第一章07 月下に躍る
その戦地は、闇に覆われた不気味な森の最奥に位置している。そこにあるのは闇を打ち払うかの如き澄んだ秘境。
聖域とも言い表せるだろう湖の上で、両者は激しい戦いを繰り広げる。
一歩、また一歩と足を動かすたびにバシャン!と水が跳ねる音が鳴り、力と力がぶつかり合うときは更に激しく、ザパァン_____!! と水飛沫が弾ける。
ただし、それだけではまだ互角でしかない。
だからこそ、これから新たな攻防戦がこれから開かれようとしていた。
「『オリヘプタ』!!」
その魔法でグラン VS ヘキサ・アナンタの戦いが始まることで、まずグランを優位として戦況は傾いた。
今まで攻撃魔法を使用してこなかったからこそ、使ってこないものだと思い込んでいた大蛇は魔法を対処しきれず初撃を喰らわせることに成功。
調子ついたグランはその勢いのまま果敢に突っ込み、気合で全ての攻撃を弾く。そして壁を伝うように大蛇の頭上を渡り、眉間に到達する。
大蛇はすぐさまそれに対応して振り落とそうとするも、グランはそれより早く頭から飛び降り、
「痛みに苦しめ、よ!」
落下しながらギョロリと動く巨大な水晶体を三日月で切り潰す。そのまま首に攻撃を仕掛けられれば良かったが、リーチが足りずそれは断念。
だが、
「ひとつの頭が傷つくと他の頭も痛みを感じる。はっ!そんなんじゃ戦いにくくて仕方ないだろうに!」
6頭がそれぞれ別の個体として存在するのではなく、合わせてひとつの個体として存在するが故の弱点。
連帯責任の不条理を味合わされるかの如くだ。
「でも、それを補うかのように無秩序な暴れ回りがあるんだよな。これはこれで厄介なんだが!」
着地したところを背後から強烈な頭突きを受け、身体をのけぞられたまま前方に飛ばされる。もう少し威力が強かったら背骨が折れて死ぬ目に遭っていたかも知れない。
ところが前方に飛んだことで逆に大蛇の懐に潜り込むことができた。この機会を逃すわけにはいかない。
背中に走る鈍痛を堪え、脚を伸ばして湖に足をつける。そのまま強引に水上を滑って大蛇の目の前で着陸すると、
「間近でくらいやがれ、新作の『オリヘプタ』だ!」
魔法の名前で判断するならばそれは7つの球が爆発するだけのものだが、「新作」と言うからには違う。
グランの周囲に現れた7つのそれは指先の一点に集中し、別の力となって眩く光る。
その光を真下に感じ取ったヘキサ・アナンタは漸く自身の身の危険を察知し、6方向から再び小さなエネルギー砲を放とうとしたらしいが、そんなんじゃ遅すぎる。
「残念だが、こっちが先に準備は整ったぜ!」
敵の攻撃より早く、指先に溜められたエネルギー集合体はレーザー光線のように放たれ、一直線に大蛇の首を貫いた。
ギュルルゥァァリィァァーーーッ!
この世のものとは思えないようなおぞましい叫び声は彼方まで響き、口内に溜められていた邪悪なパワーが拡散する。
完全に同じとまではいかなくとも、それはつい先程大蛇の撃った特大破壊光線のようだった。
頭上目掛けて魔法をぶっ放した反動でグランの身体は自然と下方へ下がっていき、水中へと埋もれていく。
だからと言ってグランは全く濡れていない。それが、グランの使用している水中歩行を可能にする魔法の能力であって、自発的に潜ろうとしない限りは絶対に沈むことはない。
だからグランが反動で下方へとずれていくと同時、水面もそれに合わせて凹んでいるという状態だ。
「よし、期待通りの破壊力だ。ま、放つまでの時間が長いってのが改善点かな」
目を潰された次には喉に穴を開けられ、続けて大きな傷を負った魔物は例の如くのたうち回るが、今回は無秩序ではなかった。グランが真下にいて攻撃が命中しやすいからこそ、単に暴れるだけでなく、必ず敵に命中するように攻撃を仕掛ける。
「でも、頭が全部下に来ちまったらどうやって上を守るんだ?」
言いながら少し後退し攻撃を回避すると、一瞬の無駄も許さず高く飛び上がる。
