第一章50 知識・実践・スーパーレディ
メイアの身体が炎に包まれようとしていたその傍で、また別の戦いはあった。
ルーシャの奇鬼忌琴の攻撃は悉く無視され、ゴースはまるで無傷だった。逆に攻撃を避けながら頻繁に諦めず攻撃を仕掛ける彼女の方が既に疲れを見せている。
ゴースは先程から一貫して大地捲りを繰り返し、直接殴打を当てようとしていない。明らかな手抜きだ。
「どうした。ラグラスロ様からはその楽器は相手にすると危険な代物だと聞かされていたのだが、その程度だったのか?」
「そう言ってられるのも今のうちですわよ!」
( なんて、実際に攻撃が全く効いていないのを見ると本当にピンチなんですが )
音をエネルギーに換える特質、曲を効果に反映する異質、どれもルーシャは扱いに長けていない。現時点で彼女に可能な演奏曲は3つあるが、それも完璧ではなく簡易的なものでしかない。
( 『浄化の暗夜』を弾けばメイアさんのときみたいに大人しくなってくれるかも分かりませんが、何を弾くにしてもその隙がない! 大きさの割にすばしっこいし、なにより地面を捲るこの遠距離攻撃が厄介すぎます!)
いち早く状況を理解して、ゴースの位置確認やこれからの戦略立てを同時に処理していくルーシャ。しかし、彼女はひとつ重要なことを見落としていた。
ごつん、と背中に硬くゴツゴツしたものが当たった。それが一瞬思考回路を遮断させ、ルーシャの硬直を生み出す。すぐに気付いた。背中に当たる大きな壁の正体、それは今までゴースが隆起させてきた数々の岩であることを。
( やら、れたッ! 手を抜いて遠距離から攻め続けていたのではなく、最初からじわじわと私を追い詰めるために、そしてまんまと私はそれにハマった!)
気付くと、行く手を塞ぐように別の岩が左右にもあった。
追い込み漁でもするかのごとく緻密な誘導を繰り返し、今この状況まで持ち込んだゴースの思索。それにはルーシャも度肝を抜く。
「フィーストが言っていた。其方はアプスと言う聡明な家系の下に生まれた者だと。ふん、その割には呆気なく誘い込まれたな?」
大男の物言いに、淑女ルーシャも歯軋りを隠せない。
「煽って、るんですか」
「落胆しているのだよ。どんな戦略を立て、どんな技を用い、どれだけ美しくあるのかと期待していたのだが」
「勝手に期待して勝手に落胆される。はは、一流家系では日常茶飯事ですよね。私は攻撃魔法に適性が無いから、そりゃあもう勝手な落胆を何度も体験してきましたよ」
過去を振り返ると、彼女の過去は劣等感で溢れていた。
いくら努力しようと姉達には叶わず、脚光を浴びるのはいつも姉。その内向けられる期待は薄れやけに親族全体がルーシャに対して温厚に接するようになったが、思春期で意固地になった彼女はそれでも努力を貫き通した。
「そして、私はいつの間にか頑張る気力ってものを失くしてしまっていた」
そう語るルーシャの瞳はもの寂しさを孕んでいた。まつ毛の影に同化して隠された昏い感情のようなものが、いま隠されず顔全体に塗りたくられたように表れている。
「だから、さあ。こんな私を追い詰めたのですから、トドメを刺しなさい」
ゴースは、ただただ無言で歩いた。その剛腕が命中する距離まで難なく近づくことが出来た。出来てしまった。
彼のたった一つの言動が生み出したミステルーシャ・アプスの戦意喪失がいま、一つの戦いを終着へと導かんとして、超破壊力のゲンコツの命中するを目の当たりにする、その寸前。
ゴースは知った。
つい直前まで劣等感に満ち溢れていたはずの彼女の瞳が、何の因果か絶対的な自信の光を宿してゴースを貫いていたことを。
拳が頬に直撃するまでほんの数センチのところで、攻撃は停止して____否、ルーシャを覆う風船のような半透明の膜によって停止させられていた。更に、頭がそれを認識した丁度そのタイミングで、
「ぬ、おおおおおおおおおおおおおおおっ?!」
ジグザグ! と、雷撃に打たれたと錯覚するほどの爆発的な刺激が腕を走り抜けた。
ゴースの防御力をも貫通したのは、疑うまでもなくたった今触れた風船状の膜。それをまじまじと凝視しながらも、思わず腕を押さえながら後退してしまう。
「何が、起きた」
「_____ひとつ言っておきます」
しかし、ルーシャは大男の疑問に答えずに言う。
「私は期待されることさえ無くなり努めることを止めた。でも、今貴方は私に期待していると言った。ならばその期待に応えて差し上げましょう。私は、ここで貴方を屠ります!」
