第一章61 『大侵攻』〜終結〜
グランとフィーストは急ぎルーシャのもとに戻った。もう恐れる必要はないと、そう胸を張って歩み寄る。
無言でふたりの帰還を迎えるルーシャだったが、そこに涙は無かった。ただ信じている、そういう表情だった。
「もう大丈夫だ、よく堪えたな」
言うと、休む間もなく烈火に手をかざし詠唱する。
「不浄な力よ消え去れ、『オリブラウ』
グランの足下から、清く澄んだ湧水が螺旋を描く。規模はみるみる加速度的に増大され、河川の清流がグランらを巻き込んで横切っていた。
「こ、これは、グランさんの魔法?! 」
急な流れに乗せられないよう踏ん張ったルーシャとフィーストであったが、すぐに杞憂の類であったと知らされる。
心地よい冷気は伝わってくるも、水流の勢いは彼らに影響を及ぼさない。それでいてしかし、ひたすらに眼下に燃ゆる赤を綺麗さっぱり消し去ったのだ。
「すごい………私達には干渉せず、ただ不浄のみを鎮静化させる水の魔法だなんて」
「ああ、これには流石にお手上げだよ。異次元すぎる」
「あはは………あなたでも認めざるを得ないのね」
「癪だけど」
軽く言葉を交わしながらグランの背中を見やる。メイアの顔を覗きたいところだが、ここから先は兄妹の時間だと見切り、背後からそっと見守るだけにする。
「メイア」
静かに、顔を寄せて名を投げかける。
麗美に瞼を開かせると、深層へ誘うような、また大海のような瞳が月光を受けて閃いた。
「お兄、ちゃん?」
「ああ、俺だよ」
「あ、えっと………その、」
言いたいことが押し寄せて上手く言葉を絞れない。感情のせめぎ合いが起きて心が落ち着かない。
上体を起こして息を整えようにも難しい。
「ふぇ………お兄ちゃん、お兄ちゃん、お兄ぢゃん_____!!」
優しく言葉が出るのを待ってくれていること。それが逆にメイアに焦燥を与えただ呼ぶことしかできず、結果として心のダムのようなものが決壊を起こしてしまった。
「うわああああぁぁん!! お兄ぢゃん、私、もう駄目だって、それで、最期になっちゃうんだって思ってぇ!!」
どんなに激しい戦闘を勝ち抜いても、単身で闇の世界まで立ち入っても、メイア・スマクラフティーが16歳の少女である事実は変わらない。
成長してもしきれない部分は絶対にある。
「うえぇ………私、ちゃんと倒したんだよ! 火だるまになって、そう、火だ……るまに………………………」
「おい、どうしたメイア?」
声の震えが若干の不気味さを見せた。
慟哭による嗚咽が故の震えと思われたが、それにしては肩から指先にかけても震え、そして目の焦点も正確では無い。
「火だるま………そうだ、火が全身を焦がして! ああああああああ! 痛い痛い痛い痛い痛い嫌だ、痛みが消えてもすぐ痛みが戻ってきて、嫌だあああああああああ…………!!」
「こ、これは………ルーシャ!」
「これは恐怖です! 治しては焼かれ、治しては焼かれを延々と続けてきて、その記憶が脳に焼き付いて離れてくれないんです!」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
精神の不安定化に伴って魔力的な冷気が暴発する。普段は鎚や薙刀に形をなすメイアの氷は、全身を這いよる業炎に対抗するみたいに透き通った柔肌を覆い始める。
「駄目だ止めるんだ、低体温になっちまうぞ!」
グランの声も届くことなく、頭を抱え狂気的に号し続けるメイアの様子に、空さえもが咆哮を轟かせているのではないかと錯覚するほど細胞が慄えあがる。
今までの一度も、ここまで叫びを上げたメイアの姿をグランは知らない。
「メイア、大丈夫だ! もう怖がることはないんだ!」
「そうよメイアさん! 貴方は助かったの。怯えなくていいのよ。だから落ち着いて、ね?」
「うわああああああああああああああああ! 身体が焼かれる! 爛れてく! お兄ぢゃん、助け_____________!」
少女の願いは最後まで口に出されず途切れた。
小さな青い光がグランの背後から飛び出て、メイアの腹部に直撃したからだ。フィーストの槍の先から発出された気弾だった。
「おい、お前、何をした_______?」
怒のオーラが怪しく揺らぐ。
「おいおい怒るなよグラナード。お前の得意な殺意察知レーダーに今のが少しでも引っかかったかよ」
「じゃあ何だ」
「何って、れっきとした治療さ。全身が焼かれるように痛いと錯覚しているなら、実際の痛みを体感すればいい。そうすれば全身の燃焼が偽りだと脳が理解して痛みも止むんだよ」
「だからって……………クソ。ルーシャ、回復を頼む」
フィーストの言葉通り、やり方は気に食わずとも効果的面だ。まだ過呼吸気味であるのを除けば、しっかり他は正常に戻っている。
冷気の装甲も正気に戻ると共に消失していた。
「手荒な方法でごめんな。ほら、もう火はメイアの肌を這ってなんかいないんだよ」
「_________火?」
「おい馬鹿_____ 」
「やだ。いやだよ、もう、火は嫌だぁッ!!!!」
平穏は一瞬。
鮮明に映る紅蓮の光景が幾たびもフラッシュバックし、感情の暴走は再度猛威を振るう。
「火だ。火に関する全てが引き金なんだ。いいか、今のお前の妹はもう痛さを錯覚してるんじゃない。ただトラウマが無限に蘇るんで絶望してるだけなんだ。もうこうなったら僕にも抑える方法は分からない。泣く体力が尽きるのを待つしかない」
