第二章09 使命⑤
燦々と照りつける太陽がうざったらしいったら仕方ない。直に受ける日の熱と、熱せられた大地から反射される間接的な日の熱とがグランを苦しめる。
季節は夏。遠くを見れば陽炎は揺めき、周囲を見渡せば布で汗を拭きながら暑そうに歩く人々でいっぱいだ。
そんな中、彼の前に舞い降りた突然のチャンス。
「グラナード・スマクラフティーを探していると来たか」
なんだか邪悪な笑みにも見える顔が八百屋のおっちゃんの顔を引き攣らせる。
「なんやその表情! けど、その反応、さては何か知ってるんやな兄ちゃん」
「まあ、な。運良くそいつをよぉーく知ってる」
「そりゃ運がええ! 昨日の今日で情報が舞い込むなんざ流石のミスティカランドよなぁ! どうか、依頼主の為にも情報を分けてくりゃせんか」
もちろんどの世界にもプライバシーという概念は存在する。店主の頼み方からも情報開示がどれほどリスクを抱えているかなど理解しているのだと分かる。大きな声で全てダダ漏れになりそうな件は一旦保留にしとくとして。
「じゃあ、その前に一つ確認させてくれ。その依頼主ってのはどんな特徴をしてたか、それだけ先に知りたい」
この世界でグランを知るのは現状としてメイア、イッポス、バーティの三人に絞られる。なら特徴がひとつでも分かればその依頼主とやらは明らかになったも同然。
( まあ、イッポス達が俺を探すってのは不自然だから、答えは既に自明ってやつではあるけど……)
「ん〜、そやなぁ。件の探し人は嬢ちゃんの兄って話でよ、桃色した頭の元気な子ってところだな」
「やっぱそーですよね〜」
「ほほぅ? 兄ちゃんは依頼主の嬢ちゃんのことも知ってる風だな。つくづく運がいいじゃないの」
「なら、もっと驚かしてやるよ。実はグラナード・スマクラフティーってのはな、俺のことだ。つまり、依頼主ってのは俺の妹ってことになる」
あまりに予想外だったのか、店主の情報処理が追いついていない。遂には「お、おおぉ、お? あんたが嬢ちゃんの! こいつぁつげえや!」と大騒ぎ。
雷鳴の如く響く声は大衆の注意を引き付けて恥ずかしい。彼は心から喜んでいるのだろうが、公然の場ではそれが辛い。
「ちょ、ちょっと声を抑えた方がいいんじゃ…………」
「これが黙ってられるかい! 兄ちゃんは嬢ちゃんと真逆でド陰キャのシャイボーイかぁ?」
「黙れとは言ってないし、ツッコミ所は色々あるが…………こら情報漏洩とか何とか、てか誰でも恥ずいだろ!」
「わぁったわぁった! 落ち着けよ兄ちゃん。ちと興しすぎたのは認めるが、とにかく! 嬢ちゃんから言伝預かってるんだ、勿論聞いていくよなぁ?」
「は、何言ってる。可愛い妹の伝言を聞いていかないっつう大馬鹿野郎オオカナダモの赤ん坊がいやがるってなら、俺ぁそいつをぶん殴りに行くぜ?」
ちなみに、このグランの発言はガチと受け取った方が良い。流石に見ず知らずの人間を殴ることはないと思いたいが、少なくとも妹の善意を無下にする輩を見かけようものなら怒鳴ってもおかしくない。
その「妹」が誰の妹であってもだ。
「はっはは…………そいつぁちと笑いにくいな。や、嬢ちゃんもいい兄ちゃんを持った。そう考えりゃいい、のか?」
「それでしかない」
おじさんも豪快な笑いを飛ばさないほど困惑していた。
が、持ち前の磊落な気質と店主としての接客経験がものを言い、困惑を即座に殷賑へと置換する。
「まあええや! 兎にも角にも頼まれてた言伝をそのまま伝えるぜ。耳かっぽじって聞けよ〜」
「まかせろって」
手元にある机からメモ紙が取り出し、ごほんと咳払いで喉の調子を整える。
「え〜っと、『お兄ちゃん、突然いなくなって驚いたよね。色々伝えたいことはあるけど、とりあえず今は一つだけ言います。ここから何処に行くかまだ分からないけど、お兄ちゃんがこれを聞けているなら、必ず会えるよ!』……だそうだ」
「うむ、脳内再生余裕よ」
「えぁぁ? 俺の声真似は聞いてなかったのかよぉ!」
メイアの声真似をしたらしき男の高音はグランの脳内で完全にメイアそのものの声に置き換わっていた。店主の努力は無駄だった。
何はともあれ、グランの中でピースは揃ったと言っていい。妹が「必ず会える」と言ったなら、必ず会えるのだ。
「…………ならもう急ぐ必要もない、か。本当にありがとうおっちゃん」
「気にするなぃ! それより、これも何かの縁。次にまた嬢ちゃんが来た時の為、今度は兄ちゃんから言伝を預かるで!」
