第一章59 「未来」にて②
夏特有のもわっとした空気で額に汗が浮き上がる。
高台に向かうまでの道中、グランは車椅子をメイアに押してもらいながら移動していた。もちろんフィーストも一緒だ。
「それにしても、まさかお前がアル・ツァーイまで来てるなんてなぁ」
「なんだ、悪いか?」
「いやいやそうじゃなくて。フィーストが居るなら、そう言えばルーシャはどうなってるのかなと思ってさ」
記憶にあるのは暗闇の世界で出会った人達。その中でもメイアやフィースト、そしてルーシャはグランと共に闇に立ち向かった仲間と言っていいだろう。
そして今、この場にいないのはルーシャだけ。
「もしかしてここに来てたりすんのか?」
「お兄ちゃん………………」
「え、何。何その顔」
俯いたメイアの顔が翳る。何だか良くないことでもあったような暗い感じが、
「なんと、ルーシャも来てまーーーーーす!!」
暗い感じは一切滲んでいなかった。
それよりも、俯いた時点で既に早く言いたいオーラが発せられていたためバレバレだったことは伏せておこう。
「おいグラナード妹、真夜中なんだから叫ぶな。村人全員お前の爆音で起きるぞ」
「なにぃ? と言いたいところだが、正論だから反論できない!」
もはやかつて敵同士だったフィーストも今やそんな面影は残っておらず仲良し……と信じたいが、それよりまさか近所迷惑になることを気にかけるとは驚いた。
「それで、ルーシャだけどほら、見た通り真夜中だから今はもう寝ちゃってるよ。『グランさんが起きるまで寝ません』なんて言ってたけど、睡魔に負けちゃったっぽい」
「そりゃ仕方ないな。けど、嬉しいこと言ってくれるんだなルーシャ。俺が起きるまで、ねぇ」
「ルーシャのこと大事にしなよ〜?」
「何言ってんだグラナード兄妹。それは未来のお前への信頼があってこそだろ。自惚れるんじゃねーよ」
「むむ〜」
メイアは不服そうに頬を膨らませるも、話の続きをしたい気持ちが上回ったようで何やら楽しそうなニヤニヤ顔に戻る。
あの顔は、そう、色恋沙汰でもしようと考えている顔だ。
「でさぁ、ルーシャってばすんごく別嬪さんなんだから。前から美しかったけど今もやばいの。一顧傾城も過言じゃないと思うんだよね。どう、気になる? 気になるよね?」
「一顧傾城ってそれ、国滅びるじゃんかよ……」
くだらないと話を聞き流すフィーストをよそに、メイアの盛り上がりは増大し続けていく。
「で、で、今んところのお兄ちゃんの印象はどんな感じ?」
「印象って、ルーシャのか? うーん、でもルーシャが可憐な人ってのはよく分かる」
「ごめん、聞こえなかったもう一回!」
「だから、可憐だよなって」
「うんうん、未来に期待大だね。私安心しました!」
よく分からないまま一人で安心するメイア。
最初目覚めたときは大人のお姉さん的な雰囲気を漂わせていたが、いつの間にやら元気もりもり少女に逆戻りしていた。別にガッカリはしないが、目覚めのあれには心惹かれた。
「ちッ、なんだこの惚気兄妹は。時を違えても何も変わらんじゃねぇか、ちッ」
「え、何で二回も舌打ちした?」
「毎度毎度とお前の妹は成長してるようで変わらず同じ話題で騒ぎまくるんだよ。特に今みたいな話題とかでな。グラナード、頼むから僕の為にも早くこの話に決着を付けてくれよ」
「この話って決着とかそういう部分あったか? そんな内容には聞こえなかったが…………」
「ちッ」
「ははは。残念だねぇ、もう諦めなさいな」
毎度毎度なんてフィーストが強調していたように、頻繁にメイアはこうして煽っていたんだろうなと考えると彼の気苦労が伺えたグランであった。
( でも、これがメイアの良さでもあるんだ。悪いが耐えろ )
そう心の中でフィーストを見放したその時、グランら3人は目的の高台に到着した。
村はずれと言ってもここ周辺じゃ一番見晴らしが良く、時折ここで景色を背に特訓をしに来ることも多々あった。両親ともここに何度も訪れたことのある思い出の場所だ。
真夜中になって村の街灯が点々と星みたいに照っている。これらの灯りが全てグランの消えない炎であることは村民全員が知るところだ。
「みんな〜! お兄ちゃん連れてきたよ〜!」
メイアの声に反応してその場にいた皆が振り向いた。
そこにいたのは全部で8人。その内、グランの記憶にあるのは5人だけで、他の3人は誰ですか状態だ。
しかし勿論、その全員がグランを知っている。
