第一章41 邂逅の巻①
一つの影が遠くの空を過ぎていった。
巨大で、黒くて、その存在感だけで後退りしてしまうような、そんな恐ろしい影だった。
「やっぱ、この山を越えた先で間違いないらしいな」
「私たちが向かっていることはバレてるはずですから、私たちのことを見つけ出そうとしているのですかね?」
小さな遺跡の中から外の様子を窺っているのは一組の男女。
たった今、彼らは敵の根城を攻め込まんと北上を続けており、そしてまさに敵の大将たる黒龍ラグラスロをその目に捉えたところであった。
「いや、奴は千年も昔からこの世界を跋扈しているんだ。きっとここの山越えにはこの遺跡の存在が重要視されていたことくらい把握済みだろ」
「では、敢えて私たちを放置していると?」
「まったく、舐めて掛かられたものだぜ…… 」
彼らはこれから登山をしようとしている訳だが、しかし一方で何かに期待して敢えてそこにとどまってもいた。もう少し詳しく言えば、何かを待っているといった方が正しいか。
その何かが来るという確証はこれっぽっちも無いのだが、上手くいけば楽に敵陣までたどり着ける可能性がある。
と、期待してここまで歩いた来たはいいものの、未だに邂逅を果たしていない。
「だあーー。いつになったら来るってんだよあいつ〜」
「でも、あれだけ宣戦布告してったんですからグランさんの予想もあってると思いますよ」
なんだか落ち着かないといった感じで頭を掻くと、「よしっ」と手をたたいて
「ちょっくら見回り行ってくるわ。ルーシャはここで待っててくれ」
軽くそう言ってふもとの森へとグランは颯爽消えていった。魔物の少ない森に、ただあの男と出会うためだけに偵察しに行ったのである。
今こそが、その時であると信じて。
「はぁ、仕方のない人ですね。念のため奇鬼忌琴をいつでも使えるようにしておかなきゃですね」
ひとり取り残されたルーシャは立ち上がって隅に立てかけてある盾形の楽器に手を伸ばすと、弦の様子を見ながら一音、二音と細かく音色を刻んでいく。
この程度であれば破壊をもたらすような効果は発現しないことが分かっており、楽器の調子を簡単に確かめることできるのだ。
「特殊武器と聞くとやはり武器を応用した魔法開発を推し進めるカタフ家を連想してしまいますが、別にこれは魔法とかではありませんしね」
言いながらルーシャはグランの消えていった方を見る。
「それにしてもグランさん。必死に冷静を保とうとしてましたけど、でも何か、こういう時に限って何か起きるんですよね。例えばなんでしょうか_____ 」
「例えば、こういうことだね」
「 _______ 」
不意の声は、込み上げるルーシャの不安を一気に跳ね上げた。もはや何を語るまでもなく、こんなにも空気をヒリヒリさせる人物は今知る中でデアヒメル王を除き一人しかあり得ない。
「タイミングが、悪すぎる……!! 」
「あぁ、グラナードが見回りしてるからだろう? 問題ない問題ない。君と交戦するつもりは今のところないから」
「いえ、行かせると思いますか」
奇鬼忌琴を構えて威嚇する。
その男、フィースト・カタフが飛んでいこうものならその前に攻撃してやるとの意気を込めて警戒を張り詰める。
「戦闘音を立ててしまえばすぐに奴は駆けつけるだろうね。でもさ、僕たちにも使命ってものがあるんだよね、わかる?」
「ならば全てを阻止するまで」
「無茶言うんじゃあないぞ、アプスの女」
突如の凄惨な味を含んだ威圧にルーシャの身体が震え慄いた。
今までの全てを楽観するようなトーンは何処へ行ったのか。あれらの口調は全て偽りだったのか。
いや、違う。
( 本能で、完全に私が彼より下の人間だと悟ったんだ。私の身体が止めろと警告している……!! )
嫌な汗が頬を滴る。鼓動が早く早く、早く逃げろとルーシャを急かす。思わず一歩、足が後ろに退いてしまう。
フィーストはそんなルーシャの所作から内心を読み取り、
「それでいい、そのまま下がって道を開けてくれればいいんだよ。何も出来ず、ただ立ち尽くすだけ。自らの無力をそうやって味わうんだ。グラナードも来たばかりの頃はそうやって打ちひしがれていたものだよ」
諭すように、嫌な笑みを浮かべながら呟く。
完全に硬直してしまったルーシャの横を軽々と通り過ぎ、最後に一言、フィーストらしく「バッドエ〜ンド」と煽りを入れると森へその姿を消し_____
「不肖この私、アプス家の人間がここで退くなんてことは有り得ませんのよ!!!!!!!」
ミステルーシャ・アプスの気概は消失していなかった!