「おいおい、そりゃ太っ腹だな。なら、たっぷりとお言葉に甘えさせて貰うぜ」
やはり善人すぎる。無一文でも嫌な顔ひとつせず、ここまでの待遇をしてくれるとは恐れ入る。
小さな依頼掲示板があるが故にそういう客が多いという事なのだろうが。
「しっかし、伝言を残すにしても迷うな」
「おいおい、ここで何時間も使わないでくれよぉ? 朝は客も少ないからいいが、流石に時間が経つと困るぜぃ」
「ん、そう心配すんなって」
必ず会えると言われた以上、無理に探す必要は無くなった。となるとグランの方から伝えたいことと言っても限られてくる。
「安心した」だとか「早く会いたい」だとか、そんな伝言として今を為さない感想なんかでは駄目なのだ。
( 俺はここにメイアを探しに来た。けど、違う。本当はそれより前、別の目的があってミスティカランドの存在を知ったんだ。だから、そうか )
直近の目標がほぼ達成に迫ったなら、大元のそれに立ち直ったメッセージも残すべき。なら、最適解は、
「よし、『今年の大闘技大会、楽しみだな』で頼む」
「おや、簡潔でいいじゃない。そんでデモクレイ城下町で開かれるあの闘技大会を目印にするたぁ粋も粋!」
( なるほど、この国の中央はデモクレイって言うのか )
「ま、愛しの妹君に伝える言葉なぞ今はこれで十分さ」
「はは〜ん、兄ちゃん絶対に再会してからバンバン物を言いやがるつもりだろ」
「それ、本人に言ってくれるなよ?」
「なぁに言ってんだ! 情報漏出なんて客の信用に罅の入るような真似は商人にとっちゃ御法度よ!」
なおも大声で会話を続ける店主に自覚があるのか無いのか、グランは追求しないことにした。
「んじゃま、俺はそろそろ行くよ」
「ほいよ! こら嬢ちゃんにも言ったんだが、次来る時は客として買い物してってくれると助かるな」
「なら、とびきり新鮮なのを頼むぜ〜?」
「皆まで言わずとも、当然そのつもりだ。味と新鮮第一! この屋号が掲げる『繁栄』の文字を大成させるのよ!」
ついぞ勢いを失速させることのなかった店主に軽く別れを告げ、グランは朝から賑わいを絶やさぬミスティカランドの路に溶けていく。
やや離れた後もおじさんの快活な声が一帯に響き続けたことは言うまでもない。
行くべき地はデモクレイ城下町。
そこに城があるということは、おそらくイッポス達もそこにいると考えるのが妥当だろう。
「約束の一週間も前に押しかけたとなっちゃ驚かれるだろうけど、来ちまった以上は仕方ない。これで逆に困るということもないだろ」
メイアを見つけると言う目標が半ば解決、少なくとも疾く遂行する必要性がなくなったことを受け、当初の目標である国家転覆の阻止に尽力できる。
「国家ってのは多種多様の人々が生き永らえる大規模な共同体だ。それが傾けばどれだけの流民、貧民が地を彷徨うか計り知れない」
その予想の通り、たった今グランの視界に映る露店の数々も荒廃し、周辺国家の属州と成り果てても何ら不思議ではないだろう。或いは、空となった土地を我が物にせんと諸国が新たな戦を生み、この世界全体での混沌が待ち受けているかも分からない。
「そんな、何もかもを絶望に陥れかねない国に仇なす者がいるのなら…………そいつぁ許せないし、赦さない。それが俺に与えられた使命って訳だ」
そう意気込んで、グランはミスティカランドを発つ。
ガタゴト、折角だからと最初に見かけたサイ型馬車に乗って移動を始めた彼がぐったりするのは、また別のお話。
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人の集まる場所とは、大抵栄えた場所に限られる。
殊に、首都だとか帝都だとか言われる所にでもなると、真夜中ですら眠ることを知らず人が出歩いていたりする。
そして、このデモクレイ城下町は年一度の大闘技大会に代表されるよう、その活気が定期的な催し物に由来する町である。大会までまだ一ヶ月あると言うのに、町は既に、総じて大会に向けた装飾で着飾られていた。
そんな中、男は退屈そうに街中を闊歩していた。
スカジャンを肌の上から直に羽織っているため、正面から胴の筋肉が露出している。この格好はこの地では決して目立つ訳でもなく、それは別にいいのだが、彼の目は悪辣だった。言いかえれば、眼力が強すぎる。
「ひぇ______ッ」
