第一章57 『大侵攻』〜綻び〜
それは大都市ユニベルグズでの出来事であった。
「一体全体、何が起きたと言うんだあああああああああああああああああああああ?!」
魔法研究施設アルティの狭いエレベーター内で叫んだのは所長ハンニバル・Kだった。
先程、街に攻めてきたイッポスと名乗る子供を倒し、魔法陣の力で爬虫類の姿へと変貌させてやったのだったが。
「突然こいつからガラスの割れるような音が聞こえて……こいつがやったのか? いや、それにしてはおかしい。何よりこいつ自身が苦しんでいるような素振りをしてやがる」
頭上のベルが鳴る。エレベーターが目的の階層へ到着したことを知らせるものだ。
とにかく外へ出てこの状況を一旦整理する。
( にしても凄い惨状だな……研究所のあちこちがマグマみたいに溶けている。あのナハト・ブルーメが負けるとも思えないが、いや、とりあえず問題はこっちだ。このイッポスとかいう餓鬼、一旦もとの姿に戻すべきか?)
再び暴れて街を危険に晒すことのないよう姿を変えさせたが、何が起きているか分からない緊急事態となっては確認せざるを得ない。
「まあいい。これが罠でもまた叩き潰しちゃええからな」
言って、腕の上でのたうちまわって苦しむ爬虫類姿のイッポスを床の上に寝かせると、
「はい、解除っと」
軽く口ずさむハンニバル。
そう、魔力を込めた言葉でもなんでもなく、ただ解除という単語を口に出すだけで魔法が解かれてしまうのだ。だから戦闘中うっかり呟こうものなら敵が復活してしまう欠陥魔法である。
とまあそんなことはさて置き、
「やっぱ元の姿に戻っても苦しんでやがるな」
足下で寝かされたイッポスは汗を顔全面に滴らせ、加えて服をギュッと握りしめ苦痛の表情を浮かべていた。
( 実力こそ俺と似たようなものだが、言ってもこいつはまだ子供だ。単に普通の病気とも思えないし、なんなんだ?)
考えるだけでは埒があかないと思い、普通に聞いてみる。
「おい、お前なんでそんな苦しんでやがる」
「ふふ……そう言うと、思ったよ」
「洒落臭ぇ! ふざける暇あったら答えろよ」
「多分、僕たちを指揮する大将的存在……あれに何かあったんだと思うよ」
「大将って、大軍をこの街に寄越したのはお前とあの魔女っ子じゃねぇってか!」
「そうだよ」
イッポスの口から語られた、陰で糸を引く黒幕の存在。
それだけで驚きだが、その黒幕に何かが起きるとイッポスにも不都合が起きるというのにも驚きだ。
( まるで身代わりだとか、連帯責任見てえな話だな )
街を襲撃したという点で、子供とはいえどそれは許されることではないのだろう。
だが、そんな子供さえも利用し、果てには己の不都合を配下にも押し付けるような統制の仕方を摂っているというのがハンニバルには信じられなかった。
「ねえ、所長さん。お願いがあるんだ」
「…………なんだ」
「多分、このまま耐えてれば僕たちは奴から解放される。そうすれば、もうこの世界を跋扈し暴れる必要もない。なんなら、無駄な殺生をする必要も無くなる。だから、その時まで僕を所長さんの管理下で幽閉してくれないか」
普段のイッポスを装ってか難しい言葉を使いつつ、ハンニバルに向けられたのは至極篤実な瞳だった。
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また、同じくユニベルグズの研究所別室にて。
そこは閉ざされた空間、いわゆる牢の中だった。扉に付けられた小さな鉄格子の窓から漏れる光以外、そこに光源はない。
斯かる牢の内でもまた一人、全身を倦怠感に襲われ苦しむ者がいた。
「んぐぅ…………あぁ。こんなこと、今まで無かったのに……まさかあの龍に何かあったってこと、かしらね。はぁ」
現在、バーティは戦闘に敗れ、ナハト・ブルーメによって魔素の出力孔を遮断する特殊な手錠を掛けられ魔法が使用できない状態にある。
