまるか」


 アイネックの決意の固さが、彼を総じて突き動かす。


「どわわわわ! こ、こんにゃろぅ畜生!」


 左手を空気に干渉させ、接地面ぎりぎりのところで爆風を発生させることで自身を右に飛ばし、フェルナンドの足の射程から流れてみせる。大きなダメージを喰らった上での、自傷覚悟の脱出だ。

 これも想定内と言うように、一人のスケーターが颯爽と接近し、


「フェルナンドさんの生半可な脅しから抜け出したところで、この私は逃______ 」


 脱出した先にメイアの追い討ちがかけられるかと思われたが、言葉も半端なままに、完全にメイアの動きが停止した。足下の氷膜生成もストップしたことで滑走も摩擦で食い止められる。


「お、おいメイア……どうした?」


 氷の兜から覗かせる相貌にはただならぬ量の汗が滴り、瞳孔は広く、呼吸も浅く早くなっている。

 そして、脱力しながら崩れた。倒れてはいないが、四肢は地面にくっついて離れない。氷の装甲も溶け始め、防御力も著しくダウンする。


「当然の帰結だな」


「なんだと? 知らぬ内にメイアに何かしたのか!」


「そう責任の所在を押し付けるな。ただ責任があるとするなら、メイア氏自身こそが、いまの結果をもたらす要因」


 アイネックは腹部を押さえながら、痛みに耐えながら立ち上がり、深く息を吐く。


「私はいま、痛みを知っている。痛いからこそ己が限界を測れるし、最善の一手を模索できる。だが、彼女はどうか。痛みを冷気で緩和……いや、痛覚を鈍化させ痛くないと嘯いて戦ってきた。彼女の身体はとうに限界を超えていた、それだけの単純な責任よ」


「かはッ……こふ、が……はぁ、はぁ、はぁ」


 言葉を返す余裕すらなく、咳き込み呼吸を繰り返す。冷えた体躯を貫通する熱さが全身を駆け巡って、平衡感覚もままならない。眩暈がする。力を込めようとすれば激痛が走り、塞いでいた切り傷から血も滲む。


「来たぞ、勝機!」


 無慈悲にも、アイネックはメイアの雁首を手中に収めんと、刃を鞘にしまい、硬化した筋肉を鼓舞して飛び出した。

 狩人の剛腕は、狙った獲物を離さない為にある。狩人の健脚は、狙った獲物を逃さない為にある。


「うがぁッ!!」


 メイアに辿り着くより早く、割って入ったフェルナンドの喉元を鉤爪が掠めた。


「フェル、ナンド…………」


「安心しろメイア。仲間を守るところまでが連携プレーってやつだろ?」


「格好いいな青年。しかし、もとより貴様を待っていた!」


 毎度の如く踏み込みで陸を揺らし退路を断つと、胸ぐらを掴んで思いっきり背負い投げを決める。


「一応は私とて聖騎士としての矜持を持っているし、賛同できる。なれば殺す必要のない者をわざわざ殺しはしない。戦闘不能にさせるだけでいい」


「け、戦闘不能にできるって口ぶりだなぁおい」


「高い可能性の話をしているだけだ」


「こーゆー時に限って聖騎士っぽさ出してやがる……」


「は、些末な話だ」


 フェルナンドは舌打ちをかまして立ち上がる。それでも立ち止まってはいなれない、突撃だ。

 拳が宙を空振った。

 避けられ、空振った腕を掴まれる。そして胴に空気の、魔力衝撃で引き離される。


______ざぶん、と。


 フェルナンドは泉の中に足を踏み入れていた。深さはたった三十センチほどでも、これでは動きにぎこちなさが生まれてしまう。その隙のでかさは半端ではない。


( アイネック程のフィジカルなら、この程度の水なんか跳ね除けて攻めてきても不可解じゃねえぞ )


「と、思うだろうが私はこの泉に入らない」


 小さな泉の畔に仁王立ちになり、水濡れるフェルナンドを俯瞰する。

 これが狙いだったとして、アイネックに何ができるか。フェルナンドは一縷の時間を浪して考える。敵がどんな技を持っているかが重要で、それは既に幾度としてみた____


「空気、陸ときて、今度は水か」


「ご明察! そして水中だからこそ、貴様の脚が覆われていることがとてもいい! 今から動いても、被害は免れん!」


「その能力強すぎないかあああああああ!?」


 両手を水中に突っ込んだアイネックと同時、全身を赤く光らせ号するフェルナンド。

 破壊的な圧力を噴出する魔法『限界超圧(オーバープレス)』と言うものがあるが、それを思わせる気迫が股下の水を弾き、周囲に空気の穴を開ける。


「両脚が爆散する結末をかように防ぐか……しかし」


 弾かれた水が飛沫をあげて爆ぜた。

 直接的にダメージを与えられずとも、水飛沫は威力を持った散弾となり、フェルナンドの全身を撃つ。一滴ずつの力は弱いが、泉全体が今や自然の散弾銃と考えると震える恐ろしさだ。