目が合った女性、子供、いや性別や年齢に関わらず多くの人から発せられる恐怖の音。冒険者達には彼を気にしない者も多いが、普通に街に暮らす者達からすれば異風な男であることは間違いなかった。
かつては、この異風が当然の地域があったと言うのに。
「ほんと、時代が移るってのはすげぇことだ。この国でまた職を与えられたとは言え、実質的には一般兵とそう大差ない扱い。いや、これは俺のやる気のなさが為か」
彼には、特にこれと言ってしたいことが無い。
生が続く以上は何かをしなくてはいけないと考えるが、かつて彼の敷いていた圧政は今となっては許されざること。そもそも既に彼から圧政をしようという気は消えている。
「奴らは目的に溢れてていいよな。故郷に帰還を果たしたってんで再び生きる目的を見出してる。比べて俺ぁ……なんて、そんなこと考えても仕方ねぇし」
既に太陽は高く昇り、この夏、熱気は何処までも男を追跡しては離さない。日陰に逃れても熱量は主張をやめてはくれない。
「……けど、それとはまた違う気味の悪さだ」
絡みつく暑熱に不快感を覚えつつ、彼はこの城下町に来てから嫌な何かに付き纏われていると感じていた。夏の人混みに紛れるように、何か違和感があるように思えて。
「はぁ……またネガティブ思考に陥ったか?」
違和感の正体を探してもどうせ分かりやしないと、それを自分の消極的思考のせいにして考察を強引に中止した。
「長い悪夢から覚めたはいいものの、しかし、その毒はまだ消えずに残っていると言ったところか」
独り言をぼやきつつ、商店街の十字路に差し掛かる。
その、どちらに行こうかと足を止めた所で、ドン! と背にかなりの衝撃が走った。ただそれは何者かの悪意なんかによるものではなく、
「いたた…………」
「なんだ子供か。大丈夫かよ、気をつけな」
走っていたのだろう少女が前の男が停止したと気付かず衝突したと、そんなところだろうと予想をつける。
フード付きのマントを羽織っていて、他の子供とは異質な雰囲気が彼女にはあった。
「だがオメェ、どんなスピードで走ってやがったよ? 今の衝撃は普通の子供が遊びで走ってたなんてもんじゃ説明が付かないくらいのもんだったぞ_____って、聞いてるか?」
少女は全く聞いていない。と言うより、話をするよりも大切な何かがあるとでも主張するように、辺りをキョロキョロと窺っていた。
男はそれを意に返さず声をかけ続け、
「あ、ぶつかったのに謝罪もせず…………すみません」
「それは良いんだが、余所見は厳禁だぜ」
「本当に申し訳ないです。ですが急いでるので_____ 」
男の忠告に少女がそこまで返したところで、雑踏の中から「何処だ!」「大人しく出てきなさい!」と威嚇的な兵士ふたりの声が響いた。
「ッ________!! 」
声を聞いた謎の少女が大きく体を震わし、隠れるようにザガンの背後に回り込んむ。
「お願いです。何も、何も言わないでください」
「…………お前、もしかして」
追われているのか? と聞こうとしたが、男のズボンを強く掴んでいるのを見て、それで悟った。訳ありだと。
兵士は二人いるから、角度的な問題で少女の姿が露見してもおかしくない。
「おや、これは!」
と、人混みから姿を見せた兵隊の片方が何かに気付いた反応を見せ、男の方に寄ってくる。
( ちッ、早速バレたか )
「これはこれは、確か『傾聴者』の方でしたよね! お疲れ様です」
杞憂だった。
ただ男が国の兵士にとって既知の存在だったために声を掛けられたというだけらしい。けど、まだこれで危機が去った訳じゃない。少女が見られないよう物陰を上手く使いながら情報を探る。
「ああ、ご苦労。して、何故声を荒げて歩いていた?」
「それが、ある少女を探していてですね。( これは公に言えないので小声で失礼しますが、王に呼び出されたその少女が城内の兵士を吹き飛ばして逃げ出しまして )」
「……そいつの特徴は」
「はい。フードを被っていた為に外からじゃ性別が判別付きにくいですが、もしかして、そのような風貌の子供を見かけていたりしませんかね」
どこからどう考えても、その少女とは背後で心配そうに息を殺している彼女と一致する。
ついつい兵隊から隠そうとしてしまっているが、男が務める『傾聴者』とは本来、国王直属の機関である。であるから彼がすべきは「ここにいます」と差し出すこと。
それにも関わらず。
まだ幼い彼女を追い回し捕えさせる必要があるのか、と。
役職として果たすべき責務と比べ、何が大切なんだ、と。