「なるほどな。まんまと攻撃するよう誘い込まれていたのは寧ろ我の方だったか! しかしその膜、威力を丸っと反射させると見た。毎度と張られては厄介極まりないな」
そう思うのも無理は無い。
ゴースが攻撃するその瞬間まで、その瞬間にもルーシャが何かをするような素振りは見せていなかった。だから無詠唱魔法の類であると、そう勝手に解釈していた。
( やはり、彼は私が演奏していたことに気付いていない。小範囲の空気を操る魔法で真空の壁を築いて音を遮断する。後は彼が真面目に人の目を見て会話する性格であることを利用して、少しずつ曲を奏でた。であれば、)
「さあ、戦いの続きを始めましょう?」
反射攻撃が牽制となって無闇に攻撃できないこの好機をみすみす逃す手はないと、早速行動に移す。
未だ四方を囲われた状況にあることは変わりないが、ルーシャは怯まず大男めがけて突進する。肝心なのは全速力で動くこと。突進されただけでも反射の餌食になるぞという意思表示をすることだ。
スカッと、ルーシャは男の横を見事に通り抜けた。ゴースが道を開けるように横に退いたのだ。
「やっぱり躱すと思いました! お陰でほら、これで四方を囲われたのは貴方ですね!」
「ちぃッ、ハッタリか!」
かくも強靭な肉体を持つゴースでさえ、片腕が未だ痺れているというこの状態を捨て置くことはできない。胴体にも雷撃が貫通するような衝撃が来るのを想像するだけでも恐ろしいと感じている。
だから、その恐怖を利用された、見透かされていたことには心底震えた。
( これは、この戦乙女は、なんと聡明なのだ。腐っても有名家系の出ということか……?? だが少し、何かそれとは違うような )
ゴースは訝しんでいた。たった彼の期待それだけで果たして、あの昏い表情から脱却できるものなのかと。
そしてルーシャもルーシャで、包囲を抜けやや視界も開けたことでそれはごく自然に目に飛び込んできた。
「______メ、メイアさん?!」
思わず息を飲んだ。
ほぼ半身を焼き尽くすかのところまで燃え移った烈火の手。暗い闇の世界に灯った眩い光。その場からは聞こえないが、必死に叫びを堪えて呻きながらそれでも戦おうとするその様が一見しただけで分かる。
対峙するカラピアも裂かれた腹部を押さえ血をこぼしながら、なお立ち上がり攻め続けんとする意思が見てとれる。
「ここからでは見えぬが、おそらく燃えている。そうだな?」
「あ、あれは、何なんですか?」
「カラピアの持つダガーナイフで僅かでも傷を付ければ忽ちすぐに烈火の餌食という仕掛けだ。しかも加えて厄介なのが、火炎は消えるということを知らない」
「え、それってまさか…………」
そうこう困惑の渦に呑まれる間にも、既に火は首の下まで手を伸ばしていた。明らかに、それは人が生きていけるような状態などでは無い。
それでも立ち続け、ひたすらにカラピアの追撃を耐え忍んでいるのは執念によるものだろうか。異常な生命力と言われればそれも頷けてしまう。
だが。
のしり、と大きな影がルーシャの意識を奪い去った。
彼女は命の懸かった戦で決してやるべきでないことの一つをやってしまったのだ。
「兎にも角にもだが、乙女よ、注意を削いだな?」
ドスの効いた重い響きが一気に重力を激化させたような錯覚を覚える。
その大きな影は乙女の胴に打擲叩き入れた。華奢な彼女は空を薙ぎ地を跳ね、隆起した岩盤に打ち付けられる。もっとも、拳が体にめり込んだ時点で気絶してしまいその後のダメージはもはや知覚されていないが。
奇鬼忌琴がルーシャの傍らに落下し、その重さのために軽々と地面に突き刺さる。彼女は気絶したまま目覚めない、起き上がらない、戦えない。
たったさっき期待に応えると言ったばかりではあるが、これが世の常たるものか。あるべくしてある流れなのか。
『ルーシャ、後は、お前の出番だ』
『ルゥゥゥーシャアァァァァーーー!!今だっ!ぶっ潰せええええええっ!』
魔獣ファヴァールとの戦闘時に託されたグランの言葉が、なんの前触れも見せずふとルーシャの真っ暗な頭の中に映り込む。
この闇の世界に飛ばされた初日から言い渡された試練。想像を遥かに超えた過酷なものだったが、恐らくこの一件が無ければ彼女がここまでの明るさを取り戻すことは無かっただろう。
『お兄ちゃんとの生活、なかなかに疲れたでしょ?』
『ちぇっ、仕方ない。無力な君たちに僅かながらの慈悲をくれてやろう』
それからメイア、フィーストと仲間は増え、過ごした時間は雀の涙ほどだけれども彼らの心の強さはしかと感じ取れた。
では、ルーシャはここに来て何を成し得たか?