「く……あぅ」


「今度は全身から霧のようなエネルギーが大気へ昇華されているな。今のは蓄積していた疲弊に相当な拍車をかけたのではないか?」


 外見だけで見れば傷やダメージ痕こそ少ない。ただ内にある疲労というものは活力を奪い隠し、みるみる内に満身創痍へ誘っていくものだ。

 フェルナンドの凄まじい気迫も霧散し、両脚が再び泉に包まれる。


「これで終わりだ。飛沫弾を身に受け、負けを認めろ」


 水に浸かった両腕を強く握り、爆散させるポイントを定める。フェルナンドにももう同じように回避するだけの体力はない。意地と気合いでなんとかなるか、とも頭を過ぎるが、


「アイネック様! 急報です!」


 最後の一手が繰り出される寸前で、男が大慌てで空から飛んできた。風を身体に纏った彼は軍将ボレアス・デジョンだ。


「デジョン軍将。その慌てよう、一体何があった。それに双剣は何処へ……まさか敵がいる場に置いてきたとは申すまい!」


「わ、我が双剣は敵の策に溺れ奪われたとしか……いえ、そんなことより重要なことがひとつ! 数キロ離れた村に置いてきたという聖騎士団が、騒ぎを聞きつけミンスタージュに接近しております!」


「なん……十中八九『嵐よ踊れ(テンペスト)』が要因だろうが、もうそこまで時間が経過していたか」


「自然、(やつがれ)はこの時を待っていた!」


 少し遅れて、アッバースも危うげに宙を泳いで駆けつける。様子を見る限り、戦闘に於ける一進一退は特になく、ただ最後まで身を守る護ることに成功したらしい。


(やつがれ)は最初にこう言ったはずだ。時間の許す限り、とな。そう、最初からこの戦いに決着をつけるとするならば、アイネック殿でも他の皆でもない、時だったのだ」


「脱帽だなこれは。聖騎士団統括ともあろう者が一人で国の中央を離れる訳がない。だから近場までは王朝の兵士を引き連れているはずだ、と。そこまで先を読んでいたという訳だ」


「……今冷静になってみれば、森のさざめきに混じって雑多の足音が聞こえてきます。戦いに集中するがあまり、戦場外の音に耳を傾けていなかった」


 馬の走る音と松明の灯が夜の森の中で動いているのが、獣人ではないアッバースらにも聞こえてきた。つまり、聖騎士たちは普通の人間にも聞こえる範囲まで接近していたのだ。

 そして、最初の馬に乗った騎士が影の中から姿を表す。


「貴様ら、抵抗せずじっとしていろ! 森に息を潜めていた亜人獣魔の者どもは既に拘束された! ミンスタージュの住民、獣魔、その他もろもろ皆等しく動いてはならぬぞ!」


 怒号と等しき警告の声に続いて、ぞろぞろと兵士たちが多方から現れる。亜人獣魔は既に四面楚歌、全方を包囲されていた。


「刻限とは無情よな」


「……ですね」


「そこの獣魔! 何を喋っている!」


 泉の方を向いたままのアイネックとボレアスは両手を上げ、静かに振り返る。このとき初めて、亜人獣魔のリーダー格ふたりの素顔が兵士たちに晒された。

 当然のように、戦場は驚愕で埋め尽くされる。


「その顔と装備……獣人の姿をしてはいるが、まさか、聖騎士の……」


「なんだって? そんなはずは、でも確かにこれは」


「…………ダリア・アイネック卿だ」


 皆の知るアイネックとは違い、本当の姿は筋骨隆々でケモ耳もある。普通なら他人の空似で済まされてもおかしくはないのかも分からない。

 けれどそれは、


「聖騎士団統括ともなれば話は別だろうな」


 アッバースが小さく溢したように、彼の場合、国中の皆に知られすぎている。獣人であることの先入観を除けば百人に百人がアイネックだと答えるだろうし、統括のみが身に付ける防具に聖属性を宿す刃まであるとなれば、もう避けられない。