「がら空きだぜ? まるで刺身にしてくださいと言っているみたいにな」
ザンッ!と、その音は、第2ラウンドが間もなく終了するという合図になった。
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巨大な頭部が水面に落下すると、轟音と共に青と赤の水飛沫があがる。そのまま重いそれは深く深くへ沈んでいき、きっと肉食魚の餌になっていくことだろう。
折角綺麗になった湖がまた血に塗れてしまい、生々しい鉄の臭いが空気中に漂っている。
相手の首は、まだあと2本も残っている。
しかし、残り2本。第1ラウンドでは、ここまで追い詰めたところで失敗に終わり頭部再生を許してしまった。
羹に懲りて膾を吹くとは違うが、ここまできて再び失敗をする訳にはいかないとグランは集中する。周囲に警戒を払いながらも、狙うは右端の頭。
復活をされる前に終わらせねばならぬと、移動のスピードも次第に速くなっていく。
「だあぁぁぁああああッ!!」
大きくジャンプし、両手で武器を持って振りかぶる。
同時に大蛇も甲高い咆哮でグランを迎える。まるで、それが今できる最善の攻撃だとでも言うように。
そして、鋭い月の刃が蛇の鱗に到達するその直前、
刹那、グランを奇妙な感覚が襲った。
これは第1ラウンドでも体感したそれと全く同じ現象で、とてつもないほどに高い音が耳鳴りのように聞こえて来る。
それだけではない。
むしろ加えて高音と共にやって来ることの方が本命。
グランを含め、その周囲の全てが時が止まったかの如く停止した。ただ意識だけがその止まった世界で動いていて、でも、頭を働かせるだけの時間はなかった。
ほんの瞬く間の事象だ。
だから世界が止まったと認識したときにはもう時は動き始めていた。しかしだからといって、そのままグランの攻撃が目の前の鱗を引き裂くことはなかった。
「なっ?! 一体何が………俺は、なぜ大蛇から離れて落下しているんだ!」
怪我はない。鈍痛も走っていない。
あるのは、いつの間にかグランが後方にのけぞって落下しているという感覚だけ。
だが、何故こうなったのかを考える暇はない。現状ではこういうものだから、と理由付ける以外に状況を説明する手立てはない。
「なるほどな。つまりこいつ、ヘキサ・アナンタは首が残り2本になると特殊な咆哮で攻撃を阻止するって仕組みなんだな? 第1ラウンドでは俺が吹き飛ばされた状態だったからその行動の意図が分からなかっただけ。こいつ、ますます面倒な蛇だぞ」」
綺麗に足から着地すると一旦グランは後退して距離をとる。
視界に映るのは、さっきも見たばかりの肉が蠢く嫌な音と同時に新たな首が生成されていく光景。
「結局2回も再生を許してしまうとはな……だが、宣言するぜ。次で倒す。もう準備はできている!」
疲弊で身体は重くなっていくが、勝利への道を見据えると気合で自身を働かせる。
グランからすれば、なぜ勝利への道が未だ途絶えずに残っているのかが不思議なくらいの運任せで無謀な策なのに。だからこそ、ヘキサ・アナンタはグランだけを敵として認識していて、他のことに気を配っていられる状況ではないという証明になる。
「へっ。この第3ラウンドは、俺が貰った! そうと決まれば出し惜しみはしてらんねぇってな!」
大量の鮮血が再び溶解していく。また水面下の脅威が再び訪れる可能性もあるが、それは水面下での話であり、きっともうあの群れと関わることはないだろうとグランは直感していた。
あくまでも直感でしかないが、彼のそれは時に正確で、それに従うことが英断だと考えている。
なら、目下のこと以外を気にする必要は全くない。
「ここで遂に、新たな魔法を見せてやる。『オリヘプタ』でも『オリベルグ』でもない、新たな魔法を!」
自信に満ちた余裕の表情を見て、大蛇は雰囲気で察する。このままボーッと見ていたら痛い目に遭うと。何が何でも阻止しないと負けるかも知れない! と。
ガアアアァァァァッーー!!