支援でしか役に立たなかった彼女は奇鬼忌琴を手に入れ、音という攻撃手段を身につけた。だが結局はおざなりで、こんな短期間ではまともな曲も弾けないし、だから効果も薄い。
いや、そうじゃない。そうじゃないだろと声が響く。
真っ暗な澱んだ何も見えないこの場所で、どこからか女性の声が響いてくる。違う、これは自分の声だと知る。自分の意識が、頭の中で語りかけてくる。
『大事なのは、これからどうするかでしょう』
「わた、しは」
『あなたが目覚めたら、ゴースという男に殴られた痛みを全身に感じることでしょう』
「そんな、そんなんじゃ動けない」
『何を言っているの? それが分かっていたから、まだ戦う意思があったから、貴方は、私はまだ生きているんじゃないの? そう、これは運命なのよ』
「え_______ 」
『さあ、あの大男の期待に応えるんでしょう?』
この真っ暗な意識の世界に身体はない。ただ自分がそこにあるという感覚だけが浮遊している感じだ。
でもこのときルーシャは確かに、その声に頷いた。
一方その頃、ゴースは倒れ込む彼女を見下ろしていた。
「さて、仲間への心配はまた美徳だが、それが原因で身を滅ぼすなど愚の骨頂だな。せめてもの情けだ、気を失っている今のうちに葬ってやろう」
そう言って頭蓋骨を粉砕せんと振り下ろされた腕の動きが、その頭蓋骨を目の前にして止まった。
彼の拳は言うまでもないが、まともに常人が当たれば即死はまず免れない。それでも生き残ったルーシャの存在は奇跡にも等しかった。
否、これは既に定められた流れであって、決して奇跡の類などではない。そのことを示す証拠が今、ゴースの目に飛び込んできたのだ。
「なん、だ……この赤い糸のようなものは……」
いくらひ弱だとか、攻撃面に自信がないとか、何を言われたって関係ない。そう、ミステルーシャ・アプスという人間が世界三大派閥アプス家の生まれである事実に変わりはないのだから。
カッ!と開眼し、彼女は目覚める。
直後、胴全体の神経がゴースから受けた破壊的なダメージに悲鳴を鳴らした!
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ________ッ!」
絶望を押し固めたような違和感が喉に詰まって声が枯れる。全身が熱く、周りの状況の一切が読み込めない。
なんだか体の中身が全部ミックスされて人型を留めていないような、浮遊感さえも感じる。
そして気付いた。
視界が赤く、赫く、緋く、赭い。血だ。
鉄の味、匂いが増して世界を混沌足らしめる。
『あなたは「赤い糸」で運命を一つ確定した。何を確定させたの? 戦いの勝利か、それとも死なないこと?』
戦慄的な状況などお構いなしに脳内の自己が勝手に話しかけてくる。
邪魔なノイズだ。
自分の声が鬱陶しい。
こんな時に話しかけてこないで欲しい。
『嘘を、付かないで。貴方は私。貴方は自分で自分に話しかけている。別人格なんかじゃない。これは紛れもなくミステルーシャ・アプスの意思!』
嘘つきはそっちだ。
そう、私は嘘つきなんだ。
だから、これは私なんだ。
「私が確定させたのは『必ず演奏を成功させる』未来。すなわちそれは、演奏を完了させない限り死なない、負けないことも同時に保証されることになる」
自分にしか聞こえない声で呟く。
「例えば体力が必ず1残るような、そんな仕組まれたゲームのイベントのようなもの。なら、それを利用して回復しちゃえばいい」
回復魔法で被害の修復を図る。
ゴースは幸いにも動かない、と言うより「攻撃 = 死」を意味する現状に於いてゴースの攻撃はあり得ないから。
「何が起きて、いるのだ。分からない。我が、この乙女の回復する様をのうのうと黙って見ているだけなのも理解し難い。何か、絶対的な何かが我の動きを制限しているような気がして仕方がない!」
そうこう困惑している間にゆらりゆらり立ち上がり、大男の間合いからさっと抜ける。
地面に突き刺さった奇鬼忌琴を回収したらもう、やることはたった一つだ。
( 私が現時点で簡単に演奏できるのはたったの3曲だけ。呪解の『浄化の暗夜』、金縛りの『幽霊』、そして反射の『他者』。でも、あと一つ。難しすぎて練習しても弾けなかった曲がある。それは……)
( 何故かような乙女が我の攻撃を凌ぎ耐えきったか分からぬが、それで敗れぬと言うなら、敬意を表して最大の力を出しきらねばならないな!)