「おお、目が覚めたんですね!」
「グランや、随分若々しいのぅ。羨ましいわい」
「みんな、心配してたわよ。でも無事で何より」
「今のグランさんに会うのは初めてですよね!」
「よぅよぅグラン! 派手にやられたらしいじゃんかよ!」
グランもよく知る村長ハバキリやエスティア、ダルジェンをはじめとして八人八色の反応を見せる。
誰もが笑顔で迎えてくれたものだから、グランも自然と微笑んで「ありがとう」と伝えた。
「実はね、ここにいる皆、全員がこの村の重役なんだよ。数年前はたった4人だったのが、今ではその倍の8人まで増えたの。どう、凄くない?」
「まじか。道中、村の風景みてて思ったけどアル・ツァーイも発展しつつあるんだな」
ところが、全重役がここに揃っている状況で、だからこそ気になってしまう部分があった。ここにいるので全員なら、あの人は一体何処にいるのだろうと。
「なあ、グリムさんはどうした?」
純粋な、それでいて至極真っ当な疑問をぶつけた。
でも、その質問を受けた彼らの反応はいまいち芳しいものではなく、どこか暗い面持ちをちらつかせている。
「まさか、何かグリムさんにあったとか…………?」
「えっと、そのねお兄ちゃん。グリムさんは…………」
「メイアや、ここは村長としてわしが話そう。『王の罅』の元・政務担当グリム・ベムはな、かつての大厄災である『大侵攻』の渦中に見舞われ、亡くなったのじゃよ」
先程のルーシャの一件とは打って変わって、こちらは大マジのマジの空気感だった。
「南方のアンスターを襲ったという男を身を挺して払ったグリムじゃったが、それによって受けた傷はもはや致命的でな」
「私たちが『大侵攻』を生き残ってあの世界を脱出したときにはもう手遅れで、もうどうにもならなかったの」
「そうか………グリムさんも、戦ったんだな」
「うん。この都市大陸に住むみんなが闘って、あるところでは勝っても、あるところでは負けた。そうやって終結を迎えたんだよ」
「あの! 俺はその、当時はまだこの村の住民じゃなかったですけど、政務担当を引き継ぐことになってすぐ、グリム・ベムさんがどれだけ凄い人だったかすぐ分かりました」
実際にグリムと会ったことがないという者ですら敬服の念を隠しきれないという程、彼が大きな存在だったことが思い知らされる。
「まあなんじゃ、せっかくグランが来たのに暗い話もあれだろう。彼の勇姿は誰もが知るところだし、その悲しみも忘れられることはない。それで十分だよ」
「うん、そうだね」
こんな話題の直後だからか、いきなり話を切り替えようと思っても中々言い出せる空気ではなかった。
でもここは流れ的にも割り切ることが大事だと皆が理解していたから、
「でさあ、」
「それでじゃが」
「お兄ちゃんって」
「えっとその……」
「そういや今日は」
「ところでですが」
「あ、皆さん」
「今日の誕……」
大半が一斉にそれぞれの話題を展開しようと口を開いては、それにすぐ気付いて口を噤んでしまった。
「はっは。揃いも揃って何だよ、コントか?」
馬鹿を煽るように一人だけ笑うフィースト。ところがそんな煽りに反して、これまた一斉に笑いが吹き出した。
夜分住宅街から離れた場所。しかしそこから奏でられる十一重奏の声は十分民家まで辿り、今宵空を見上げる者が多かったという。
_________そこから数分が経過したかという頃だった。
長机に向かい全員が腰掛け談笑していた、その途中で時はやって来る。青白い光の輪みたいなものがグランの体を囲い、一本の光柱が高台に立てられたのだ。
思わず立ち上がって数歩後退りするが、何が起きているのか、それは何となく悟れた。
「これって……… 」
「多分、お兄ちゃんと竜の戦いが終わったんだよ。だから、ここでお別れだね」
そう、一度彼らは成長後のグランがいなくなる瞬間を見ている。だからこれが同じく再交換される前兆のようなものだとも分かっていた。
「流石だな。お前とは違ってあの邪竜ごときに負ける奴じゃないって訳だ」
「だからそれブーメラン」
「がはは! いいじゃねぇかそれで。グランも過去に戻りゃ数年でそのくらい強くなれるっつう訳だろ?」
「おおダルジェン、良いこと言うじゃない! そうよ、めげずに上を向いて生きる。そうすればゴールは近づくんだから」
まだあまり話せていない、という名残惜しいところが大きくあるが、仕方ないことだ。
