第二章07 使命③
広大な草原をひた走る馬車の中で、グラナード・スマクラフティーは項垂れてそこに生気なしと言った様相を見せていた。とは言え既に大都市ユニベルグズは間近に迫っていて、地獄の移動も終わりを迎えつつある。
グランが元・闇の世界でデアヒメルとの特訓に一年を費やしている間、大都アラ・アルトと南方都市アンスターを繋ぐ大陸初の魔道列車が敷かれ、これはユニベルグズを経由する為本来ならそれに乗って行きたいところではあった。
それが出来なかったのには特に深くはないが訳がある。
『すみませんグラン。あれからここで働いてお金を貯めていたのですが、村への土産を購入していたら魔導列車分の運賃が無くなってしまい…………』
深々と頭を下げてそう謝罪を溢したのはアル・ツァーイ村の政務担当、グリム・ベムであった。
「大侵攻」での戦いで生死の境を彷徨ったグリムだが、傷も癒え、街への恩返しも含めて一年間アンスターで勤労していた。グランが異世界から戻ると同時にグリムも村へ帰ることになり、街での従事を終わらせたのであるが、その寸前で彼の口から出たのが先述の言葉である。
魔道列車の開発費や工事費など莫大なお金が動いたとかで、ここしばらくは運賃も高い。それでもこぞって観光客や冒険者達は発展した技術を体験しようと集まって儲かってはいるらしい。
とは言え、今回ふたりとも金が足りないと言うことで、仕方なく馬車の旅を体験することとなった。その後アル・ツァーイに戻るグリムと途中で別れ、今に至る。
「ほい兄ちゃん、お待ちかねのユニベルグズだよ。アンスターからの長旅で今にも死にそうって顔だね。今日のところはすぐに休んじまいな」
目的地が見えてからの十数分が何時間にも思える錯覚体験を味わっている最中、御者のおじさんから声がかかった。客は他にもいるが、おじさんは真っ先にグランに到着を知らせてくれたようだ。
「残念だけど、これから妹の誕生日でね。休んでる暇なんかありゃしない」
「けどそんな生気を失った顔で祝うわけにもいかんだろう。少しでも回復させてから向かうべきだとおらぁ思うがね」
「言えてる。そうさせてもらうよ」
お節介だったかなと漏らすおじさんに感謝を告げ、グランは馬車を降りた。
何日も座りっぱなしだったことが起因して身体が悲鳴をあげる。硬すぎる。
「さて、人生二度目のユニベルグズか。真っ直ぐ坂を登れば研究施設があるのは覚えてるが………休憩するとなるとどこ行きゃいいか何も分かんねぇ!」
とりあえず迷子にはなるまいと、道すがら良さそうなスポットを探すことに決め、重い腰を上げて長い坂道を登る。
日も傾き始め、黄昏に差し掛かろうかといった空模様。休憩してから愛する妹のもとへ訪れたとして、そしたらもう空は暗くなっているだろう。
( メイアの表情も翳ってそうで少し怖いな。遅刻で怒られなきゃいいけど )
胸中不安を覚えながら辺りを見渡していたら、誰かと目が合った。人混みの中で奥にいるのが誰か判断つかないが、ちらりと見えるシルエットには見覚えがあった。
「あああああ!!! 誰かと思ったら、メイアさんのお兄さんじゃないっすかぁ!」
急にその何者かが大声で吠え群衆がざわつく。呼びかけられたグランの方も恥ずかしかった。
慌てて人の流れをくぐり抜けると、その黄色い髪をした爽やか男子を完璧に捉える。
「お、あんた確か…………………誰だ?」
「いや分からないんかい! って、そりゃ無理もないか。始めましてっすねグラナードさん! オレはアルベド・ロダン! アルティの序列第四位で【翻弄者】の異名を授かった男!」
「もしかして、あんたがカイ・ロダン町長の息子か! 俺もアンスターで話には聞いていたよ。もう俺のことを見知ってるらしいが改めて、俺はグラナード・スマクラフティーだ。よろしく」