身動きの自由にとれない状態での苦しみほどキツいものはない。
「んんッ……………………………はぁ。胸を引き締められるこの感じ、心底腹立たしいのよ。数秒に一度、息が止まるからほんと最低。イッポスは、今頃どうしているのかしら」
苦しさから少しでも気を逸らすために相方の様子を気にし始めた丁度その時、
「おや、僕の心配をしてくれるなんて、僕に会うのが一日千秋って気分、だったかな?」
錆びた音を出して開いた牢の扉。
そこから姿を見てたのはバーティの相方イッポスと、そんな彼を連れてきたハンニバルの二人であった。
「…………あら、負けたのね」
「うん、見事にしてやられたよ」
両者とも互いに苦しむ姿を見せまいと虚勢を張ったが、ハンニバルが容赦なく会話に割り込む。
「今の妙な間を見るに、そこの魔女っ子も突然妙なキツく締め上げられる感覚に襲われてるっぽいな」
「それ、言っちゃうか〜。知ってたけど」
「………イッポス、あんたもなの?」
「へへ…………実は、結構辛いよ」
そう言って牢で再開し、本音を吐露したふたりの襲撃者は、イッポスの嘆願の通りしばらく幽閉される形となった。
ここから各地で『大侵攻』に綻びが訪れることとなる。
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そしてまた別の場所、暗い暗い世界の山の麓にて。
パリィーンッ! とガラスが飛び散る風に身体の芯が鳴ると、突然男は胸を抱えて呼吸も荒んでいった。
「え………はァ? どうなッてやがる、クソが! 全身が、燃えるように熱ィぜこの野郎!」
そんな、突然のことに狼狽する男、カラピアの姿をまじまじと眺める者がまたひとりその場にいた。
次の瞬間、その者は隙を見逃すまいと薙刀を一閃。カラピアの胴体を深く深く切り裂く。
「ふが………オメェの勝ちって訳か。ッたく、仕方ねェよな。俺が隙を晒しちまッたのが悪いんだ。でも、この苦しさの理由が、なんとなく分かるからよォ。清々しい気分だ………ぜ」
カラピアは笑みを浮かべて崩れた。
そしてたった今彼と戦闘を繰り広げ、勝利をもぎ取った少女の名を、メイア・スマクラフティー。
彼女もまた戦闘の途中から重篤で、全身を業火に包まれながらギリギリ命を繋ぎ止めているところである。逆にどうして火だるまになって立っていられるのか不思議なレベルだ。
だから、戦闘を終え執念の心も尽きたか、遂にメイアも膝から崩れ落ちてしまった。
「メイアさん_________!!」
同じく暗い世界の山の麓で大男ゴースに勝利したミステルーシャ・アプスが駆けつける。
彼女も戦闘で体力をほぼゼロまで削られたが、回復魔法で生き永らえていた。
「グランさんが、沢山の人がメイアさんの無事を祈ってるんです。生きてもらわなきゃ困りますから!」
ルーシャは残り少ない魔力でも決して諦める意思をみせず、ただひたすらにメイアの回復に努める。
灼々と輝く赤い焔が闇を照らし尽くす。
それと同時、彼女らふたりを見下ろすように、月も優しく照っていた。
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そしてそして別の場所、裏と呼ばれる緑の世界にて。
ある一人の弱者に負け、古風都市アンスターから戦線離脱したその男もまた、木によりかかり苦しみと闘っていた。
「クッソ、ちゃんと血は補給した筈だろうがッ! 一体どうして痛みが治らねぇ。原因はどこにある?!」
未曾有の経験に動揺を隠せない、その男はザガン。
周囲は燦々たる太陽の輝きを受け豊かに育った木々だらけ。脅威など僅かな程しかない、基本安全を約束されたような場所のはず。
ところが一転、なぜやら彼は阿鼻叫喚。