振り返りながら支援魔法を瞬間的に使い、奇鬼忌琴の破壊メロディを一気に掻き鳴らす。その必死の表情には英傑の如く、恐れを捨て去った覚悟の闘志さえも垣間見える。
破壊エネルギーとして具現化された音の波は確実にフィースト・カタフの脳天を捉えた。
音に乗った力はこの近距離では脅威であり、この先には行かせないとの想いを込めた音撃には更に破壊力が付与されている。
抜け目など、ない!
「当然、そう来るよね」
しかし。
彼は至って平然としていた。
( 何を余裕ぶって、これを喰らって平然としてられればいいですけどね! )
そんなルーシャの考えは次の瞬間、真っ逆さまにひっくり返されることになる。
ジュイン_______!! と。
具現化された破壊エネルギーは真っ二つに切り裂かれていた。
「……………え?」
フィーストに命中する前にエネルギーは発散して小爆破を起こす。
彼は何も手を加えていない。それどころか微動だにすることなく背を向けて立ち止まっている。
「任務は、必ず執行される。だから失敗は許せないし、許さない」
そもそも敵がフィースト・カタフひとりしか居ないと思っていた時点で、既にルーシャは負けていたのかも知れない。
グランならば、どこからか隠れていた者の殺気から察知することも出来たのだろうか。なら、フィーストはそこまで考えてルーシャひとりのところを狙いやって来たと言うのか。
いや、そんなことより。
「誰、ですのよ。華麗にこの楽器の一撃を断ち切ってみせたということは相当なやり手なのでしょうけれど」
桃色の髪が特徴的な、外見はルーシャより明らかに歳下の少女だ。氷で造られたと思われる薙刀を構え、見た目の幼さに反して冷たい目をしている。
「私?」
「……それ以外に誰がいるんですか?」
「私は……」
名を問われ、彼女は何かに逡巡したように黙る。
そんな曖昧な反応に必然、ルーシャは疑念を抱いた。
「あなた、今自分を見失っていたりする? もしかして、まだここに来て近いんじゃ」
「ああそうそう、まだ君の言う通りその子は新入りで朦朧としてる部分があるらしくてね、代わりに僕が言おう。メイア・スマクラフティー、それが彼女の名前だ」
二人の少女の目がくわっと見開かれる。
「メイア・スマクラフ……って、え」
「私は、メイア………そうだ、そう、私は……………」
メイアと呼ばれた少女は明らかに動揺し、そこに初めて虚でない人間味を感じ取れた。驚愕に包み込まれ、既に場は戦闘どころではなくなって来ている。
「まあいいや、僕はグラナードのところに行ってくるから。後は頼んだよ、スマクラフティー妹」
「ちょ、待っ………!!」
急いで奇鬼忌琴を弾こうとするも、フィーストが槍を青光りさせたと思った次の瞬間にはもう彼の姿は消えていた。
「くっそぉ〜。今、スマクラフティー妹って言ってたよね。なら、つまり、そう言うこと、だよね」
目の前にいる幼さの残る少女は正真正銘グランの妹。
彼らの知らぬところで彼女は既にこの世界に来ていて、そして闇に引き摺り込まれていたのだ。それに新人と言うからには、つい最近来たばかり。
「メイア、さん。あなたがグランさんの妹さんで間違いないのよね?」
「うあ、あぁぁ……グラン、お兄ちゃん。あの男は、私のお兄ちゃん? なら、私に課せられた任務って……?? 」
「だ、大丈夫なの?」
「私達の仲間に引き込むこと。いや、違う。お兄ちゃんを殺す? そんなこと出来るはずない。じゃあ……」
ルーシャとメイアの目が合った。
縋るような目をした少女はやるべき事を無理やりルーシャに見出し、武器を構える」
「相手がお兄ちゃんじゃないなら貴方なのね。私は貴方を倒すために派遣されて来た、そうでしょう」
「何を、言っているの? 私はグランさんの仲間よ。あなたが私と敵対するってことは、あなたのお兄さんとも敵対するってことなのよ」
「なら私が何をすれば良いのか教えてみなさいよ!」