最後に一言だけでも、という気持ちが溢れに溢れそれぞれがグランに対し言葉を投げかける。どれもしっかり受け止めて、グランはメイアの瞳をまじまじと見つめる。
「え、そんな見られたら、なんか恥ずかしいじゃん……」
「メイア」
「っ!! な、何?」
「成長したな。悪い男に引っかかるんじゃないぞ」
「それ別れ際に言うことじゃなくな〜い?!」
頬を赤らめたり怒ったような顔をしたり忙しめだが、それがもうグランには愛おしく愛らしい妹の姿だった。とは言え、実はグランも恥ずかしい気持ちを全力で隠しているのだが。
「じゃ、じゃあ私からもお兄ちゃんに最後」
「どした?」
平然を装った澄まし顔で聞く。
「ルーシャさんとなら結婚も認めるから、よろしくね!」
ブフォ!! と吹いた。
耐えられなかった。妹の口から「ルーシャと結婚」なんていうパワーワードが出て、とても耐えられなかった。
で、変なニンマリ顔になった瞬間、まるで狙ったかのように光へ呑まれて消失していく。普通にダサい姿を晒して帰る恥ずかしさに悶絶する気持ちを胸にしまい込みつつ、まあいっかと意識を光の中に委ねるのだった。
===============
万物は流転する。
すべてのものは時を経て______否______この場合は時を遡り移り変わってゆく。
と、その過程のどこか。
グランは雷に撃たれたとでも言うほど清々しく覚醒した。
元の時間軸に再帰したかと思われたが、辺り一面に広がっていたのは見知らぬ奇妙な場所。
視界に映るすべてが白で、たった自分だけが他の色を含有している。奥行きがどれ程のものかも分からない。そのうち錯覚でも起こしそうで気分の良い景色では全くない。
「今度は何だよ………異世界に未来と来て、また別の世界に放り出されたってか?」
この状況を見て全く油断など出来ない。
今のところ悪意も殺気も感じず、何もない世界だが、安心なんて少なくともないだろうことは分かる。
「突然お呼びしてすみません」
突如、紳士的な男性の声が降りて来た。
周囲を見渡しても誰もいない。だが、これで何者かの干渉によってこの世界に連れられたのだと言うことは理解できた。
「嗚呼、申し訳ない。後ろを向いていただけるかな?」
天から降り注ぐような声から一転、いつの間にか、声の主は背後に降臨していた。
全身は肌から何まで白一色。幸いにも影が落ちている為に背景と同化せず、何者を視界に捉える事ができた。
髪は長く、そして書道の文字みたいな造形美を保ちながら靡いている。人ならざるものであり、どこか神格さえ漂わせていることも容易に感じ取れる。
「誰だよ。そんで何が目的だ」
固唾を飲んで、睨みつけるように正体を探る。
「私の名はクロノース=セルリア。時間の概念を司る時神でございます。このような分身体での対面となってしまったことはお詫びしますね」
「時神セルリアだって? 本当に存在したのか……」
「おや、私の名をご存知の様子ですね」
神の名を語る存在について、グランは幼少期に読んだ伝記『神殺し』の記載から知識として脳内にあった。
伝記の主人公である英雄ハルツィネが「神の国」で唯一敵対しなかった神族がセルリアなのだ。こんな時だが、その時の描写がふと不鮮明ながらに蘇る。
( でも、クロノースとか言う部分は見た覚えがないな )
神を名乗るだけの風格を持ちつつ、しかし丁寧な言葉の使い方からは厳格さを感じない。どこか親しみさえ抱いてしまいそうな好青年というのがグランの第一印象だった。
「名を知って下さっていることに感動を覚えますが、世間話をするだけの暇が無いので、早速本題に入ります」
「………俺もそっちの方が助かる」
相手が神の名を語る存在であることを承知しながらも、グランはタメ語で会話を続ける。突然現れて「神です」などと言われて実感が湧かないと言うのもあるが、この何が起きるかわからない状況で敬語を使っているだけの余裕もなかった。
セルリアは口調にどうこう言及するでもなく、ただ目的遂行の為に口を開く。
「ではまず、貴方はたったの今、時間を超越して別次元へと至った。これはお間違えありませんね?」
「どうやら、正しいらしい」
神の前で嘘を吐く勇気も、それをするだけの理由も無い。早くことを済ませる為にもただ正直を貫く。