ヘキサ・アナンタは天に向かって吠え、一旦後方へ下がろうとしたが、気付いた。
上空40〜50メートル辺りの場所に、大きな月のようなものが光を放って浮いていることに。同時に考える。一体あれはなんなのか、いつからあれが浮いていたのか。
「やっと気付いたってのか? お前、相当の阿保だな」
ギョロリ!と、煽りを入れるグランを激しい眼力で睨み付けると、首だけでなく、その巨大ごと怒り狂ったように突進を始める。距離は20メートル弱。大蛇の大きさを考えれば一瞬でグランを轢き殺すことだってできる。
「だが、もう遅い。『オリロート』」
残り10メートルの距離まで迫ったとき、グランの手から火炎放射が起きた。生み出された業炎は勢いを止めることなく湖を走り、大蛇を焼き尽くすという使命を持って突き進む。
炎を間近で見た大蛇はとんでもない反射速度で進行方向を横にずらし、その勢いで湖の水を炎に向かってばら撒ける。
「無駄だよ。この炎はそんな水なんかじゃ消えねぇ。水をかけられて消える程度のものが、湖の上を走れる訳ねぇだろって」
水飛沫を完全に無視して火の手は胴体に到達。消えない炎は大蛇の鱗を伝って拡散していき、容赦なく身体を焼き尽くし爛れさせていく。
炎が全身に回ると、それは六頭大蛇ではなく炎の化身だ。
身体が焼けていく苦痛に耐えられず湖中を駆け巡り出す。火を消そうと体を湖面に擦り付けているが、勿論そんなことで業炎は消えない。
大蛇は戦いを放棄し火を消すことに夢中になっていた。単なる本能で生き、「意志」を持たぬ生物であるが故に。
「そろそろいいか?」
その言葉は周囲を爆速で駆け巡る大蛇に向けられたものであるが、当の怪物には届いていない。そして、無我夢中な怪物はそのままグランの方へ方向転換する。
グランが武器を胸の前へ持っていくと、湖から発せられる光と上空の月のようなものの光が、刃の金属光沢を引き立てる。高く飛び上がり、首めがけて大きく武器を構える。
「さあ、俺にその首を頂戴な!ヘキサ・アナンタァッ!!」
反射光が線を描き、グランと大蛇が交差した。爆速で這い回っていた巨軀はその動きを失速させ、20メートルほど進んで停止した。それから数秒も経たないうちに、ザバンッ!という音とともに、巨大な塊が水面下深くまで沈んでいった。
今、ヘキサ・アナンタは多くの問題と対面している。
まず一つ目に、身体を蝕む灼熱地獄だ。対峙する素性も知れぬ人間が放った何気ない炎の魔法の、はずだった。
しかし、水を掛けても消えず、一度着火すれば急速に火の手は広がっていく。なす術のない必殺の力だ。
そして第二に、これで3度目となる頭部の消失。これも謎の男が原因で引き起こされた厄介な問題だ。切断される度に警戒度を増した筈なのに、敵も戦い方を少しずつ変えてくる。
ぐるりと首を回し、背後で刃を携える男を視界に捉える。
「どうした? もう抵抗はやめたのか、よ!」
何か声を出しているようだが、目下の人間が何を伝えようとしているのか、或いはただの威嚇なのか、それすらも分からない。
だが、多く抱えた問題に思考がショートした、その隙だらけのところを狙われていることだけは理解できた。理解できただけで、身体は動かなかったが。
虚無の間に数本の首が持っていかれる。もはやお決まりの流れとなりつつある光景に、ようやく危機感からか身体が動く。「咆哮しろ」と、本能が叫んでいた。
グランはニヤリと、口角を上げる。
理由は単純だ。ただ、望んでいた展開がやってきたからに他ならない。この、咆哮するという行為が行われる状況を。
「お前は一度見たんだ。それでもお前は俺との戦闘に力を注いだ。だが、俺が注いでいたのは戦いにだけじゃねぇんだぜ?」
手のひらを上空に向け、大蛇に負けじと叫ぶ。もうすぐ、時が静止するかのような感覚と共に全ての行動が阻止されることだろう。
しかし、グランが挙げた腕を下に大きく振りかざす。
一瞬、何も起きないのではとさえ思わせる雰囲気が漂う。
だが時間差で、グランの行動の真意は現れた。
白く煌めく魔力の塊_____魔法球という戦闘ではほぼ使用されることがない、文字通りの魔法の球体_____が、隕石の如き仰々しさを放ちながら落下する。
第1ラウンドでグランが上空数十メートルの位置に設置したそれが、満を辞して効力を発揮する!