安易に妹に根付くトラウマに触れた反動はあまりにも大きすぎる。灰燼に帰す寸前まで来ていただけあって、それは予想を遥かに通り越している。
止まらない絶叫の嵐を読んだのは実の兄。愛しい妹を波乱に陥れた自責は重かった。
( こんなとき、俺だからしてやれることは )
本来ならフィーストの言う通り待つしか解決策はないのだろう。でもグランは信じたかった。ここまで困難を乗り越えてきた兄妹だからこその何かを。
( 妹ひとり宥めることすら出来ないで、何が兄だ……!! )
二十年弱の人生の中で、悲しかったり動揺したり、心が不安定だったときにやってもらったことを振り返る。その中でも、とびきり意味のある選択を探す。
草むらを掻き分け進むように、ただひたすらに。
____________ピカリ、と。
覚えのない光景がたった一瞬、草むらを通り過ぎた。
もやがかかって釈然としないが、最近の記憶らしい。誰か女性に抱擁されて心を落ち着かせた1ページがそこに。
( こんなこと、された覚えもした覚えもない。けど )
考えるよりも先に体が動いていた。
密接する身体の温かみが互いに伝い合う。温泉に浸かる風な心地よさに加えて、人肌ならではの安心感がある。
兄妹という親密な関係性があってこそできた事だ。赤の他人、或いはただの知り合い程度ならなし得なかったろう。
( 俺にできるのはこれだけだから、これしかないから )
黙々とただ時間だけが過ぎる。
メイアの心の喧騒ぶりが直で感じられるからか、これが雪解けるように静まっていくのもまた分かる。
「落ち着いたか?」
「ん、ありがと。少し落ち着いたよ。確かにまだ怖い。でも大丈夫。お兄ちゃんのおかげで、大丈夫」
「ごめんな、怖い思いをさせて」
「ううん、お兄ちゃんのせいじゃないよ」
互いに囁き合って言葉を交わす。
一時はどうなることやら心持ちも穏やかではなかったが、やっとのこと感無量の思いで一杯になった。それはグランもメイアも同じだろう。
そうやって冷静になってくると気付くことも多く、
「あ」
「メイアさん、よかった。本当によかった」
グランの背後で黙って見守っていたふたりと目が合った。メイアは今も兄と抱擁を交わしていて、そんな様子をずっと見られていたのだと思うと急に恥ずかしさが増してくる。
「(そっか、ずっと見られてたのか……)」
「(うん、そうらしい……)」
むず痒さをその身に抱えながら無言で抱き合うのを止め、恥じらいを隠すため大きな声でこう言ったのだった。
「「帰ろう!」」
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かくして二世界を巻き込んだ大波乱は幕を閉じ、ひとまずの安心が世界中を包んだ。とは言え『大侵攻』の被害は大きく、多数の負傷者・死傷者を排出する形となってしまった。
侵略を受けたのは都市大陸ひとつだけで済んだものの、アル・ツァーイ村を含めた小村などは幾つも破壊されたという。国際協力、もとい大陸間協力と称し、法皇大陸を筆頭としたその他三大陸からの復興援助も確立され、大量に残された黒竜の操り人形達の残骸撤去作業も次第に着手されることだろう。
そして、闇の世界は本来あった光を取り戻し、作為的に歪められたのではない自然の姿へと回帰しつつある。
無限リスポーンを余儀なくされた動物達も生命としての尊厳を思い出し、これからは正当な手段で以って命を育んでいくことだろう。
グラナード・スマクラフティーとその仲間達は世界を救った。その事実は曲げることは出来ない。
それでも、両世界共に一つの大陸だけで完結したことが奇跡に近いと言っても過言ではない。まだ彼らの知らぬ景色が、場所が、沢山の新天地が眠っている。
更に言えば、これは世界初の失踪者デアヒメル・ターヴァが居なければ達成できなかった夢物語。彼の存在こそ必然の奇跡であり、世界を救った彼らだけが知る物語。
もう一度だけ言おう。
『大侵攻』は終結したのだ。
元・闇の世界を解放した勇者の名を、グラン。
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一行がフィーストの案内を頼りに元の世界へ帰ろうと森を抜けたその時、南の空に高々と太陽が昇っているのが見えた。
久々の閃光に目を細めると同時、グランは神聖みを孕んだ厳かな風をその身に受ける。あまりにも久々すぎたからか、その凄みに身震いすらしてしまう。
「なんだグラナード、立ち止まってると置いてくぞ。気分爽快なのは分かるが、そんな呆然と立ち尽くされても困る」
「ん、ああ、すまん」
言われて我に帰ると、神聖な風だとかは全部グランの壮大な勘違いなのだと分からされる。
木々は踊り青空は笑う。
ついさっきまで身震いしていたことなど忘れ、再びグランは歩みを進める。
目的地は「歪み」のある小さな洞穴。
いざ、長らく待った彼らの帰還の旅が始まった。
お読みいただき感謝感激であります。
第一章も終わりに近づくにつれ「早く終わらせよう」と文章も短くなってしまった感がありますが、それはそれで手短に読めていいのかも…………
ともあれ次回がラストです、宜しくお願いします!