「なぜ、卿が亜人獣魔に……いやそれ以前にどうやって、素性を隠し続けて……」


 目の前の光景が事実と分かっていても、誰もが敬い従ってきた者がオーロイド朝に仇なす敵だったと知って、そこで冷静にいられる人間はいなかった。


「ぐ……アイネック様は最初から獣人として____! 」


「デジョン軍将、よいのだ。ことの顛末は後にそこなアッバース殿らが語るだろうからな」


「しかし……いえ、分かりました」


 そうこうやっている内に、メイアやフェルナンドのもとにも兵士たちが駆けつける。特に重症のメイアには迅速な手当てが必要と判断されたのだろう。

 ヒーラーの術師もいるらしく、微力ながら治癒が施される。回復魔法もそうすぐに全快とはいかないのだ。


「曲がりなりにも聖騎士最強のアイネック卿とここまで渡り合える人間か。恐らく貴殿らが話にあったレーベン王国からの使者とやらだろうが、簡易手当を終えたら詳細を話していただく」


「構わない」


「うむ。ではアイネック卿、いや亜人獣魔筆頭ダリア・アイネック。拘束させてもらうが、異論ないな」


「私には反撃の意思はもうない。ただ、拘束すると言うならデジョン軍将を先にした方がいいと思うがね」


「反徒の言葉にわざわざ耳を傾けると思うなよ」


 少しでも時間を稼ごうとでも言うのか、反撃の意思はないと返しつつ拘束の先延ばしを提案するアイネック。

 ただ、ご存知の通りアイネックはこの場で一番強い人間と言っていい。この場の全兵士にとって、先に動きを封じるなら彼以外あり得ない。だからこそ、


「何をしている!」


 大きな虎を覆うようにして、風が優しく集まった。


「残念だが、私は何もしていない」


「ふ、副団長! こっちです、こっちの獣魔の魔法です!」


 風属性魔法を得意とするボレアス・デジョンの、風による浮遊術の存在が彼らの虚を突いた。

 これ以上の策は講じさせてはならないと、取り囲む兵士達が急いて首元に刃をあてがう。


「待て、殺すな! こいつらは大事な証言人。それに亜人獣魔の軍将だとアイネック卿……謀反人筆頭が言ったのだ!」


「ぐぐぐ……」


「氷解。軍将と敢えて付けて言ったのは、デジョン氏が死んで浮遊魔法が解除されるのを防ぐためであったか。でも」


 軍将の立場にある者を生かすか殺すかの悶着が発生したが、アイネックを逃さない為にできることは、沙汰をアイネック自身に決めさせることではないのか。

 つまり、


「提案。アイネック殿よ、貴殿がここから飛んで逃げると言うならデジョン氏の首は飛ぶ。大人しく留まると言うなら、その限りではない。これでどうかな」


「人質か。だが、それを私が考慮していないとでも思っての発言か?」


「では逆に、彼が人質に取られると知っていて逃げようとしていたと考えていいのかな」


「お逃げください、アイネック様」


「結局のところ、魔法が解かれれば遠くまでは行けないと言うに、そんな無謀な____ 」


 アッバースは言葉の途中で気付いた。

 アイネックの両眼を覗いたとき、そこには並々ならぬ覚悟が据わっていることに。震える目を、揺れる心を強く固めて、決心していた。


「聖騎士としての矜持、か」


 世間を欺瞞と称してどんなに恨もうと、聖騎士全体で掲げる理想像にはある程度の賛同を見せるアイネック。それに倣えば、王朝の陰で苦しむ獣人たちの復興を謳いながら、獣人の仲間を見殺しにする矛盾した決断を容易に出来るはずがない。


「アイネック殿。貴殿は亜人獣魔という名称を嫌っていた。ならば、本当の集団名があったのではないか?」


「…………『仰げば尊し』と、そうありたいものだな」


 理想の冠を未来に夢想して、アイネックは振り返る。ボレアスに向けられた刃が首の皮を微かに切り始めるも、もうそれで躊躇わない。


「待、て…………!」


「いいや、少女よもう遅い。時間切れ(タイムイズアップ)だ」


 メイアが最後まで残しておいた第二の秘策、それを今こそはと発動しようとするも、体力と時間的問題で叶わず。

 風を着た虎は、真夜中の森に溶けて消えていった。


 ボレアス・デジョンも、彼を失えば亜人獣魔の重要な司令塔を失うとして、聖騎士副団長の判断で斬首とすることにならなかった。残ったのは、怪我人多数と状況を知らない兵士多数。


 互いの意地がぶつかる、殺伐とした夜が終わって。

 楽しい気持ちに誰もなれない、空虚な夜が始まった。



お疲れ様です!

多分次は更新が遅くなりそうな気がします、はい。

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