「わ、親父にはもう会ってるんすね。よろっす!」
半ば強引に握手させられ、陽の気を全身に浴びる。
「そうだ、今日メイアさんの誕生日なんすよね? ここ最近ずっとうずうずしてましたよぉ〜。早く行ってあげてください!」
「そうしたいところなんだが、長い馬車移動で顔が窶れてるから休んでから祝ってやるべきだって御者のおっちゃんに言われてさ」
「そーゆぅことか! どうりでなんか老けてると思いましたよ! 任せてください、このアルベドがお薦めの場所まで案内、いや、お供しますよ! ささ、こちらへ!」
「ふ、老けてるだって……………」
悪気の無い純粋な一単語に20歳直前のグランは心を痛ませながら、溌溂と先導して坂を下るアルベドを追うことになった。せっかく登って来たのにまた下るのか………なんてことは考えないようにする。無論疲弊が嵩むからだ。
移動途中特に考えるでもなく、可能な限り体力の消耗を抑えながら着いていく。出会ってすぐではあったが、迷えるグランを進んで導いてくれるアルベドの存在は頼もしいものだ。
どれ程の時間歩いたか分からないが、二人が歩みを止めるまでそう長くはかからなかった。
「どうですグラナードさん、ここ!」
「初めて来るな、こういうところは。少なくとも俺の村には無かった」
見上げると大きく「湯にべるく」と掲げられた看板が堂々存在していた。たどり着いたのが温泉であると一目で分かる。
「そうっすか! なら早速入りましょう!」
「そうだな楽しみだ_____って、もういないし!」
この行動の早さも【翻弄者】という異名に含まれているのか定かではないが、少なくともグランが翻弄されているのは事実であった。
その後気付いた時には、何処からともなく「カポーン」と聞こえて来そうな気配のある、熱気を帯びた広い場所に入場していた。アルベドの見よう見まねで熱気の正体に浸かると、含蓄された疲労が有無を言わさず溶けていくようで。
「ここの温泉は源泉掛け流しじゃなくて蛇口からお湯出してるだけなんすけど、なんでも効能のある粉を撒いてるとかでお勤め人達の隠れスポットらしいんすよ」
「効能のある粉? それって大丈夫なやつ………??」
「さあ? でも何度も通ってるけど効果は抜群っすから、不安に思うこたぁないってやつです!」
「それならいいが………」
出会ったばかりで何を話すべきか迷い、とりあえずアルベドの話を聞き出そうと試みる。
「なあ。少し気になってたんだが、なんでアルベドはアンスターから離れてこっちに来たんだ?」
「やっぱ気になっちまいますよねー」
何かまずいことを聞いたかも知れないと胸がざわつく。やはり家庭のことを真っ先に聞くべきではなかったか。
「_____ふっふ、良い機会だし話してしんぜましょう!」
「よしきた」
どうやら、問題なかったらしい。立ち昇る湯気の中、どこか虚空を見つめるように、いや過去を顧みるようにしてぽつり語り出す。
「別にオレと親父に確執があったりはしないんす。母親は病弱で幼い頃に居なくなっちまったんすけど………あ、別に全然気にしないでもらって!」
「ああ、続きを話してくれ」
「それで、本当ならオレも親父の下で働いてる筈だったし、そのつもりでいたんすけど、ある日の学校からの帰り道のことでした。厄介な冒険者に絡まれちまいましてね。当時16だったオレは怖かったんでスルーしたんですが、なんとビックリ後ろから不意打ちをかまされまして」
「そりゃ酷い冒険者だな」
「でしょう? でも一応警戒してたオレは見事に間一髪で躱してですね、身の危険を感じたんで護身用に持ってた棍で差し迫る攻撃を軽くいなしてやったんでさぁ」
元々アンスターの町役場で働く予定だったと言うから戦闘訓練はこれと言って積んでいなかったはず。それを考えると、戦いに多少なりとも慣れている冒険者の攻撃にあっさり対応できていることは大したものだ。