「でも、何だか分からんが………苦しいに変わりなあ筈なのに、何か嫌なものが遥か彼方に流されてくみてぇな、微かな清涼感っぽいのを感じる。ははッ、俺ついに壊れたか?」
またあの闇の世界に帰るのも億劫な、ラグラスロに課せられた役割なんてどうでもいい気分が湧いてくる。
「あの弱者に追い返されたはいいものの………はぁ、どうせ負けて諦めて帰還しましたなんて言ったら殺されるだろうし、どうしたものかね。って、何だこれ。今までどんなに面倒でも体が自然とあの城に向かって行ったのに、もう動く兆しすらないじゃんか」
何かが違う、何かがおかしいと気付く。
「もしかして、本当に、俺に埋め込まれた邪悪な思念が剥がれて、来てやがるのか? さっきの何か割れるような音は、そういう、ことなのか?」
ザガンという人間は実力主義に則って動く。
一度はラグラスロに挑み、そして滅び蘇った。それからは実力の圧倒的に上なラグラスロに唯々諾々と言われるがまま動いてきた。
だが、支配が消えるならその生活もここまで。
「とは言っても俺は一度死んで、奴の力で蘇った訳だ。果たして俺はこの後も生き続けられるのか、疑問だな」
そもそも命を吹き返させること自体が理に反していると言って良いことだ。だからラグラスロの力が消滅したときその命も同時に尽きるのでは無いかと想像することも尤も。
「はッ。今考えたところで、答えはどうせすぐ分かるか。んじゃ、ちと苦しいが、ひと眠りして答えを待とうかね」
言うと、彼は木に寄りかかったまま静かに目を閉じた。
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さらに場所は移り変わって、そこは辺境の村の一角。
村の名は「王の罅」を冠するアル・ツァーイで、現在ひとりの侵略者アスタロとの戦闘で混迷を極めている最中なのだ。
しかしここでも、やはり例に倣ってアスタロがいきなり謎の痛みに喘ぎ出した。
「グギギギギ…………GEキツウガハシッテKITAZO!」
魔獣を取り込んだ異形の姿と成り果てたアスタロだったが、その錐で突き刺すような激痛で脳内の混沌とした思考に加えモザイクがかかり、攻撃どころでは無くなっていた。
( え? まさか、また何か変わったって言うの?)
エスティアを初めとして、その場に居合わせた全員がこの変化に一度たじろぐ。
それもそうだ。この醜い姿となってからアスタロは何者をも近寄らせない確固たる意志で暴れ回っていたのだから、ここでの変化は恐怖の対象でしかないのだ。
( いや、でも確かにいま激痛って言ってた。何度も変化を繰り返して何度も私達を苦しめてきたけど、もしかして、今は普通に______ )
ここで、希望的観測をするエスティアを鼓舞する掠れた声が前方から響いた。
「エス、ティア! ごほ………やれ、やるんだ!」
肩と横腹を抉られ重傷を負ったダルジェンの声だ。
彼はアスタロの目の前、つまり一番近くで敵の様子を確認できる位置にいる。その男が「やれ」と言う。
エスティアは振り向いて村長や兵士達をぐるりと一周見回す。強い意志の光を目に灯して、強く頷いた。
すると慌てて村長ハバキリが口を開く。
「正気かえ? 先程も全く同じような状況で____ 」
「同じじゃないわ。私はそれを信じるし、もうチャンスを逃したくないの。だから行かせて」
アスタロの鎖を剥がした直後のことを振り返る。
あの時、無防備で隙だらけだった男を殺す格好のチャンスがあった。でも善人すぎたエスティアは殺すことに躊躇し、結局さらに被害を増やす結果となってしまったのだ。
「今から特攻する。だからみんな、精一杯の支援をお願い! これを最後にするわよ!」
「「「「「「おおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」」
覚悟がひとつに重なった時、エスティアは走りだす!