衝突を視認したと同時、まるで時が止まったような感覚に襲われた。それは蘇生を阻害する為の大咆哮によるもの、ではない。魔力衝突で引き起こされた衝撃による五感の封印だ。
膨大な力の爆発がこのような不思議な現象を引き起こすものだとは知らなかった。視界を白で埋め尽くし、音は消え、いまこの戦場がどのような状況にあるのかが全くわからない。
だが、その空白の世界が元に戻るまでそう時間は経過しなかった。
もともと、グランは魔法球でただ大蛇の気を逸らせればいいな、くらいにしか思っていなかったのだ。だから失敗したとき、魔法球はもう無視して戦いに集中するしかないと一瞬気を引き締めたが。
ふと、アイデアが頭をよぎった。
少しずつ、大蛇が気付かないようにほんの少しずつ、空っぽの球の中に魔力を込めていけば、いつか莫大な威力の攻撃を叩き込めるのではないか?と。
それが現在、こうして作戦は成功。
衝撃波や爆破には、大蛇の放った破壊光線にも匹敵するだけの力があった。範囲こそ狭いものの、至極巨大な水柱が噴き上げ霧となっている。
「まったくよ、魔力を球に注ぎながらの戦闘ってのは大きなハンデだったぜ?」
空だった巨大な球を、火薬の満タンに詰まった巨大な爆弾に変えるだけの魔力を消費していたのだ。満身創痍のヘキサ・アナンタが無事に耐えられるはずもなく、
「さて、やーっと気絶させることができたぜ……」
大蛇は、グランの目の前で血を首から垂れ流しながら横たわっていた。
_____数分後。
実質的には戦闘が終わったと言ってもいいこの状況にて、グランが後やるべきは考えることだ。
命題は至極単純。気絶して倒れているこの巨体を殺すか否か、ただそれだけのことだ。だがたった今、それだけの為に熟考を強いられている。
( こういう究極の二択に迫られたときすべきは、まずは情報の整理だよな )
まずグランに与えられた情報と言えば、このヘキサ・アナンタはこの世界に一匹しか存在できないということ。このことが現在、グランを悩ませる種となっている。
でも、この情報だけでは何の手がかりにもならない。
( もっと、何か無かったか? 例えばラグラスロがヒントをそれとなく溢していたりとか………)
出会った生物は全て狩っていいと黒龍は言った。それはこの世界の魔物は皆、世界の支配者に悪を埋め込まれた人形と化しているからだ。
それだけではない。魔物は足りなくなった分、追加で創られてもいる。
( けどこの情報だけでも決定材料にはならない……)
『課題の対象は今は南の森にいるだろう。彼奴は生息地を変えない為、ゆっくりしていても問題はないだろう』
( 待てよ……あの黒龍、「今は」南の森にいるって言ったのか? 生息地を変えないのに「今は」だと?)
「あぁ、なるほどな。あの黒龍、なかなか作り込まれた試練の構成じゃねぇかよ。足りなくなった分魔物が追加生産されるってなら、この大蛇も例外じゃない。どこか別の場所で創造されて、堂々と待ち構えているって寸法か」
世界に一体だけ存在できる。この場合に於ける「存在」が「生きていること」を意味する。
わざわざそんなことを言及するくらいだから、つまり今グランがしなければいけないことは、確定した。
「俺がするのは生け捕りじゃねぇ、首を全部ぶった斬ることだ。そして、蘇生を待つ!」
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「んで、ラグラスロさんよ、新しいヘキサ・アナンタはどこにいるんだ?」
現在グランとラグラスロは拠点にいた。討伐報告を終えてこれから生け捕りにいこうとしているところである。
ちなみに討伐の報告は、わざわざ拠点まであの巨体を運んできた訳ではない。二度に渡る破壊的衝撃の影響が拠点にまで及んでいたらしく、万が一の様子見に丁度やってきたラグラスロがその目で見て判別を下したのだ。
そして今、復活したであろう大蛇の居場所を聞き出しているとこらなのである。
「……なぜ新しいヘキサ・アナンタとやらがいると考える?彼奴はこの世に1体だけ存在できると述べたはずだが」
「だから新しいって言ってるんじゃねぇかよ。もうあいつは死んで、存在してねぇよな? なら、新しい奴がいま別で創造されてるはずだぜ」
という訳で……と一言挟んで、
「 "今は" 南の森にいて、なのに生息地は "変えない" 。だから今、大蛇はどこかでふんぞり返ってるんだろ?」
黒龍はグランの言葉をよく聞き、「よかろう」と言うと、
「汝の言う通り、彼奴は今新たに創られて生きている。この試練のトリックに気づけたなら、後はもう簡単だな」
「そうだな、同じ要領で気絶させればいいだけだ。それに、あいつの行動パターンはもう把握したぜ。今度はもっと上手くやれる」
「であれば早速、彼奴の居場所を教えよう。生息地を変えないだのなんだの我が言ったのが、あの蛇は今も湖にいるぞ」
その言葉を聞いて一瞬グランの思考が止まったが、すぐに正気を取り戻し、思わず叫んだ。
「はぁぁ? 結局同じ場所じゃねぇかあぁぁぁぁぁッ!!」
その声は、誰もいない世界の遠くまで駆け抜けた。
お読みいただきありがとうございます!
グランの力はまだ成長段階ですが、大蛇よりも能力が上だった為にそこまで白熱する攻防はなかったですね
しかしこれからは明るい話も増えたりするので、しばしお待ちを!
ということで、次回もよろしくお願いします!