両者の次の行動が同時に定まった。
だが、曲を奏でるよりゴースの行動の方が早く完結することは自然の理。そこにどんでん返しはない。
「其方が何をしようとも、演奏を待つほどの慈悲は捨てたぞ!」
大男の左巨腕が更に大きく膨れ上がる。
彼の右腕は先の反射攻撃の痺れが残り上手く力が引き出せない。
だが筋肉が、筋繊維がこれでもかとパワーを増幅させているから、利き腕でなくても全く遜色ない。
「る___________________ 」
されどいち早く動いたゴースに異変、声がでない。
( これは、いや、顔の周囲だけが真空か!)
しかしそれはほんの一秒にも満たない空白にすぎず、ゴースは横飛びして簡単に真空から抜け出すと今度こそ拳を大地に叩き込む。
「るぅあああああああああああああああああッ!」
「アプスに伝わりし讃歌よ、美しく響け! 簡易・狂想曲『智喰の大蛇』!」
轟音鳴らし激震走る瞬間と、美しく優しい曲の開幕がちょうど重なる。
抉られた地面の波がルーシャを取り囲むと、無抵抗に奏で続ける彼女を飲み込んで土砂の大樹が立派に聳え立った。
当然のこと土で固められた大樹の内に呼吸を許す空間など無いが、何かの見せしめとする為か、両腕と顔だけが露出している。十字架刑を思わせる風貌をとっていた。
「この土屑の塊はじわじわと其方の細い身体を締め付け粉砕しながら殺していく。何か言うことはあるか?」
言葉の通り、今もルーシャはとんでもないパワーで締め付けられ苦しんでうめき声しか出せずにいた。
「悲しいかな戦乙女よ。我はたったの一度しか攻撃を受けておらぬと言うに呆気なく、か」
飄々と冷たい風が吹いた。
なんてことない風だ。
だがそれは熱のこもった鮮血を冷まし、無知覚を知覚へと引き摺り込んだ。故に、既にゴースは大敗を喫していたのだと知った。
「ぼふ、ごほ、が………」
彼の腹部に大きな穴が穿たれていた。
吐血と相まって多量の血流が外へ漏れ、真っ赤な水溜まりが完成する。
「わた、しの奏でる音色が聞こえたなら、もう既に、大蛇の悪魔があなたを喰いちぎった後ってこと、ですよ」
ぽろぽろと、ゴースの異変と共に土屑の柱が崩れていく。
「そうか……あの真空、あの反射は音を、ごふ、遮断していたか…………知恵を利用し、実践する……まさに聡明」
微かに残された命を懸命に働かせ語る。
「嗚呼……そのひたむきさと、覚悟、は……本来我も、求めていたはずなのに……なぜ、闇に……堕してしまった、のか。我が生涯、最大の汚点なり…………………………」
黒竜に敗れ、魔法陣に敗れ、運命に敗れる。
こうして過去を振り返り、最後は己の後悔と共に、儚くも血の絨毯に迎えられ強敵ゴースは命を閉ざし戦いは終了した。
今回もお読みいただきありがとうです。
やっと50話まで来た〜って感じですね!あと10話以内には第一章もきっと終わる予定ですのでので
さて、次回もまたよろしくお願いします!