「ついには攻撃魔法までバンバン撃ち込んで来たんですがね、氷属性だったんで棍で同じように弾き返してやったんです。そしたら最終的にどうなったと思います?」
「諦めて帰った、とかか?」
「いいや、それが違うんすよ。魔法を弾いてからも数秒武器の攻撃を防御したりと動きはあったんですけど、ふと空から弾いた氷が冒険者の頭上に落下しましてね、そいつ、そのままぶっ倒れたんすよ〜!」
「はぁぁぁ?? いやそれは予想出来なかったな………で、で、それからどうなったんだよ」
「騒ぎを聞いて駆けつけた警備員に事情聴取とかされて、その後、一人の魔法研究者がオレんとこに来たんす。そんでこう言われたんだ」
曰く「俺のもとへ来い。お前には確かな才がある。俺なら、いや俺達ならば、その才を盤石なものとしてやれると誓う」と。陽だまりに手を差し伸べられたその情景と言葉は今でも忘れられないという。
「その人には揺るぎない風格があった。多分他の人に言われていたとしたら、オレは非道冒険者ん時みたいにスルーしてただろうと思うんす」
「それが、アルベドが今ここにいる理由か。でも、一人の人生の岐路をこじ開けるだけの人間ってもう、あの研究施設から考えれば完全に絞られるよな」
「ええ、アルティで最も強い、あの人です」
たった一度、以前研究施設を訪れた際にグランも実は出会っていた。顔合わせ程度な為記憶は曖昧だが、その男は周りから信頼を込めてこう呼ばれていたのは覚えたいた。
「_______【最強の壁】、だったか」
「それですそれ! 大袈裟って思うかも知れませんが、でもそれくらいが丁度似合う人なんす。立ち塞がる最強への壁であり、叩いても叩いても崩れない、文字通り最強の硬さを誇る壁」
その語る表情が既に憧れに満ちたそれになっていた。顔を真っ赤にして、完全に脱力しきっているような、
( いや、なんだこれ。俺も力が抜けて来た気が…………)
「おいアルベド、俺たち今すっごいのぼせてるぞ!! っていつの間にもう湯から上がってるじゃねぇか!」
「へへ、上がりどきは弁えないと死にますからね〜」
「はぁ、まじか。なんか色んな意味で脱力するよ」
ぶっ倒れない内に浴槽から上がり、急ぎ大浴室を後にするふたり。風呂が理由かアルベドとの会話が理由か、グランの溜まりに溜まった疲弊も氷解したらしかった。
窓から覗かせる月の出が、そろそろメイアのもとへ急げというサインとなってその気にさせる。が、外に出る前で立ち止まり、アルベドがふいに口を開いた。
「______少し話は戻りますけど、別にオレもすぐにユニベルグズまで飛んだわけじゃない。二十歳になった時、親父に相談して、悩んだ末での結果なんすよ」
神妙、という程でもないがグランに何かを伝えたがっているような面持ちで、先ほどの続きを再開させる。
「急な相談で色々迷惑かけちまったんで、丁度いい機会だ。近いうちに一旦親父に顔を見せてこようと思うっす。それで謝りたい」
「そうか。カイさんも久しぶりにアルベドに会いたがっていたからな。いいんじゃないか」
「助言感謝っす。メイアさんに悲壮な姿を見せまいと先に休養をとる判断、相手を思いやる気持ちは正解だとオレも思うんす。でも大遅刻したんで謝らないといけなくもある」
「そう、だよな」
「でも! でもですよ、オレも親父に謝るつもりでいるけど、折角久しぶりに会ったんだから、暗い顔は一瞬で終わりにしなきゃ駄目なんだって、思う。だからグラナードさん」
ビシッと、アルベドの人差し指がグランに向けられる。
「一言謝罪したら、そっからは盛り上げていきやしょう!」
かつて導かれた人間が逆に導き手になる瞬間というのは、もしかしたらとても無意識のうちにやってくるのだろう。でも確かに、気づかないだけで成長はしている。彼は十分に人を惹く才を持っていた。