「いや、見てねぇな。俺はこっちから歩いて来たから、少なくともこっちじゃない。オメェらはこっちを探したほうがいいんじゃないか?」
男は少女を庇うことを選んだ。
「本当に、見てないんですね?」
「はぁ……だから見てねぇんだって。そんでよ、話を聞く限りだと逃げ出した奴ってのは相当の手練れのようなんだが、そいつを探してるってことはオメェら。上級相当の兵士ってことでいいんだよなぁ?」
「はい、一応そうなりますが…………それが何か」
「『傾聴者』とオメェらでどちらが立場的に上なのか知らんが言わせてもらうぜ。人を追ってる最中に大声を荒げるなんざ、自分の居場所を教えてるようなもんだろ。それも分からんで上級を名乗るなよ、愚鈍畜生が」
ギロリ、悪辣を満面に込めた瞳が兵士ふたりを射る。畜生と呼ばれたことに少なからず反感は抱いたらしいが、その有無を言わさぬ恐怖が上から彼らを竦みあがらせた。
「くっそ……言ってやりたいことは、たた沢山あるが、絶対に奴を捕えてあ、あんたに後で俺らが上級兵だと証明してやりますよ」
うんうんうんうん、ともう片方の兵士が小刻みに頷く。
「子供捕まえて喜ぶってのも人間性がどうかと思うが、せいぜい返り討ちに遭わないよう祈ることだな。ほら、行きな」
「くっ……協力、感謝する」
彼らの不服な表情は最後まで払拭されはせず、嫌な顔幾つもしつつ感謝の言葉を告げる。彼らは男の示した方向に大人しく向かい、再び人の波に飲まれゆく。
なんとかこの場を乗り切った。それ以前に男は、意識するまでもなく自然と相手を圧倒していた。
「おっと、すまん。もう大丈_____ 」
振り返ると、ズボンを掴む少女の姿は既に無かった。微かに人と人の間から走り去る彼女を捉えたが、もう話すことは叶わないだろう。
「挨拶もなしか。ま、俺がお国に勤める『傾聴者』とバレたことだし、少しでもリスクを避けようと必死になるだけ奴らより優秀だ」
謎の少女に、男は期待を馳せた。
本来すべき職務に反した行為をしてまで守った存在。彼の中で、過去の縛られた悪夢と照らし合わせてしまったのかも知れない。
「授かったこの職が、俺にとって功を奏す否か。俺のしたいことはなんなのか。それを探る必要がありそうだな」
男は懐から一つの板を取り出す。
『傾聴者』であることを示す証であるが、これには「12 ED TE : Zagan」の文字が刻まれていた。
「俺はもう、ラグラスロの支配下にいるんじゃねえ。ようやっと是非を自分で判断できる状態になったんだ。俺は俺で、俺として生きる」
男の名はザガン。一年前、黒竜の命を受け都市アンスターに単独侵攻し、半壊にまで追いやったその本人である。
あれから時を経て、イッポス達に連れられこの故郷の世界に戻っていた。
加えて、先程彼が見せた圧倒的な悪態は、数百年と前、黒竜支配下に置かれるより以前に彼が恐怖政治で一地方を統治していたことに由来し、意図せずそれが全面に表れていたのである。
「と、そんなこたぁ今はいい。イッポスとバーティの野郎ならあの子供の話も知ってそうだ。詳しい話を、聞いてみようじゃないか」
はぁ〜、とデカいため息ついて踵を返す。
「久々な気もするな。ここまで自発的に動こうとするのは」
堅牢に守られた王城に戻る道すがら、ザガンは初めて意識的に周囲の様子に目を向けた。けれど、彼が強引に思考を中断させた、違和感の正体には気付かない。
ましてや先の少女が違和感に携わる者であることも。
あまつさえ彼女がレーベン王国の命運を担う存在の一人であることすらも、知るよしがない。
そして、新たなる違和感が丁度ザガンの背後を交差するように通り過ぎた。互いに互いの存在には気付かず、そのまま通りを別々の道に抜けていく。
「さーて、イッポスんとこに行くには城を目指せばいいんだが、その前に町の様子も多少探っておく必要があるよなぁ。ま、道すがら確認すりゃいっかな」
昼も過ぎ、交易や商人達の中継都市ミスティカランドを出た、異世界の住民グラナード・スマクラフティーは城下町内に入っていた。
ザガンとグラン、ここからの目的地は城で共通しながらも道を異にし、それぞれの歯車も動き出す。
二人が少女のことを知るのは、もう少し先になる。
お疲れ様です。
第一章とは打って変わって序盤戦闘がないのですが、代わりに主人公達の「使命」がひとまず固まりました。この調子だと第二章が100話を超えないか心配なところもありますが、今後とも宜しく願います。
では、また次回!