息を荒げて吠えるその姿を見たくない、というのがルーシャの心境だった。いくらなんでも辛い。混沌に彷徨って行き場を失った少女の心を取り戻してやりたいと強く願うも、その方法はわからない。
ただ、ルーシャにできるのは諭すことだけ。
「あなたが兄を引き込むのではなく、あなたが兄に味方すればいいのです」
「私に、仲間を裏切れと言うんですね」
「端的に言えばそうなるかも知れませんが……」
「そんなこと言う人が、お兄ちゃんの仲間な訳ないっ!!」
その時、少女の堪忍袋の緒が切れた。
ルーシャの説得も虚しく一気に凶暴性は倍化していき、一気に差を詰めると氷の薙刀を容赦なく振るう。
「ぎぃ……仕方のない子ですね!! 」
間一髪、奇鬼忌琴で攻撃を凌いだまではいいが、恐るべき怪力だ。楽器を伝って振動がルーシャを揺さぶり、既に片腕が少々痺れているのがわかる。
「グランさんには申し訳ないですけど、少し抗戦して大人しくさせるしかない!」
素早いメイアの猛攻をほぼ反射で避け凌ぎつつ、軽快なステップを踏みながらの演奏でルーシャも反撃を始める。
しかし。
( なんなのこの子! 手の痺れで攻撃の精度が落ちてるとは言えども、大量に撒き散らした音撃をこうも丁寧かつ華麗に対処してしまうなんて )
「これで終わり?」
「っ! ええい、舐められたものですね! こんなもので終わるはずがないでしょうに!」
軽快なステップから一転。
奏でられるリズムは次第と過激になっていき、周囲に生み出される破壊の力も比例して増えていく。
仲間の妹を攻撃してしまっていることへの複雑な気持ちが奇鬼忌琴に反映され、音撃の軌道も複雑に、それによって確実にメイアの反応を鈍らせている。
( 私が今この奇鬼忌琴で出来るのはまだ激しく奏でることくらい。でも、少しくらい応用も効く!)
奇鬼忌琴は奏者の想いに反応してその効果を変え、その曲によっても効果を変える。
「私が奏でる音がひとつの曲であると奇鬼忌琴が反応しさえすれば、私の攻撃は幾らでも変幻する!」
どんな攻撃にもすかさず対応してすぐルーシャの懐まで追い詰めてくるぶっ壊れ性能少女に苦戦しながら、細かく呼吸を整えていく。
「それでいて確実なのは、私が歌うこと。歌詞があるなら、それはなんであろうと曲になるはず。だから」
「何を、ぶつぶつさっきから独り言やってんの!」
薙刀の一閃が上腕を掠め、たったそれだけで赤い液体が吹く。鋭利すぎる切れ味と痛みに刹那たじろぐと、その隙を見事に突かれメイアは薙刀を嵐の如く振り回して始める。
奇鬼忌琴が盾の役割も出来るからといって使ってばかりでは弦も容易く切れてしまう為、極力回避に努めなければならない。
でも高速回転する氷刃の攻撃にはあまりにも回避は向いておらず、あっという間に身体中は切り傷だらけ。
なんならしれっと深い傷も負ってしまっている。
「く……痛すぎるっ。血が流れていく、止まらない。早く回復魔法を使わないと大変なことになる」
「いいよ、使っても。貴方が回復した瞬間、また攻撃を始めて同じ地獄を何度も繰り返してあげるから」
「優しいのね。けど、ごめんね。せっかくだけど、それはあなたが大人しくなってからにするわ」
「は?」
痛みを堪えて数歩下がる。
冷や汗が止まらず流れ出て血液と混ざるのがわかる。すぐに回復しないと本当にヤバいなんて自明の理。
「なぁんだ、アプス家ってバーサーカー集団なのか!」
「私の行動がそのままアプス家全体の行動だと解釈するなんて、やはり幼稚ですね」
「は? 大事なことだからもう一度いうよ。は?」
指で一本の弦を弾く。
( 距離は取った。だから、後は成功させるだけ )
「まあいい、また攻撃してくるなら受けて立つよ。ここ数ヶ月で培った戦闘技術があれば貴方のその不思議な攻撃も対応できちゃうから!」
「いざ」
奏でるは妖艶なメロディ。
荒々しさを捨て去った、どこか赤ん坊を宥める子守唄のようにも聞こえるそれは、しかし明らかに今までと同様のエネルギー体となって顕現した。