「その言葉、しかと受け取った」
強く深く、グランは頷いて答える。
緊張の瞬間が幕を閉じた瞬間、アルベドは最初出会ったときのような陽のオーラを全開に輝かせた通常モードに戻り、そこを間の抜けた発言が飛んだ。
「それにしてもグラナードさん、風呂出てすっげぇ若返ってるんでオレァ仰天しましたよ! まるで歳下かって感じ!」
「言っとくが俺は老けてねぇんだっ!」
グラン齢十九(あと数日で二十歳になる)とアルベド齢二十八。事実としてアルベドの方が歳上なのだが、それに何故だか気付かぬ二人は、今後長いこと誤解し続けたままとなるのである。
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日は完全に落ちた。
再び下層付近からスタートし長い坂道を登り続けて来た。
夏も半ば、風呂上がりと言うのに汗はかくし普通に暑い。ところが不思議と夜風には気持ちいいものがあったと思う。
基本大都市と来れば眠らない街だとか、煌びやかな通りを想像するだろう。勿論間違ってはいない。
ただ、移動する為に登り降りが必須になってくるこの特異性から、昼間の内に歩き疲れる人が多数を占めることから夜間の人の往来はかなり少ないと感じるだろう。
「人生二度目の魔法研究施設アルティ。やっと着いたな」
夜の帳が下りてもなお純白の外観がよく目に入る。
メイアは普段から扉を乱雑に開け放っているらしいが、グランは気を遣って静かに中へと足を滑らせた。これが出来る大人である。
「よかった……まだ割と人が残ってるな」
テーブルに並んで話し込んでいる人から資料に目を通している人まで様々だが、数人がグランに気付いて近寄ってくる。
「よかった、グラナード・スマクラフティーさんですよね? メイアさんがずっと待ってましたよ〜」
「向こうの廊下を進んだ所のミーティングルームにナハトさんといる筈ですから、さあさあお早く!」
「うおっと! いや俺、そう押さなくたって行けますが?」
一人に背中を押され、一人に腕を引かれ、また周囲からは早く行けと野次を飛ばす研究員の姿。
子供みたいに催促されるグランだったが、腕を払いのけて一人で歩く。メイアにこの姿を見られたらと考えると恥ずかしかった。
ふぅ、と僅かな逡巡と多量の緊張を風に乗せて吐く。もはや何て言おうか考えてもいい案は浮かばない。
だからグランが考えているのは、先のアルベドの言葉だけだった。
『一言謝罪したら、そっからは盛り上げていきやしょう!』
( 兎に角、この流れだけあればいい。久方ぶりのメイアに会える、これだけで俺なら何でもやれる )
すぅ、と僅かな勇気と多量の愛を溜め込んでいざ行かん。
コンコンと扉を鳴らし、前のめりでミーティングルームに乗り込む。ところが、しかし、部屋はしんとしていた。室内を回る冷房の空気がやけに冷たく錯覚するほどの、謎の嫌な予感が働く。
その中に桃色した髪の少女の姿は見当たらず、ただ一人、髪の長い白衣の女性のみが背中を見せて座っていた。机の上に広がる地図と歴史書数冊。
「来たか、遅かったな」
顔をこちらに向けぬまま彼女は、ナハト・ブルーメはグランが入室したと気付いたらしい。
「すまない、こればっかりは謝罪しかない。ところでその、メイアは何処に………いるんだ?」
「あーっと、メイアはだな」
もうそろそろ戻ってくるはずだよ、と続くことを希った。
けど、振り返ったナハトの口から紡がれた言葉は単純で、
「__________メイアは、何処かへ消えたんだ」
さて、ようやく動乱は始まった。
えー、まず死ぬほど更新ペースが落ちていることは言うまでもなく、しかしようやく書き終えたところであります。
最近はよう面白いゲームが多いもので、そちらに目移りしてしまいましてな。頑張りやす、はいぃ。