「時間跳躍の危険性は、異なる時代の歴史改変や技術奪取が可能となってしまい、流れが曲げられてしまうこと。ですので、貴方が如何なる理由を持っていたとしても、時を越えた時点で代償を払わなくてはいけない。まあ、ひとつ払ったところで認識できる形での害は顕れませんので気にせずとも良いですが」
「で、代償ってのは?」
「簡単なことです。貴方が持ち帰るはずの記憶という遺物、それを持ち込ませなければ良いだけの話。いわゆる、忘却ですね。丁度体験した部分だけにロックを掛けるのです」
「ロックを掛けるだけなのか? 記憶を消すでも塗り替えるでもないってことは、ロックを外せるって解釈ができると思うんだけど」
「童にしては冴えがある。だが、人の子に枷から逃れる術なんてあり得ない。ただそれだけのこと」
くくく、と怪しさを爆発させたような笑いが冷汗三斗、謎の悪寒となって背筋をなぞる。
「……別にその代償は甘んじて受け入るさ。でも、でもだぜ時神セルリア。上手く説明できる自信はないんだが、どこか不気味なんだよ。俺に課す代償ってのは他にもあったりするんじゃないのか?」
「流石は冴える者とでも言ったところでしょうか。でも、どうせ承諾しなくては帰れませんが?」
確かに、とりわけ契約のようなものはその内容に納得いかなければ締結する理由はない。だからグランが納得することの必要性は高位に座する。
( でも俺がもう一つの代償とやらを知ったとして、おそらくその記憶すら忘却させられる。忘却自体は実質無害みたいなものだけど、なかなかどうして上手く出来てるじゃないか )
どうあっても受け入れさせるつもりだ。時神の顔を窺っても一切として表情を崩さずグランの返事を待っている。
でも、
( 確か俺の知るところだと、これは『アインセラ門の問答』の再現。英雄ハルツィネは「神の国」で時神セルリアと同じような会話をしてた筈。それに則れば、俺がすべきは_____ )
「俺は何が降りかかろうと構わねぇ。全てを乗り越えた先で、俺は俺らの目的を達成するだけだ」
この言葉は全て英雄のセリフを模倣したものだった。
神を討ち倒すという目的を前にして、もはや恐れるものはないと断言した彼の言葉には幼少期のグランも感銘を打たれた記憶が残る。
だからと言って、格好いいから真似をしたのかと言われると決してそうではない。
英雄にも倒すべき目標がいたように、グランら兄妹にも両親の仇を取るという最大の目的がある。中身の無い虚勢なんかじゃなく、心からの言葉なのだ。
「宜しいでしょう。では承諾いただけたと言うことと、その覚悟に免じてもう一つの代償を教えて差し上げます」
それは、と少し間をあけて、
「いつか、"人生の中で必ず大厄災が襲う" こと。おそらく貴方の周りすらも巻き込む大規模なものになるでしょうから、どうぞ皆様を守り抜けるほどに己をお鍛えくださいね?」
再び怪しい笑いを鳴らす神。
おそらくグランの戦慄したような表情を見たいのかもだが、当のグランは全く怯んですらいない。理由は単純明快、とっくのとうに厄災なら体験してしまっているから。
「なんだ、そんなことかよ」
「はぁ、まさか大厄災という単語を甘く見ているのか………言ってしまいますが、およそ人の力で解決出来るほど優しいもんじゃないのですがね」
「だからもう一度言うぞ。そんなことかよ」
神の表情が曇る。
半ば脅迫じみた警告にも関わらず「知ったことではない」と振り払う胆力。これには人智を超えた神と言えど癪に触るところがあるようだ。
「ふぅ、まあよろしい。貴方がどのようにして生き永らえるつもりか、しかと見させてもらいましょう………では、貴方の要望通り帰して差し上げましょうかね」
それがグランが最後に聞いた時神の言葉がとなり、指を鳴らす音が聞こえたと思った時には世界は暗転____もとい、再度意識を手放した。
残された時神の分身体は、グランが消えた場所を数秒見つめると意味ありげに囁いた。
「くくく。どうやら貴方の流れ、数多という災禍が確定していたようですね。なるほど確かに、これなら代償を一つ挟み込んだところで霞んでしまう」
たった一つ、彼がグランに言ってやるとしたなら、
「武運を祈ります」
誰もいない虚空に言葉を残すと、真っ白に染められた世界ごと時神の姿も崩れ散っていった。
そこにはもう、何も無い。
お読みいただきありがとうございます!
本当はもう少し未来編を眺めにしてもよかったんですが、話数がこれ以上増えてしまってもアレなので短めにしました
では、また次回もよろしくです