そして、今回はそれだけではなかった。
ただでさえ心を奪われてもおかしくはない奇鬼忌琴の美しき音色に相乗効果を加えるように、
「眠れや眠れ、夜の海の中に」
ミステルーシャ・アプスの美しき歌声が交わることで、それは完全な子守唄と成り果てる。
「子守唄って、悉く私を子供扱いしてくれるのね! 私はもう、そこらの大人より強いんだから!」
「暗闇を抜け、目覚めた先は昇陽の朝。眠れや眠れ」
ルーシャが相手の威勢を無視するかのように歌い奏で続けるのとは対極に、メイアは歌を挑発と捉え、周囲に散らばり向かってくるエネルギー体へと勇猛果敢斬りかかる。
だが、唯一メイアがこの場で不利だったのは奇鬼忌琴の効果を知らなかったことだろう。
「………え?」
音撃を叩き潰すつもりで払った薙刀にびくともせず、いや、すり抜けたと言うべきか。触れた感触すら与えることなく、ただ優しく撫でるように攻撃を通り抜け、メイアの懐まで接近した。
「う、そだ。これじゃあ対応できない、間に合わない!」
遂に。
音撃はメイアの『氷河を穿つ薙刀』にしてみせたように優しく、次々とメイアの全身を包み込んでいった。
「これは……」
「別に、私はあなたを大人しくさせたかっただけであり、必ずしも撃破を目的としていた訳じゃありません。例えば、確証があったわけではありませんが、この子守唄という歌を通じてそれに類似した効能を引き出せるのではないかと思いまして」
簡単に説明したが、ルーシャも言ったように確証はなかった。メイアの攻撃に無力化されなかったこともまた僥倖中の僥倖。
つまりは、彼女は完全に上手くいくか否かの賭けに出ていた。そして勝った!
「そして更にもう一つ、私は数ある子守唄の中からそれを選びました。曲題『浄化の暗夜』。ある呪われた男に捧げるため作曲されたと言う、太古より伝わる宗教神聖歌を」
ガクッと脱力しメイアは膝から崩れ落ちる。その反動で手に握られた薙刀も消失し、完全な無気力と成り果てる。
座り込むように目を閉ざした彼女はびくりともせず静止している。寝ているとしか思えない姿だ。
「本当に強かった、ここまでに凄い鍛錬を積んで来たんでしょうね。それで、この状況は私の読みが当たったと見ていいのかどうなのか……」
止血しながら上級回復魔法『シフィム』で身体を休める。
わりと傷を放置して歌に集中していたこともありクラクラするが、ここでまたメイアが再起して暴れでもしたらそれはもう絶望の一言だ。
願わくば、このままグランの実の妹であるこのメイア・スマクラフティーには味方に来てもらいたいところだが、既に悪感情を埋め込まれた後。
最低最悪の形で兄弟喧嘩を引き起こすことにでもなったらルーシャも耐えられない予感がしていた。
「お兄、ちゃん………」
メイアは未だ目を伏せた状態で、寝言なのか何なのか兄を呼び始めた。
「私は、お兄ちゃんと一緒に………」
よくよく見れば、女性でも羨やみ惚れてしまいそうな可愛さだ。夢の中にいるような今の表情は更に拍車が掛かっている。
間合いを測るようにしてその顔を覗き込もうとした、その時のこと、
「………一緒に、帰る為に来たん、だぁぁぁぁぁ!」
メイアの全身から眩く閃光が走った。
光源が火からしか作り出せないこの世界で見た、とても久しぶりな眩しすぎるほどの光。
「な、こ、これは?! 」
イレギュラーが起こっているのは目に見えてわかる。
問題は、
「これが何を指し示す光なのか。それが問題であり、それによっては、残酷な一途を辿ることにも……!! 」
そこで、ルーシャは気付いた。
光を発しているのがメイアでないことに。そして、真に光源となっている物が彼女の懐にあることに。
薄い直方体をした木の板が、御守りのようなそれがさも当然のごとく自己主張していた。
ここまでお読みいただきありがとうございます
ここからはバトルラッシュが始まりますので、盛り上げていけるように頑張って参ろうと思います。
是非とも次回と評価の程をよろしくお願いします!