すると突然、「敵を近づけさせない」をインプットされたアスタロは本能で反撃をしかけてくる。『戦士形態』ですら反応しきれない速度の攻撃だが、仲間の支援が力になる。
「『肉体強化』!」
「『アボイダブル』!」
「『プロミム』!」「『ツーチル』!」「『ブリーツ』!」
支援魔法により攻・守・速が強化され、さらに攻撃魔法で敵の注意を分散させる。
左腕に傷を負ってしまうが、敵の異変も相まってなんとか間合いに入り込むことができた。最終局面、ここで全ての決着がつく。
「「「「「行っけえええええええええ!!!」」」」」
突ッ!と。
エスティアの細剣とアスタロの鉤爪が交差する。
誰もが息を飲み、手に汗握り、結果を見届ける。
数秒の沈黙の末、斃れたのはアスタロだった。
心臓を的確に貫かれ、自分に何が起きたかも混乱の渦中にある男には分からず、亡き者へと還っていく。
「「「「「いよッシャアアアアアアアアアッ!」」」」」
歓喜の咆哮が村中を駆け巡ったことを合図として、ここに全ての『大侵攻』精鋭部隊は敗北を喫することとなった。
同刻、大陸各地で同時並行していた大軍の侵略侵攻もプッツリ幕を閉じた。ただ傀儡として動いていただけの雑兵達はその場で屍となって崩れたという。
特に、大都市周辺はその軍勢の規模のデカさ故に転がる屍の数も数えきれない程で、その見た目の劣悪さに市民が外へ出ることは当分の間禁止されることになるだろう。
斯くして、大陸を一斉に騒がせた『大侵攻』はたった一日の内に食い止められ、世界は守られたのであった。
たがこの時点で、終結の原因となった侵略者の異変の正体を知る者は誰も居ない。
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残るは終着の地、古城プロスペリテ。
いや、そこから場所を少し移して、古城の目の前に広がる広大な平原と言うのが正しいだろう。
そこでグランやフィーストが対峙するは「失踪」事件最悪の黒幕、ラグラスロである。
一度は善戦するも、真の姿として黒竜へと変貌を遂げることでふたりを圧倒。ここで事件解決の夢も絶たれたかと思われたが、グランの最後の希望として賢王ラグラスロを呼び出し場は動く。
ラグラスロは生前を最強の失踪者として過ごし、死後もラグラスロの支配に抗いながら千年もの間、敵を討ち滅ぼす為だけに魔法の創り上げようと日々過ごしてきた。
そしてこの日、その時が来た。
「刮目せよ。これが、吾の構築した最高傑作。『超越交換式時空間召喚』ぞ!」
一体どれほどの気力と実力を伴う作業だったことだろう。
全失踪者の頂点に座するだけあって、そして千年を超える月日があって初めて、世界の理を越えた業を達成せしめた。
ここに召喚されたのは、一人の男。
大人びていて、長髪を束ねた姿からは一体誰なのか予想も付かないが、どこか見知ったような気もする。ただひとつ言えるのは、彼が纒う覇気のような圧迫感はデアヒメルと同等か、それ以上ということ。
「はぁ……こんな大事な日に呼び出されるなんて、運悪いと思わないか? 思うよな? じゃあ、早く帰らせてもらうぞ」
突然呼び出されてなお、緊張感に欠ける空気の男。
「そんなまさか…………奴は、奴はどこへ消えた。四肢を自傷してくたばった、グラナード・スマクラフティーはどこへ! そして貴様は一体誰_____」
「うるせぇ」
ほんの一瞥、よそ見をした隙を突き、空高くの黒竜に数撃を叩き込む。この場にいるフィースト、ラグラスロ、そしてデアヒメルですら知らない未曾有の力。
賢王が喚んだ、最終手段の男とは、
「ひれ伏せ、黒竜。お前は、このグラナード・スマクラフティーが弑し奉ろう。ふふ………俺は、怒ると怖いぜ!」
今回もお読みいただき感謝です。
黒竜ラグラスロの招いた『大侵攻』に綻びが差したその理由とは一体なんでありましょうか。
兎にも角にも、次回も宜しく願いします!




